この世界の為に出来ること 2


 レオン、エルオーネ、スコール、そしてサイファー・アルマシーの四人は、バラムガーデンが設立するまでに引き取り先が現れなかった。
サイファーは持前の暴れん坊気質で引き取り先が中々見付からず、また彼自身がイデア・クレイマーから離れる事を強く拒んだ為、ガーデン設立と同時に入寮している。
レオン、エルオーネ、スコールの三人は、それぞれを引き取りたいと言う里親希望者は現れていた。
特に、既に13歳になっており分別もついていたレオンと、人見知りせず見た目も可愛らしいエルオーネを養子にしたいと言う者は少なくなかったが、三人三様に別たれる事を嫌った。
結局、レオンが13歳にして早い独り立ちを望んだ為、兄妹弟は揃ってバラムの街に住む事となる。

 バラムの街の治安は、他国に比べれば遥かに良かった。
大人がいない環境であるにも関わらず、兄妹弟は大きなトラブルに巻き込まれる事もなく、平穏な生活を送っていた。
今年の春に新たな家族を迎えてからも同様である。
今後もこうした穏やかな生活が続いて行けば良い───……と、兄が願うも虚しく、早過ぎる巣立ちから4年目にして、レオンは嘗てない出来事に頭を悩まされていた。

 教室の自分の席で突っ伏し、深い溜息を吐くレオンを、クラスメイト達は遠巻きに眺めていた。
授業中も心此処に在らずと言う様子で、2時間目の物理の時間に返された3日前の小テストでは、名前を書き忘れると言う凡ミスを犯している。
常ならばまずしないであろう事が頻発しているレオンに、クラスメイト達も何事かと困惑していた。

 ────エルオーネの下に差出人不明の不気味な手紙が届けられるようになって1ヶ月後、事態は解決どころか更なる悪化に走っていた。
彼女のロッカーには、物が投入できないようにテープや紙で穴に封が成されたのだが、それも翌日には刃物のような物で切り裂かれ、また手紙が投入されている。
シドが日曜大工で木板を取り付けると、今度はロッカーの扉が開けられた形跡が見られるようになった。
一時的な措置として、簡易施錠をする事にすると、ようやくロッカーへの手紙の投入はなくなった。
が、今度はエルオーネが使っている学習パネルに、それがぽつりと置かれるようになったのだ。

 手紙は相変わらず、エルオーネのクラスの教室が無人になるタイミングを狙って置かれている。
シドはパトロールとして、授業中に各学年の教室を見回る時間を増やしたが、尻尾を掴む事も出来なかった。
レオンも折を見てはエルオーネの教室を訪ね、不審な動きをしている生徒がいないか目を凝らして見たが、それらしいものは見付からない。


(くそ。エルが不安になってるって言うのに、どうして何も力になってやれないんだ)


 毎日のように届けられる不気味な手紙に、エルオーネの精神は着実に疲労を増している。
弟達の前では気丈に笑っているが、二人の姿が見えなくなると、そわそわと落ち付かない。
誰かが───手紙の送り主が───何処かから自分を見ているのではないか、と言う不安に駆られるのだと言う。

 彼女を不安にさせる原因を、早く取り除いてやらなければ。
その為にも、早く犯人を捕まえなくては。
そう思っているのに、気ばかりが急いて、成果らしい成果は何一つ上がらなかった。


(いっその事、監視カメラでも仕掛けるか?)


 投槍気味にそんな事を考えて、無理だな、とレオンは深々と溜息を吐いた。
ザナルカンドのような機械技術に突出した国ならともかく、この小さなバラム島で、誰にも気付かれないような小型カメラを調達するのは無理だ。

 はあ、と今日何度目か知れない溜息を吐いた所で、よく知る声が降って来た。


「おいレオン、大丈夫か?」
「気分悪いなら、さっさと保健室行った方が良いぞ」


 気遣う声に顔を上げると、クラスメイトのエッジとロックだった。
レオンは二人の顔を確認した後、また机に顔を伏せる。


「はあ………」
「でっけえ溜息だな。なんだよ、悩み事か?また弟に嫌われたーとか?」
「……その件はもう解決したから、蒸し返さないでくれ」


 エッジの言う“弟に嫌われた”件とは、ティーダがバラムに来て間もなく起こった事件だ。
それまでレオンとエルオーネの愛情を独占する形になっていたスコールが、ティーダが来た事により世界のバランスが崩れ、不安になったと言う出来事である。
その時、初めてスコールから「お兄ちゃんキライ」と言う言葉を聞いたレオンは、誰が見ても判る程に落ち込み、3日に渡ってその出来事を引き摺ったのである。

