朝の光はまだ遠く


バラムの正月は、港端に祀られている水神様に参拝に行くのが習わしになっている。
参拝に行くタイミングは、年末年始を跨ぐ時、年始の朝、年明けから三日以内と、特に厳密に定められてはおらず、人によっては三日を過ぎてから行く場合もあった。
早い内が良いと言われてはいるが、バラムの島民が一挙に押し寄せるとなると、決して広くはない港は、あっと言う間に飽和状態になる。
昨今は参拝客を宛てにした出店も増えた為、人口密度は尚の事上がっていた。

となると、そんな場所に小さな子供を連れて行くのは危険、とレオンが考えるのは、至極自然な話だ。
今年で9歳を迎えたスコールとティーダは勿論、13歳のエルオーネも、人でごった返す場所に連れて行くのは憚られる。
エルオーネは「スコールとティーダはともかく、私は大丈夫だよ」と言ったが、それでも心配性の兄である。
弟達の面倒もある事だし、と参拝は年明け三日以内の人が少ない時間帯に行く事にし、年末の夜は家でのんびり過ごす事になった。

年末一週間前から、バラムガーデンは冬休みに入っている。
レオン達は、冬休みが始まった当日から、コツコツと宿題を片付け、年末を迎える頃にはその数はすっかり減っていた。
アルバイトのあるレオンは、まだ半分弱が残っているが、計画的に済ませれば、無理なく終えられる程度だ。
勉強嫌いのティーダが度々サボりたがったが、確りとエルオーネに取り押さえられ、スコールに続く形でプリントを消費している。
スコールとエルオーネは恙なく片付けられており、スコールはプリントが数枚、エルオーネは問題集が数ページ残るのみとなった。
これなら焦る事もないだろう、とレオンは判断し、年末年始の二日間位は勉強から解放されても良いだろうと、冬休みが始まって以来定められていた“勉強の時間”を無しにした。

年末年始限定の変化は、“勉強の時間”だけではない。
いつもなら、遅くとも夜10時には布団に入るように促される弟達だが、今日だけは深夜まで起きていて良いと言われた。
夜更かしに憧れていたティーダは喜び、スコールも兄と姉と長く一緒にいられるとあってか、夜を待ち遠しそうに過ごしていた─────が。


「……んみゅ……」
「スコール、眠いの?」


兄妹弟で揃ってソファに座り、テレビを見ていた時の事。
姉に寄り掛かっていたスコールが、猫手で顔を擦り始めていた。
時刻は夜の10時半、いつも9時半頃には欠伸をしているスコールにしては、頑張って起きていた方だろう。


「ふぁ……」
「もう寝ちゃう?」
「……やぁ……」


頭を撫でながら言うエルオーネに、スコールは愚図るようにふるふると首を横に振った。
しかし眠い気持ちは耐え難いらしく、甘えるように姉に抱き付く。

そんなスコールの隣に座っているティーダはと言うと、ぱっちりと目を開けて、テレビ番組に釘付けだ。
今は年末年始に飾られる事の多い菓子の作成風景が映されており、ティーダは作成工程はさて置いて、度々画面に映る色鮮やかな美味しそうな菓子に夢中になっている。


「うまそ〜」
「そうだな。それに、形も綺麗だし」
「う〜、お腹空いて来た」
「涎も出てるぞ」
「だって美味そうなんだもん」


レオンはソファ前のテーブルに置いてあるティッシュを取り、ティーダの口の周りを拭いた。
ティーダはされるがままにしており、視線はテレビから離れない。
今はチョコレートのグラサージュと、真っ白な生クリームでデコレーションが施された、チョコレートケーキに釘付けだった。


「スコール、ほら、ケーキ。美味しそうだよ」
「んぅ……」


眠らぬように頑張っている弟を発奮させようと、エルオーネがテレビを指差した。
しかしスコールからの反応は捗々しくなく、眠たげな目がようやくモニターを見る程度だ。

これはもう無理かな、とエルオーネがレオンに眉尻を下げて笑い掛ける。
その意味を汲み取って、レオンもくすりと笑った。
レオンはソファから腰を上げると、寝落ち掛けているスコールを抱き上げてやる。


「よっ……と、と」
「やぁう…」


ベッドに連れて行かれようとしている事が判ったのだろう、スコールはごそごそと身動ぎした。
いやいやと頭を振るスコールを落とさないように、レオンは小さな体を抱き直して、ぽんぽんと背中を叩いて宥める。
寝かしつけられるのを察して、スコールはうーうーと抗議の声を上げるが、


