この世界の為に出来ること 7


 ガーデン寮のロックの部屋で、カメラ映像の確認は行われる事となった。
エルオーネの席から回収したHDDを、ロックがエドガーに教わった通りに回線を繋げて行く。
ごちゃごちゃとした回線を抜き差し替えている様子を、エッジは何をするでもなく眺めていた。

 スピラ大陸にある部族集落で生まれたエッジは、バラムガーデンに入学するまで、ほとんど機械に触れた事がなかった。
スピラでは全土に渡って信仰されているエボンと言う宗教により、ごく一部の許可される範囲を除いて、機械の使用が禁じられているのだ。
最も、エッジの部族は独自の信仰を掲げている為、エボン宗ほど機械に対する嫌悪感はない。
とは言え、スピラ大陸で生活するに当たって、ポピュラー化している機械禁止の謳い文句は避けられないもので、必然的に機械と接する機会は極小してしまうのである。

 バラムガーデンに入寮してから、テレビやラジオは勿論、通信機器の類にも触れるようになったが、それらの細かい仕組みについては、まだ理解出来ない。
する気もないので、エッジは目の前で奮闘しているロックに手を貸そうとは思わなかった。
何も判らない自分が可惜に手を出して邪魔をするより、傍観している方が良いと知っているからだ。


「えーと、こっちをこう……で、出力端子が……」
「……まだかー、ロックー」
「もうちょっと。はあ、エドガーの奴からついでにモニター借りてくれば良かった…」


 ロックが奮闘している相手は、一世代前のテレビであった。
バラムではまだまだ現役で使われているタイプなので、日常生活で使用する分には全く問題ないのだが、エドガーが用意したHDDと繋げるには、対応機器が些か古かったのだ。
何せHDDは、エドガーが贔屓にしている機械都市ザナルカンドのジャンクショップから取り寄せたもので、最新とまでは言わないものの、バラムで当たり前に流通しているものよりも遥かにスペックが上だった。
撮影に使ったカメラとは同世代機に当たるので、撮影自体は問題なかったが、出力する段階になって面倒が起きたのである。

 しかし、ロックとて機械の扱いは、多少なり心得があるつもりだ。
HDDからの出力用とテレビの入力用端子をそれぞれ用意し、変換プラグを挟んで繋げ、入力画面を切り替えては、リモコンでHDDを操作して出力映像を確認する。

 作業を始めてから一時間弱────砂嵐ばかりを映していたテレビに、パッ、と映像が映し出された。


「おっ」
「よし!」


 ガッツポーズをしたロックに、お疲れさん、と言ってエッジはリモコンを手に取る。

 映し出されているのは、エルオーネの席から斜め後方にあるロッカーまでを映し出していた。
対角線上に並ぶ生徒達の席と、プリントを貼った掲示板が見えている。
画面の隅では、何かがごそごそとぼやけて映っていたが、やがてそれはロックの腕である事に気付いた。
カメラを設置し、起動させた直後、HDDを隠している時のものだろう。

 画像は確かに粗く、ぶつぶつとした粒子が終始チラついていたが、内容を確認するには問題のない程度だった。
遠景はピントが合わずにぼやけているが、変換機を使って画像が劣化していても、近距離にあるものは十分に見えるので、気にする必要はないだろう。


「これならちゃんと見えるな」
「ああ。後は、犯人の顔が映ってると良いんだけどな…」


 小型カメラは、操作パネルの下の教材置場スペースに設置してある。
其処から少しだけカメラレンズの頭を覗かせ、犯人の顔を映す目的で、可能な限り天井に向けていたのだが、見付からないようにと警戒する余り、角度が甘くなっている。
傍に立っている筈のロックとエルオーネの顔も見切れており、二人だと知らなければ、誰なのか判断するのは難しいだろう。