 あれも辛かったな、と喉元過ぎた出来事を考えつつ、けれどもそれは解決したのだから良かった。
何より、あれは兄弟間の問題であったから、お互いにきちんと向き合う事が出来ると、瞬く間に事件は収束した。
自分の至らない点にも気付けたし、スコールの気持ちも聞けたし、ティーダが家族として馴染む切っ掛けにもなった。
雨降って地固まる、と言う奴だろう。

 だが、今レオンが直面している問題は、それとは全く異なるものだ。
問題は外部から運ばれており、それを排除する事も出来ず、妹のストレスは溜まるばかり。
それに、最近は更なる問題も起き始めていた。


「……お前達には、話しても良いか……大事にはしたくないから、他言無用で頼む」
「おう。安心しろ、口は堅いからな」
「って言うか、レオンが愚痴るって珍しいよな。お前、普段殆ど愚痴零さないからなあ」


 自信満々に言うエッジと、苦笑するロックの言葉に、良い友人を持ったとレオンは思う。

 余り大きな声では言いたくなかったので、レオンは二人に顔を近付けるように合図した。
二人はレオンを挟む位置に座り、電源が切れた学習パネルの上で顔を突き合わせる。


「妹のエルが、ストーカーに遭っているんだ」
「何ぃ?」
「それ、確かか?」


 何かの思い過ごしではないかと言うロックに、レオンは小さく首を横に振った。


「この1ヶ月、エルの所に妙な手紙が届いている」
「妙なって?」
「ストーカーっつー位だから、好きとかなんとか、そう言うのを気持ち悪い感じで書いてあるんじゃねえの?」
「そう言うものじゃない」


 愛を語るような手紙だったら、どんなに良かったか。
そう思ったレオンだったが、1ヶ月に渡って送り続けていたら流石に気味が悪そうだ、と思い直す。


「ただ一言、“許さない”と書いてあった」
「なんだそりゃ。お前の妹、誰かに恨まれてる……訳ないか、そんな子じゃなかったな」


 当たり前に思い浮かぶであろう可能性を、エッジは真っ先に否定した。
エッジもロックも、エルオーネは勿論、スコールやティーダと何度も顔を合わせている。
誰かに恨みを買われる様な性格ではない事は、彼等もよくよく知っていた。

 何かの間違い、勘違い、人違いではないかと言う友人達に、レオンは全て首を横に振った。
同じ事は自分達も考えたし、人違いに関してはエルオーネ自身がアクションを起こした末なので、この線はない。


「手紙に書いてあるのはそれだけか?他に何か、えーと……何々がどうだから許さない、とか、理由みたいなのは書いてないのか?」
「それもなかった。“許さない”とだけ書いてあるんだ。最近は、A4サイズのコピー用紙の上から下までびっしりと」
「げぇ……気持ち悪ぃ」


 最初はメモ用紙のような紙で、それが四つ折りにされたものだったと、エルオーネは言っていた。
レオンに事情を放す頃にはB5サイズのコピー用紙になっていて、今では更にサイズが大きくなった。
タイプ打ちのフォントは最初の時から変わらず、小さなものが使われているのだが、それがA4用紙の上から下まで埋め尽くしている図は、読む者に恐怖を与えるに相応しい。


「最初は一つだけ書いてあったらしい。その頃のは手元にはないようだが……段々増えて行ったと言っていた。手紙も一回で見付けるのは一通だけじゃない、数枚置かれている事もあった」
「その全部が“許さない”ってだけ書いてあるのか?」
「ああ。丁度俺が持ってるが、見てみるか?」
「………やめとく。想像だけで結構キたし、見る勇気ねえわ。つーか、なんでお前がその手紙を持ってんだ?」
「ストーカー被害の証拠になるから、回収するようには言ったが、エルに持たせて置くにも行かないだろうと思って、俺が預かる事にした。あんな気持ちの悪い物、手許に置いておきたくないだろう」


