空と海の境界線上 錯交編


 海の生活に苦はないと言えど、やはり陸には陸の良さがあり、長い航海の中で海に飽きた頃に到着する港街には、一つ感慨も沸こうと言うものであった。
特に年若いソラとユフィは、海にはないものを港で探すのが楽しくて、寄港すると真っ先に船を降りて行く。
他の四人はと言うと、シドとクラウドは船の状態を点検し、ドックに預ける必要があるなら、その場所を探して来る必要がある。
ティファは食糧事情を、エアリスは薬や包帯等の在庫を確認した後、シドとクラウドを交えて、港に停泊する日数を決めてから、船を降りて行く。
シドとクラウドは船番の順を決め、最初の日は、二人の内どちらかが勤める事が多かった。

 一番に船を降りるソラとユフィであるが、そんな彼等を長兄役のクラウドが諌めていたのは、二人がそれぞれ船に乗った初めの頃だけだった。
言っても聞かないので諦めた、と言う事もありつつ、宿を取ると言う仕事を担うようになったのだ。
港と停泊日数によって違う予算の中で、快適に過ごせる宿を探すと言うのは、年少組二人の中でゲーム感覚になっているらしい。
二人でそれぞれの店に目星をつけて、後で大人組に決めて貰い、負けた方が勝った方に夕飯のデザートを譲ると言うルールで成り立っている。
何でも楽しむ年少組に、大人組は呆れたり和んだり、時にトラブルを抱えて逃げ帰って来る時には叱ったりと、案外と大人組も二人のゲームの様相を楽しんでいた。

 しかし、今日は一向にゲームが開催される様子がない。
港で真っ先に船を降りる筈の二人が、片割れしか下りていないからだ。
重い脚で甲板に出たソラは、今日は始まる前から不戦敗を自ら口にし、宿決めはユフィに一任した。
それからのソラは、船尾楼下の船室で、テーブルに片頬を押し付けてだらだらと過ごしている。


「ソラ。お前、まだ船から降りないのか」


 クラウドの声に、ソラはのろのろと瞼を開けた。
テーブルに突っ伏したまま、顔の半分を潰しているソラの表情に、クラウドはやれやれ、と溜息を吐く。


「お前が其処から動かないなら、今日の船番はお前にするが、それで良いか?」
「……うん」


 返事も覇気がないソラに、クラウドは何を言っても無駄だと判断して、船室を出る───が、彼は直ぐに戻って来た。


「ソラ。レオンが出て来たぞ」
「!」


 聞こえた名前に、がばっと跳ね起きるソラ。
「どこ?!」と扉を塞ぐクラウドを押し除けようとするソラに、判り易い奴だとクラウドは場所を譲った。

 甲板に出たソラの目に、メインマスト越しのレオンの姿が映る。
レオンは俯き加減でエアリスと話をしており、ソラからは横顔が僅かに見える程度で、目元は長い前髪に隠れ、表情を伺う事は出来なかった。
だが、彼女の醸し出す空気が、ソラが初めて彼女と逢った時とは明らかに違う事は判る。
緩くスカートの端を握る手は、緊張を滲ませており、数日前のように柔らかく微笑んでくれた彼女は何処にもいない。

 ソラはその場に立ち尽くしたまま、レオンとエアリスの声を聞いていた。


「港はそんなに大きくはないけど、街自体は大きいし、治安は良い方だから、買い物には丁度良いよ。船を降りたら、先ず宿屋に行こう。今日は疲れてるだろうから、レオンの服は、明日買いに行こうね」
「…はい。すみません、何から何まで…」
「気にしないで。それと、宿屋は街の方に取るから、他にも色々見て回れると思うよ。気になる物があったら、遠慮なく言ってね」
「はい」


 レオンの所作は相変わらず丁寧であったが、ぎこちなくもあった。
顔を見たら声をかけよう、と思っていたソラだったが、彼女の様子に二の足が出ない。

 のろのろとソラが船室へと戻って行く間に、レオンはエアリスとティファに連れられて、船を降りて行った。
港からユフィの呼ぶ声が聞こえるので、恐らく宿が決まったのだろう。
元気の良い声を聞きながら、クラウドは船室の同じ位置で同じ姿勢に戻ったソラを見る。