 ロックとエルオーネが席を離れた後は、無人の映像が続く。
エッジはリモコンで早送りにし、人影が確認できる所まで流し見して行く。


「確かこの時間は戦闘実技の授業だったんだよな」
「そう聞いてる。となると、授業が終わってもしばらくはまだ……ん?」


 ちらり、と画面の隅に翳が入ったのを見て、エッジは早送りを留めた。
席の傍に落ちた影が動き、赤いベストが映り込む。


「……これ、学園長か?」
「そういや、見回りやってくれてるってレオンが言ってたな。ああ、ほら、顔映った」


 エルオーネの席を見詰めるシドの顔が、画面の隅に僅かに映っている。
よく知る人なので、シルエットでも直ぐに判ったが、


「やっぱり角度がなぁ……もうちょっと上向けた方が良かったんじゃねえの」
「でもこれ以上は、天井が映るばっかりになりそうなんだよ。手紙を入れてる瞬間が見えないと、決定的な証拠にはならないだろ」
「うーん……」


 シドが離れて行ったのを確認し、エッジはもう一度リモコンの早送りボタンを押した。
時計が映っておらず、音声もないので、静止している映像が何時何分頃のものなのかは判らない。
お陰で授業が開始・終了するタイミングも読めず、エッジとロックは欠伸を噛み殺しながら変わらない映像を眺め続けた。

 映像に移る窓の向こうで、ちらほらと人影が動いているのが見える。
授業が終わって、廊下に出た生徒達だろうか。


「学園長の話じゃ、昨日の五時間目の後に手紙があったらしいけど……」
「今んトコ、学園長以外には誰も────」


 映っていない、とロックが呟く直前、ふっと何かが画面に映った。
早送りの最中だった所為で、その映像は一瞬で流れてしまう。


「エッジ!今の所、巻き戻し!」
「今!?今って何処だよ!?」


 ロックの指示に困惑気味に従ったエッジだったが、友が指している場面は直ぐに判った。
一瞬だけ映り込んだ影に気付いて、再生ボタンを押す。

 固唾を飲んで見守る二人の前で、ひらりと何かが翻る。
深い紺色が映り込み、それが自分達が着ているものと同じ、バラムガーデンの制服である事に気付く。
黒いものを持った白い手が映り、エッジは目を瞠った。


「…女子……?」


 きらりと光る爪は、ネイルが塗られているのだろうか。
一見して男の物とは違う骨格や皮膚感に、その手が女子生徒のものである事が伺える。

 後は顔さえ映れば、と二人は画面を睨み続ける。
映っている者はカメラには気付かず、長い前髪に隠された顔を左右に振っている。
どうやら、辺りを伺ってきょろきょろと首を巡らせているようだった。


「なあ、エッジ。お前、エルちゃんの教室を見張ってたんなら、生徒の顔も少しは覚えてるよな」
「……多少な。全部はあんまり。目立つ奴は覚えてる」
「こんな女子生徒、いたか?」
「………いや、見てない。他のクラスじゃないか?」


 顔を隠す程の長い髪の所為で、どうも映っている人物が酷く不気味な印象になる。
これだけ特徴的な外見をしているのなら、一度見ればその外見からして、簡単には忘れまい。
逆に言えば、前髪を上げられると、全く印象が変わってしまい、判らなくなってしまう事も考えられるが───

 レオンに相談されて以来、度々見張っていた中等部の教室で覚えた顔を、エッジは思い出そうとしていた。
が、その前に、ロックが「あ!」と声を上げる。


「エッジ、ストップ!」
「───っと、」


 一時停止ボタンを押して、映像が静止する。
其処には、身を屈め、垂れた前髪の隙間から覗く少女の顔がある。
血走った目を見開く少女の貌に、エッジとロックは息を飲んだ。
二人で目を合わせ、映像の再生ボタンを押すと、少女は何事かをぶつぶつと呟くように唇を動かしながら、画面の隅に消える。

 次の瞬間には少女は踵を返しており、背中を映した女子生徒が遠ざかっているのみであった。
その手に、最初に映った黒い封筒は、ない。





 黒い手紙が届けられてから三日の間、レオンは妹弟達と共に家で過ごした。
アルバイトも、マスターに事情を説明して休ませて貰い、外には殆ど出ていない。
買い物など、どうしても外に出なければならない事は、アーロンが代わりに引き受けてくれた。