 レオンがはっきりと気持ちが悪いと言い切るのだから、相当なのだろうと言う事は、エッジとロックにも判る。
そんなものを一ヶ月も送られ続けた少女が、かなり参っていると言うのも、目の前の兄の姿を見れば想像に難くない。


「お前のとこの嬢ちゃん、大丈夫か?」


 エッジが率直訊くと、レオンは数秒の間を開けて、


「今はまだ……なんとか、って言う感じだな。スコールとティーダの前では笑ってる。段々ぎこちなくなってるが…」
「チビ達は知らないのか?姉ちゃんがストーカーに遭ってるって」
「知らせる訳に行かないだろう。恐がらせたくない」


 スコールとティーダは、兄姉が直面している悩みに気付いていない。
最近、頻繁にイデアとシドが家に来る事について、「なんで?」と訊ねる事はあるものの、二人は質問を上手く交わしているようだった。
幼い弟達には何も知らず、いつも通りに笑っていて欲しいと言うのは、保護者達の暗黙の総意だ。

 だが、いつまでも隠し通せるかは怪しい。
スコールもティーダも兄姉の事をよく見ているし、幼いなりに聡いので、“何か”があったのではないかと感じ始めている。
エルオーネにも段々と無理をしている様子が見られ、時折弟達が心配そうに彼女を見詰めている事もあった。


「学園長に相談は?」
「もうしてある。お陰で、アルバイトに行っている間、エル達だけにせずに済んでるんだが、シド先生達も暇じゃないし、毎日来て貰う訳にも行かなくてな…」
「犯人の方はどうなんだよ。目星ついてんのか?」
「……全く」


 ふるふると首を横に振って、レオンは言った。

 これが一番痛いのだ。
犯人───送り主の正体が判らないと言うのが、妹を一層不安にさせている。
クラスメイトなのか、クラスの違う誰かなのか、将又全く知らない誰かなのか、送り主との本当の距離感も掴めない。
その為エルオーネは、気付かぬ内に犯人が自分の背後にいたり、ある日突然襲われたりするのではないか、と言う恐怖にも囚われており、一人でガーデン内を歩き回る事も出来なくなっていた。
登下校は常に家族揃って、ガーデン内で過ごす時はレイラや友達が一緒にいると言うが、それでも不安は拭い切れない。

 それに、とレオンは付け足した。


「……最近は家も安全と思えないんだ」


 レオンの言葉に、エッジとロックの表情が強張る。
何があった、と無言で問う瞳に、レオンは更に声を潜めて言った。


「五日前から、家に届けられた宅配物の封が切られてるんだ」
「手紙とか荷物とか見られてるって事か?」
「恐らく。封筒の類は、ペーパーナイフのようなもので切られているし、段ボールで梱包された小包は、ガムテープが剥がされていた。中身は、一応、取られてはいないようなんだが…」


 レオンの家に届けられる宅配物は、数が少ない。
バラムの街やガーデンで交流がある人間は、わざわざ手紙を送り合わずとも逢える距離にいる者ばかりだ。
遠い地にいる知り合いと言えば、ティーダの父であるジェクトと、孤児院閉鎖前に引き取られたアーヴァイン・キニアスと、キスティス・トゥリープ、そしてセルフィ・テルミットくらいのものだ。
アーヴァイン達とは月に一度の手紙の遣り取りがある程度だった。
因みに、この子供達と同じ頃まで孤児院にいたもう一人の子供、ゼル・ディンは、バラムの街に住んでいる夫婦に引き取られた為、今でも直に逢う事が出来る。
ジェクトは息子の生活の為にと、此方も月に一度の仕送りと、世話になっている礼にとザナルカンドで売られている菓子や玩具が送られてくる。
他にも、クレイマー夫妻から生活の足しにしなさいと小切手が入った封筒が届けられる事があった。
それ以外にレオンの家のポストに届けられるものと言ったら、食品店や洋服店からのダイレクトメール位だろう。

 五日前、レオン達兄弟の下に、ジェクトから手紙と小包が届いた。
手紙には息子を任せきりにしている事を詫びる旨と、彼を預かっているレオンへの感謝の言葉が連ねられている。
追伸として、今月分の生活費を振り込んだ事も書かれていた。
小包はザナルカンドで売られている砂糖菓子で、ジェクトが知る数少ないティーダの好物だった。
甘い砂糖菓子は、レオンにはあまり食べられないものだったが、ティーダは勿論、スコールとエルオーネも気に入ったようで、レオンはそれを見ているだけでも満足だった。
────それらの封が、ポストから出した時点で開いていた事に気付かなければ。

