ボーイズ・スクール・ライフ


 レオンのクラスメイトである、エドワード・ジェラルダイン───通称エッジは、問題児として有名である。
授業はサボる、出席したと思ったら居眠りしている、課題は忘れる、夜間は利用禁止の施設に潜り込む、女子更衣室や女子寮の大浴場を覗く、等々、その悪行には枚挙に暇がない。
教師に対して悪戯を仕掛ける事も多く、特にガーデン教師の中に数名存在する、フードローブを着て仮面を被った教師には容赦がなかった。
と言っても、仕掛ける悪戯は大抵下らないものである。
フードローブの中にカエルを入れる、授業の時に教師が使うインクを抜き取って全て使用不可にする、教職員室にあるデスクのクッションをドッキリ用のブーブークッションに摩り替える、と言った具合だ。
危険な悪戯を仕掛ける訳ではないので、見ている側からすれば可愛らしいものだが、仕掛けられた者の屈辱感は半端ではない。
だからエッジは、何かと教師に目を付けられており、悪戯を仕掛けては追い駆け回されているのだが、これが全く捕まらない。
と言うのも、エッジはガーデン始まって以来(まだ創立から五年と経っていないのだが)の俊足の持主だからだ。
その上、軽業師かと思う程に身軽で、僅かな取っ掛かりでもあれば、壁を駆け上ってガーデン本校舎の高い天井まで登る事も出来る。
まるで猿だな、と友人達から言われるが、彼はそれを聞いても気を悪くする事なく、捕まえられない教師たちを揶揄って遊んでいる。

 そんなエッジであるが、彼の生まれは由緒正しいものであった。
彼の故郷はスピラ大陸の南部にある、エブラーナと言う部族集落で、この部族の長は五百年以上昔から続く血筋と言われている。
エッジはその長の息子で、つまり次代の長となる人物なのだが、バラムガーデンでエッジのそんな一面を知る者はいない。
エッジの父は頭の柔らかい人間で、息子が小さな部族集落の中でのみ世界を完結させる事を憂い、色々な経験をさせる為にと、バラムガーデンに息子を入学させた。
その際、エッジには部族や血筋と言った枠に囚われない為にと、ごく普通の少年として過ごせるようにバラムガーデン学園長であるシドに頼んでいた。
これにより、エッジの所謂“家庭環境”について知る者は少ない。
バラムガーデンには、先の戦争の煽りで孤児となったガルバディア大陸の子供や、エッジ同様に社会勉強にと他国から入学する子供も多い為、エッジのように異国から来た少年が殊更に目立つ事はなかった。
そうでなくとも、エッジは生来から奔放な所があるので、同年代の少年少女達が多く過ごす“学校”と言う環境に馴染むのは難しくはなかっただろうが、何も知らないが故に、色眼鏡で見られる事もなく、純粋に“エッジ”と言う一個人の人間として成長して行くには、両親の配慮も無駄ではなかったに違いない。

 とは言え、毎日のように繰り返されるエッジの悪戯は、教師陣にも目に余る。
寧ろ“エッジ”と言う少年の今後を思えばこそ、悪戯には相応の罰も必要となるものだ。
しかし、説教一つをしようにも、エッジは中々捕まらない。

 そんな訳で、時折、エッジのクラスでは、彼を捕まえるべく大捕物が始まったりする。




 教室に入って来るなり、バン!と教卓を叩いた仮面の教師に、生徒達がしんと静まり返る。
仮面の教師の授業の時───そうでなくとも、授業中と言うのは基本的に───、私語厳禁は当たり前だったが、こんな時の静寂は少し理由が違う。
皆、来たか、と言う心構えを作る為に口を噤むのだ。

 仮面の教師は、その呼び名の通り、仮面を被っている為、顔を見る事は出来ない。
しかし、見通しの為に開けられた細長い穴の向こうからは、眼光らしきものがぎらぎらと物騒に輝いていた。


「エドワード・ジェラルダインはいるか」


 教師の言葉に、生徒達の視線が一斉に後列の一席へと向けられる。
レオンはその隣席に位置していたので、まるで自分を見られているような気がして、居心地の悪さに見舞われる。
そして、無人になっている隣の席───エッジの席をちらりと見遣った。

