スタッフィード・アニマル
上司×部下


 部下であり恋人である青年の家に行く前に、最寄りのスーパーに立ち寄った。
初めて彼の家に上がらせて貰った頃、彼の冷蔵庫の中が随分と中身が少ない事を知って以来、習慣となっている。
ラグナは殆ど自炊をしないので、特にレパートリーの類は決めず、一通りの野菜類の他は、その時その時の広告で売り出ししているものを買う事が多い。
給料日は少し贅沢に、肉を多めに買ったりもするのだが、ラグナはそろそろ脂物が辛く、彼は余り量を食べない為、大量に余る事も儘あった。
その度、彼は勿体ないと言って眉尻を下げているが、冷凍すればしばらく保存できるし、ラグナがまた食べに来るので、消費の当てには困っていない。

 今日もラグナは一通りの買い物を済ませ、いそいそと恋人の自宅へと向かおうとしたが、その前に、スーパーの前で催されている抽選会に目が行った。
スーパーは小さなショッピングモールの中に在り、隣接した店には、ホームセンターやドラッグストアもある。
子供向けのオモチャやぬいぐるみを売っているホビーショップも並んでいた。
そのお陰か、抽選会の賞品はそれなりに豪華になっており、三等から上は家電製品が占めていた。
特賞となると旅行券となっており、行き先は三つの中から選択する事が出来る。

 特に欲しいものがあった訳ではなかった。
しかし、ラグナの財布の中には、買い物をした時にレシートと一緒に渡された、抽選券が入っている。
こう言うものは元々駄目と言うつもりで引けば、何が当たっても外れても、然したるダメージにはならない。
下位賞は洗剤やボディソープ等と言った日用品、外れてもポケットティッシュや駄菓子類。
消耗される事が前提の代物なら、下手に大物が当たるよりも、貰って困るよう事もない。
欲を言えば、旅行が当たってくれたら、彼を誘って行けるのだけど。

 ともあれ、貰った抽選権券を使わないままと言うのも勿体ないし、此処は一つ運試し。
そんな軽い気持ちで、ラグナは抽選会場へと向きを変えた。




「……それで、当たったのが───」
「そ。このライオンさんのぬいぐるみ」


 事の経緯を簡潔に───時々、おおいに、脱線しつつ───説明したラグナの隣には、彼の言葉の通り、ライオンのぬいぐるみが鎮座している。
大きさは、カーペットに座っているラグナよりも大きく、一メートル弱はあるだろう。
これをラグナは、スーパーからこのアパートに来るまで、両腕に抱えて持って来たのである。
凄いだろー、と当てた事に対してか、ぬいぐるみの大きさに対してか、自慢するように胸を張るラグナに、レオンは複雑な表情を浮かべるしかない。

 いつものように家に来た上司を迎えに出たら、愛らしい顔をした大きなライオンが立っていた。
玄関を開けた時のレオンの認識は、正しくそんな状態であった。
ラグナはライオンを、背中から回した腕で抱き上げていた為、その時のレオンからはラグナの顔が見えず、巨大なライオンのぬいぐるみが突然我が家を訪問したような状態だったのだ。
直ぐにライオンの後ろから「当たったんだぜ!凄いだろ!」と無邪気な声が聞こえたのと、宙ぶらりんになっているライオンの足下に、見慣れたスーツと革靴の足が見えたので、ライオンの正体がラグナであると気付く事が出来たのである。

 頭と胴体で1メートル弱の大きなぬいぐるみなので、此方が座ると完全に見上げる大きさだ。
ラグナが持ち上げていた時点で、大きな頭に彼の顔は完全に隠れていたので、手足の長さも含めれば、完全に1メートルを越えている。
こんなものを向き出して抱えて歩いていたら、さぞ人目を引いた事だろう。


「……大きいですね。その…よく持って来れましたね」
「まあなー。でもほら、ぬいぐるみだから。軽いんだよ」


 レオンの言葉に、ラグナはぽんぽんとぬいぐるみの腹を叩きながら言った。
レオンが気になったのは、重さではなく、大きさの所為でさぞかし目立ったであろう道中の事だったのだが、ラグナはその意図が汲み取れない。
レオンのように他者の目が気になる性分でもないので、気にせず歩いていたのは、想像に難くなかった。