 まさか、ひょっとして、と思ったレオンの推測は当たっていた。
四日前、セルフィとキスティスから届けられた可愛らしい手紙の封筒は、口が切られていた。
昨日、アーヴァインから届けられた手紙の封筒も、口が切られ、中に入っていた手紙は握り潰されたような跡が残っていた。
更に、アーヴァインからの封筒の中に、“許さない”とタイプアウトされた折り畳まれたA4サイズのコピー用紙が入っていた。
此処まで来れば、もう確実だ。


「怖ええええええええ!!」
「静かにしろエッジ!」


 耐え切れずに叫んだエッジの口を、レオンが鷲掴んで黙らせる。
その傍らでは、ロックが唇まで青くさせていた。


「ヤバいだろ…それ絶対ヤバいだろ。家まで来てるって事じゃないか」


 ロックの言葉に、レオンは深い溜息を吐いて、学習パネルの上に突っ伏した。


「だから言っただろう、家も安全だと思えない」
「封が切られてた事、嬢ちゃんは知ってるのか?」
「昨日、ガーデンから帰った時、エルがポストの中を確認したんだ。それで封筒の口が切られているのを見て……迂闊だった……」


 連続で同様の事が起きているのだから、レオンとて警戒していない訳ではなかったのだ。
実際、一昨日はエルオーネが確かめる前にと、レオンがポストを確かめ、セルフィとキスティスの手紙を回収した。
昨日は家路をエルオーネが先頭になる形で歩いており、その流れのまま帰宅し、ポストが半開きになっているのを見付けたエルオーネが、中身を確認しようと蓋を開けた。
其処で彼女は、封の開いた封筒を見付けるに至ってしまったのだ。

 封筒は、開けた口をポストの蓋に向けて入っていた。
手紙が握り潰され、四つ折りにされたコピー用紙が入っているのも見えたようで、彼女はポストの中を覗いたまま蒼白になっていた。
事情を知らない弟の呼ぶ声に気付き、慌てて平静を取り繕っていたが、レオンの目には彼女が泣き出す一歩手前だった事が判った。


「宅配物の警戒については、シド先生達にも話したけど、うちの家は日中は誰もいないからな。授業が終わる夕方までは無人だし」
「その間に届けられたモンなら、簡単に見られるな。せめて誰か一人でも家にいられたらなぁ」
「って言っても、レオンの所は大人がいないんだぜ。レオンがいなきゃ、嬢ちゃんとチビ達だけ。家に残ってたら、反って危ない気がする」
「あ〜、それもそうか……」


 事がガーデンの中だけで完結しているなら、まだ良かった。
エルオーネは段々とガーデンに行く事が億劫になっているが、家に帰れば安心して過ごせるだろうと思えたからだ。

 だが、ストーカーの手が家にまで伸びたとなれば、そうも行かない。
エルオーネの生活は、自宅とガーデンで完結しており、その両方に不穏な影がある。
彼女は睡眠不足にも陥っているようで、今朝も欠伸を殺しながら、朝食を作るレオンの手伝いをしていた。
その間、ポストに新聞が入れられる音に酷く怯えていたのを思い出して、レオンは胸が痛んだ。


「シド先生達は今日の午後からガルバディアに出張だから、うちには来れないし……」
「マジか!?」


 溜息交じりに呟いたレオンに、エッジが噛み付くように問う。
小さく頷いてやれば、ヤバいじゃねえか、と言う言葉が帰って来た。


「どうするんだよ。家に嬢ちゃんとチビだけとか」
「お前と妹達さえ良ければ、俺が行くけど。こういう時は守ってやらないとな」
「俺も行くぞ。あとロック、レイチェル呼べよ。野郎ばっかり押しかけたら、嬢ちゃんが怖がるかも知れねえし」
「…ありがとう、エッジ、ロック」