 エッジの席には、セロハンテープで留められた一枚のメモ用紙があった。
メモ用紙には、走り書きされた汚い字で『フケる!あとよろしく』とピースサインの自画像付で書かれている。

 レオンは、じっとりとした陰気な視線が向けられている事に気付いた。
俺は関係ないんだが、と思いつつ、レオンは教卓に立っている教師へと視線を戻し、


「……エッジはサボりだそうです」
「何処に行った?」
「…私は何も聞いていません」


 レオンの言葉に、またじっとりとした陰気な視線が絡み付いて来る。
疑われるのは、レオンが彼の隣席にいるからだけではない。
エッジとは何かと学校生活を共に過ごす事が多いので、友情に絆されて庇っているのではないか、と思われるのだ。
だが、エッジの悪戯及びサボタージュ行為については、レオンは全くの無関係であって、逃げ出したエッジが何処に行っているのかも聞いていない。

 陰気な視線に対して、レオンが目を逸らさないので、嘘を言っていない事を信用して貰う事は出来た。
くそ、と教師らしからぬ悪態を吐いて、仮面の教師はドンッと教卓を叩き、


「今回の奴の悪戯は度が過ぎている。連帯責任として、一時間以内に、全員でエドワードを探し出せ。見付けられなければ、お前達の成績を減点する」
「えーっ!?」
「そんなの横暴だろ!」
「俺達、何も関係ないのに!」


 教師の言葉に、教室のあちこちから悲鳴と抗議が挙がる。
が、教師は聞かなかった。


「問題児の管理を怠るからだ。減点されたくなければ、早急にエドワード・ジェラルダインを拘束して教員室に連れて来い!」


 滅茶苦茶な屁理屈だ、と生徒達は口々に文句を垂れつつ、席を立ち、ぞろぞろと教室を出て行く。
レオンも彼等と同じく、机に出していた教材類を片付けて、教室を後にした。

 教師の監視の目から逃れた所で、何人かの生徒が清々しい顔で小声で話をし始める。


「ラッキー、これで今日の地理は潰れたな」
「あのセンセーの授業、判り難い上に眠いんだよなー。振替授業で他のセンセーが来てくれますよーに!」
「エッジの奴、最近妙に大人しかったから、そろそろやる頃だと思ってたんだ」
「今日は何やらかしたんだ?誰か知ってる?」
「先週の抜き打ちテストの答案用紙、教員室から盗んだらしいぜ。授業の前にテストがないないって騒いでた」
「思い切った事やったなぁ。そりゃあいつも血眼になって探すわ」
「あのテスト、自信がなかったから、そのまま捨てたりしてくれると助かるなぁ。意地の悪い引っ掛け問題ばっか出しやがって、俺達の成績下げる為に作ってるだろ、アレ」
「さーて、何処から探す?一応見付けるだけ見付けて置かないと、本当に成績下げられるから面倒臭いよなー」
「どうせまたコールとレオンハートが見付けるだろ。あの二人しか捕まえられる奴いないし。俺達はのんびりやろうぜ」


 ぞろぞろと教室を歩いて行く生徒達の会話を聞きながら、レオンは溜息を吐く。
事の解決を丸投げにされているのは今更だが、せめてもう少し協力姿勢を取ってくれると有難いのだが、遠退いて行くクラスメイト達に、レオンのそんな胸中は伝わらない。

 一階エントランスと、二階の教室フロアを繋ぐエレベーターのホールは、女子生徒で溢れ返っていた。
男子生徒は、普段は滅多に使わない階段に赴いて、自分の足で一階まで下りて行く。
その中にも、数名の女子生徒は混じっており、


「ねぇねぇ、食堂に行こうよ。エッジ君、いるかも知れないよ」
「そんな事言って、お昼に食べ損ねたケーキ食べたいだけでしょ」
「いやいやいや、そんな事ないって〜。美味しいものを用意したら、お腹が空いたエッジ君が釣られて出て来るかも知れないじゃん?」
「今、五時間目よ?さっきお昼食べたばっかりなのに、幾らエッジ君でも其処まで早く消化しないよ」
「良いじゃん、行こうよ〜」


