この世界の為に出来ること 5


 許せない許せない許さない。
許さない許さない許さない。

 誰にでも愛される人。
当たり前に愛される人。
それを当たり前と思っている人。
自分が愛されない筈がないと思っている人。
だから簡単に誰にでも愛を振り撒く。
それが許せない許せない許さない。
許されて良い筈がない。

 一番欲しいものを彼女は持っている。
それがどんなに素晴らしい事か、彼女は知らない。
その陰で他人がどんなに傷付いているのかも、彼女は知らない。

 だから教えてやらなければならない。
彼女がどんなに罪深い事をしているのか、どんなに赦されざる事をしているのか。
誰にでも愛を振り撒く事が、どんなに、どんなに、どんなに。

 誰もが欲して已まないものを手に入れているのに、それで満足できないのか。
だからあちこちに手軽な愛を振り撒くのか。
許せない許さない許されない。
それとも、誰もが欲して已まないものを手に入れたから、愛を振り撒くのか。
振り向いたその愛で、誰もが欲して已まないものを踏みつけて、遊んでいるのか。
そんな事は許せない許さない許されない。

 ああ、ほら、また。
罪を重ねて、彼女は笑う。
嗤う。
哂う。

 ああ、忌々しい。





 五時間目が戦闘実技訓練だった為、昼休憩の時間が半ばを過ぎる頃には、エルオーネのクラスの教室は無人になっていた。
本来なら、エルオーネもクラスメイト達と一緒に更衣室に行き、着替えや武器のチェック等をしなければならないのだが、最近の訓練授業は専ら見学にさせて貰っていた。
訓練用とは言え、武器の所持が認められる授業である。
もしも事故を装った攻撃があったら、と言う可能性を考えた兄が、件が解決するまでは、教員の傍にいられるように見学しろと提案したのだ。
元々訓練授業は好きではないので、見学する事に否やは唱えていない。

 訓練授業の準備をしなくて良いので、エルオーネには空き時間が出来ていた。
その時間を利用して、エルオーネは食堂で合流したロックが持って来た小型カメラを、学習パネルの隅に取り付けて貰っている。


「……んーと……よし、動いた」


 学習パネルの下には、教科書などを入れる為の小さなスペースが設けられている。
ロックはその小さなスペースの天井板───パネルの丁度裏に当たる───にカメラを取り付け、カメラと繋いだHDDをスペースの奥に置き、教科書を被せて隠して置く。

 カメラはごく小さなもので、遠くからは先ず見えないだろう。
近付けば小さく覗くレンズが判るが、顔を出しているのがパネルの端であるから、早々目には着くまい。
存在を知っていれば見付かるものの、そうでなければスルーされそうな場所だ。


「これで良し。後は犯人が行動するのを待つだけだな」
「ありがとうございます、ロックさん」


 ぺこりと頭を下げるエルオーネに、ロックは照れ臭そうに笑う。


「いいって、そんなに改まらなくて。レオンには色々世話になってるし、今回の件で一番大変な思いをしてるのはエルちゃんだろ。それに、俺はこれを設置しただけだから、礼を言われる程の事はしてないよ」


 そう言って、気にしないで良い、と手を振るロック。
しかしエルオーネは、彼のお陰で小型カメラも調達する事が出来たのを兄から聞いている。
やはり、感謝の言葉は言わずにはいられない。


「HDDは、明日の放課後に回収して、俺とエッジでチェックするよ。エルちゃんとレオンは弟達の面倒見なきゃいけないし、じっくり確認する暇なんてないだろ?」
「そう…ですね。お願いしても良いですか?」


 何もかも周りに任せきりにしている事に抵抗はあったものの、弟達の世話は勿論の事だが、自分で映像を確認するのが何となく怖く思えて、エルオーネはおずおずと頼んでみる。
ロックは勿論、と頷いてから、教室の窓を一つ開け、


「そう言う事で良いよな、エッジ」
「おう」


 窓から見える木々にロックが声を描けると、木陰の隙間から逆様になったエッジが現れた。
思わぬ場所からの登場に、エルオーネは思わず引っ繰り返った声を上げる。


「エ、エッジさん…!?なんでそんな所に……」
「なんでって、見張だよ、見張」


 エッジは枝に引っ掛けていた足に力を入れると、振り子のように体を前後に揺らし始めた。
ぎし、ぎし、と太い木の枝が軋む音を立てた後、エッジは振り子の勢いと腹筋の力だけでぐるっと枝を一回転し、そのまま宙に飛び出した。
目を丸くしたエルオーネが、声にならない悲鳴を上げた直後、彼は窓枠を飛び越えて教室の床に着地する。
まるで軽業師のような技に、エルオーネの心臓がドキドキと早鐘を打った。

 エッジは服に付いた木の葉を払い落としながら、先の説明の続きを話す。


「嬢ちゃんがストーカーに遭ってるってレオンから聞いてから、時間が取れる時は此処で見張ってたんだ。バレてたのか偶々なのか、かわされちまってたけど」
「そうだったんですか……ありがとうございます。レオンも言ってくれたら、もっと早くお礼が言えたのに…」
「いーっていーって、俺が勝手にやってた事だしな。それに、若しも礼を言うんだったら、全部解決してからにしてくれよ。そうだ、レオンが菓子作って食わせてくれるっつってたから、嬢ちゃんのも上乗せで。それでチャラな」
「ああ、俺もそれだったら貰いたいな。この間行った時に出して貰ったクッキー、美味かったし」


