空と海の境界線上 【遭逢編】


 女性がもう一度目を覚ましたのは、最初に目を覚ました翌日の昼のことだった。
彼女は目覚めて少しの間、自分のいる場所に戸惑ったようだったが、エアリスの貌を見ると直ぐに落ち付いた。


「おはよう。気分はどう?」
「昨日よりは、大分、楽になりました」


 まだ顔色が良いとは言えないが、深い蒼の瞳には、しっかりとした光が宿っている。
エアリスは彼女の容体をゆっくりと確認した後、良かった、と微笑んだ。

 エアリスがゆっくりと女性の体を起こし、クッションを背凭れにして座らせる。


「お腹はどう?空いてる?」
「……よく、判りません」
「取り敢えず、お粥があるの。少しだけ、試してみよう?」
「…はい」


 回復には体力を養う事が先決で、その為には食事は大事なエネルギー源である。
とは言え、十日近くの絶食状態から、急な摂取は反って逆効果だ。
今日は何処まで食べられるか、そもそも飲食が可能かと言う確認だけでも済ませて置くことになった。

 エアリスが船内通信でキッチンにいるであろうティファに連絡すると、程無く、ユフィがトレイに乗せた粥と、普通の食事を乗せたトレイを運んで来た。
ユフィはいつもの元気ぶりは抑え、控えめの音でノックし、エアリスの許可を貰ってからドアを開ける。


「ご飯持って来たよー。お昼も近いから、ついでにエアリスのも持って来ちゃった」
「ありがとう。私の分は、テーブルに置いておいて」
「はいはーい。おっ、ホントに起きてるー」
「……どうも……」


 トレイをエアリスに渡して、ユフィはベッドに置き上がっている女性を見て言った。
溌剌と興味津々な円らな瞳にか、抑え気味とは言えユフィのテンションの高さにか、女性は少し委縮したように肩を縮こまらせて、ぺこりと頭を下げる。

 ユフィはそわそわとした様子で女性を見ていたが、エアリスににっこりと微笑まれると、「判ってるよー」と言って部屋を後にした。
ソラを揶揄っていた事を抜きにしても、色々と興味が尽きないのだろうが、今は女性の回復を優先するべきだと言うことは判っている。
またね、と言って部屋を出て行ったユフィを、女性はぽかんとした表情で見送った後、エアリスに差し出されたトレイを見る。


「どうかな。食べれそう?」


 粥の入った土鍋の蓋を開けると、ほこほこと温かな湯気が上る。
ふやかされた米は、殆ど形を残してはいなかった。
長い絶食状態からの初めての食事なら、流動食から試してみるのが妥当だろう。

 体が動かない彼女に代わり、エアリスはレンゲで少し粥を掬い、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから、女性の口元に運ぶ。
女性は少しの間躊躇っていたようだったが、やがてゆっくりと口を開き、約十日振りの食べ物を口に入れた。


「ん……」


 舐める程度の量ではあったが、女性はとろみを口の中で滑らせて、意識して喉を動かす。
こく、と少しだけ飲み込むと、暖かい熱が食道を通って行くのが判った。

 ゆっくりね、と促すエアリスに従い、女性はもどかしい程のゆっくりとした速度で、食事を進めて行く。
粥には殆ど味はなく、塩味も僅かなものだった。
完全にふやけた米は、食べると言うよりも飲み物で、粒の大きさも殆ど感じられない。
それでも、胃に入れれば溜まるものである。


「ん、う……」


 少なめに作ってあった粥は、幾らも減らなかった。
それでも、食事をした事は確かである。
女性が少し眉根を寄せた所で、エアリスはレンゲを運ぶのを止めた。


「休憩しようか。お水はいる?」
「一口だけ…」


 エアリスは水差しにボトルの水を移し、女性の口元へ運ぶ。
薄く開いた唇の隙間に、水差しの端を触れさせて、少しずつ傾けた。


「……は……ありがとうございます」
「どう致しまして。ちょっと休んだら、着替え、しようね」
「すみません。何から何まで……」


 申し訳なさそうに頭を下げる女性に、エアリスは小さく首を横に振る。


「私は船医、医者だよ。陸にいる人みたいに、免許とかがある訳じゃないけど……でも、この船では私はそういう役目。病人や怪我人を見るのは、私の仕事。だから、気にしないで」
「……はい」