 そして三日目の夕方、授業に遅れないようにと自分の勉強をする傍ら、妹弟達の宿題の面倒を見ていた所で、レオンの携帯電話が鳴った。
着信はエッジである。
監督役をアーロンに任せ、レオンはキッチンで通話を始め、その時のエッジの第一声は、


『女って怖ぇ』


 前後が見えない突然の一言に、レオンは当然、何の事だと訊ねた。


『いや、例のストーカーの件、一応解決したんだけどよ』
「本当か?」
『ああ。とっ捕まえた犯人と話もして、全部自分がやったって認めてる。手紙も嫌がらせも、お前の家の宅配物とかも。先ず間違いなく、犯人で合ってる』


 エッジの言葉に、レオンは全身の力が抜けるのを感じた。
食器棚の前で座り込み、深く長い息を吐く。
見えないものを追い駆け続け、早く捕まえなければと張り詰めていた糸が、一気に緩んだのが判る。


『何より、手紙を置いてくのがカメラに映ってたからな』
「そうか……ロックと先輩に感謝しないとな」
『感謝は良いから、今度お前と嬢ちゃんの作った菓子くれよ』
「判った、エルにも伝えておく」


 即物的だなと揶揄いながら、友の遠回しな気遣いに感謝する。
何にせよ、愚痴を零してからずっと助けて来てくれたのだから、礼をしない訳には行くまい。

 それで、とレオンは話を戻す。


「さっき言った女が怖いって、何の事だ?」
『ああ……いやな、犯人が先ず、女子だったって事からなんだけど』
「……やっぱりそうだったのか」
『なんだ、お前予想してたのか?』
「家に来て貰っている人が、それらしい影を見たと言っていたんだ。顔は見えなかったけど、エルと同じ位に小柄だと言っていたから、ひょっとしてと思って」
『ふーん。ああ、それでだな、』


 仕掛けた小型カメラに映っていたのは、エルオーネのクラスの隣クラスに在籍する女子生徒だった。
両クラスの移動教室の時、休憩時間の開始・終了間際の無人のタイミングを狙って、手紙を置いて行った。
此処までは、レオンが予想した通りの行動だ。

 エッジが“怖い”と思ったのは、女子生徒の犯行動機である。
彼女はエルオーネとは、ストーカーをするようになる以前も、会話をした事は一度もないと言っていた。
エルオーネが犯人に心当たりがないのも無理はない、何せ全く面識がない相手だったのだから。
そんな少女が何故、エルオーネ個人に対し、執拗に嫌がらせを行っていたのかと言うと、


『あの女子、元々はお前のストーカーだったみたいだぜ』
「俺?」


 全く身に覚えがない、と言うレオンに、そうだろうな、とエッジは言った。


『お前に対しては、ストーカーと言うか、追っかけと言うか……そんな感じでな。見てるだけで満足だったんだってよ。手紙を送るとか、告白するとか、考えた事もなかったらしい。自分じゃ先輩には不釣り合いだからって』


 其処だけを聞けば、楚々とした少女の切ない恋にも思える。
しかし、彼女の感情は、レオンへと向かない代わりに、全く別のベクトルで動き出したのである。


『あの女子生徒、お前と嬢ちゃんの仲を誤解してたんだ。恋人同士なんだってな。お前らがあんまり仲良いもんだから』
「……何処をどうしたら、そう見えるんだ。エルは俺の妹だぞ?」
『知ってるよ。知ってるけどなぁ……知らない奴には、そう言う風に見える事もあるんだよ』


 レオンやエルオーネをよく知る人間からすれば、二人の間に疾しいものが一切ない事は明らかだ。
一緒に暮らしているのも、物心がつく以前から続いている事で、特別な理由がある訳ではない。

 レオンとエルオーネの間に、血縁関係はない。
兄妹として似ているかと言われると、それには二人も苦笑いするしかなかった。
こればかりは覆しようのない事実だ。
だが、血よりも濃い関係と言うのは、存在するのだ。
スコールやティーダの存在も含めて、レオンとエルオーネは“家族”として絆で繋がれている。

