空と海の境界線上 【遭逢編】


 波の音と言うものは、聞き慣れないものだった。
生まれ育ったのは大陸の真ん中にある国で、周囲は山に囲まれ、水と言ったら川や湖だ。
何処までも広がる大海と言うものは、旅物語の中でしか聞き及ぶことのないものだった。
だから初めて海と言うものを見た時は、こんなにも大きな水溜りが本当にあったのか、と言う感動さえ覚えたものだ。
何処までも続く蒼の海と、何処までも続く青の空の狭間で、渡り鳥が飛び行き、沢山の船が出入りする。
遠くに在るのは山と空と言うのが当たり前の光景だったから、水平線と言うのも見た事がなかった。
それらを一挙に目にした時、世界は自分が思っていた以上に、ずっとずっと広いのだと言うことを知った。

 ────それを知った切っ掛けが、全てを失ったことでなければ、本当に感慨深かっただろうに。

 人知れず憂う思考を押し遣って、波止場に落ちていた、誰かの船のチケットで、大陸を離れることを決めた。
落し物主には申し訳ないが、自分はもうこの大陸には居られない。
長居するのは、折角存えた命を危険に晒す行為だったから、落とし主には心の中で詫びつつ、船に乗り込んだ。
乗り込んだ客船は、大きさの割にはチェックが甘く、それは拾ったチケットが主に出稼ぎ労働者が使う三等チケットだったからだ。
着ていた服が埃や泥で汚れていたのが、此処に来て功を奏した。
労働者に紛れて、タコ部屋同然の薄暗い船室に通され、なるべく目立たないように息を潜めて終着点を待つつもりだった。
男の姿ばかりが目につくタコ部屋で、じろじろと不躾な視線を幾つも感じたが、殻に閉じ籠るように蹲って時間の経過を待った。
何度か声をかけて来た男がいたが、無視していると、あちらが飽きて誰も近付かなくなった。

 船に乗って以来、船室から殆ど外に出なかったので、航海が始まって何日が経ったのかも判らなかったが、甲板に上っては戻って来て眠る人間の姿を確認し、それらが何度目かの睡眠かを数えて、凡その時間を把握していた。
その計算が間違っていなければ、大陸を離れて約一週間────順調だった航海は、一気に様相を変える。

 突然、船を大きな衝撃が襲い、あちこちで悲鳴が上がった。
流石にこれには蹲っていられず、状況を把握しようと船室を飛び出した。
同じように船室を飛び出した労働者たちに紛れ、甲板に上がろうとした所で、昇降口から凶悪な顔をした男達が雪崩のように侵入してきた。
海賊だ、と誰かが叫んで、船室は阿鼻叫喚に包まれる。
貧困層が殆どの労働者も、海賊達は次々と遅い、男は殺され、女は引き摺って何処かへ連れて行かれた。
状況を理解してからは、直ぐに逃げる事に転身したが、外甲板へ出られる昇降口は海賊達がどんどん入って来るし、其処をやり過ごして外に出た所で、きっと甲板も海賊達で溢れ返っているだろう。
必然的に、逃げ道は下しか残されていなかった。
袋の鼠になる事は判っていたが、せめて何処か隠れられる場所を求めて、必死になって逃げた。
カタールやサーベルを振り回して、嗤いながら後を追って来る男達が、悍ましくて堪らなかった。
故郷にいた頃、護身用に剣術を倣ってはいたが、船に乗って以来───それ以前から碌な食事を採らず、睡眠も満足とは行かなかった為、体力がすっかり底をついていた。
そんな状態で戦える筈もなく、逃げる足もふらついて、追い付かれた男に腕を切られ、傍にあった部屋に引き摺りこまれて服を破られた。
遮二無二暴れてどうにか逃げ果せたが、既に逃げる道は残っていなかった。
奥まった場所にあった部屋に転がり込み、扉の向こうで悲鳴や怒号が響くのを聞きながら、隠れた部屋に海賊達が来ないことを祈った。