「良いのか。声をかけなくて」
「……なんか、そんな雰囲気じゃない感じだったし……」
「……今を逃せば、次はないかも知れないぞ」
「え?」


 クラウドの言葉に、ソラは顔を上げた。
どう言う事、と目で問うソラに、クラウドは船窓から覗く港街に眼を向け、


「彼女の気持ちによっては、此処でお別れになるかも知れないって事だ」
「なんで?バラム島まで送るんだろ?」


 目を丸くしたソラに、クラウドは逆立った髪を掻きながら続ける。


「そのつもりだったが、俺達が海賊だって知られただろう。あの船足じゃあ、遅かれ早かれと言うものだったから、いつかは言わなければならない事だったが。エアリスが宥めて、この港までは乗せて来たが、海の上と違って、陸なら自分の足で何処にでも行ける。あいつがこの船にいる事を───この海賊船を危険だと判断したら、もう戻って来る事はないだろう」


 クラウドの言葉に、ソラは息を飲んだ。
同時に、それが普通の事なのだと悟る。
好き好んで海賊船に乗る一般人などいないし、現に彼女は海賊によって危険な目に遭っている。
何度もそんな思いをしてまで、また海賊船に乗ろうとは思うまい。
それよりも、此処は港街なのだから、目的地だと言うバラム島方面へと向かう連絡船を探した方が良いに決まっている。

 ガタッ、と椅子を立ったソラだったが、また直ぐに座ってしまった。
テーブルに顎を乗せ、うーうーと唸る最年少の乗組員に、クラウドはもう一度溜息を吐いた。


「何か話がしたいのなら、今の内だぞ。いつ彼女がいなくなるのか、俺達にも判らない。宿では一人部屋を取るから、俺達が知らない間に出て行くかも知れない」
「……うん……」
「それに────」


 其処まで言って、クラウドは口を噤んだ。
不自然さにソラが顔を上げると、クラウドは腕を組んで考える表情を浮かべている。
眉間に深い皺を寄せている長兄役に、ソラは首を傾げた。


「それに、何?」
「……いや。何でもない」
「なくないだろ。気になるじゃん」


 顔を顰めるソラに、クラウドは短く息を吐いた。
口を滑らせた自分を後悔しているようだったが、ソラは構わずに続きを促す。


「で、何?」
「……あいつの素性が俺の予想通りなら、尚の事、海賊船には乗らない筈だ」
「素性って?」


 誰も知らない筈のレオンの素性───エアリスやティファも、言いたくない事はあるだろうと、本人に深く訊いてはいなかった事だ。
ソラは彼女と限られた回数しか話をしていないので、尚の事、彼女の出自については判らない。
クラウドに至っては、初めて顔を合わせた以外で殆ど話をしている所を見ていないが、何処で彼女の素性を察したのだろうか。

 自分が知らない事を知っている───らしい───クラウドに、ソラの唇が尖る。
クラウドはそんなソラに気付いていないのか、気にしていないのか、窓の向こうを見ながら続けた。


「子供の頃の話だから、俺もはっきりとは覚えていないんだが……俺とティファの故郷が、土砂崩れでなくなったのは話した事があったな?」
「うん」
「あの後、生き残った村人は、一端国の中心部にあった城に避難した。そんなに大きな城じゃないが、生き残ったのもほんの数人だったからな、受け入れるのは苦じゃなかったようだ。その時、国王が見舞いに来て、彼女とよく似た子供が一緒にいた」
「え。じゃあ、レオンってお姫さ───」


 ソラの言葉を、クラウドがじろりと睨んで制した。
静かに、と釘を差すクラウドに、ソラは両手で口を覆う。
彼女が自分の出自について話してくれない以上、憶測だからと言って、彼女の身分を勘繰る言葉は避けるべきだ。

 ソラが黙ったのを確認した後、クラウドは眉間の皺を更に深くして、小さな声で零す。


「ただ、あの時、俺が見たのは、男だったと思うんだが……」
「じゃあ違うんじゃない?」
「………」


 黙って考え込んだクラウドに、ソラは小さく溜息を漏らす。

 レオンは、何処からどう見ても女性である。
身長は高く、クラウドやシドよりも高いが、たわわに実った胸元を見れば、彼女の性別は明らかだ。
彼女を廃船で見付けた後、診断の為にエアリスが衣服を全て脱がせているので、間違いない。

 クラウドは今年で21歳になっており、彼が故郷を失ったのは、今から15年ほど昔になると言う。
レオンが何歳なのかは判らないが、恐らくクラウド、ティファ、エアリスと同じ位だろう。
然程年齢が変わらない事を考えると、クラウドの言う”子供”がレオンだったとしたら、当時は6歳前後。
女児と男児の境界線はまだまだ曖昧な年頃で、服装が違えば性別を間違える事もあるだろう。