 しかし、何も知らない人間から見ると、二人の関係は余りにも親密過ぎるように映るのだ。
エルオーネが、スコールのようにレオンの事を「お兄ちゃん」と呼ばず、名前で呼んでいるのも、誤解を招く理由の一つ。
孤児院で一緒に育った子供達は、皆レオンの事を“兄”と形容しているが、エルオーネだけはそれをしなかった。
これは二人がバラムに来る以前、レオンの父が息子を名前で呼んでいるのを、赤ん坊だったエルオーネが覚え、そのまま呼び方が定着したからだ。
レオンは自分の呼び名に特に拘りはないから、彼女からの呼び名を修正しようとは思っていない。

 だが、そうした呼び方も含め、他者にはレオンがエルオーネを特に贔屓しているように見えるらしい。
レオンやその周りの人間からすれば、妹だと思っているのだから、贔屓目になるのは自然な事だろうとも思う────が、事情を知らない上、フィルターがかかった人間にはそうは思えないようだ。


『要するにだな、女子生徒はお前と嬢ちゃんの仲の良さに嫉妬したんだ。自分は遠くから見詰める事しか出来ないのに、嬢ちゃんはお前といつも一緒にいるし、お前も嬢ちゃんを贔屓する。その辺が、先ず最初に許せないと思った事、らしい。でも此処に関しては、お前と嬢ちゃんが恋人同士なら仕方がないって思ったらしいんだ』


 根本的な勘違いは変わらないままだが、その時はそれで良いと思った、と少女は言った。
エルオーネと一緒に過ごしている時、レオンが嬉しそうに笑っている事に気付いたからだ。

 少女は、レオンに心酔していた。
心棒していたと言っても良いのではないか、とエッジは言う。
彼女にとって何よりも優先されるべきはレオンの存在で、ならばエルオーネもそうでなくては可笑しいと思い始めた。
自分の中にのみ存在する“当然”が、世界に共通する常識のように思い込み始めたのだ。

 其処から彼女は暴走を始める。


『お前って言う彼氏がいるのに、嬢ちゃんは他の男とも話をする。話ったってごく普通の話だと思うぜ、ノートを貸してくれとか、時間割の確認とか。俺達がクラスの女子と喋ってるのと変わりない。けど、その女子生徒には、それも許せなかったんだってよ』
「……意味が解らない」
『俺もよく判んねえ』


 溜息交じりのエッジの言葉に、レオンは痛む頭に手を当てた。

 エルオーネがレオン以外の男と話をするのが気に入らなかった───と言われても、レオンは当惑するしかない。
日常生活の中で、まさかレオン以外と全く接する事なく生きていける訳がないし、増してやクラスメイトなら、挨拶でも確認でも、色々と話をする機会はあるだろう。
それを件の女子生徒は、“エルオーネが浮気をしている”と思い込んだのだと、エッジは言った。
それを聞いて、レオンの混乱は益々募る。


『その女子の言葉をそのまんま言うとだな、えーと……レオンに愛されている癖に、他の男にも媚びるなんて許せない。レオンが可哀想。レオンがこれ以上傷付かない為に、私がレオンの代わりに止めなきゃいけないと思った……だってよ』
「………」


 余りにも突飛な発想と、間違った方向に邁進している行動力に、レオンは絶句するしかない。
バラムガーデンに入学して以来、何度か告白のような行為をされた経験はあったが、こんな形で想いを寄せられたのは初めてだ。
それも、こんなにも暗く重く、一方的な感情など、想像した事もなかった。


『学園長がその女子生徒を呼び出してさ、なんでこんな事したのかって話してる所に、俺とロックも一緒にいたんだ。カメラの映像を証拠として出したのは俺達だし、レオンはしばらく来れないだろうから、代わりに誰か行くべきだろうと思ってさ。だからさっきの台詞、本人から直接聞いたんだけど、勘違いで此処まで思い込みが出来るのかって位に怖かったぜ。レオンと嬢ちゃんはそんな関係じゃないとか、そもそもレオンは今誰とも付き合ってないし、そんな気もないし。一緒に暮らしてるのは兄妹だからで、嬢ちゃんもレオンの事は普通に兄貴だって思ってるし、疾しい関係じゃないし───って事は俺もロックも言ったんだけど、全然聞く耳持たねえし、終いには俺らが嬢ちゃんを庇ってるってキレるし』