 祈りが叶えられたのか、自分の下に海賊達が来る事はなかった。
しかし、船を破壊せんばかりの爆発や、大砲の着弾思しき衝撃は何度も続き、海賊達がこの船を去った所で、最早航海の再開が不可能なのは明らかだ。
何処を漂っているかも判らない船を捨て、ボートで漂流しながら陸を探す気力はなく、全て自分の運が悪かったのだと諦める事で、全てを終わりにする事を決めた。

 ……決めた筈だった。

 ざあ、ざあ、と耳に心地の良い潮の音が聞こえて、薄らと目を開ける。
暗がりの天井が見えて、微かに残った記憶の浮上に伴い、案外と自分はしぶといようだと知る。
食べる物は勿論、水すらない、光すら届かない暗闇の中で、ずるずると生きているなんて────と思ってから、違和感に気付く。


(……明るい)


 見える天井は暗くはあったが、記憶にある暗闇とは違う。
窓すらない船底近くの倉庫の天井は、柱のシルエットが確認できるような薄暗がりではなかった筈だ。

 違和感の正体を確かめようと、起き上がろうとして、出来なかった。
体中の筋肉が固まったように動かない。
自分の身に何が起きているのか理解できず、確かめようもなく、混乱は深まった。
早く現状把握を───とは思うものの、思考は一向にまとまらず、とにかく起きなければ、とじたばたと体をもがかせる。
きし、きし、と背中で軋む音がして、少しずつ戻り始めた体の感覚から、柔らかな布地が肌に触れている事を知る。


「う…く……っ」


 自由にならない体のもどかしさの表れに、微かに呻く声が漏れた時だった。
暗がりの天井を映していた視界に、別のシルエットが入り込む。


「目、覚めたんだね。良かった」
「……?」
「ずっと眠ってたから、しばらく動けないと思うよ。リハビリ、しないとね。ちょっとごめんね、触診するから」


 鈴のような愛らしい声は、耳に心地良い。
シルエットから長く伸びたツイストの髪が見え、頬に触れた手が細く滑らかであると知り、目の前の影の正体が女性であると判った。
触診と言うあたり、この女性は医者だろうか。

 困惑は未だ続いていたが、動けない事、女性の声に敵意が見られなかった事で、体の力を抜いて触れる手を甘受する。
服の前を開かれ、ひんやりとした空気に肌が触れた時に少し体が震えて、「ごめんね、すぐ終わるから」と女性が言った。
その言葉通り、女性はてきぱきと診察を終える。


「少しお話できる?」
「……はい」
「ふふ。そんなに固くならなくて良いよ。何処か痛い所、ある?」
「…よく判りません」
「そっか。何かあったら遠慮なく言ってね。あと、此処は危ない所じゃないから、安心して良いよ」
「……はい」


 女性の言葉を鵜呑みにするのは抵抗があったが、碌に体が動かない状態で警戒しても、どうにもならない事ばかりだ。
詰めていた息を意識して吐くと、ぽんぽん、と女性の手が頭を撫でたのが判った。


「お水、飲む?」
「……はい」
「じゃあ、起こすね。ゆっくり起こすから、気分が悪くなったら言って?」
「…はい」


 力の入らない両腕を腹の上に乗せられ、頭と背中を支えられながら、ゆっくりと起こされる。
看護し慣れているのが判る作業だった。

 枕をクッションにして、ベッドヘッドに凭れかかって座らされる。
腹の上に乗っていた腕が、重力に従って落ちた。
起き上がった事で、ようやく辺りを渡す事が出来、きょろきょろと首を巡らせる。
ざあ、ざあ、と言う波の音が聞こえ、開かれた窓の向こう側を見た事で、此処が海に程近い場所───いや、海の真っ只中である事を知った。


(船の上……?)