 きっと売れ残って景品になったんだろうな、と、余りに大きなぬいぐるみを見てレオンは思った。
店は恐らく、クリスマスと言った大きな行事の時にこれを仕入れ、ディスプレイ等に使い、その後に商品に回したが、行き先が見付からないまま時間が過ぎ、在庫としても邪魔になる為、抽選の賞品として差し出したのだろう。
土地の値段が高い都心に立てられる家々は、アパートでも一戸建てでも、何処も広さが限られている。
一通りの家具を置いてしまえば、フリーで余るスペースなど微々たるもので、こんな大きなぬいぐるみを置いておける所はあるまい。
大きなぬいぐるみは、小さな子供には受けが良いだろうが、大人にとっては買うには気が進まないだろうし、何より、これだけ大きいと、値段もそれなりに張る筈だ。
益々買い手は遠ざかるに違いない。

 それを当てたラグナは、運が良いのか悪いのか。
レオンが自分で当てたなら、運が悪いと思う───何せ二十歳を越した成人男性である。こんな大きなぬいぐるみを貰ってどうしろと言うのか───所だが、ラグナは満足そうな顔をしている。
ライオンの大きな腹に抱き付いて、「おっ、柔らかい」と遊んでいるラグナの姿に、野暮な事は言うまいと、レオンは眉尻を下げてくすりと笑った。


「それにしても、本当に大きい……小さな子供から見たら、本物のライオンよりも大きく見えそうです」
「確かになー。形が可愛いから恐くはないだろうけど、なんか、迫力みたいなのあるよな。うん、やっぱお腹が一番柔らかいな」


 レオンの言葉に応えながら、ラグナはぬいぐるみの腹に顔を埋める。
小さな子供が遊んでいるのと変わらない仕草が、三十路に近い男に違和感がないと言うのも、面白い。
レオンはぬいぐるみで遊ぶラグナの姿に、すっかり眦を緩めていた。

 が、次の一言には流石に目を剥く。


「な、レオン。これ、レオンにやるよ!」
「は?」


 突然の事にぽかんと口を開けるレオンに、ラグナはぬいぐるみを抱え差し出して、「プレゼント!」と言った。
円らな瞳がレオンを見つめながら、ことんとライオンの首が傾げられる。
毛糸を編み込んで作られた鬣が、ふわふわと揺れた。


「え……え?」
「レオン、ライオンが好きだろ?」
「え、ええ、まあ……」
「だからレオンなら喜んでくれるんじゃないかと思って持って来たんだ」


 ライオンの後ろからひょこりと顔を出して、ラグナは言った。
レオンはぽかんと口を開けたまま、ラグナの顔を見詰め返している。

 ラグナは上機嫌だった。
それは彼が家に来た時からずっとで、レオンの家に来ては見せる貌だったので、特に気に障るような事ではない。
嬉しそうな彼に不思議に思う事は儘あるが、「だって恋人の家に来てるんだぜ。嬉しくない訳ないだろ」と明け透けもなく言われるので、以来、上機嫌な理由について訊ねる事はなかった。
今日の機嫌の良さについても、恐らく同じような理由だろうと聞く事はなかったのだが───ひょっとして、このライオンの所為もあったのだろうか。

 レオンがライオンを好きな事は、彼と親しい人間には知られている事だ。
数少ない趣味であるシルバーアクセサリーの収集は、専ら獅子をモチーフとしたものに偏っており、普段は余り見ない動物番組も、ライオンの特集が組まれると途端に気にし始める。
恋人であるラグナは、そんなレオンにアクセサリーの他、ライオンの写真や絵が使用されたクリアファイル、マグカップ等を、出張からの土産と言って渡していた。
レオンはそれを、ライオンがデザインされていると言う理由は勿論、ラグナがそれを覚えていてくれた、自分の為に買って来てくれたと言う事が嬉しくて、素直に受け取っていた。

 恐らく、それと同じ感覚で、ラグナはこのライオンのぬいぐるみを此処まで運んで来たのだろう。
───そう思うと、出かかる本音とは別に、彼の好意を無碍にするのも憚られる。