 女性の口元に微かに安堵の笑みが浮かぶのを確かめて、エアリスも笑った。

 女性が食後の休息を取っている間に、エアリスは遅い昼食を始める。
ティファが作ってくれた貝のスープは、少し冷めてはいたものの、相変わらず美味しい。
パンは数日に一度、ティファが手ずから焼いている。
サラダも葉物だけではなく、パプリカ等の彩も添えて、年下組が飽きないように工夫を凝らされていた。
スープくらいなら彼女も食べれるかな、とベッドに座っている女性を見遣るが、彼女はクッションに背を凭れたまま、目を閉じていた。
眠っている訳ではないようだが、久しぶりの食事で疲れたのだろう。
やはり、彼女に味のついた食事を与えるのは、もう少し後になりそうだ。

 女性の休息時間と言う手前もあり、エアリスはゆっくりと昼食を食べた。
空になった食器を、残っている粥の入った土鍋と同じトレイにまとめ、船内通信でユフィに食器を取って来て貰うように、ついでに蒸しタオルを持って来て欲しいと頼んでおく。
程無くやってきた彼女は、相変わらず女性の様子を気にしつつ、いそいそとトレイを持って部屋を出て行った。
その間際、ユフィは「ソラが来たがってるよ」とエアリスに耳打ちしたが、エアリスは眉尻を下げて微笑むのみ。
その意図を察して、ユフィは部屋の外に隠れるように丸まっていたソラを捕まえ、甲板へと連れて行った。

 エアリスはタンスから数着の服を取り出し、楽に着られるものを選ぶ。
夜着用に着ているワンピースをチェストの上に置き、ユフィに持って来て貰った蒸しタオルの山を持ってベッドに戻った。


「着替え、しよっか。それと、お風呂の代わりに、これで体を拭くね。熱かったり、痛い所があったら、遠慮せずに言って」
「はい」


 エアリスは女性に着せていたワンピースの前を開き、肩をずらして上半身を脱がせた。
幸い、今日の気温は温かい。
短い時間ならば、裸身でいても辛くはないだろう。
ビニール袋の中で保温させていた蒸しタオルを一枚取り出し、手肌で温度を確認し、少し冷ましてから、女性の背中にそっと当てる。


「熱い?」
「いえ。気持ちが良いです」
「良かった」


 タオルのみとは言え、久方ぶりの温かな感触だ。
白い女性の肌が、ほんのりと桜色に色付いて行く。


「体が動くようになったら、お風呂に入って良いよ」
「お風呂があるんですか?その…此処、海の上で、船ですよね?」
「うん。私達、一年の殆どを海の上で過ごすから、この船は家みたいなものでね。そう言う生活に必要な物は、全部備えてあるの。客船みたいに大きなものじゃないけど、一人で入るなら十分だよ」
「そうなんですか……」


 驚いたように呟いて、女性はきょろきょろと辺りを見回す。
窓の向こうは相変わらず果てのない海と空が映し出されており、波の音も近く、地面が安定せずに絶えず揺れているのも判るから、海の上で船の中だと言うのは間違いない。
しかし、部屋の中に備えられているタンスやチェスト、本棚等、簡素ではあるが女性らしい鏡面台など、家具や生活雑貨はとても充実している。

 エアリスは新しい蒸しタオルを取り出し、熱を程好く下げて、女性の前に差し出した。


「前の方、自分で拭ける?腕、動くかな」
「やって見ます」
「無理しないで、辛かったら言ってね」


 女性の腕がゆっくりと持ち上がり、エアリスの手から蒸しタオルを受け取る。
両手で蒸しタオルを持って、そっと顔に宛がう。
温かい熱と水分を含んだタオルの感触に、女性は顔を埋めたまま、深く長い息を吐いた。
顔を上げた時には、青白かった彼女の頬には血色が戻り、僅かではあるが火照ったように赤らんでいる。

 女性がゆっくりと自身の胸と腹、腕を拭いた後、エアリスが代わって脇腹や肩を拭く。
そのまま、腰まで下ろしたワンピースを脱がせ、下肢をマッサージしながら拭いて行った。