 不躾とは思いつつ、現状を把握する為の急く気持ちも抑えられず、改めて辺りを見回していると、


「私の部屋なんだ。窮屈かも知れないけど、船の中だから仕方ないの。我慢してね」
「あ…いえ、そんな事は……」


 トレイに水の入ったピッチャーと水差しを持った女性の言葉に、慌てて首を横に振った。
途端、くわんとした頭痛に襲われて、目を回す。
女性がトレイをサイドテーブルに置いて、眩暈から来る吐き気に丸めた背中を撫でる。


「無理に動かないで。頭もあんまり動かさない方が良いよ。ゆっくり呼吸してね」


 ゆっくりと背中を撫でる手に合わせ、意識してゆっくりと呼吸をするように努める。
喉の奥のイガイガとした気持ちの悪い違和感は、中々消えてはくれなかったが、眩暈は時間の経過と共に収まって行った。
女性が貌を覗き込んで来て、ちょっとごめんね、と前髪を持ち上げる。
円らな瞳にごく近い距離で見つめられ、酷く落ち着かない気分になったが、眼球の動きから此方の容体を確認しているのが判ったので、大人しくされるがままになる。

 眩暈が消えて、意識して一つ深い息が出来た所で、ようやく吐き気も落ち付いた。
額から噴き出した汗を拭おうとして、腕が上がらなかった。
察したように、女性が柔らかなタオルで顔を拭いてくれる。


「お水、飲める?」
「……はい。なんとか」
「少しずつね。お腹、空っぽだと思うから、急に沢山は駄目だよ」


 水差しを口元に持って来る女性の言葉に従い、少しずつ、ちびりちびりと水を飲む。
カラカラだった喉に水が沁み渡って行くのが判った。
ごく普通の水の筈だが、無性に美味しいものに感じられて、もっと、もっとと体が欲しがる。

 が、水差しの中身を半分まで減らした所で、女性はそれを遠ざけてしまった。


「少しずつ、ね」


 笑んだ彼女の言葉に、そうだった、と理性を取り戻す。
濡れた唇をタオルで拭かれ、クッションに背中を預けて力を抜く。


「ちょっと落ち着いた?」
「…はい。ありがとうございます」
「どう致しまして」


 にっこりと笑う女性に、此方も笑みが零れる。
女性はベッドの隣の椅子に腰を下ろし、此方と真っ直ぐに向かい合った。


「遅くなったけど、自己紹介しておくね。私、エアリス。この船で、船医をやってます」
「船……」
「うん。小さな船で、乗ってる人数も少ないけど、良い船だよ。ボロボロの船の中で倒れていた貴方を見付けて、この船に運んだのは、私の仲間───うちの船員。貴方を危ない目に遭わせようって言う人もいないから、安心して」
「はい。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げて二度目の礼を言うと、「どう致しまして」と先と同じ言葉が帰って来た。


「もうちょっとお話してね。それで……言いたくなかったら、言わなくて良いんだけど。貴方がいた船は、多分、海賊に襲われたんだよね」
「……ええ」
「貴方を見付けたのは、船の底の方にある倉庫だって言ってた。近くに襲われた人が倒れてたし、血の跡も沢山あったから、きっと其処まで海賊は来ていたんだと思う」
「……」
「貴方も襲われたよね。腕の傷とか、打ち身とか、その時のものでしょ?」
「……はい」
「凄く怖かったよね。でも……もっと怖いこと、されたりした?」


 エアリスが言わんとしている事は、直ぐに判った。
脳裏に厳めしい顔の男が浮かんで、馬乗りにされた事を思い出す。
よくぞあの時、逃げる事が出来たと、今になって思った。

 小さく首を横に振ると、エアリスは「本当?」と心配そうに覗き込んで来た。
そうした目に遭いそうになったのは確かだが、幸運にも自分は未遂で済んだし、隠れて意識を失うまでの間、海賊に見付かる事もなかった。
今現在、体の感覚は戻らないので、自分で自分の具合を確かめる事も儘ならないが、不自然な痛みはない。
だから、自分は無事で済んだのだと思う。