 固まっているレオンに気付かず、ラグナはぬいぐるみをベッドの上に運びながら言った。


「レオン、一人暮らし長いんだろ?だったらまあ、色々慣れたもんだろうけどさ。やっぱり人の温もりってものは欲しい時があるだろ。そういう時、俺が一緒にいてやれたら良いんだけど……悔しいけど、中々難しいんだよなあ」
「それは…その、仕方がありませんよ。仕事は大事ですから」


 ラグナにしろレオンにしろ、仕事の都合であちこちに足を運ぶ事が多く、恋人同士の時間を作るのは難しい。
だからこそ、限られた時間を無駄にしたくないと、ラグナは頻繁にレオンの家を訪れるのだ。
その時ラグナは、これでもかと言わんばかりにレオンに構い倒し、甘え甘やかされ、睦まじい時間を過ごす。
レオンもそれに不満は無く、彼に真綿で包まれる様な甘い時間の虜になっていて、彼が家に来る日が待ち遠しく思う事も少なくない。
しかし、一緒に過ごせないのなら、それはそれで仕方がないと思う程度には、割り切れている。

 だが、レオンは割り切っていても、ラグナはそうではない。
出来ない事に地団太を踏むような子供ではないが、頭の納得と、気持ちの納得は別物だ。
折々に無自覚に無理をし勝ちなレオンの事が心配と言うのもあって、出来るだけ傍についていてやりたいと思う。
それに、幼年の頃に両親に捨てられた事、幼いながらに誰に聞くでもなくそれを理解する程に頭が良かった事が原因か、高校生の時分に保護施設を出て早い一人立ちをしたレオンは、───彼には自覚がないようだが───信頼できる人間からの愛情に餓えながら、それを与えられる事に慣れていない節がある。
その事情を聞いた日から、ラグナはどんな時でも、彼の傍にいて、彼に安心と温もりを与えてやりたいと思っていた。
しかし、現実にはそれを叶えるには難しく、どうしても傍にいてやれない時と言うのは珍しくない。


「でも、こいつがいれば、少しは気が紛れるだろうと思ってさ」


 こいつ、とベッドに座らせたライオンの大きな頭ををぽんぽんと撫でて、ラグナは言った。

 レオンの視線が、ラグナからライオンへと移る。
ボタンの円らな瞳に、ぷくりと膨らんだ丸い鼻、本物とは全く種類の違う可愛らしさをしたライオンのぬいぐるみ。
子供のようににこにこと笑う年上の恋人と代わりと言うには、あまりにもフォルムが違い過ぎる。
しかし、ラグナが当てて、ラグナがレオンの為にと持って来てくれたものだ。
そう考えると、なんだか無性に胸の奥がむず痒くなって、ぽかぽかと暖かくなる気がする。

 二十歳を越えた大人がぬいぐるみなんて、と言う思考は、頭の隅に追いやった。
どうせ誰に見られる訳でもないのだ。
このぬいぐるみの事を知っているのは、自分とラグナだけなのだから。


「……ありがとうございます」
「おうっ」
「それじゃあ、大事にさせて貰いますね」
「うん。あっ、でも俺がいる時は俺が優先な。俺も大事にしてくれよ?」


 慌てて自分を指差し、放って置かないでくれと言い出すラグナに、レオンは噴き出した。
判っていますよと応えると、ラグナはほっとした顔で、嬉しそうにレオンに抱き付いた。




 ラグナが福引で当てたライオンのぬいぐるみは、レオンの部屋を棲家にした。
大きいので何処に置いても場所を取るのだが、レオンの部屋は広々としたワンルームで、物が少ない為、それ程置き場には困っていない。
とは言え、モダンを基調としたシンプルな部屋に置かれた、ふかふかとしたライオンのぬいぐるみは、何処に置いても存在感が際立つ。
取り敢えずレオンは、ホームセンターで安く売られていた一人用のソファを一つ購入し、其処にライオンを座らせておく事にした。