 友人達の言葉に、レオンの口端が微かに上向いた。
机に伏せて溜息ばかりを零していたレオンの表情の変化に、エッジとロックは目を合わせ、八重歯を見せて笑う。

 最近付き合い始めたと言う恋人に連絡するべく、ロックが携帯電話でメールを打ち始めた。
それを横目に、エッジがぽんと手を打つ。


「そうだ。嬢ちゃんの教室、俺が見張れば良いんだ」
「見張なら、もうシド先生とエルの友達がやってくれてる」
「つっても、四六時中張り付いてる訳じゃないだろ?友達なんか、ストーカー犯からは行動を警戒されてるだろうしな。学園長も忙しいし、大体学園長が自分の所の教室で目ぇ光らせてるなんて事になったら、他の生徒も緊張して授業どころじゃないだろうし。その点、俺なら誰にも気付かれず、常に見張っていられるぜ」
「サボる事を当たり前のように前提にして話を進めるなよ」


 エッジの提案に、ロックが携帯画面から目を逸らさずに冷静に突っ込んだ事に、レオンは密かに安堵した。
今のレオンにとって、エッジの提案は非常に有難いものだが、だからと言ってサボりを容認して良いものか、と言う葛藤から逃れられたからである。

 ロックの言葉に、エッジは唇を尖らせる。


「サボりが目当てみたいな言い方すんなよな」
「日頃の行いの所為だろ。でもまあ、エッジの言う通り、誰かがずっと、犯人に気付かれない所で見張ってるのが一番手っ取り早くて確実だよな」
「それはそうなんだが……常に人がいるガーデンでも、それは流石に無理だろう。警備の人に頼んで見ていて貰えば、ストーカー行為だけは止まるかも知れないが…」
「多分、それじゃ解決しないよな」


 警戒する事でストーカー行為が止むのなら、此処まで事態は深刻化していないのだ。
レイラが見張っても、シドが授業中の見回り時間を増やしても、エルオーネへの嫌がらせのストーカーは終わらなかった。
寧ろ悪化の一途を辿っている事を考えると、此方が手を回せば回す程、相手を悪い意味で刺激しているのではないかと思えて来る。

 此処まで紛糾している以上、解決方法は唯一つ、犯人を捕まえるしかない。
しかし、重ね重ね考えても、エルオーネに嫌がらせをするような人物には心当たりがなかった。
レイラが人脈を伝ってあちこちから訊き回っているようだが、此方も成果はなく、空振りが続いている。


「……やっぱり監視カメラとか……」
「おい、無茶な発想に走ってるぞ」


 ぽつりと呟いたレオンに、エッジが眉を潜めた。


「お前が言う監視カメラって、テレビでよくある隠しカメラみたいな奴だろ?」
「…それ位じゃないと見付かって、決定的な証拠が撮れないだろう」
「そうだけど。判るけど。そんなモンがバラムで手に入る訳ないだろ。ザナルカンドなら売ってそうだけど、ザナルカンド製の機械ってどれも高いし」
「……判ってる。判ってるんだ。仮にカメラが手に入ったって、勝手に設置する訳には行かないし。でも、それ位しないと、もう……」
「あーもー、人魂飛ばすなよ。お前が参っちまってどうするんだよ。俺が見張っててやるって!それで犯人捕まえてやるから!」


 そうすれば全部解決するのだと豪語するエッジだが、レオンは煮え切らない。
だが、エッジの言う通り、誰かが常にエルオーネの教室なり、家なりを見張っていてくれれば、ほぼ100%の確率で問題は解決するのだ。
犯人の目星がつかない所為で、事態が悪化の一途を辿るのを見守るしかないのだから、其処さえ対応できれば、流れは大きく変わる筈だ。

 だが、もしもまた、今までのように空振りが続いたら。
友人の貴重な時間を割かせる事への強い抵抗は、その思考から生まれていた。
何せレイラやシドが警戒している時に限って、件の犯人は嫌がらせを行わないのだ。
それもただの偶然かも知れないが、積もり積もっているだけに、レオンには犯人に何らかの───例えばシックスセンス的な───能力があるのではないかと思えてならない。
こうした思考に陥る時点で、レオンも相当なノイローゼに見舞われていると言えた。