 真面目に探す気があるのかないのか。
ないんだろうな、と思いつつ、一階に到着した所で、さてどうするか───とレオンが考えていると、ぽんっ、と背中を叩かれる。


「レオン、お前、何処に行く?」


 藪から棒にかけられた問いに、レオンが振り返ると、頭にバンダナを巻いた男子生徒が立っていた。
クラスメイトのロック・コールである。

 レオンは顎に指を当てて、ふむ、と思案する。
周囲の生徒達は、皆思い思い───と言うより、好き好きに───散っているが、レオンとロックだけは、真面目に友人探しを行わなければならない。
自分達の手に、クラス全員の地理の成績の命運がかかっているのだ。
自分の成績にも影響するので、マイナスの棒を避ける為にも、エッジを見付けて教職室まで連行しなければならない。


「中庭は……」
「この前捕まえた所だぜ」
「じゃあ違うな。保健室はカドワキ先生がいるから、行きたがらないだろうし。訓練施設は……」
「先月まで使ってた隠し通路が見付かって塞がれたから、まだ行かないんじゃないか」
「……あれは通路か?排水路だろう」
「通れたら何でも良いんだよ。でも、二週間前に格子扉されて通れなくなったんだ。隠れるのに丁度良かったのにって愚痴ってた」


 バラムガーデンの訓練施設は、木々や苔で鬱蒼としており、さながら熱帯ジャングルのようだが、人の手で管理されている空間である。
用水路や電気を通すケーブル等が要所要所に張り巡らされており、廃棄物を処理する為の下水道も確保されている。
エッジはそうした場所を隠し通路にして、訓練施設での授業の合間にこっそり出入りして施設外でサボっていたのだ。

 ちなみに、ロックも時折、エッジが見付けた隠し通路を使っている。
サボタージュに使う事もあるが、大半は単に探検だと称して歩き回っているだけで、そのお陰か、ロックはバラムガーデンの構造をよく知っている。
何処を通れば何処に繋がるか、通気口やダストシュートの道がどのように張り巡らされているか、凡そガーデンを作った技術者でなければ判らないような事も、彼の頭の中に入っているのだ。

 レオンとロックは、エントランスロビーの案内板を見上げながら、更に的を絞るべく考える。


「図書室もないか。今まで一度も行った事ないし、先生もよく出入りするから、エッジは見付かると大目玉だもんな」
「後は、寮と駐車場とグラウンドか」
「食堂はナシ?」
「昼飯の後だからな。いるようなら、さっき女子が何人か行くようだったから、反応があるだろう」
「そうか。見付かったってどうせ捕まる訳ないし、炙り出して貰えば良いか」
「校門は……」
「外には出た事はないだろ?」


 エッジはサボタージュの常習犯だが、授業終了までにガーデンを出て行く事はしていない。
少なくとも、レオンとロックが知っている限りではあるが。

 取り敢えず、此処から一番近い所から、と言う話になって、レオンとロックはグラウンドへと向かった。
グラウンドでは中等部の生徒達が体育授業の真っ最中だ。
男子はサッカーとバスケットボールに分かれ、女子はテニスとバレーをしている。
その光景を横目に見ながら、レオンとロックは見学授業をしている生徒の下へ向かった。

 見学用のベンチに座っていた三人の生徒の内の一人が、上級生の存在に気付いて声を挙げる。


「あっ、レオン先輩!」
「ホントだ!おーい、エルー!レオン先輩来てるよー!」


 レオンの姿を認めると、女子生徒がテニスをしているクラスメイトを呼ぶ。
生徒の見ている方向をレオンが追うと、離れたテニスコートに、見慣れた少女が手を振っているのが見えた。
手を振り返すと、少女───エルオーネは嬉しそうに笑って、また授業に戻る。


「エルのクラスだったのか。そう言えば、午後は体育があるって言ってたな…」
「意外と運動神経良いんだな、あの子」


 ぱこん、ぱこん、とテンポ良くボールを打ち返すエルオーネを見ながら、ロックが呟いた。


「まあな。小さい頃は木登りなんかもしていたし。結構お転婆だったから」
「ふぅん。弟達と一緒にいる所をよく見るから、確り者だと思ってたんだけど」
「スコールが生まれてからだよ、そう言うのは」


