いつか消えた日の為に
スコール誕生日記念(2018)


 ある日、秩序の聖域の屋敷の中にある図書室から、一冊の手帳を見付けた。
見覚えのある装丁の背表紙に、まさかと思って手に取れば、それは自分が書いていた日記帳だった。
購買部で買った、と辛うじて思い出せる記憶から穿りだしたそれは、名前は勿論、目印も何もつけていない。
しかし中身を見れば自分の筆跡で日々の出来事が綴られており、間違いなく自分自身の持ち物であると、スコールは理解した。
同時に、どうやらこの手帳がまだ誰にも見付かっていないらしい事に安堵する。

 日記帳に綴られているのは、何て事のない、ごく普通の日常の記録だ。
その日の授業の内容、課題の内容、明日の授業に必要な物リスト。
基本的には毎日のように記録されているのだが、時々日付が飛んでいるのは、訓練に疲れたか、任務で疲れたか、なんとなく面倒だったのか。
記録されていない日の事は全く判らないが、とにかくそんな理由なのだろう、と思う。

 日記なんてプライベート中のプライベートな情報ばかりしかないから、公共空間である図書室になんて置いてはいけない。
スコールは誰かがこの本を見付ける前に、こっそり自分の部屋へと持ち帰った。
それで満足し、当分の間は放置されていたのだが、クリスタルを手に入れた後、記憶が回復していくに伴って、スコールは再び日記帳を手にする事となる。

 スコールがこの世界で戦い続けるには、代償が要る。
重火器や機械歩兵と言う敵が戦力を大きく占めるスコールの世界にあって、生身で一騎当千となる可能性を持つSeeDは、その身にG.Fを宿している。
いや、正確には体ではなく、脳に宿しているのだ。
この為、G.Fの力を借りて戦う度、脳はG.Fの力の影響を受け、記憶野が侵食されて行くのだと言う。
学者の噂話程度と言われていた事もあったが、スコールは実際にG.Fのジャンクションによって、幼い頃の記憶を埋もれさせていた。
記憶は決して消え去ってしまう訳ではなく、切っ掛けがあれば思い出せると言うが、切っ掛けがなければ永遠に取り出されないままとなる。
それは忘却と同義だ。
激しい戦いになればなる程、代償は多く支払われるが、日常的に繰り返している事や、強く意識している事は中々忘れない────筈なのだが、それも不確定な事だった。
それでも、スコールは、戦い続ける以外に自分が出来る事を知らない。
戦い続けていなければ己の存在意義すら見失ってしまいそうなスコールにとって、どれだけの代償を支払う事になっても、戦う為の力は手放せなった。

 闘争の世界に召喚され、記憶が朧な内は、すっかり忘れていた事だ。
その間にスコールは何度となく戦闘行為を繰り返しているから、クリスタルを手に入れて記憶が回復傾向に入った頃でも、何かが抜け落ちている可能性は低くない。
この世界に置いてもその意識が通用するかは判らないが、可能性はゼロではなかった。
そして、その記憶が何処から抜け落ちるのか、古い記憶か新しい記憶か、それさえも判らない。
大抵は古い記憶からだと思うのだが、それも思い出そうとする切っ掛けがなければ、忘れているとすら判らない事だから、何も明確な事は言えない。

 自分の記憶が泡のように不確かで頼りないものであると思い出した時、スコールは真っ先に、仲間達にこの事が知られた時の事を考えた。
愚直で優しい秩序の戦士達は、自分自身の記憶を代償にしているスコールの事を知ったら、どんな顔をするだろう。
怒るだろうか、呆れるだろうか、そんな事になってしまう位なら戦う事を止めてしまえと言うだろうか。
闘争の世界に置いて、なんて甘ったるい連中だと思うが、容易に想像できてしまう位に、彼らは本当に優しいのだ。
それが救いでもあるし、苦しくもある。
特に、戦う事はスコールにとって自分自身の存在価値を定義するものだから、仲間達に何と言われても、スコール自ら戦う事を止める事は出来ない。
それでも、知られたらきっと見ない振りはしてくれないだろう、そう言う人達なのだから。