 段々とエッジの声が疲れたものに変わっているのは、レオンの気の所為ではあるまい。
自分の代わりに、宛てられなくても良い狂気を目の当たりにした友人に、レオンは心の底から感謝した。

 はあ、と深い溜息が聞こえた。


『ま、そんな訳で……犯人は確保、処分は学園長に任せたよ。嫌がらせが一ヶ月以上、最後には剃刀レター、家にも押しかけてプライバシーの侵害と来てるから、しばらく停学と、寮で謹慎処分は確かだって学園長は言ってたぜ』
「……停学、か……」


 停学と謹慎と言う事は、それが解ければまた件の女子生徒は登校してくると言う事だ。
その時に妄想から解放されていれば良いが、一ヶ月以上に渡るエルオーネに対する妄執を考えると、レオンには全く安心できない。
電話の向こうで、エッジもそんな友人の胸中を読み取っていた。


『度を越してるが、中等部の生徒だし、一応、初犯って事らしくてな。厳しくしても、この辺が限界なんだってよ。カウンセリングだかもやってみないとって話だし。勿論、謹慎処分が終わった後にも同じような事をしてたら、その時は退学も在り得るって』


 幼年クラスから高等部、更に大学部まで一貫しているガーデンとて、その構造は世間一般の教育機関と変わりないのだ。
所属している学生達は様々で、中には問題を起こす生徒もいる。
それを、問題を起こしたからと言って直ぐに退学、匙を投げると言う事は出来ない。
世間で即収容所行きとされる程の犯罪を犯さない限り、少年少女達には何らかの更生の機会が与えられるものであった。

 学園長であるシド・クレイマーも、自身の愛する生徒が、愛する子供に対して犯した危険行為に対し、どう向き合うべきか悩んだ事だろう。
今回の事件で、エルオーネが酷く怯えていた事も、兄や弟達が彼女を見て苦しんでいた事も知っている。
過度の嫌がらせ行為も、最後には剃刀と言う凶器を使用するに至り、決して見過ごせるものではない。
それでも、更生の機会を奪う訳には行かなかった。


「……判っている。シド先生やイデア先生が悩んで決めた事も」
『ああ……それなら、良いや。俺が言う程の事でもなかったな』
「いいや」


 若しも、今回の処罰の形をシド本人から聞いていたら、納得できないと噛み付いていたかも知れない。
こうしてエッジが間を挟む形で伝えてくれたから、レオンは冷静に考える事が出来ているのだ。


「色々とありがとう、エッジ。世話になった。ロックと先輩にも伝えておいてくれ」
『ああ。で、明日はどうする?ガーデンには来れそうか?』


 エッジの問いに、レオンは少しずつ賑わいを取り戻してきたリビングを覗く。
問題が判らないと頭を抱えて唸るティーダに、エルオーネが優しく解き方を教えている。
スコールは黙々と宿題に取り組みつつ、正面に座っているアーロンの存在が気になるようで、ちらちらと視線が其方を伺っている。
スコールの視線に気付いたアーロンが、ちらりと黒の瞳で見返すと、スコールはぱっと顔を伏せてしまった。

 三日前、青い貌をしていたエルオーネは、少しずつ平静を取り戻しつつある。
しかし、朝は目を覚ますまでに時間がかかり、夜も頻繁に目が覚めるようなので、まだしばらくは休養が必要だろう。


「エルがまだ無理そうだし、明日も休むよ。犯人が捕まった事は伝えるけど、色々とショックが大きかっただろうから、もう二、三日は様子を見るかな」
『ああ、判った。お前なら今月丸ごと休んだって進級には問題ないだろうし、ゆっくり妹とチビ達の面倒見てろよ。ノートとかは、お前が来た時にまとめて貸してやるから安心しろよ』