「ちょっとはすっきりしたかな」
「とても気持ち良かったです」
「良かった。じゃあ、着替える服はこれね」


 これ、と言ってエアリスが見せた服に、女性の貌が一瞬引き攣る。
あれ?とエアリスが首を傾げ、


「こう言うの、嫌い?」
「えっ……い、いえ。すみません、大丈夫です」
「嫌なら、他のも探すよ」
「お、お構いなく」


 女性は慌てて表情を繕った。
エアリスは自分の夜着を見下ろして、苦手なのかな、と思った。
仲間の中でも、ユフィは余り女性らしい格好をしない───彼女は専らパンツスタイルだ。スカートは落ち付かない気分になるらしい───し、この女性も同じようなものなのかも知れない。
見付けた時にはドレススカートだったが、止む無く着せられたものだったとか、他に選びようがなかったとか、考えられる理由は幾らでもある。

 ティファに別の服を借りようかと思ったエアリスだったが、結局、女性に我慢して貰う事にした。
前開きのワンピースは、看護するエアリスにとって、色々と手間が省かれるのだ。


「ごめんね、しばらくはこれで我慢してて」
「大丈夫です。すみません……」


 頭から来たワンピースの形を整えて行き、最後に前開きのボタンを合わせようとする。
────が、


「……閉まらないね」


 女性の豊かに膨らんだ胸が、ワンピースを大きく持ち上げている。
布が張って真横にシワが浮かんでいる所為か、女性の胸元は随分と窮屈そうに見えた。
エアリスもそれなりに胸があるので、持っている服もそのサイズに合わせて購入したものや、手縫いで直したものばかりだ。
それでも苦しいとなると、ティファと同じ位にあるかも知れない、とエアリスは分析する。

 そんなエアリスの傍らで、女性は顔を真っ赤にして、酷く居た堪れない表情を浮かべていた。
「すみません…」と詫びる彼女に、エアリスは気にしなくて良いと言い、ワンピースの前ボタンの上二つを開けたままにした。


「こっちの服を洗うから、乾くまではそれで我慢してね」
「はい……」
「あと、仲間の女の子に頼んで、他にも服を探して貰うよ。着れそうなのがあったら、持って来て貰うから」
「はい。すみません」


 女性は窮屈さの残る胸を庇いながら、ゆっくりとベッドに横になる。
途中でエアリスが彼女の体を支え、無理のないように横たわらせた。

 女性はベッドに体を沈め、ほうっと息を吐く。
食事と着替えの為とは言え、まだまだ起きているには体力が足りないのだろう。
エアリスはそんな女性を見下ろして、うーん、と考える。


「あのね。色々、聞きたい事とか、確かめたい事、あるんだけど。疲れてるなら、また休んでからにするよ。どうかな?」
「……そう…ですね。少し休ませて貰えますか?」
「うん。あ、胸、苦しかったら、下のボタンも外すよ」
「大丈夫です。ありがとうございます」


 エアリスは女性の表情が無理をしていない事を確かめて、毛布を彼女の体にかけてやる。
着替えと沐浴のお陰か、女性の貌は幾らかすっきりしているように見えた。




 女性が目を覚ましたのは、エアリスが夕食を終えてからだった。
ティファに頼んで彼女の食事を運んで貰い、昼と同じくゆっくりと食べた後、改めて向かい合う。


「お昼の後に言った、聞きたい事とか、良いかな」
「はい。すみません、長く待たせてしまって」
「良いのよ。きっと大変な目に遭ったんでしょ?先ずは休む事が大事だもの」


 エアリスの隣に並んだティファの言葉に、女性は「ありがとうございます」と言った。


「じゃあ、改めて名前からだね。私はエアリス、こっちはティファ」
「お昼にご飯を運んで来たのはユフィ。他にもいるけど、そっちはまた後で紹介するね」
「はい。私の名前は、レオンと言います」


 女性───レオンの名前を、エアリスとティファは頭の中で繰り返す。
彼女を見た時から感じていた、記憶の震えをもう一度呼び起こそうとしているのだ。
しかし、何度か試してみたものの、琴線が反応する様子はない。
思い違いだろうか、と二人で目を合わせたが、一先ずこの疑問は置いて、次の質問を訊ねる。