 親しい友人の大切な妹が、身も心も危険に晒されているのだから、エッジもロックも協力するのは吝かではなかった。
友情からの行為に、見返りを求めるつもりもない。
それでもエッジが礼を催促するように提案したのは、彼女の兄と同じく、無償のままではエルオーネが納得しないだろうと判ったからだ。

 エルオーネはそんなもので宜しければ、と言って頷いた。
お礼をしなければならない人は、目の前の少年達だけではなく、イデアやシド、ジェクトにアーロン、カフェバーのマスター────レイラやクラスメイトも忘れてはならない。
弟達にも、しばらくお菓子を作ってやれなかったから、何か気合を入れて作らなければ。
事件が解決したら忙しくなりそうだと思いつつ、彼女の心は久しぶりに高揚していた。

 菓子のレシピを思い浮かべ、楽しそうな表情を浮かべるエルオーネに、エッジとロックは目線を合わせて頷き合う。
レオンの代わりに彼の家に上がらせて貰った時、エルオーネは家の外から聞こえる物音に怯えていた。
平時、エッジ達が彼女と顔を合わせる時、彼女は弟達に挟まれて笑っている事が多い。
その差もあって、彼女の憔悴し切った顔が脳裏に焼き付いていただけに、今の彼女の表情には、エッジ達もほっとした。

 胸を撫で下ろした所で、そう言えば、とエッジが言った。


「レオンはどうしたんだ?てっきり、一緒に此処に来ると思ってたんだけど」
「ヤマザキ先生に捕まって、五時間目の準備。資料が多いから運んでくれってさ」
「ンなの断りゃ良いだろ。嬢ちゃんの件の方が大事だろが」
「あの……それは、仕方ないんです。私達の授業料とか、レオンが事務仕事とかガーデンの雑用をして賄ってる所もあるので…」


 エルオーネ達のように、親に頼らず───又は頼れず───自分で生活費と授業料を賄っている生徒は少なくない。
ガーデンは元々孤児院の延長上から開校されたものだから、入学する生徒の審査は然程厳しくはなく、金銭的な問題についてもガーデン側から幾つかの規約で以て免除される事が可能だ。
免除の代わりに、中等部以降から、教員の授業の準備や、事務員の仕事の手伝いなどが義務化される。
レオンもこれを自分に課しており、その事情から、教職員からの頼みは断り辛い立場にあった。

 この授業料免除の負担については、エルオーネも協力したいと言っているのだが、レオンに断られている。
レオンはあくまで、自分だけで背負って行こうとしているのだ。
そんな兄に複雑な気持ちを持ちつつ、今しばらくは、自分は弟達の面倒を見る事が仕事だと、エルオーネは自分に言い聞かせた。

 レオンの家庭事情を知っている───先日はその光景を直接目にする事となった───だけに、成程、とエッジも納得する。
レオンとて、今のエルオーネの傍にいてやりたい気持ちは山々だろう。
ロックは、食堂を出た直後に教員に捕まり、眉尻を下げて「頼んだ」と目線を送った友人を思い出していた。

 はあ、とエッジが深々と溜息を吐く。


「あいつはなー。なんでもかんでも、安請け合いし過ぎなんだよな。事情は判らないでもないけど、たまには急いでるから無理!っつっても良いと思うぜ。普段あれだけクソ真面目にしてるんだから」
「引き受けるから頼まれてるって言うのもあるよな。エルちゃん、あいつに断らせるって事教えた方が良いんじゃないか?」
「それは私も思うんですけど……性分って言うんですか?昔からああだから、直させるにも難しくって。それで無茶するから、私も気が気じゃないですよ。風邪引いてもいつも隠したりして、何回叱ってもそう言う所は直らないんだから」


 両手を腰に当て、眉根を寄せて怒った貌をするエルオーネに、エッジとロックがけらけらと笑う。
妹弟思いでしっかり者の兄も、妹にかかれば形無しであった。

 チャイムの音が聞こえ、時計を見ると、昼休憩終了から5分前となっていた。
やばい、とエルオーネは教室を出るべく身を翻す。


「すみません、私、授業行きます!遅刻しちゃう!」
「待った待った!一人で行動したら駄目だって言われてるだろ!」


 一人で教室を飛び出して行こうとしたエルオーネを、慌ててエッジが止める。


「ロック、嬢ちゃんは俺が送って来るから、教室の窓開けといてくれ」
「了解ー。レオンの席の横で良いよな」
「おう。よし、行こうぜ」


 そう言って背中を押すエッジに、エルオーネはおろおろとし、


「で、でもエッジさんが遅刻しちゃうんじゃ」
「平気平気。訓練施設からなら、十分間に合う」
「エッジの足の速さは並じゃないから、心配しなくて良いよ。じゃ、俺はお先に」


 ひらひらと手を振るロックは、エレベーターではなく階段を使って上階の教室に行くつもりらしい。
エルオーネは、良いのかな、と思いつつも、押されるままにエレベーターホールへと向かった。





 彼女は容易く罪を重ねる。
罪を罪と思わないから。

 純粋と言う言葉で括れば、許されるのだろうか。
しかし無知は罪である。
その罪によって、新たな罪がまた重ねられる。

 成程。
だから彼女は気付かないのだ。
己の罪に、己が許されざる事をしていると言う事に。
知らずして気付ける筈がない。

 罪と罪と教えよう。
そうすれば、やっと彼女も気付く筈。