 本当に大丈夫だった、と頷けば、エアリスはほっとしたように胸を撫で下ろした。
彼女は自分を船医だと言ったから、手当の傍らに確かめたかも知れないが、起こった出来事を明確に話せるのは当事者のみである。
目覚めて確りとした意識の上で、当人から話して貰うまで、不安要素は拭い切れないものだ。

 エアリスの嫋やかな手が伸びて、包帯に覆われた腕に触れた。
ぴり、と小さな痛みが奔り、眉根を寄せる。


「ごめん、痛かった?」
「…いえ。少し痺れた感じがしただけで」
「感覚があるんだね。良かった。見付けた時、少し膿んでたんだけど、今は綺麗にしたからもう大丈夫。ちょっとずつ傷も塞がってるから」
「はい」
「体を動かすのは、しばらくは無理だろうから、我慢してね。先ずはご飯を食べられるようにならなくちゃ」


 空っぽの筈の胃は、水を入れても特に膨れた感覚も、活発化した感覚もない。
先ずはこれが元通りの働きを取り戻せなければ、体の回復も見込めないだろう。

 首を傾けて自分の腕を見てみると、骨が浮いていた。
まともな食事など、もう何日口にしていないだろう。
其処まで考えて、ふと気になった事を訊ねてみる。


「あの……今日は何月何日ですか」


 客船に乗る以前から、日付感覚は曖昧だった。
海に出る前、港に月末に開かれるバザーがあったので、把握したのはそれが最後だ。
船に乗ってからは船室に篭っていたし、昼も夜も判らないままで過ごしていた。
それから海賊の襲撃に遭い、気を失って、どれ程の時間が経ったのか。

 エアリスは部屋のカレンダーを確認しようとしたが、暗がりの部屋ではよく見えなかったようで、えーっと、と指折り数え始める。
広げた指が全て折れた所で、


「9月20日。貴方を見付けたのは、一週間前だよ」
「一週間……」
「あの船がいつ海賊に襲われたのか、私達には判らないけど、多分もうちょっと前だと思う。だから貴方は、十日近く気を失ってた事になるのかな」


 空腹、疲労、絶望───その中で意識を手放してから、約十日。
栄養状態が悪かった事や、生きる気力すら失った状態で気を失って、よくぞ今まで生きていたと思う。
それはきっと、運良く見つけて貰えた事と、船医と言うエアリスの看病のお陰なのだろう。


「あの……ありがとうございます。わざわざ面倒を見て下さって」
「気にしないで。見付けたんだもの、放って置けないよ。この船にいるのは、そう言う人達ばかりだし。お礼を言うのなら、貴方を見付けた子に言ってあげて」


 微笑むエアリスの言葉に頷いた所で、くら、と頭が揺れた気がした。
素早くそれを見付けたエアリスに支えられ、再びベッドに横たわる。


「今日はもう休んだ方が良いよ。一杯お話させちゃってごめんね」
「…いいえ。此方も助かりましたから」
「私、貴方が起きた事、皆に伝えて来るね。少し一人にさせるけど、恐い事は絶対に起きないから、安心して眠って良いよ。話が終わったら直ぐに戻って来るから」
「はい」


 一人になる事への不安は否めなかったが、微笑むエアリスの表情に嘘はないと思った。
今はゆっくりと心身ともに休ませて貰い、回復したら、エアリスは勿論、見付けてくれたと言う人や、他の船員にも礼を言おう。
そう決めて、目を閉じてゆっくりと深呼吸すると、程無く睡魔はやって来た。