「何処の国の人?家族とか、何処かに待っている人がいるのなら、近くの港まで送るよ」


 ティファの言葉に、レオンは眉尻を下げ、寂しげな笑みを浮かべた。


「私の故郷は、もうないんです。戦に巻き込まれてしまったので……」
「あ……ごめんなさい」


 辛い事を言わせた、聞いてしまったと、ティファは慌てて謝罪した。
レオンは大丈夫、と首を横に振り、


「構いません。ですから、適当な場所で下ろして頂ければ十分です。こうして命を助けて頂いただけでも、本当に有難い事ですから」
「そう言われても……客船に乗っていたって事は、何処かに行こうとしていたんでしょ?宛てがあったんじゃないの?」
「一応は。でも、これ以上ご面倒をかける訳には行きませんし」
「そんなの気にしなくて良いよ。宛てがあるのなら、その近くまで乗せて行ってあげる。うちの船長も、きっと放って置かないし」
「でも……」
「ふふ。諦めた方が良いよ。うちの船の人、そう言う人達ばかりだから」


 そう言って笑うエアリスも、ティファ同様、この女性を放って置く気はない。
体力が回復するまでは勿論、その後の事も、放り出す事は出来なかった。
それはレオンに見覚えがあるからと言うのもあるし、同じ女性として、海の只中に放り出された彼女を無視できないと言うのもある。
何れにせよ、この船のクルー達は、彼女の経緯が如何であれ、放り出す事は出来ないだろう。

 レオンは困惑した表情で、エアリスとティファを交互に見ていた。
エアリスはにっこりと、ティファは腰に手を当てて自信に満ちた表情で、放って置く事は出来ない、と言い切る。
レオンは眉尻を下げて二人を見上げていたが、思案するように一度目を閉じた後、


「───では、バラム島まで乗せて頂いても宜しいですか?」
「バラム島ね。了解、船長に伝えて進路を変えるわ」
「ありがとうございます」
「此処からだと結構かかるから、途中であちこち寄るけど、大丈夫?急ぐなら出来るだけ早めるよ」
「いいえ。急ぐ事もありませんし、乗せて頂いているのですから、其処まで我儘は言えません」
「遠慮しないで良いよ。って言っても、無理かな」


 この船での生活は、いつでもその日暮らしである。
特に目的があって船を走らせている訳でもなく、宝の情報を仕入れても途中で進路転換する事は珍しくないし、一味丸ごと風来坊をやっているようなものだ。
だから、女性が急いでバラム島へ向かいたいのであれば、寄港日数を減らして調整する事も可能だ。
しかし、命の恩人が相手とあってか、元々そう言う性格でもあるのだろう、レオンから遠慮を取るのは今は無理そうだ。
これについては、追々、親交を深める中で距離を近付けることが出来れば良いだろう。

 ティファが船員達と今後の進路について話し合って来る、と言って、空になった食器を持って部屋を出て、再び室内はエアリスとレオンの二人になる。
エアリスはベッドに座るレオンの顔を覗き込み、


「良い子でしょ?ティファ」
「あ……はい。優しくて、良い人ですね」
「ふふっ」


 レオンの言葉に、エアリスは笑顔で頷く。


「この船のご飯は、ティファが作ってくれてるの」
「では、粥を作ってくれたのも彼女なんですね。後でちゃんとお礼を言わないと」
「そう言うのは、全部回復してからにしよう。キリがなさそうだもん」
「はい」


 今に至るまでにも、レオンは何度も感謝と詫びを口にしている。
このままだと、口癖にもなってしまいそうだ。


「この船、ちょっと特殊だから、時々騒がしくもなると思うけど、バラム島まではきちんと送るよ。何かあっても皆で貴方を守るから、安心してね」
「…はい」


 ありがとうございます、と言おうとして、レオンは口を噤んだ。
笑ってエアリスを見ると、意図を汲み取ったエアリスも笑う。


「横になる?」
「いえ、まだ大丈夫です」
「じゃあ、そのまま続けるね」


 聞きたい事はまだあるのだと言外に告げるエアリスに、レオンは頷いた。
が、同じ体勢で居続けるのは流石に辛いのだろう、レオンは不自由な体をもぞももぞと身動ぎさせる。
エアリスはレオンの体をマッサージしながら、話を続けた。


「昨日、少し訊いたし、余り思い出したくない事だとは思うんだけど、念の為に確認させてね。レオンが乗っていた船は、客船か何かだったんだよね?」
「はい。トレノからジュノンに向かう大型客船でした」
「トレノから……ジュノンだと、バラムとは反対方向だよね。バラム島行きの船は、直通便があったと思うけど…」
「……色々あったので。長居も出来なくて、とにかく早く船に乗らなければならなかったんです。それで、直ぐに取れるチケットが、それしかなくて」