 唸るばかりのレオンと、息巻くエッジの隣で、メールを打ち終わったロックが顔を上げる。


「なあ、さっき言ってた監視カメラの話だけど」
「ん?」
「俺、解決できそうな奴、一人知ってる」
「……マジか?」


 レオンとエッジが同時に顔を上げ、ロックを見詰める。
ロックは再び携帯電話を弄り始め、


「二個上の大学部の先輩なんだけど、機械いじりが趣味でさ。よくハンドメイドで訳の分からない機械を作ってるんだ」
「なんか変人臭ぇ匂いがする奴だな……」
「確かに、機械が関わると大分変な奴だけど……気さくだし、良い奴だから、俺は信用してるよ。去年の学園祭の時、自分で作ったカメラで記録撮影したって言ってたし、映像を見せて貰ったらかなり綺麗だった。本人は、部品さえあればなんでも作って見せるって言ってるよ。だから、なんとかなるんじゃないかな。凝り性だから、テレビで使われる様な小さいカメラは難しくても、周りに違和感がないくらいの細工はしてくれそうだし」


 其処まで言って、ロックも携帯電話から顔を上げ、レオンを見詰め返した。
ヘーゼルの瞳に映った自分自身の顔に、レオンは酷く情けない顔をしている、と独り言ちる。
それだけレオン自身も参っていると言う事なのだ。

 持つべきものは、やはり友か。
そんな言葉の重みをしみじみと感じながら、レオンは授業の始まりのチャイムを聞いていた。





 約束した通り、エッジとロックは、レオンがアルバイトに行く前に家にやって来た。
ロックが恋仲になった、隣のクラスのレイチェルと言う少女も一緒だ。
エルオーネに彼等が協力してくれている事を説明し、三人に妹弟達を預け、レオンはアルバイト先のカフェバーへと向かう。

 レオンのアルバイト先は、日中はカフェ、夜にはバーとして機能する店だ。
勤務時間は、6時から10時までの4時間となっている。
給料は学生のアルバイトに対するものとしては破格の値段で、勤務時間が短いにも関わらず、レオンはこのアルバイト一本で生活費の殆どを賄っていた。
勿論、その生活の裏側には、レオンとエルオーネの必死の遣り繰りと、ジェクトやクレイマー夫妻からの援助がある事も忘れてはならない。

 高等部生になってから始めたこのアルバイトは、シドからの紹介だった。
カフェバーのマスターは、シドとは古い知り合いらしく、今でも夜になるとふらりとシドが来店する事があるらしい。
レオンはバー経営の時間に入った事がないので、逢った事はなかったが。

 マスターは流石はシドの知り合いとでも言うのか、子供好きで他人の面倒を見るのが好きと言う人物だった。
容姿はシドと反対に痩せているが、顔には常に柔和な笑みを浮かべており、シドと同じ目尻に笑い皺が出来ている。
服装は、日中はポロシャツに臙脂色のエプロンをつけており、夜になると黒いベストと白いシャツ、そしてネクタイを身に付けているのが定番だった。
マスターは15歳にして妹弟を養おうと奮闘していたレオンに対し、生活費を稼ぐ事は大事だが、家族とのコミュニケーションも忘れてはいけない事を教え、その家庭事情を鑑みて、給与や休日等を多く見積もってくれている。
また、彼はレオンの事もよく見ており、彼が無自覚に無理をしているのを見付けると、それとなく促して事情を聴くように努めていた。

 客足がピークだった6時から8時まで、目が回るような忙しさを乗り越えた後、レオンは溜まっていた皿洗いをしていた。
いつもなら、この時間になってもぽつりぽつりと遅い客があるのだが、今日は閑散としている。
マスターはと言うと、シンクの隣にあるキッチンで、夜の仕込みの最終チェックをしている。

 最後の皿を洗い終わった所で、レオンは一つ溜息を吐いた。
仕事が一段落した、と言う安心とは違う溜息に、スープの味見をしていたマスターが振り返る。


「最近、随分とお疲れの様だね」


 少し嗄れているが、低く落ち着いた声は、聞く者の耳に心地良い。
レオンは皿を乾燥機に入れて、ちょっと、と眉尻を下げた。


「悩み事と言うか……心配事があって」
「家族の事かい?」


 レオンの表情を曇らせる原因と言ったら、まず真っ先にそれが挙げられる事を、マスターはよく知っていた。
彼の脳裏には、約一年前に起きた「お兄ちゃんキライ」事件が浮かんでいる。
昼間、エッジにもそれを言われたレオンであるが、他人から見て鮮明に記憶される程に、当時のレオンの落ち込みぶりは激しかったのだ。

 しかし、マスターは直ぐにその記憶を振り切った。
濡れた手をタオルで拭いているレオンの横顔は、落ち込んでいると言うよりも、焦燥と苛立ちが滲んでいる。
彼が溺愛している家族に対して、そうした感情を覚えない事は、レオンを知る人間にとって考えなくとも判る事だった。