 妹のエルオーネは、今でこそ気が利く確り者だが、幼い頃はとてもやんちゃだったのだ。
レオンの脳裏には、嘗て父が“Jの悲劇”と命名した事件を筆頭に、妹の様々な悪戯が思い浮かんでいた。
スコールが生まれて以来、エルオーネは「お姉ちゃんになる」と落ち着きを見せるようになっていたが、それでもしばらくの間は、レオンが寝ている間に髪にリボンを結んだり、シドの顔にイデアのメイク道具を使って化粧をしたりと言う悪戯をしていたものだ。

 エルオーネがいるのなら、彼女と話をしたかったレオンだが、当人は授業の真っ最中だ。
クラスメイトと楽しげにテニスをしているエルオーネを呼び止めるのも気が引けたので、クラスメイトに話を聞く事にする。


「すまないが、誰かこの辺で、銀髪を逆立てた高等部の生徒を見なかったか教えて貰えるか。身長は俺達と同じ位なんだが」
「耳に赤い飾りのピアスしてて、制服の袖を肘まで捲ってると思うんだけど。どうかな」


 レオンとロックの問いに、女子生徒達は顔を見合わせ、


「いいえ、見てないですよ。誰か見た?」
「ううん」
「私も知らないです」


 顔を見合わせ、女子生徒達は順番に首を横に振る。


「外れか」
「判らないぞ。あいつ、隠れるのも得意だから」
「一応、グラウンドを一周探してから、次に行くか」


 ありがとう、と後輩達に礼を述べて、レオンとロックはベンチを離れた。

 グラウンドは全校生徒が一挙に並べる程に広くいが、今日は特に大きな道具もない為、端から端まで万遍なく見通せる。
見渡した限りでは、此処にいるのは中等部の生徒達だけで、友人らしき人物は見当たらない。

 ガーデン校舎に対して、扇状に作られたグラウンドの外周部分には、緑地帯があった。
隠れられるのなら其処だろうと、レオンとロックは草木を掻き分けて茂みの中に入る。
木々の影は勿論、彼が昼寝場所にしている木の上も注意深く探してみるが、彼の姿は見付からなかった。
自分達以外が茂みを分ける音も聞こえないので、恐らく、此処にはいないのだろう。

 やっぱり外れたな、と言いつつ、レオンとロックは校舎へ戻る事にした。
その途中、グラウンドと校舎の境目になる階段前で、見慣れた小さな背中を二つ見付けた事で、レオンは足を止める。
階段の中程で、仲良く手を繋いで立ち尽くしているそれは、レオンの弟であるスコールと、一緒に暮らしている子供───ティーダだった。


「スコール、ティーダ」
「あっ、レオン」
「お兄ちゃん」


 呼んでみると、振り返った二人は、兄を見付けて嬉しそうに笑う。
それから、レオンの隣にいるロックを見て、


「知らない人がいるー」
「知らない人って……何回か顔合わせてるぞ、俺」


 物怖じしないティーダの言葉に、ロックは頭を掻きながら言った。
すまない、とレオンが苦笑して詫びると、気にしてないよ、とロックは右手を振った。


「二人は此処で何をしているんだ?今は五時間目の授業中だろ?」
「うん。んっとね、今は生活の授業なの」
「面白い虫を探して、絵に描くんだ!」
「“生活”って、また懐かしい響きだな」


 スコールの言葉に、ロックが言った。
それを聞いて、レオンが首を傾げる。


「ロック。俺は“生活”とか言う授業がよく判らないんだが、それはスコール位の年齢の子供には当たり前の授業なのか?」
「レオンは“生活”ってやった事ないのか?」
「俺が学校に入ったのは、此処が初めてなんだ。一昨年は中等部だったし、“生活”って言う授業はなかった。だから、スコール達の言う“生活”と言う授業はやった事がない」


 レオンの生まれ故郷には、学校と言うものは存在していなかった。
ガルバディア大陸の中心都市まで行けば教育施設はあったが、車で何時間も移動しなければならない辺境の土地だったので、故郷の子供達は学校と言うものを知らなかった。
勉強は家で大人が教えてくれるか、何ヵ月かに一度やって来る貸本屋から計算ドリルを譲って貰っていた程度だ。

 戦禍を期に、ガルバディア大陸からバラム島へと引っ越したレオンだが、その後もレオンが学校に通う事はなかった。
バラムにも大きな学校施設と言うものはなく、私塾が幾つかあった程度で、孤児院で質素な生活をしていたレオン達には、学校に通える余裕などなかったのだ。
だから、孤児院閉鎖の代わりにバラムガーデンが開校するまで、レオンは学校と言うものを体験した事がなかった。
故郷と身の上を同じくするエルオーネも同様である。