 “色々”と言うレオンの弁明に、エアリスは引っ掛かりを覚えたが、この場で追及するのは止めた。
レオンが自分達に対して遠慮をするのは勿論、警戒も解き切れないのは当然だからだ。
彼女にしてみれば、命の恩人と言えど、相手の素性が判らないだけに、迂闊な事は言えない。
───そう考える程度には、彼女の頭の回転が速い事、よんどころの無い事情を抱えている事を、エアリスも察していた。


「船に乗った日とか、海賊に襲われた日がいつだったか、覚えてる?」
「はっきりとは……でも、トレノで月末月始の朝市が開かれていたのは覚えています。後は、殆ど船室に篭っていたもので…」


 エアリスは、トレノ〜ジュノン間の凡その旅日数と、廃船の位置を思い出す。
船は明らかに航路から外れた位置にあり、操舵の術を失ってから、海流に流されたのは間違いない。
次いで、月頭から廃船の発見に至るまでの、自分達の航路の天気を思い出してみる。
シドが書き留めている日誌なら、細かく残してあるだろうが、今は取りに行く時間が惜しいので、思い出せる限りの所まで遡った。
月頭から一度嵐に遭っている以外は、比較的緩やかな天気であった筈。
ディスティニーアイランド号が遭遇した嵐は、彼女が乗っていた廃船を掠めた可能性があるだろう。


「うーん……多分、貴方の乗った船が海賊に襲われたのは、船がトレノを出てから一週間から十日。それから、私達が見付けるまでに、三日か四日はかかってるかな」
「……そうですか……」
「貴方の栄養状態はもっと悪かったよ。いつからご飯を食べてなかったの?」
「……あまり、覚えていません」


 船医役と言うエアリスの言葉に、レオンは些か言い難そうに答えた。
エアリスは眉尻を下げて溜息を漏らし、所々跳ねている濃茶色の髪をそっと撫でる。


「きっと大変だったんだね。ご飯も満足に食べられないくらい」
「……」
「貴方の事情については、これ以上は聞かないよ。貴方もきっと話したくないだろうし」
「…すみません」


 詫びるレオンに、エアリスは微笑んだ。
言いたくない事があるのは誰にとっても同じ事で、それはこの船に乗っている仲間達も同じだ。
エアリス、ティファ、クラウドの三人は同郷で、気も置かない仲ではあるが、三人三様に胸の内に秘めている事があるのも確か。
シドがどうしてディスティニーアイランド号に乗って身寄りのない若者を育てているのかも、ユフィがある筈の故郷に帰らない理由も、ソラがディスティニーアイランド号から降りたがらない理由も、誰も深くは聞かなかった。
だから、身の上話をしたくないと言うレオンに、エアリスが可惜に踏み込む事はない。

 エアリスは、レオンの少しこけている頬を撫で、其処にかかる長い横髪を優しく梳いた。
あちこち傷んでいる髪の感触に、お風呂に入れるようになったら先ずはシャンプー、と決める。


「この船にいる間は、ご飯はきちんと食べてね。勿論、無理をしない範囲でね。ティファもそれは判ってるから、元気になるまでは残しても大丈夫」
「はい」
「嫌いなものとか、アレルギーのある食べ物ってあるかな」
「いえ、特にありません」
「そっか。じゃあ、後は追々、ね。味が舌に合わないって言うのもどうしても出てくるだろうから、その時は言ってね」
「はい」
「そうだ、船酔いは大丈夫?今まではずっと寝てたけど、これからは起きてリハビリとかもしなくちゃいけないし。辛いようなら、酔い止めの薬もあるよ。うちの船のクルー、乗り物酔いが酷いのが二人もいるから、一杯用意してあるの。遠慮しないでね」
「はい。船酔いは、今まで船に乗った事がなかったので、ちょっと判らないんですが……気分が悪くなったら、お願いします」


 ぺこりと頭を下げるレオンに、エアリスは頷いた。

 これで今現在の訊くべき事は訊いたと、エアリスはレオンをベッドに横たえた。
外の空気をよく吸えるように、窓のある方向へとレオンの体の向きを変える。
レオンの体は、まだ寝返りも出来ない。
今しばらくは、エアリスの付きっきりの看護が必要となった。