 自室を後にしたエアリスは、仲間達が揃っているであろう食堂へと向かった。
時刻は午後10時を過ぎており、日中を元気よく過ごすソラは眠気を催す頃だったが、最近のソラは深夜まで起きている事が多かった。
と言うのも、廃船で見付けた女性の事が気になって堪らないらしく、中々寝る気にならないのだと言う。
そんなソラを揶揄う為に、ユフィも遅くまで起きており、年下組二人がそうして起きているので、キッチンを預かるティファも夜食を作る為に起きていた。
他の男二名は、夜の見張の合間に摘み食いをする為に、食堂に足を運ぶ事がある。

 灯りの点いた食堂に入ると、エアリスの予想通り、其処には仲間達が揃っていた。
見張役だったシドは、急ぐようにカップケーキを平らげている。
食べ終わったら、また直ぐに見張に戻るのだろう。

 あたしの、俺の、と少し大きく膨らんだカップケーキを、ユフィとソラが奪い合っている。
そんな二人のとばっちりを受けないように、少し離れた位置に席を取り、コーヒーを傾けているのはクラウドだ。
ティファは明日の朝食の仕込みだろう、キッチンで火にかけた鍋の具合を見ている。

 エアリスが入って来た事に気付いたのは、クラウドだ。


「一服か、エアリス」


 廃船で女性を見付け、船に移して治療を始めて以来、エアリスは彼女の看病の為に最低限の休息しか取っていない。
時折、ティファと交代する事はあるものの、医者役を担っていると言う自負からか、やはり気になって仕方がないらしく、のんびりと休むと言うのは些か抵抗があった。
が、休まない訳にも行かないので、辺りに危険がない時に、少しだけ部屋を開けて仲間達との団欒に加わる。

 飲むか、とサーバーのコーヒーを差し出すクラウドに、エアリスは控えめに首を横に振って断り、


「ソラ。あの人、目が覚めたよ」
「────ホント?!」


 ユフィとのカップケーキの奪い合いに必死になっていたソラだが、エアリスの言葉にぐるっと振り返った。
瞬間、抵抗する力が消えたユフィは、今の内とカップケーキを口に放る。
ソラはカップケーキを咀嚼するユフィに気付かず、エアリスの下に駆け寄った。


「起きたの?いつ?」
「ついさっき。少しお話したよ。でも、今はもう眠ってる」
「えーっ。起きたら呼んでって言ったじゃん」
「我儘を言うなよ、ソラ。十日近く意識不明で、ようやく目を覚ましたんだ。そう長く起きていられるものじゃないし、煩くするのも良くない」


 拗ねた顔をするソラに、クラウドが戒めるように言った。
むぅ、とソラが唇を尖らせる。


「別に煩くしないよ」
「どうだか。とにかく、しばらくは諦めろ。彼女を看ているエアリスの許可が出るまではな」


 クラウドの言葉に、ソラはリスのように両頬を膨らませ、エアリスを上目遣いに見る。
ねだっている時の表情だったが、エアリスはにっこりと笑顔を返した。
無言の「だめ」の返答に、ソラはがっくりと肩を落とす。
ついでに、取り合っていたカップケーキをユフィに奪われた事にも気付き、ソラは脱力したように椅子に座った。

 ティファが取って置いてくれたカップケーキを受け取って、エアリスはソラの隣に腰を下ろす。
入れ替わりに、夜食を終えたシドが席を立った。


「あの嬢ちゃんが起きたんなら、旗は下ろした方が良いか?」
「旗を下ろしても、朝になったら帆を広げるだろう。意味がないんじゃないか?」


 シドが言う“旗”とは、海賊旗の事だ。
一味の顔、シンボルとも言える海賊旗は、一行に取って他の海賊との衝突回避の為に掲げられている。
逆に喧嘩を売って来る者もいるし、海軍に目を付けられる事も少なくはないが、一定の効果は得られている。
だが、一般人にとって海賊とは、往々にしてならず者の集まりである。
自分が保護されたのが海賊船だと知ったら、廃船で起きたであろう出来事もあり、不安にさせるのは間違いない。