 ライオンは、初めこそ生まれたままの格好でレオンの家に来たのだが、ラグナが家に来る度に何かを置いて行く。
お陰でライオンの周りには、少しずつ彼の私物が増えている。
元々は客寄せ用のディスプレイとして店に仕入れられ、行事事に着せ替えさせられていた経験を持つライオンだ。
それを踏襲してか、「こいつは甘い物が好きなんだぜ!」と言って、インテリアの蜂蜜入り風のツボのクッションを買って来たり(何か別のキャラクターが混じっている気がしたが、レオンは水を注すのは止めて置いた)、「おシャレもしなきゃな」と言って、自分のネクタイをライオンの首に締めてやったり。
ぬいぐるみばかりに構うので、レオンが「俺には何もなしですか?」と冗談を言うと、「お前には俺」とキスされる。
冗談だったのに、と思いつつ、嬉しく思う自分が恥ずかしくて、レオンは余計な事は言うものじゃないと思った。

 ラグナ以外の客人がレオンの家を訪れる事はない。
あっても精々、新聞の勧誘や訪問販売なんてものばかりで、家の中まで上げるような人物はいなかった。
だからか、レオンは段々と、ライオンのぬいぐるみの存在が、ラグナと二人の秘め事のように思えて来て、少しずつ愛着が湧くようになって行った。




 ────ラグナが一週間の出張から戻って来た日の事。

 出張の間、ラグナはレオンと頻繁に電話で遣り取りをしていた。
レオンはラグナの直属の部下に当たり、年若いながらも優秀である為、ラグナが不在の穴を彼が埋める算段になっていた。
仕事ついての報告をしつつ、純粋の恋人としての会話も楽しむ日々を送ったが、やはり話をするなら、向き合って会話をしながら交わすのが一番だと、ラグナは思う。
特にレオンは素知らぬ声で無茶をしていたりするから、きちんと顔を見ていないと、ラグナが彼の事を心配で不安で堪らなくなってしまうのだ。

 そして出張が無事に終わると、ラグナは直ぐに電車に乗り、レオンが住むマンションの最寄駅へと向かった。
自宅に戻る暇すら惜しんで帰って来る彼の事を、レオンは知らない。
今日が出張の最終日だとは知っている筈だが、ラグナが自宅にも帰らず、自分の下に向かっているとは思っていないだろう。
ラグナは、ちょっとしたサプライズ気分で、一週間振りの恋人の家へと向かっていた。

 しかし、運の悪い事に、電車は途中で止まってしまった。
線路の枕木から煙が出ていると言う騒ぎが起きたのだ。
幸い、煙はボヤ程度で済み、炎上事故のような事にはならなかったものの、電車は相次いでダイヤが乱れ、ラグナが乗っていた電車も中途半端な場所で停止してしまった。
ラグナは箱詰め電車の中で当分の時間を過ごした後、動かない電車から降り、駅員の案内で近くの駅まで歩く事になった。
駅についても電車は殆ど運行停止状態にある為、タクシーを使って帰ろうかと思ったが、同じ事を考えている人でタクシー乗り場は渋滞。
しばし悩んだ末、ラグナはバスを乗り継いで、ようやくレオン宅の最寄駅まで辿り着いたのである。

 とんだ災難に見舞われたお陰で、目的の駅に着いた時には、すっかり夜になっていた。
日付は変わっていないが、都会のビルの隙間に月が見えている。
レオンと一緒に夕飯を食べるのを楽しみにしていたのだが、これではレオンはとっくに食事を済ませているに違いない。
少し残念に思いつつ、仕方のない事と割り切り、せめて彼の顔を早く見ようと、ラグナはタクシーに乗り込んだ。

 マンションに着いてからは、浮かれ足の急ぎ足だ。
部屋の前まで来ると、ラグナは一つ呼吸を整えてから、インターホンを鳴らす。
程無く中から足音が聞こえてくるだろう───と思ったのだが、


「……ありゃ?」


 待てど暮らせど、ドアは開かなかった。
おかしいな、と思ってもう一度インターホンを鳴らしてみるが、やはり反応がない。
マンションに入る前、下から部屋の窓を確認した時には、電気がついていたように見えたのだが、見間違いだったのだろうか。

 ラグナが腕時計を見ると、8時半を迎えている。
遅めの夕飯を外で食べているのかも知れない。
電気が点いたままなのは、防犯のつもりか、直ぐに帰るつもりで消さなかったか。
それはどちらでも良い事だが、ラグナは別の問題に頭を悩ませた。