 ロックはレオンの出身を詳しく知っている訳ではないが、シド・クレイマーが経営していた孤児院にいたと言う事は知っている。
だからか、「学校と言う施設はバラムガーデンが初めて」と言うレオンの言葉にも、直ぐに得心が行った。

 “生活”の授業は、国語や算数等とは違い、何をしなければならない、と定められている事はない。
まだ幼い子供達は、身の回りにあるものが何を理由に起きているのか、また自分とどう言った関わりがあるのかと言う意識が低く、知識もない為、判断が乏しい。
それを授業に組み込んで積極的に触れさせる事で、周囲の環境が見えるようになったり、自然物との接し方を学んでいくと言うのが、“生活”の授業の大まかな概要である。

 が、教員を目指している訳でもないロックが、其処まで詳しく説明出来る筈もなく、


「 “生活”授業の事だけど、俺がいたガルバディアの学校じゃ、小学生の一年生や二年生は皆受けてたよ。俺のいた学校では、だけど。やってる事は、まあ、色々……虫の観察したり、街に出てショップの人にインタビューみたいな事やって後でまとめて発表したり。そんな感じ。多分、簡単な体験学習みたいなものじゃないか?」
「ふぅん……」


 ロックの説明は、自分が記憶している授業風景を要約するのが精一杯だ。
レオンは首を傾げたが、育て親であるシド・クレイマーが必要だと思って取り入れたのなら、きっと意味があるのあろう、と思う事にした。


「で、えーと……スコールとティーダは、虫を探しているんだって?」
「うん!面白い虫!」


 話を戻してレオンが訊ねると、ティーダが元気よく頷く。
スコールは手に持っていた落書き帳をレオンに差し出した。
受け取って開いてみると、蝶や天道虫、カマキリなどの昆虫の絵が描かれている。
ページの下には虫を見付けた場所がメモされており、同じ種類の虫が別の所で発見されたと言う事も判るようになっていた。


「一杯見付けたんだよ」
「うん。頑張ったみたいだな」


 偉い偉い、と濃茶色の髪を撫でてやれば、スコールが嬉しそうに頬を赤らめて笑う。


「ティーダも、一杯描いたのか?」
「んーん。オレはまだ」
「ティーダ、まだ全然描いてないの」
「どうして?一緒に虫を探していたんじゃないのか?」
「一緒だよ。一緒だけど、ティーダはまだ描かないって」


 スコールの言葉に、レオンが首を傾げる。
その隣で、ロックがティーダの落書き帳を借りて、ページを捲ってみると、ものの見事に真っ白だった。


「ティーダ、面白い虫が見付かるまで、描かないって」
「だって皆と同じの描いたってつまんないもん」


 困ったように言うスコールに、ティーダが唇を尖らせて言った。

 ティーダは、誰も見付けた事がないような面白い虫を見付けたいのだと言う。
と言うのも、今日探してデッサンした虫について、来週までに調べてまとめを作り、次の生活の授業で皆の前で発表する、と言う予定が組まれているからだ。
だから、誰も知らない新種の虫を見付けて、皆を驚かせようとしているのである。

 絶対に面白い虫を見付ける!と意気込むティーダに、スコールはおろおろとしていた。
真面目なスコールは、見付けた虫はちゃんと描かなければいけない、と思っているようだった。
だからスコールの落書き帳には、同じ種類の虫でも、別の所で見付けたら、全て描き止めてあったのだ。
そんなスコールに比べると、見付けても一向に描き留めようとしないティーダの態度は、困惑するものだったのだろう。

 レオンは苦笑し、眉尻を下げているスコールの頭を撫でてあやしてから、二人にそれぞれノートを返し、


「ティーダ。面白い虫を見付けるのも良いけど、一杯描くのも楽しいぞ」
「……んー…」
「面白い虫を一匹見付けるのも凄いと思う。でも、スコールみたいに色んな虫を一杯見付けるのも、俺は凄いと思うぞ」


