海の上のどうぶつ王国


 動物園が来る、と言う話を最初に持ち出したのは、ティーダだった。

 たまには妹弟達とゆっくり過ごしなさい、と言うカフェバーのマスターの好意により、レオンは偶にアルバイトの非番を貰う事がある。
働いて生活費を溜めなければ、と言う気持ちもあれど、妹弟と共に過ごす時間は、レオンにとって何よりも大切なものだ。
非番を貰うのも月に一度程度の事だし、レオンはマスターの好意を有難く受け取る事にした。
その日の夕食の時間に、ティーダが買い物中に見たポスターの事を思い出し、「見に行きたい!」と言い出したのだ。

 発信したのはティーダだったが、スコールも動物園には興味津々だった。
行きたい、行きたいとはしゃぐティーダと、無言できらきらと瞳を輝かせるスコールを、エルオーネは姉らしく「レオンも忙しいんだから我儘は駄目だよ」と言って宥めていたが、そんな彼女の表情からも、ちょっと行ってみたい、と言う雰囲気が滲み出ていた。
序に言うと、レオンも決して興味がなかった訳ではない。

 ────となれば、行かないと言う手はあるまい。

 移動動物園がバラムに滞在しているのは、一週間。
待ちに待った日曜日にレオン達が港へ向かうと、其処は常以上に沢山の人々で溢れ返っていた。
レオンはティーダと、エルオーネはスコールと手を繋いで、皆が離れ離れにならないように互いの存在を確認し合いながら、がやがやと賑やかな波止場を歩く。


「屋台が出てるー!」
「こら、ティーダ。走っちゃ駄目だ、逸れるぞ」


 焼きトウモロコシの香ばしい匂いを漂わせる出店を見付けて、ティーダが言うが早いか走り出そうとする。
レオンは繋いだ手を確りと握り締めて、ティーダが逃げないようにやんわりと押さえた。
スコールはエルオーネの手をぎゅっと握り、きょろきょろと心なしか不安そうな表情で辺りを見回している。
いつもと様子の違う港の風景が、スコールには不思議で堪らないらしい。

 港は、俄かにお祭り同然になっていた。
元々バラムの人々の大半の生活・商売の集合区とも言える場所だから、人口密度が高いのは当然だが、出店は日常的には構えられてはいない。
正月や祭り以外で言えば、観光客が増えるであろうバカンスシーズンに狙って並ぶ位のものだ。
それが出ていると言うだけでも、バラムの町が、港が、如何に浮き足立っているのかが判るだろう。
ティーダが思わずテンションを上げるのも無理はない。

 当初の予定を忘れて、美味しそうな匂いを漂わせる出店に突撃しそうなティーダを諌めつつ、レオンはエルオーネの手を引いた。
行き交う人込みの流れに乗って、先ず最初の目的地へと向かう。
其処には、色鮮やかなイラストが描かれ、一際目を引く幔幕を広げたテントがあり、掲げられた看板には『TICKET BOOTH』の文字がある。

 ずらりと並んだ列に並んで、五分後、レオンは無事に受付に辿り着いた。


「学生1枚と、子供が……12歳って子供料金ですか?」
「小学生の方ですか?」
「初等部の六年生です」
「でしたら、子供料金になります」
「じゃあ、子供3枚お願いします」


 レセプションの女性がパチパチとレジを弾いて、金額が掲示される。
ぴったりの金額を支払うと、レオンの手に4枚のチケットが手渡された。


「レオン、ちょうだい、ちょうだい!」
「落ち付け、ティーダ。後でちゃんと渡してやるから」
「さ、向こうに行こ」


 チケットを欲しがってじゃれついてくるティーダの頭を撫でて、レオンは受付テントから離れる。
エルオーネに背を押されたティーダは、待ち切れないと言う表情をしていたが、今直ぐチケットを渡しても、これを使うまでにティーダは落としてしまいそうだ。
それ位に、ティーダのテンションは上がっていた。

 適当に開けた場所───と言っても、立ち止まるだけのスペースが僅かに確保できる程度の場所だが───に出ると、レオンは手に持っていたチケットの枚数と内容を確認した。
これは水上動物園の中への入場用チケットだ。
16歳のレオンが使う学生用が1枚、ガーデンの初等部に通うエルオーネとスコールとティーダが使う子供用が3枚。