「う〜ん……どうすっかなぁ」


 携帯電話でレオンに連絡すれば、急ぎ戻って来てくれるだろう。
サプライズの驚きは半減してしまうだろうが、此処で彼が帰って来るまで待ち惚けをしているのも、良いものか如何か。
隣近所の住人に見られたら、怪しまれたりはしないだろうか。

 取り敢えず電話をしよう、とラグナは携帯電話を取り出した。
───が、何度コールを鳴らしても、レオンは電話に出ない。
携帯電話をマナーモードのまま鞄に入れて、着信に気付いていないのかも知れない。
連絡事には敏感な彼にしては珍しいが、忙しい時や、仕事に没頭している時には儘見られる事だった。

 仕方ない、とラグナは鞄を漁り、部屋の合鍵を取り出した。
貰ったのは随分と前の事だったが、ラグナは余りこれを使っていない。
普段はレオンが出迎えてくれるし、彼がいない時に勝手に家に上がり込むのも失礼だと思うので、殆ど使う機会がないのだ。
今日も、出来ればレオンに許可を取ってからにしたかったが、電話が通じないのでは仕方がない。

 施錠を外して、ゆっくりとドアを開ける。


「お邪魔しま〜す……と、お?」


 誰も聞いていなくとも、一応の断りを、と小声で挨拶しながら扉を開けたラグナは、玄関口に置かれているものを見て目を丸くした。

 其処には、レオンのものと思しき靴があった。
出社している時に使っている革靴と、その隣にはプライベートで履いている黒のスニーカーがある。
どちらも此処にあると言う事は、レオンは出掛けていない事になるのだが、


「おーい、レオンー?」


 短い廊下の向こう、扉一枚を隔てた奥の部屋に向かって声をかけてみるが、返事はない。
ラグナはしばらく途方に暮れていたが、一先ず確認せねばなるまいと、玄関を上がった。

 音を立てずに廊下を進み、奥の扉に手をかける。
そぉっとノブを押してみると、抵抗なく扉は開いた。
自分の行動が泥棒染みている事に、若干の後ろめたい感覚を覚えつつ、ラグナは扉の隙間から部屋の中を覗き込む。

 其処に、恋人の姿はあった。
物が少ない部屋の中で、一番場所を取っているであろうベッドの上に、彼は横になっている。
壁を向いて寝転んでいるので、ラグナに彼の表情は判らなかったが、あれだけ呼んでも返事をしなかったのだから、きっと寝ているのだろう。
微かに脳裏に過ぎっていた、犯罪事件のような事がなかった事にホッとしつつ、ラグナは扉を大きく開けた。


「レオンー」


 名前を呼びつつも、その声は密やかなものだ。
起きるようなら返事が欲しいが、無理に起こそうと言うつもりもない。
ただ、何処まで深く眠っているのか、確認する気持ちで呼んだに過ぎない。
 結局、レオンからの返事はなく、静かな部屋の中で、すう、すう、と微かな寝息が聞こえてきただけだった。

 ラグナがもう一度腕時計を見ると、やはり8時半を指している。
ラグナの時計はよく狂うので、念の為、この部屋の時計も確認したが、三分少々しか違いはなかった。
こんなにも早い時間から寝ているなんて、と思ったが、恐らくレオンは、寝ようと思って眠った訳ではないのだろう。
電気は煌々としているし、ベッドに横になっている彼の服装は、ワイシャツとスラックスのままだ。
ジャケットやネクタイ、ベルトはソファの背凭れに放られており、彼にしては珍しい怠け具合だ。
きっと仕事から帰って来て、一心地するつもりでベッドに横になり、そのまま寝落ちてしまったのだろう。


(疲れてんのかな。俺の埋め合わせまでしなきゃいけなかったから、大変だったんだろうなあ)


 思いながら、ラグナはベッド際まで近付いた。
その傍ら、改めてベッド上の彼を眺めて、くすりと笑う。


(お前、そんなにライオン好きなのかあ)


 ベッドに寝ているのは、レオンだけではなかった。
いつもは専用の一人がけソファに収まっている筈のライオンのぬいぐるみが、ベッドの上で、主と一緒に横になっている。
大きなぬいぐるみなので、ベッドの半分を占領しており、レオンはぬいぐるみの胸に顔を埋めて眠っていた。
抱き込むようにライオンの首に腕を回しており、まるで小さな子供が親に甘えているようにも見える。