「うゆぅ……んん」
「無理して起きてなくても良いんだぞ」
「やぁ……まだねないぃ…」


ぎゅう、とレオンの首にしがみついて、スコールは駄々を捏ねる。
今日は皆と一緒にずっと起きているんだ、と心に決めているのだ。
残念ながら、体はその頑張りについて行けていないが。

そんなスコールに気付いたティーダが、兄に抱かれているスコールを見上げて言った。


「スコール、歌だ!歌ったら眠いのもなくなる!」
「ティーダ、無理に起きてなくて良いのよ?」
「ほら、スコール。歌お!もーいーくつねーるーとー」
「んんぅ…」


リビング全体に響く大きな声で歌い出したティーダに、スコールは顔を顰める。
起きていたいが、それでも眠気に苛まれる今のスコールには、ティーダの大音量は少々煩いようだ。

ティーダの大音量から逃げるように、スコールはレオンの肩に顔を埋める。
寝るか?とレオンが訊ねると、スコールはふるふると首を横に振った。
煩いのは嫌だが、寝るのも嫌、と言う我儘に、レオンは苦笑して、ソファに座り直し、スコールを膝に乗せてやる。



「もうちょっと頑張るか、スコール」
「うん……皆で最初のお日様見るの…」
「そうだよ。だからスコール、寝ちゃ駄目だよ」
「うん……」


新年の朝、海の向こうから上って来る太陽を見ると、今年一年は良い年になる───と言う言い伝えがある。
スコールは昔からその太陽を見たがっていたのだが、それは叶わなかった。
早く寝落ちてしまうと、麻も比較的早く目覚めるのだが、それでも朝日は高い位置に上っている。
ならば朝まで眠るまいと頑張ると、今度は遅くに寝落ちてしまい、目覚めるのも遅くなる。
そんな出来事が積もり積もったスコールは、今年こそ、と意気込んでいた。

ティーダもティーダで、きっともう少し夜が更けたら、スイッチが切れたように寝落ちるのだろう。
夜更かしに憧れている所為か、ティーダは普段から夜中まで起きていようと頑張っているが、日中に元気良く過ごしている分、夜半まで体力気力が続かないのだ。
さっきまで元気にはしゃいでいたと思ったら、ちょっと休憩、と少し寝転んだ直後に、すやすやと眠ってしまう。

今年もそろそろかな、と部屋の壁掛け時計を見上げて、レオンは思う。
エルオーネも、歌を歌い続けているティーダを宥める傍ら、欠伸を噛み殺している節があった。
今日は皆で大掃除をしていたので、彼女も疲れているのだろう。


「ティーダ、夜だからね。ちょっとボリューム抑えよう?」
「小さい声で歌ったら、眠いのなくならないじゃん」
「大丈夫、歌ってるとそれだけで眠くなくなるんだよ。それに、大きな声で歌うと疲れちゃうでしょ。ティーダも眠くなっちゃうよ」
「むー」


眠気を飛ばす為に、大きな声で歌う。
大きな声で歌えば、疲れてしまう。
疲れてしまうと、寝てしまう。

この流れはティーダも覚えがあるようで、唇を尖らせつつ、「じゃあ小さい声で歌う」と言った。
それならティーダも直ぐには眠くならないし、スコールが嫌がる事もない。
ほっとエルオーネは胸を撫で下ろして、ティーダと一緒に小さな声で歌い出した。


「んぷ……」
「頑張れよ、スコール」
「うん……」


兄の励ましに、スコールは小さく頷いて、こしこしと目を擦る。
しかし、瞼は既に半分まで落ちており、このままトロトロと眠ってしまうのが予想できた。

そんなスコールとレオンの隣では、ティーダとエルオーネが歌っている。
目の覚めるような楽しい歌ではなく、スローテンポの牧歌的な選曲は、エルオーネの作戦だろう。
彼女も日中の疲れがあるから、なんとかしてティーダを寝かしつけて休みたいのだ。
皆で初日の出を見たい、と言う弟達の可愛らしい願いは叶えてやりたいが、バラムと言えど、冬の朝はまだまだ遠い。
時計を見れば、ようやく日付が変わったと言うタイミングで、兄妹弟揃って、朝まで体力は持ちそうにない。