「よし、間違いないな」
「レオン、早く。チケットちょうだい、ちょうだい」
「もうちょっと待て、ティーダ。入る時にはちゃんと渡してやるから」
「むー」


 眉尻を下げ、やんわりと「まだ駄目」と言うレオンに、ティーダはぷくっと頬を膨らませる。
じゃあ早く行こう、と言わんばかりに、ティーダはぐいぐいとレオンの手を引いた。
待ち切れない、と全身で表すティーダは、先程まで出店の食べ物に心を奪われていた事はさっぱり忘れているようだ。

 急かすティーダに促され、動物園の入口へと向かうレオンの後ろを、エルオーネと彼女に手を引かれたスコールが追う。
四人の他にも、沢山の親子連れが動物園の入り口を示す看板へ向かっていた。

 バラムの港町は、決して大きくはない。
街の規模自体がそれ程巨大ではないので、その賑わいとは裏腹に、スピラ大陸のルカやベベル、トラビア大陸のザナルカンド、イヴァリース大陸のバーフォンハイムに比べると、小ぢんまりとしたものである。
港には漁船の他、他国との連絡船や観光船が訪れるが、それらも決して、他大陸の港に比べると、本数は多くない。
寄港して待機できる船の数も限られており、波止場の大部分は水揚げの作業場と市場で埋まっている。
そんな所で、どうやって動物園と言う施設が展開するのかと言うと───正確に言うと、その施設が“展開”する事はない。
絵本で描かれる様なサーカスのテントのようなものも建てられないし、新しく柵を設けてスペースが確保される事もない。

 レオン達が向かった動物園の入り口は、桟橋に続いていた。
穏やかな波で微かに揺れる橋を渡った先に、大きな船が停泊している。
大型クルーズ客船と見紛う程の大きなその船が、イヴァリース大陸を発端とし、世界各地の海を駆け巡る水上移動動物園そのものであった。
船の中で沢山の動物達が飼育展示され、サーカス同様のショーが行われる広い空間も確保されていると言う、世界でも一つしかない特別な船なのだ。
動物園と言うだけでも子供達の好奇心を刺激するのに、超大型の船など、港町に住む子供達でも滅多に乗れるものではないから、彼等の興奮は一入だ。
────無論、はしゃぐティーダや興奮を隠しきれないスコールを宥めつつも、レオンとエルオーネも、今までにない経験に胸の鼓動が高鳴っていた。

 桟橋前に来ると、待機スタッフの前でレオンが足を止め、子供の用のチケットをティーダに差し出す。
ティーダはきらきらと青い瞳を輝かせ、満面の笑顔でチケットを受け取った。


「こっちは、エルとスコールの分だ」
「うん。はい、スコール。落としちゃ駄目よ」
「うん」


 エルオーネから自分用のチケットを受け取って、スコールはそれを両手で確りと握り締めた。

 スタッフにティーダがチケットを見せる。
千切られた半券を受け取って、ティーダは弾んだ足で桟橋を駆けて行った。
レオンも半券を受け取ると、急いでティーダを追い、微かに揺れる足元にはしゃいでいるティーダを捕まえる。


「こら。一人で行ったら駄目だって言っただろう」
「はーい」


 桟橋の柵に登ろうとしていたティーダの両手を掴んで、万歳させて叱ってやれば、反省しているのかいないのか、きゃらきゃらと笑いながら謝る声。

 トントントン、と桟橋を歩く音が近付いて、振り向いてみると、エルオーネとスコールだった。
スコールは足下の不安定さが怖いのか、エルオーネのワンピースを握り締め、足下と兄、姉の貌を、落ち着きなく見回している。


「大丈夫だ、スコール。恐くないぞ」
「んぅ……」
「行こう、スコール。動物さん達が待ってるよ」


 ぎゅ、としがみつく弟を、エルオーネが苦笑して促した。
おっかなびっくりで歩き出すスコールを、やんわりと背を押して進ませながら、エルオーネも桟橋を進む。
ティーダは相変わらず高いテンションで、自分を捕まえているレオンの手を引き、早く早くと船───動物園へと駆けて行く。