 いつもレオンにノートを借りているエッジの言葉に、レオンは笑って、「頼んだ」と言った。

 じゃあな、と軽い別れの挨拶をして、携帯電話の通話を切る。
携帯電話をポケットに入れたレオンは、リビングに顔だけを出して、妹を呼ぶ。


「エル、ちょっと良いか」
「なあに?」


 顔を上げた妹に手招きすると、エルオーネはティーダに「此処、頑張ってね」と問題を一つ指定して、席を立った。
悲鳴を上げるティーダに苦笑しつつ、レオンはエルオーネと共にキッチンの奥へ入る。

 三日前には酷くやつれていたエルオーネの頬が、少しだけ丸く膨らみ、赤らんでいる。
静寂が支配する夜になると、どうしても落ち着かないようだが、日中はティーダの賑やかさや、甘えたがるスコールの面倒を見る事で、気が紛れるようだった。
姉の日常を精一杯取り戻そうとしている弟達に感謝しながら、レオンはエルオーネの黒髪を撫でる。
いつもさらさらと指の隙間を滑って行く髪が、最近、少し痛み勝ちに見えるのは、気の所為ではあるまい。
けれど、そんな日々ももう終わるのだ。


「さっきエッジから連絡があった。例の犯人、捕まえたって」
「……え」


 栗色の丸い瞳が、零れんばかりに見開かれた。
エルオーネはその場に立ち尽くし、レオンの言葉を小さく反芻する。


「捕まえた……」
「ああ。この前に取り付けたカメラに顔が映って、其処から割れたそうだ。向こうも自供したらしい」
「………」
「まだしばらくは怖いだろうけど……でも、終わったんだ。もうお前が怯える事も、それを我慢する事もない」


 犯人の詳細や、下された処罰が謹慎処分である事については、今は言わなかった。
先ずは見えない恐怖が消えた事、二度と不気味な手紙や凶器を送り付けられることはないと、レオンは伝えたかった。

 エルオーネはしばらくの間、呆けたように立ち尽くしていた。
栗色の瞳に、柔らかな笑みを浮かべた兄の顔が映り込む。
エルオーネは、随分と久しぶりに、兄の笑顔を正面から見た事に気付いた。
途端、心の中の張り詰めていた糸がぷつりと切れて、じわあ、と大粒の雫が目尻に浮かぶ。


「ふ…うえっ……うぅ……」
「よく頑張ったな、エルオーネ。お疲れ様」
「…えっく…ん、ひっく……!」


 白い頬にぽろぽろと涙が伝い落ちて行く。
レオンは黙ってエルオーネを抱き寄せ、彼女の顔を自分の胸に押し付けた。

 レオンのシャツを遮二無二掴み、しゃくり上げて泣く妹。
そんなエルオーネの背中を、キッチンの入り口からこっそりと覗いている蒼と青がある。
心配そうに見詰める二対に、レオンは唇に人差し指を当てて笑いかけた。
弟達はきょとんと顔を見合わせた後、兄が微笑んでいる事に気付いて、きらきらと表情を輝かせる。

 きっと今直ぐ抱き着きたいのだろうに、弟達はくるりと踵を返して、リビングに戻って行く。
きゃー、とはしゃぐ声と、ソファを跳ねる音が聞こえた。
厳格を絵にかいたような保護者代理の叱る声はない。
弟達が揃って元気にはしゃぐ声を、レオンは久しぶりに聞きながら、泣きじゃくる妹が落ち付くまで、彼女の小さな肩を抱き締めていた。





後日談
家族の為に頑張ろうとするレオンだけど、まだまだどうにもならない事はある訳で。それを埋めてくれるのが、シドやイデアだったり、エッジやロックのような友達だったりする訳で。
心配かけないように頑張ろうとするエルだけど、怖くて怖くて耐えられない時もある訳で。
スコールやティーダはまだ子供だけど、それでも周りは見えるようになってくる訳で、子供なりに気を使ったりもする訳で。

そんな皆を書いてみたかった。