 古い記憶が欠けている位なら、今ばかりは気にしなくて良い。
取り戻した記憶が欠けても、幼い頃の出来事なら、特に話題になる事もないだろう。
話題に上った所で、昔の事だから覚えていないと言えばそれまでだ。
だが、つい最近の、この世界で過ごした出来事さえも忘れてしまったら、そうは行かなくなるだろう。
一つ二つの虫食い位なら、どうでも良い事だから忘れてしまったんだな、で済まされるだろうが、何度も繰り返されれば不審になる。
せめて気付かれないように、虫食いの穴があっても後で思い出す事が出来るように、記憶のトリガーを残しておく必要があった。

 それからスコールは、あの日記帳を持ち歩くようになったのだ。




 スコールが一人で向かおうとしていた探索に、約束した訳でもないのにジタンとバッツがついて来るのは、すっかり通例になった。
秩序の仲間達にもその様子は知られており、スコールが一人で外に出ようとしただけで、「ジタンとバッツは?」と聞かれる始末だ。
俺の知った事じゃない、とその度に答え、勿論彼らを待つ事なく出発するスコールであったが、何故か彼らは追いついて来る。
そしてスコールが探索を終えて聖域に帰還するまで、二人はスコールの周りをちょこまかと駆け回っているのであった。

 余りに当たり前のようについて来られる上に、二人が“宝探し”に行く時には、問答無用で駆り出されるようになった。
一人でのんびりと過ごそうと思っていた日に、「行こうぜ!スコール!」と一方的に捕まえられて引っ張られる事も、残念な事に慣れて来た。
こうした喧しさをスコールは決して好んでいないのだが、何故か騒がしさが耳馴染みにもなって来て、気付いた時にはすっかり三人グループで定着している。
こんな筈じゃなかったのに、と誰に対してか判らない愚痴すらも、最近は飽きて来た。
諦念すれば後は案外と楽なもので、余程面倒な時でなければ、スコールはジタンとバッツと共に行動する事に拒否反応を起こす事はなくなっている。

 ジタンとバッツは基本的に賑やかだが、スコールが本当に静かに過ごしたい時は、しっかりと空気を呼んでくれる。
なまじ一緒にいる時間が長いものだから、スコールの本気の不機嫌や、疲労感と言うものが判っているのだ。
平時からその気遣いをしてくれれば良いのに、と思う事も多いが、彼等の騒がしさで多少気分が紛れる事もあるので、複雑な所であった。

 一緒にいる時間が長ければ、行動の癖やパターンも判ってくる。
必然的に、それに応じた役割と言うものも割り振られて行き、野営の準備も着々と進められた。
火起こしは旅人生活で慣れているバッツが、食料調達は目が良く身軽なジタンが、簡易テントを作るのはサバイバル訓練で慣れたスコールが行う。
バッツは火が点けば直ぐに夕飯の準備に取り掛かり、スコールとジタンは自分の担当が終われば他の二人を手伝うのがいつもの形だった。

 バッツが作った夕飯で腹が膨れたら、ジタンとバッツはじゃれつきタイムだ。
下らない遣り取りから始まった応酬がテンポを増して行き、時には手が出る。
勿論、本気でやり合う事はない。
少し見た目が派手な腹ごなしの運動のようなもので、スコールは煩いなとよく思うが、止めるのは面倒なので声はかけない。
興が乗っている所に下手に声をかけたりしたら、無理やり参加させられてしまうからだ。

 騒がしい二人を横目に、スコールはじっと火の番をしている。
ぽい、と放った薪がからんからんと音を立て、火の中でぱちりと小さく爆ぜる音を立てた。
浮いた火の粉がゆらゆらと舞い降りて、地面の砂に混じって消える。
それを眺めている内に、思いの外時間は経過したようで、