 子供が喜ぶであろう、可愛らしくデフォルメされた動物のステッカーに囲まれた搭乗口を潜ると、船内は船の中とは思えない程に広かった。
通路は広く、熱帯のジャングルを思わせるような木々であしらわれ、その中で沢山の動物達が展示されている。

 最初に兄弟を迎えたのは、可愛らしいナッツイーターの群れだった。
青色の体毛をした齧歯目リス科の動物で、緑豊かな土地に生息し、地中に棲家を作る生き物である。
一般的に考えられるリスに比べると、体高は約50センチと大き目だが、愛くるしい姿と、ピュ、ピキュ、と言う可愛らしい泣き声で、幅広い人気を持っている。


「ナッツイーターだ!」
「わあ、かわいい!」


 展示スペースにティーダが駆け寄り、エルオーネもスコールの手を引いて追う。

 分厚い透明壁の向こうで、ムー達は集まって毛繕いをしていた。
ふさふさと長い毛に覆われた大きな尻尾を揺らしながら、クルミを齧っているものもいる。


「尻尾、ふわふわだ」
「あったかそ…」


 ぺったりとガラスに両手と額を押し付けて、ティーダとスコールが呟いた。
レオンは、ガラスの下部に貼られている紹介シートを読み上げる。


「主にイヴァリース大陸北部と、スピラ大陸中部に幅広く分布。主な食べ物は、木の実や種、花……か」
「ぶんぷってなぁに?」
「住んでる所って事だよ。この子達の故郷は、外国にあるんだって」
「花食べるの?美味しいの?」
「この子達にとっては、美味しいんじゃないかなあ」


 スコールとティーダの質問に、エルオーネが易しい言葉を選んで教える。

 ナッツイーターの隣には、トゲのついた殻のようなものを背負った、ヘッジホッグと言う名のハリネズミの仲間がいる。
物騒な殻を背負っているのに、殻の下からひょこりと覗くピンク色の頭は、小動物らしく愛くるしい顔をしていた。


「トゲトゲー」
「とげとげ……」
「痛そう」
「うん」


 特徴的なシルエットをしたヘッジホッグを見て、ティーダとスコールが「トゲトゲ」「とげとげ」と繰り返す。
そんな弟達の様子が可笑しくて、レオンとエルオーネは顔を見合わせ、くすくすと笑った。

 弟達の背中を押して、また隣のスペースへ。
其処には、雪玉のような真っ白な体毛と、ピンク色の薄いグラーデションの耳を持ったウサギがいた。


「うさぎ!」
「ギーザラビットだな」
「ぎーざらびっと?」
「外国に、ギーザって言う名前の土地があって、この子達は其処で生まれたんだ」
「ぎーざで生まれたから、ぎーざらびっと?」


 ティーダの問いに、そう言う事、とレオンが頷く。

 スコールがガラスに手を当てて、覗き込むようにギーザラビットの群れを見詰めていると、一匹のギーザラビットが振り向いた。
ルビーのような円らな赤い瞳がスコールを見付けて、身体よりも大きな白い尻尾を揺らしながら、ギーザラビットがスコールに近付いて来る。
スコールは、ぱち、ぱち、と蒼い瞳を瞬かせて、近付いて来る白い毛玉を見詰めていた。

 ギーザラビットの鼻先が、ガラスに触れるスコールの手と重なる。
ふんふんと鼻を鳴らすギーザラビットを見て、スコールはきょとんと首を傾げた後、ガラスに重ねていた手を離した。
すると、ギーザラビットがことんと小首を傾げ、ふんふん、ふんふんと鼻を鳴らしながら、きょろきょろと左右を見回す。
もう一度スコールがガラスに手を重ねると、またギーザラビットがスコールの手に鼻を重ね、ふんふんと鼻を鳴らす。


「あっ。スコール、仲良くなったんだ」
「……なかよし……」


 良いなあ、と言うエルオーネの言葉に、スコールが嬉しそうにほんのり頬を赤らめる。
スコールがガラス越しに指でギーザラビットの鼻先を突いてみると、ギーザラビットはスコールの指先の匂いを嗅ごうとするように、指先に鼻頭を近付けて、ふんふんと頭を揺らす。