 だからシドは海賊旗を一時下ろす事を提案したのだが、夜間停泊の為に絞っているメインセイルにも、海賊の髑髏マークが入っている。
此方は、朝に錨を上げれば広げるので、結局はこの船が海賊船である事を知られてしまう。

 朝食の仕込みを終えたティファが、温めたミルクを入れたマグカップをソラの前に置く。
ちびちびとそれを飲み始めたソラの頭を撫でながら、ティファはうーん、と唸り、


「どの道、しばらくはエアリスの部屋から出られないんでしょ?旗やマストの事は、まだ大丈夫じゃない?」
「うん。ずっと横になってたし、リハビリも直ぐには始められないから、甲板に出るのも難しいと思う」


 エアリスの部屋には窓があるが、見えるのは海の方向だけで、乗り出してようやくトップとフォアが見える程度だ。
メインマストとセイルに掲げられた海賊の証は確認できないだろう。

 海賊旗については今しばらく放って置いて良いと言う結論になり、シドが部屋を出て行ってから、話は次へと移る。


「名前なんかは聞けたの?」
「ううん。体の具合を確認して、お水を飲んだだけ」
「そうか。まあ、仕方がないか。寝起きだしな」
「ね、エアリス」


 ユフィの問いにエアリスが応え、クラウドが呟いた後で、ティファがエアリスに耳打ちする。
何、とエアリスが視線だけで答えると、ティファは小さな声で訊ねた。


「あっちは、大丈夫だったの?」


 ぼやかした訊き方だが、エアリスは直ぐに意図を察した。
エアリスが懸念していた通り、あの女性が海賊に襲われた際、性的暴行を受けていないかと言う確認だ。

 エアリスは笑みを浮かべて頷き、


「大丈夫だったみたい。隠して我慢してる様子もなかったし」
「そう。良かった」


 最初に彼女の手当をした時、一通り確かめた事は伝えてあったが、やはり本人の口とその様子から確認するのが一番確かだ。
ティファはようやく、ほっと安堵に胸を撫で下ろした。
ティファがクラウドに目配せして微笑むと、彼はそれをちらとだけ確認して、直ぐに興味のない様子でコーヒーを傾けた。

 エアリスはカップケーキを平らげると、程好い甘味で満たされた腹を軽く撫でて、そうだ、と呟く。


「ねえ、クラウド、エアリス。私、あの人、見覚えがある気がするんだけど、二人は知らない?」


 エアリスの質問に、クラウドとティファは顔を見合わせた。
二人の間に挟まれたソラは、きょとんとした顔で二人を交互に見る。

 クラウドは腕を組み、ティファは顎に手を当て、唸る。


「うーん……私も、最初にあの人を見た時、なんだか見た事がある気がしたんだけど…」
「同じく。此処しばらく、気になってはいるんだが……」
「何?クラウド達の知ってる人?」


 ユフィが三人の輪に混ぜてとばかりに加わって来た。
拗ねた顔でマグカップを傾けていたソラも、顔を上げて三人を見る。


「知ってると言うか、見た事があるって言う位だな、多分」
「ふーん。で、何処で見たの?」
「それが思い出せなくて。他人の空似かも知れないし」


 ディスティニーアイランド号の乗組員の内、クラウド、ティファ、エアリスは同郷であった。
更にクラウドとティファは幼馴染であり、気心の知れた仲だ。
彼等が嘗て育った故郷は、自然災害の不幸により地図から姿を消している。
その後、三人は紆余曲折の末にシドの下に身を寄せ、ディスティニーアイランド号に乗る事となる。

 乗船後は、波の行くまま気の向くままとの生活で、様々な場所を訪れた。
出会いと別れを繰り返す日々の中で、一度きりの出会いが印象に残った人もいる。
その中に、あの女性の姿があっただろうか、それとも故郷がまだ失われる前の───と考えてみる三人だが、一向に答えは出ない。