 レオンの言葉に、ティーダはきょとんと瞬きを一つ。
ティーダの瞳が自分とスコールの落書き帳を行ったり来たりした。

 ティーダのページは真っ白。
スコールのページは、もう半分も使われている。
その事に気付くと、スコールと競争していた訳ではないが、負けず嫌いなティーダは、なんだか無性に悔しい気持ちになっていた。

 ティーダはぎゅっと拳を握って、レオンを見上げて言った。


「じゃあ、面白い虫を一杯見付ける!」


 高らかに宣言したティーダの言葉に、レオンはぽかんとした。
傍らでは、スコールが兄とそっくり同じような表情を浮かべている。

 やる気満々になったティーダの言葉に、最初に反応したのは、ロックだった。


「あははは!そっちに行ったかぁ!」
「なんで笑うの?オレ、なんかヘンな事言った?」
「いやいや、変じゃない。頑張れよ。面白い虫、一杯見付けて、今度俺に見せてくれよ」
「レオンの友達だったら良いよ。一杯描くから、楽しみにしててな」


 ロックの手がくしゃくしゃとティーダの金色の頭を撫でる。
ティーダはくすぐったそうに笑って、じゃあ、早速、と服のポケットから鉛筆を取り出す。

 ティーダは階段の真ん中に蹲って、落書き帳の一ページ目を開いた。
隣にスコールが座り、ティーダの手元が影にならないように気を付けながら、絵を覗き込んでいる。
そんな弟達を眺めながら、レオンは参った、と眉尻を下げた。
レオンとしては、ティーダが真面目に授業に参加している事は判っていても、落書き帳を真っ白のまま提出してしまう事で、担任教師から怒られる事を危惧して、面白くなくても一匹くらいは描いた方が良いぞ、と言うニュアンスだったのだが、まさか更にハードルを上げる事になるとは思ってもいなかった。


「そう言う方向に持って行くつもりはなかったんだが…」
「やる気が出たんだから、それで良しって事にしておけよ。一応、何か見付ける事は見付けてたみたい、だ…し……」


 ティーダの絵を覗きこんだロックが、不自然に言葉を途切れさせたのを聞いて、レオンは「ロック?」と首を傾げた。
一体ティーダは何を書いたのか、と弟と友人と一緒に覗き込んでみる。
其処でレオンは、ロックが言葉を失った理由を察した。

 ティーダが描いていたのは、凡そ虫とは思えない姿形をしていた。
画力の上手い下手もあるのだろうが、そもそも、形からして昆虫とは言えない。
芋虫のようなもこもことした物が、頭部と胴体に分かれていて、頭部の左右からそれぞれ一本ずつ触覚のようなものが伸びており、それが途中で折れ曲がって胴体にくっついている。
下半身は不自然に膨らんでおり、その膨らみの下から、案山子のような一本足が伸びている。
昆虫にあって然るべきの頭部・胸部・腹部に分かれた身体の形状や、胸部から生えている筈の三対の節足も見当たらなかった。


「ティーダ、やっぱりこれ、虫じゃないよ」


 絵を見詰めていたスコールが言った。
ティーダが唇を尖らせて顔を上げる。


「じゃあ、なんだよ?」
「…わかんないけど…でも、虫じゃないよ。あんなに大きな虫、いる訳ないもん」
「いるって。テレビで見た事あるじゃん、こーんな大きい虫」


 両腕を大きく広げ、こーんな、と表すティーダ。
見た事あるけど、とスコールが口籠り、やっぱりいるんだよ、とティーダが押す。

 ロックがレオンの耳元で声を潜めて訊ねた。


「テレビって、アニメとかゲームとかか?それとも、魔物とかと間違えてる?」
「……魔物との勘違いは、あると思う。ティーダが見た事のある昆虫系の魔物と言ったら、バイトバグやキラービーくらいだし。大型の魔物は、知っているのはアルケオダイノスくらいだ。元々ティーダはザナルカンドにいたから、魔物の事もあまり知らないと思う」


 だからと言って、昆虫種の大型の魔物を、普通の昆虫と勘違いする事はない───と言い切れないのが、子供の想像力だ。
何も知らないが故に、子供の発想は自由で突飛である。