「……かわいい」
「ねー」


 小さな声で呟いたスコールに、エルオーネが笑い掛ける。
レオンも、妹弟の和やかな遣り取りに、口元を綻ばせていた。

 そんなレオンの手を、ティーダが引っ張って歩き出す。


「レオン、レオン。あれ、あっち」
「っと……なんだ、何がいるんだ?」


 きらきらと目を輝かせるティーダに促されるまま、レオンも歩き出した。
それを追って、エルオーネとスコールもギーザラビットのスペースから離れる。
スコールは去り際、ガラス向こうでことんと首を傾げているギーザラビットに、ばいばい、と手を振っていた。

 ティーダが見たがっていたのは、イステリトスと言う小型のドラゴンに似た恐竜だった。
全高は1メートルにも満たない、動物で言えば中型程度の大きさである。
雑食性で何でも食べる恐竜で、比較的大人しい性質で、卵から孵す段階から飼育すれば、人に慣れる個体も多い。


「恐竜、恐竜!」
「きょーりゅ……」
「大丈夫だよ、スコール。恐竜さんはこっちに来ないから」


 ティーダは、恐竜と言う生き物に対して、無性に格好良さを感じるらしい。
恐竜ならバラムガーデンの訓練施設にも、アルケオダイノスと言う大型の恐竜がいるが、あれは非常に危険な生き物だ。
見付かれば先ず間違いなく喰らおうとして襲ってくるので、のんびりと観察できる対象ではない。
スコールが“恐竜”と言う単語に怯えたのは、その為だ。

 しかし、此処は動物園────危険な生き物も、分厚く頑丈なガラスや檻の向こうにいて、絶対に観覧者に危険が及ばないように安全設計が成されている。
だから大丈夫、とスコールを宥めながら、エルオーネはスコールの手を引いて、イステリトスの檻へ近付く。

 檻と観覧者の間には、モートと呼ばれる溝がある。
幅は3メートル、深さは5メートルに及ぶもので、鼠返しのように下から上にかけて反り返っており、並の人間が落ちれば、先ず上って来る事は出来ない。
浮遊魔法を使えば容易いと思われそうだが、モートの壁にはサイレスやグラビデと言った力を持った魔石の粉片が混ぜ溶かされており、無理に飛び越えようとすれば、重力の力でモートの底へと引き摺りこまれる事となる。
これのお陰で、飼育されている動物達は勿論、閲覧する側も無闇に檻へと近付く事は出来ない。

 2頭のイステリトスが詰まれた干し草を食べ、その周りを別の2頭が追い駆けっこをするように走り回っている。
ガラス越とは違う、空間を共有していると言う臨場感のお陰だろうか。
レオン達は、モートの向こうの檻にいるイステリトス達が、殊更に近い場所にいるように思えた。


「恐竜!恐竜!」
「ほら、ね。こっちには来ないでしょ?」
「んぅ……」
「レオン、もっと近くで見たい」
「これ以上は、流石に無理だな。溝があるだろう?此処は越えちゃいけないんだ」
「えーっ。恐竜、触りたいぃ」


 小さな恐竜に怯えるスコールとは反対に、ティーダは全く物怖じしない。
それよりも好奇心が刺激されて仕方がないようだ。
しかし、モートは事故防止の為に設置されているものだし、此処を越えない事が観覧者に課せられた安全の為のルール。
不満そうに唇を尖らせるティーダに、良い子だから我慢しろよ、とレオンは蜜色の頭を撫でて宥める。


「なあなあレオン、あいつもアルケダイノみたいにでっかくなるの?」
「アルケオダイノス、な。いいや、あいつはあれで大人なんだ。あれ以上は大きくならないぞ」
「そうなの?恐竜って、もっと大きい奴の事じゃないの?」
「恐竜にも色々いるんだ。犬や猫にだって、大きい奴と小さい奴といるだろう。同じだよ」
「ふぅん……」


 モートの落下防止用の柵に寄り掛かって、ティーダがじっとイステリトスを見詰める。


「小さい恐竜は、格好良くないか?」
「んーん。恐竜、かっこいいよ」
「そうか。良かったな」
「うん!」


 レオンの言葉にティーダが頷く。
それからティーダは、「次!」と言って、レオンの手を引いて順路看板が示す方向へ向かう。

 可愛らしい動物もいれば、中々に凶悪な外見をした動物もいる。
次にレオン達が出逢ったのは、黒と赤のグラデーションの羽毛に覆われた、ダイブイーグルと言う大型の鳥だった。
翼を持つダイブイーグルは、イステリトスと違い、四方頭上を金網で囲まれている。