「あー!」
「疲れたー!」


 遊び疲れた二人が大の字で地面に転がるのを見て、やっと終わったか、とスコールは思った。
転がったまま眠い目を擦るバッツと、ふあああ、と大欠伸をしているジタンに、スコールはテントに入るように促す。


「眠いなら早く寝ろ。見張りは俺がやる」
「そっか?悪いな」
「んじゃ先に寝かせて貰うわ。後で交代なー」
「ああ」


 むくっと起き上がった二人がテントに入り、寝床の準備を始める。
その気配を音で聞きながら、スコールはジャケットの内ポケットに入れていた日記帳を取り出した。

 日記帳は初めから十ページ程は、スコールが元の世界で過ごしていた時に綴ったものと思しき内容が残されている。
日付もしっかり記録されていたので、スコールはこの世界で日記を書き始めた日を、その続きの日として付けるようになった。
書き始めから一日目、としても良かったのだが、何月何日と記した方が、一週間、一ヵ月、と言う区切りが数え易い気がしたのだ。
誰がこの日記帳を覗く事もない筈なので、書いている自分一人が判り易い形にすれば良い、と思う事にしている。

 手帳に挟んでいたペンを手に、スコールはぱらぱらとページを捲る。
昨日書き終わったページに隣が空いており、スコールは習慣となった日付を書き込んだ。


「────……」


 その数字を見て、あ、と手を止める。
特に気にする程の事ではないのだが、なんとなく気付いた事に意識を囚われて動きを止めていると、


「スコール?どした?」


 口を開けたままのテントの中から、バッツに声をかけられた。
スコールは其方を見ないまま、


「明日────」
「明日?」
「……」


 かけられた声に反応する形で答えかけて、スコールは口を噤んだ。
スコールにとっては大した話ではないのだが、同行している二人からしてみるとどうだろう。
面倒───即ち騒がしい事になるのが面倒で口を噤んだスコールだったが、テントの方から突き刺さる視線は消えない。
それ所か、寝転がっていた筈のジタンまでもが此方を見ているのが判る。

 はあ、と溜息を吐いて、スコールは改めて口を開いた。


「…明日は、俺の誕生日だ」
「誕生日?スコールの?」
「ほんとか?」


 スコールの言葉を聞いて、俄かに二対の瞳が爛々と輝いた。
寝る筈だったのにテントからいそいそと出てきて、二人はスコールを挟んで左右隣に座ってくっついて来る。


「なんだよ〜、そんな事は早く言えよ。こんな所じゃ何にも用意できないぜ」
「…何を用意するものがあるって言うんだ」
「そりゃお前、誕生日パーティとかプレゼントとか。色々あるだろ」


 意気揚々とした表情で言うジタンとバッツに、要らない、とスコールは胸中で呟いた。


「明日が誕生日ってマジなのか?」
「…これの日付ではそうなる」
「あ、それ。日記つけてんだっけ?」
「ああ」


 スコールが日々の出来事を手帳に綴っている事は、ジタンとバッツも知っている。
どう言う事を書いているのか、とは聞かれた事に対しては、探索後の報告内容と変わらない、と答えている。
其処に嘘はない。
スコールが綴る日記に殆どは、斥候や探索で見つけたものや、その日の道程で起こった事、モーグリショップで交換した物等が記録されている。
其処に自分の感情を交える事はなく、日記帳と言うよりも、記録帳と言った方が正しい程度のものであった。

 どうしてそんな事を延々と記録しているのか、ジタンとバッツから言及された事はない。
傍目に見れば、几帳面な性格の表れで片づけられているようで、スコールはその事に密かに安堵していた。
以前はしていなかった記録を、今更になって始めた理由については、たまたまこの日記帳を見付けたから、と言う事で済ませている。

 ジタンがスコールの肩口から首を伸ばして、開いたままの日記帳を覗き込んできた。
真っ新なページには、まだ日付しか書いていない。


「えーと、今日は8月22日か」
「誕生日が明日って事は、スコールは8月23日に生まれたのかあ。なんか意外だな」
「確かに。もっと寒い時期に生まれたのかと思ってたぜ」
「判る判る。11月とか、12月とか。それ位の感じ」