 仮に、ティーダの描いている虫(らしきもの)が現実にいるとして、スコールとティーダの話を聞くと、この虫はかなり大きなものらしい。
子供達の“大きい”の採寸は幾らでも変わるので、その大きさを計り知る事は出来ないが、得体の知れないものである事はなんとなく判った。
そんなものがバラムガーデンの何処かに潜んでいる、それも子供達が目撃できるような近しい場所にいる、と言うのは、些か穏やかではない話だ。


「スコール、ティーダ。その虫、一体何処で見付けたんだ?」


 レオンが訊ねると、弟達は顔を見合わせ、揃って校舎を指差した。
よりによって校舎にいるのか、と眉を潜めたレオンだったが、二人が指差しているものは、校舎よりも手前にあった。

 四人がいる階段を上り切った先には、小さいながらも踊り場スペースが設けられており、昼になれば食事をする生徒の為に、ベンチやテーブルが置かれていた。
その上に、日除け用の幔幕天井が吊るされている。
白い幔幕天井は、空から降り注ぐ陽光を和らげつつも透き抜けるのだが、其処にティーダが描いたままの形をした影が映り込んでいる。

 いた。
確かに、ティーダが描いている“虫”は其処にいた。
が、あれはどちらかと言えば、“虫”ではなくて────


「…………」
「……ぶふっ!」


 呆れて立ち尽すレオンの横で、噴き出したロックが慌てて口を塞ぐ。
肩を震わせながら蹲る彼を尻目に、レオンはきょとんとした表情で見上げて来る弟達の頭を撫でる。


「ティーダ。残念だけど、あれは虫じゃない」
「えーっ」
「…お兄ちゃん、あの虫、知ってるの?」


 きっぱりと否定したレオンに、スコールが訊ねた。
ちょっとな、とレオンは眉尻を下げて溜息を漏らし、幔幕の影に向かって呼び掛けた。


「エッジ!起きろ!」


 その声が響いて、一拍、二拍と間を置いた後、影はもそもそと動き出した。
ごろんと転がって位置を変えた後、影はそれこそ芋虫のように這って進み、幔幕の縁から顔を出す。

 逆立った短い銀髪と、悪戯好きの猫を思わせる釣り目。
耳に赤い飾りのついたピアスをし、レオンやロックと同様の制服を着用している、人間。
正に仮面の教師が血眼になって探していた、今日の授業で返される予定だった抜き打ちテストの答案用紙を盗んだ犯人───エドワード・ジェラルダインであった。

 エッジはふあぁ、と大きな欠伸をしながら、階段から此方を見上げている少年達を見付け、


「なんだよ、もう見付かったのか。今日は随分早ぇな」
「虫がしゃべったー!」
「……あん?」


 頭を掻きながら言ったエッジを見て、ティーダが叫んだ。
怪訝な顔を浮かべたエッジに、レオンは慌ててティーダの口を塞ぐ。
その隣で、ロックが腹を抱えて蹲り、肩を震わせている。

 スコールがティーダの手を引いて、ほら、と言った。


「ほら、虫じゃないよ」
「判んないよ。虫がヘンシンしたのかも」
「…ティーダ。虫じゃないんだ。あれは虫じゃない」
「木の枝とか葉っぱに変身して、見付からないようにする虫っているじゃん」
「擬態の事だな……うん、確かにいるけど……とにかく、あいつは虫じゃないんだ」


 頑なにエッジを“面白い虫”にしたいティーダに、レオンは静かに首を横に振った。
ティーダは不満げに唇を尖らせ、うーっとレオンを睨むが、こればかりは幾ら睨まれても覆せない事実である。

 幔幕から飛び降りたエッジは、ぐっと背筋を伸ばし、首や肩など固まった筋肉を解しながら、レオン達の下に近付いて来る。
人見知りの激しいスコールがレオンの後ろに隠れ、ティーダはじっとエッジを見詰めて観察していた。
何処からどう見ても人間の形をしているエッジに、ティーダもようやく現実を受け入れたか、謎の物体を描いた落書き帳を見詰めて「ちぇっ」と呟いた。

 エッジは二人の元までやって来ると、もう一つ欠伸をして、


「もうちょっとゆっくり昼寝出来ると思ったんだけどなぁ。見付けるの早過ぎだぜ。あと、ロックは何してんだ?」


 蹲っている級友を見て、エッジは眉根を寄せる。
おい、とレオンが声をかけると、ロックはしばらく肩を震わせていたが、やがて意識して深呼吸して気を落ち着かせると、ようやく立ち上がってエッジと向き合う。