「鳥さん?」
「鳥さん。大きいねー」
「ヤキトリ、何本できる?」
「それは……どう、だろうな」


 ティーダの質問に、レオンは眉尻を下げた。
じゃあ唐揚げだったら?と訊ねるティーダに、レオンは苦笑いするしかない。
そんな二人を眺め、エルオーネはティーダに言った。


「ティーダ、お腹空いてるの?」
「ちょっと」
「スコールは?」
「……ちょっと」


 弟達の言葉に、レオンとエルオーネは顔を見合わせ、くすりと笑みを漏らす。

 レオンが辺りを見回すと、案内板が立てられていた。
地図にはエリア分けされたフロアが一覧に並び、現在地点と、各フロアの簡単な紹介が記されている。
其処には、休憩所やフードコートの場所も記載されていた。

 時計を見ると、午前11時────この広い船上の動物園をじっくり見て回る為にも、一足先に昼食を採っても良いだろう。
レオンとエルオーネは、それぞれティーダとスコールの手を引いて、一番近いフードコートエリアへと向かう事にした。





 レオンがホットサンドプレート、スコールとエルオーネが2人で1つのサンドイッチプレート、ティーダはボリューム満点カレーライス。
ぱくぱくと小気味良くカレーを平らげて行くティーダの隣で、レオンは彼の口の周りについているカレールーを見て苦笑した。


「ティーダ、カレーがついてるぞ」
「んぐ」
「こら、手で拭くな。こっち向け」
「う」


 レオンはティーダの頭を捕まえて、自分の方に向き直らせると、カレー塗れになっているティーダの口を紙ナプキンで拭いてやる。
茶色くなった紙ナプキンを裏返して折り畳み、綺麗な面でティーダの手も拭いてから、もう良いぞ、と解放した。

 スコールは四方形に切って並べられたサンドイッチを、黙々と食べている。
チーズの入ったサンドイッチが、スコールの一番のお気に入りだった。
その隣で、エルオーネが卵のサンドイッチを食べながら、美味しい?とスコールに訊いている。
スコールはチーズサンドイッチを食べながら、こくん、と首を縦に振った。

 ホットサンドを食べ終えたレオンは、セットのスープを飲みながら、スコールとエルオーネの向こうにある窓に目を向けた。
窓はフードコートの周囲を囲っており、果てのない水平線を映している。
船の中にある動物園、其処に設置されたフードコートなのだから、当然と言えば当然か。
バラムの町に住んでいるレオンにとって、水平線は見慣れたものであったが、高さのある船の中から見ている所為か、いつもよりも少し違う景色に映って見えた。

 レオンはしばし、ぼんやりと海を眺めていた。
其処へエルオーネの声が飛ぶ。


「あっ。駄目だよ、ティーダ。ちゃんと人参も食べなさい」
「うー…」
「スコールも、サラダの人参、避けないの」
「……んぅ」


 姉の言葉に、嫌いな人参を避けていた事がバレた弟達が、判り易く顔を顰める。
サラダの人参は千切りになっており、同じように千切りされた胡瓜や大根と絡み合っている。
それを一本一本、器用に避けているスコールを見て、レオンは眉尻を下げた。


「大丈夫だ、スコール。これ、あんまり人参の味がしないから、美味しいぞ」
「そうだよ。ドレッシングもかかってるから、ね。スコール、ほら、あーん」


 フォークで掬ったサラダを差し出され、スコールの眉の根本がきゅううと寄せられる。
が、拒否しても姉が許してくれない事は判っているので、精一杯の勇気で、「あー…」と口を開ける。
レオンもティーダのカレーライスから、避けられた人参を自分のフォークで掬って差し出す。


「ほら、ティーダも。カレーがかかってるし、よく火も通ってるから、苦くないぞ」


 ティーダに人参を食べるように促すレオンだが、ティーダは頑なだった。
サラダと違い、大きな塊で入っている人参に、どうしても拒否感が抑えられないようで、やだやだ、と言うようにティーダが首を横に振る。