 好き勝手を言われているな、と思いつつ、スコールは黙っていた。
元の世界でも仲間達から似たような事を言われた気がするし、夏等と言う季節が自分に大概似合わない事は判っている。
が、イメージ云々は知った事ではないし、似合うか似合わないかに関わらず、自分は確かに明日と言う日に生まれたのだ。


「誕生日ならやっぱりお祝いしなくちゃな。スコール、何か欲しいものあるか?」
「別に」
「アイテムとか、素材とか。食べたいものとか」
「特にない」
「そう遠慮するなって」


 バッツの言葉に、別に遠慮はしていない、とスコールは目を細めた。
つい数秒前まで忘れていた事なのだから、誕生日だからと何かして欲しいとは思わないし、今現在、特に求めている物が無いのも事実。
そんな事を考えながら、スコールは今日一日の道程を思い出しつつ、日記帳に記録を綴って行く。
その左右で、ジタンとバッツはあれは、これは、と賑々しく提案合戦をしていた。


「スコールの誕生日なんだから、やっぱり誕生日パーティしないとな」
「って言ったって、今日は野宿だぜ。明日もまだ帰らないから、やっぱり野宿。パーティするにしたって、物もないし」
「それはどうにかなるだろ。あ〜、判ってたら今日は聖域の近くで済ませたんだけどな。モーグリショップも近くにあるから」
「スコールが早く教えてくれないからだぜ」
「……何故其処で俺の所為になるんだ」
「じょーだんじょーだん。毎日忙しいもんな、忘れちまうのも無理ないって」


 胡乱な目で睨むスコールに、ジタンが降参ポーズでへらりと笑う。
ふう、とスコールが溜息を吐くと、のしっと肩に重みが乗った。
寄り掛かってきたバッツの腕だ。


「なあ、欲しいものってないのか?なんでも良いんだぞ」
「言っただろう、特にないって。……強いて言うなら」
「言うなら?」


 素っ気なく言った後に、スコールが僅かな沈黙を持って付け足すと、バッツがきらきらと目を輝かせて食い付く。
何がそんなに楽しいのだろう、と思いつつ、スコールは覗き込んでくる二人の顔を見ないまま言った。


「静かな夜」


 それが欲しい、と言うと、左右の動きがぴたりと止まる。
ジタンとバッツは顔を見合わせると、そろぉっとした動きで、スコールから離れた。
其処から抜き足差し足忍び足と、物音を極力殺してテントへと戻って行く。
別に其処までしろとは言ってない、とスコールは思ったが、口には出さなかった。

 二人はテントに入ると、おやすみ、と口の動きだけで言った。
スコールは視界の端で捉えたそれに、右手を上げて返事をする。
テントの口が下ろされて、二人の姿は幔幕に隠れて見えなくなった。
ごそごそ、ごそごそと言う気配はあったが、それも程なく消え、スコールの要望通りの静かな夜が訪れる。

 ぱち、ぱち、と火花の音が聞こえ、森の遠くで夜の鳥が鳴いている。
鳥が鳴いているなら、当面はこの静寂は保たれるだろう───カオスの戦士が現れない限りは。
取り敢えず、今夜はこのまま過ぎていけば良いな、と思いつつ、


(……誕生日は明日なんだから、今俺の希望を叶える必要はないんじゃないか)


 テントの向こうにいる仲間達を見遣って、スコールはそう思う。
思うが、元々騒がしい事を好まないスコールにとって、彼等が大人しくしてくれる事は幸いである。
時折、こそこそとした話し声が聞こえる程度なら、木々のさざめきと変わらない。
普段からこうなら尚良いんだが、と思いつつ、本当にそうなれば落ち着かなくなってしまいそうな気もする。
そんな自分に、随分と慣らされてしまったような気がして、スコールは眉間に皺を寄せたのだった。