「あー、ツボった。子供って面白いな」
「…まあな」
「何の話だよ?」
「お前が虫になったって話」
「はぁ?」


 意味が判らない、と益々眉根を寄せるエッジだが、レオンは肩を竦めるだけでそれ以上は言わなかった。
ロックはまだくつくつと笑っていたが、エッジも深く気にする事はなく、まあいいか、と切り替える。

 代わりに、今度はレオンが、エッジの全身像を上から下まで眺めて眉根を寄せた。


「エッジ。先生が随分怒っていたが、また何かやったのか?」
「ああ」


 少しは誤魔化そうとするかと思えば、エッジは清々しいほど素直に白状した。
罪の意識はないのか、と呆れるレオンの傍らで、ロックは呆れ半分感心半分と言う表情を浮かべている。


「悪戯も度を越すと、説教じゃ済まされなくなるぞ」
「判ってるよ。でも、俺がイベントを作るから、退屈な授業をやらなくて済んだだろ?」
「授業が潰れてるのは、俺もちょっとはラッキーとか思うけど…」


 エッジとロックの言葉に、レオンははっきりと溜息を吐いた。


「今日の授業をやらなくても、どうせ後で振替授業が組まれるんだぞ。その時間が取れなかったら、休日返上で補習になるんだ。そっちの方が余程面倒じゃないか」
「それに、クラス全員が問答無用で成績減点って言うのもきついな。恨まれるぞ、お前」
「あのセンセーの暇な授業じゃなくなるんだから良いじゃねえか。もうちっと面白い授業にしてくれれば、俺だってこんな事やらねえよ。成績減点は俺も嫌だから、適当な所で自首するし」
「……どうだか……」


 あの仮面の教師が行う授業が退屈だと言う点については、レオンも否定するつもりはない。
しかし、だからと言って、教職員室に忍び込んで盗みを働いて良い道理にはなるまい。
更に言えば、仮面の教師が関係していなくとも、エッジが何某かの悪戯を働き、そのまま逃亡して、怒り心頭になった教師陣が山狩り宜しくエッジ捕縛をクラスに命じるのは、月に一度の恒例行事となっているのだ。
その時点で、今のエッジの発言には信用性が持てない。


「とにかく、早く先生に謝って来いよ。早い内の方が説教も短くて済むだろ」
「えぁー……面倒臭ぇなあ……」
「それと────エッジ。お前、答案用紙は何処にやったんだ?持っているようには見えないんだが」


 レオンは、もう一度エッジを頭から足下まで観察して言った。
一クラス30人分にもなる答案用紙を盗んだと言うには、彼は身軽過ぎる。
答案用紙はA4サイズで、少ない枚数なら折り畳んで制服のポケットに入れる事も出来るが、30枚となると相応の厚みがある為、ファイルや鞄でなければ収められない筈だ。

 レオンの問いに、ロックがそう言えば、とエッジを眺めながら頷く。
抜き打ちテストの答案について、ロックは余り気に留めていなかったようだが、あれを返さなければ教員の怒りは収まるまい。
答案用紙を何処に隠したんだ、とレオンとロックがエッジを問い質すと、エッジはきょとんとした表情で首を傾げ、


「答案用紙って何の話だ?」
「え?」
「ん?」


 思わぬエッジの反応に、レオンとロックは目を丸くした。


「何の話って───お前が今日返される予定だったテストの答案用紙を盗んだから、先生が怒ってお前を探してるんじゃないのか?」
「なんだ、そりゃ。俺はてっきり、あのセンセーの仮面の中にヒキガエルとイモリとセミの蛹の抜け殻を入れた事で追い駆けられてるとばっかり」
「………それもそれで………」


 余りにも下らない悪戯に、ロックが呆れ返る。

 クラスメイト達が言っていた答案用紙の話は、ただの噂に過ぎなかったのか。
それとも、教員の方が何かを勘違いしていて、エッジが犯人だと決め付けているのか。
将又、もっと別の何かなのか───レオン達は首を傾げていたが、これ以上は考えていても仕方のない事だ。
取り敢えずエッジは捕獲する事が出来たのだから、彼を教員のいる教職室に連れて行って、事の真相を聞くしかあるまい。

 と、考えていた時だった。