 レオンは少しの間考えた後、フォークに掬っていた人参を、自分の口の中に入れた。
ティーダが目を丸くしてレオンを見る。
真ん丸の瞳が此方を見ている事を感じつつ、レオンは人参を良く噛んで飲み込んで、


「────ほら。平気だろう」
「……苦い?」
「苦くない。試してみろ。ほら、あーん」


 小さな人参を一つ取って、レオンはティーダに促した。
ティーダが恐る恐る口を開けたので、食べさせてやる。
するとティーダは、まるで全身の毛穴が開いたかのように、うーっと唸りながらぎゅっと目を閉じて、うぐうぐと無理やり顎を動かした。
しばらく奮闘した後、ティーダはごっくん、と喉を動かす。

 口の中が空っぽになって、ティーダは目を開けた。
ぱち、ぱち、と青い瞳が不思議そうに瞬きを繰り返すのを見て、レオンはくつくつと笑う。


「どうだ?苦くなかっただろう?」
「うん。でも、おいしくない」
「ティーダ、そう言う事言わないの」


 判り易く顔を顰めて、べっと舌を出して言ったティーダを、スコールにサラダを食べさせているエルオーネが叱る。


「だっておいしくないんだもん。レオンが作ったカレーのニンジン、もっとおいしかった」
「あら。人参が美味しいって、ティーダは知ってるんだ。じゃあその人参も食べれるね」
「やーだー!レオンのニンジンがいい!これじゃないの!」
「ティーダ、声が大きいぞ。静かに。テーブルも蹴らない」
「うーっ」


 じたばたと足を暴れさせて訴えるティーダに、レオンが注意すると、ティーダはすっかり不貞腐れてしまった。
人参と、あと少し残ったカレーすらも食べたくないとばかりに、スプーンを置いてテーブルに顎を乗せるティーダ。
そんなティーダと対照的に、スコールは順調にサラダを食べている。

 レオンとエルオーネは、顔を見合わせた後、テーブル端に立てられているメニュー表を見遣った。
其処にはアイスやパフェなどの写真と共にデザートメニューが綴られている。
うん、と兄妹はアイコンタクトで遣り取りをした後、


「ティーダ。人参を全部きちんと食べられたら、帰りにデザートを食べて良いぞ」
「……デザート?」
「ああ」
「ニンジン食べたら、食べて良いの?」
「うん。ただし、帰る前だぞ。今直ぐ食べたら、お腹一杯になって、動物園を歩いてる間に寝てしまいそうだからな」
「ニンジン食べたら、ケーキ食べて良いの?約束?」
「約束だ」


 何度も確認するティーダに、レオンも何度も頷いた。
ティーダはスプーンを持ち直し、残ったカレーを平らげると、皿の隅に寄せられていた人参を掬う。
緊張した面持ちで人参を見詰めた後、ティーダは思い切って口を大きく開け、ぱくっと食んだ。
眉間に目一杯の皺を寄せて、うぐうぐと顎を動かす。

 頑張って人参を攻略するティーダを、スコールがじっと見ている。
此方はエルオーネの協力もあって、サラダは綺麗に平らげられていた。
ティーダを見詰める蒼灰色の瞳は、人参攻略に励むティーダを心配そうに眺めつつ、その裏側には羨ましげな色も滲んでいる。
弟がどうしてそんな表情を浮かべているのか、レオンは直ぐに判った。


「スコールも、後でデザートを食べて良いぞ」
「……ほんと?」
「ちゃんと人参を食べれたからな」


 兄の言葉に、ぱああ、とスコールの表情が明るくなる。


「エルオーネも食べて良いぞ。人参、食べたからな」
「私は別に、人参、嫌いじゃないよ?」
「じゃあ、ご褒美はいらないか?」
「レオンのいじわる」
「冗談だよ」


 唇を尖らせる妹に、レオンはくすくすと笑った。
エルオーネも釣られたように笑い出し、楽しそうな兄と姉を見て、スコールも楽しそうに笑い出す。
その傍らで、ティーダが最後の人参を飲み込んだ。


「食べたぁー!」


 スプーンを持った手を頭上に掲げて勝利宣言をするティーダに、よく頑張りました、とレオンが頭を撫でる。

 時刻は十二時を過ぎた頃。
腹ごしらえが終わり、昼食時となって混み始めたフードコートを後にして、レオン達は改めて動物園巡りを再開させた。