 レオンは少しの間、打ち明けるか否か考えたが、現状が既に自分一人では手に負えなくなっている事を思い出し、口を開く。


「その……妹がストーカーに遭っているんです」


 レオンの言葉に、マスターがいつも細めている眼を大きく見開く。

 レオンは、一連の事情を順を追って話した。
ロッカーに投入されていた身に覚えのない手紙、警戒しても一向に尻尾が掴めない犯人、口が切られた封筒や、開けられた形跡のあった宅配物。
ガーデンの中でのみ起きていた事件が、遂に安全だと思っていた自宅にまで及んだ。
妹弟と一緒に過ごしてくれていたクレイマー夫妻も、今日からガルバディアに出張に行かなければならず、家にいるのは子供達だけ。


「今日の所は、俺が帰るまで、ガーデンの友人達が妹達を見てくれているんですが……」
「成程。それは確かに、心配だね」


 マスターは綺麗に整えた口元の髭に指を当て、眉を寄せる。


「妹がすっかり参ってしまって……家で過ごしている時、外で物音がするだけでも怯えるんです。夜もあまり眠れないようで、俺も一緒の部屋で寝るようにしているんですが、眠りも浅くなってるし」
「下の子はどうしているんだい?」
「あの子達には、何も教えていません。恐がらせたくなくて。……でも、妹の顔色とか、何かを酷く気にしている事とかは感じているんじゃないかと。二人とも、聡い子だから」


 一緒に過ごしている以上、どんなに上手く隠しているつもりでも、綻びが見えれば早いものだ。
いつもなら、幼いなりに気遣う弟達の健気な姿に癒されるレオンだが、今回はそんな悠長な事は言っていられない。
大好きな姉に、自分達の生活に、正体不明の不気味な影が忍び寄っていると知ったら、幼い弟達は不安になるに違いない。

 これ以上、家族に怖い思いをさせたくなかった。
レオンが必死で事件の解決と、それまで弟達に知られるまいと隠しているのは、その一念から来ている。


「せめて、もっとちゃんとした大人が一緒にいられたら、妹もあんなに怯えなくて済むんじゃないかなって……」


 クレイマー夫妻は忙しく、友人達も常にレオンの家にいられる訳ではない。
今日の所は来てくれたが、明日からはどうしよう、とレオンは何度目か知れない溜息を吐く。

 マスターは煮込んでいた鍋の火を止め、ふぅむ、と考えてから、


「シドの所が駄目でも、他に頼れる人はいないのかい?」
「……うーん……」
「例えば───ほら、今預かっている子の親御さんは?」
「……今の時期はザナルカンドで合宿中だそうで。抜けて来るのは難しいと思います。チームの要の人だから…」
「そうは言うけど、とにかく、一度相談してご覧。君の事だ、迷惑とか心配をかけると気にしているのだろうけど、そんな事を言っていられる状況じゃないのは判るだろう?一番大事なのは、君の家族の安全だよ」


 マスターの言葉を聞いて、レオンの脳裏に数日前の出来事が蘇る。
自身の身の回りについて、耐え兼ねたエルオーネとレイラから相談を受けた時、自分は今のマスターと全く同じ言葉を言っている。


「……そう、ですね。一度、事情を話してみます」
「それが良い。ああ、それから、君が仕事をしている間、家族にはうちに来て貰うと良いよ」
「え……良いんですか?」


 マスターの提案に、レオンは一瞬目を丸くしたが、直ぐにその蒼は輝いた。
エルオーネが自宅にいる事すら不安になっている今、其処から少しでも脱出させる事が出来るなら、レオンには願ってもない事だった。
今は少しでも、彼女がゆっくり休める環境を確保してやりたいのだ。


「君には仕事があるから、家族には店の奥で待って貰うだけになってしまうけど、それでも良かったら」
「いえ、十分です。有難う御座います。帰ったら、妹達に話します」
「うん。来るのは、明日からでも構わないよ。子供が喜ぶようなものは置いていないから、時間が潰せるものを持ってくるようにね。それから、さっき言った人に電話をするのも、忘れないように」
「はい」


 幾分か晴れやかな表情で返事をしたレオンに、マスターは優しく微笑んだ。