「思い込みかも知れないわね」
「そうかもね。名前とか聞いたら思い出すかも知れないけど」
「それこそ、本人がもう一度目を覚ましてからだな」


 判然としない事をいつまでも話し合っていても、出口は見つからない。
クラウドは考える事を放棄して、この話題は終わりだと言外に告げた。
ティファとエアリスも同じ結論に至っており、クラウドに反発する事なく、記憶に関する疑問は一時封印される事が決まる。

 ソラが空になったマグカップをテーブルに置いた所で、ユフィがにやにやとしながらソラを見る。
悪戯心を隠しもしないユフィの表情に、何やら落ち着かないものを感じて、ソラは顔を顰めた。


「なんだよ?」
「いや〜。あの人、ソラが見付けたからソラの運命の人ーって感じかと思ってたけど、今の話聞いたら、ちょっと違うっぽいなーと思って」
「運命って……いつまでそれ言う気なんだよ。そんなのじゃないって」
「でも気になるんでしょー」
「見付けたのは俺だもん。気にならない訳ないじゃん」
「それそれ。見付けたのはソラなんだよね。あの船を調べに行こうって言ったのもソラ。絶対に良いものが見付かる!ってゴネてさ」
「ゴネてない!」
「ゴネてたじゃん」
「止めろ、二人とも。夜だぞ」


 声を大きくして言い合う年下二人に、クラウドがぴしゃりと言った。
海の真ん中に浮かぶ船の上で、誰に迷惑をかける事もないが、モラルとしてこうした意識は忘れないように努めている。
ソラとユフィはむーっと顔を剥れさせたが、ティファに「最後ね」とカップケーキを一つずつ貰うと、ころりと機嫌を直した。

 クラウドはコーヒーカップをシンクに運ぶと、じゃあ、と言って外に出て行く。
続いてソラも早々とカップケーキを平らげ、欠伸をしながら部屋を出た。
ユフィは自分とソラのケーキ皿をシンクに運んで、片付けをしているティファに「代わるよ」と言った。
ティファは笑顔で頷き、シンクをユフィに預け、テーブルに移動する。
さっきまでクラウドが座っていた場所に腰を下ろして、ぐっと背筋を伸ばして、エアリスを見、


「あの人、目が覚めて良かったね」
「うん」
「食事は出来そうかな。出来るんなら作るけど、消化の良いものが良いよね」
「うん。お願いできる?」
「勿論。明日の朝、お粥作って置くから、あの人が起きたら教えて。持って行くから」
「あたしが持ってくー!」


 シンクの片付けを終えたユフィが、はいはいと手を上げた。
突然の申し出に目を丸くしたエアリスとティファであったが、くすりと笑って頷く。


「良いよ。でも、あんまり大騒ぎしちゃ駄目だよ」
「はーい。じゃ、あたしも寝るね。おやすみー」


 ひらひらと手を振って、ユフィは部屋を出て行った。

 二人残されたエアリスとティファは、互いの顔を見合わせて、小さく笑む。
此処しばらく、眠る女性を慮って、船の中は少々静かだった。
しかし、彼女の目が覚めたとなれば、備えるものも色々とあるし、また賑やかな日常が戻って来る。
その為にも、明日は先ず、エアリスは医療道具の、ティファは食糧の在庫の確認から始まる事だろう。





レオンが言葉遣い諸々を正している為、偽物感しかありませんが、段々崩れて行く予定です。

船の規模としては、某海賊漫画の初代の船に近いですが、サイズ的にはもう少し大き目をイメージしています。が、所詮はイメージですので、実際に存在したと言う船の詳細とは比べないで下さい(←)。
エアリスだけ個室を持っているのは、病人や怪我人の隔離と看護の為。病人がいる時、ティファやシドと看護を交代する時は、女部屋で寝ます。たまにユフィが泊まりに来る。
キッチンはティファの担当。朝昼晩と作るので、一日の殆どを此処でキッチンで過ごします。
夜間の見張り仕事は基本は男陣の役目ですが、人数の都合上、ユフィも担います。日中であればエアリスもやります。