(でも、普通、お姫様に男の格好させるかなあ)


 国によってはそう言う習慣もないとは言えないが、ソラはクラウド達の故郷にそんな風習があるとは聞いていない。
クラウドが考え込んでいる所を見ても、彼の故郷にそうした習慣はないのだろう。

 しばらく考え込んでいたクラウドだったが、1分も考えると諦めに行き着いた。
クラウド自身、故郷にいたのは6歳までで、その1年後にはシドに引き取られている。
故郷への印象は、正直な事を言えば、酷く希薄にしか残っていない。
今はどれだけ考えても、これ以上の事は思い出せそうになかった。


「────とにかく、お前が彼女と話をするなら、これが最後のチャンスになるかも知れないぞって事だ。彼女の正体が何であれ、海賊船なんかに乗りたがるって言うのは、余程の事情や切羽詰っていなければ、先ず考えられ無い話だからな」
「うう……」
「…今日は此処から動く気がないようだから、お前に船番を任せるが、気が変わったら宿に来い。場所は此処だ」


 クラウドはキッチン台の隅に置かれていたメモ用紙を破いて、宿の住所を走り書きし、ソラの前に置いた。
じゃあな、と船室を出て行く彼に、ソラは返事をしなかった。




 ユフィが確保したと言う宿に着くと、レオンは一人部屋に案内された。
船旅で疲れているだろうからと、エアリス達の気遣いであったが、一人部屋を用意された理由はそれだけではあるまい。

 あの船が海賊船だと知ってから、レオンの心は一気に猜疑心に染まってしまった。
見付けてくれたと言うソラや、ずっと看病してくれていたエアリスの事も、単純な厚意で其処まで手を尽くしてくれたとは思えない。
噂に実しやかに聞くような、あの日客船を襲った海賊船のような、ならず者ばかりだと言う海賊とは違うようだが、それも演技ではないかと考えてしまう。

 エアリスとティファが、レオンの為に一人部屋を用意したのは、そんなレオンの心情を慮ってのものだ。
それを素直に受け止めれば良いものを、と自分で思いながら、レオンはどうしても裏を勘繰ってしまう。


(例えば───此処で眠った途端、ゴロツキのような奴等が襲ってくる、とか……)


 考え過ぎだと言われる様な話だが、レオンはそれを疑わなければならない立場の人間だった。
奪われ失った故郷から、遠く離れた地に辿り着いて尚、レオンは容易に他者を信じる事は出来ない。
自己防衛の為にも、今は第一に疑う事が必要だった。

 隣の部屋から、エアリス、ティファ、ユフィの話声が聞こえてくる。
板壁一枚で各部屋を仕切っている安宿なのだから無理もない。
上階からは薄らと足跡のようなものも聞こえるし、廊下からはドアの開閉音も聞こえる。
レオンが動けば、それは全て隣部屋に筒抜けだろう。
異変があれば直ぐに感じ取れる環境は、今のレオンにとって良い事なのか、悪い事なのか、判断が出来ない。

 考えていても仕方がない、と言う思考に行き着くまで、レオンは随分と時間がかかった。
溜息を一つ吐いて、到着して以来、座り続けていたベッドから腰を上げる。
海の上と違い、揺れない足元にひっそりと安堵感を覚えつつ、借り物のワンピースドレスの背中を開ける。


(風呂にでも入れば、もう少し落ち着く筈だ……)


 船には風呂も備えられており、レオンも世話になったが、回復後間もなかった事と、船上生活では水も石鹸も貴重である為、毎日入れる訳ではない。
女性クルーの為だろう、湯船も備えられていたが、それもいつも使える訳ではなかった。
偶になみなみと湯が張られていた事もあったが、レオン自身の遠慮もあって、のんびりと入った事はない。
体の強張りは、精神的な緊張は勿論、そうした環境から来る筋肉の膠着からも齎されているだろう。

 シャワーを浴びながら湯を溜めて、体を洗ってゆっくりと湯船に浸かろう、と思いながらドレスの上半身を脱いだ所で、扉がノックされた。
急いでドレスを着直し、開いた背中を後ろ手で押さえながら、扉越しに返事をする。


「はい」
「ティファだけど、今大丈夫?」
「はい。少し待って下さい」


 自分では手間取る背中のボタンをどうにか留めて、レオンは部屋の扉を開けた。


「ごめんね、何かしてた?」
「いえ」
「そっか。今から皆でご飯に行くけど、一緒に行かない?お腹空いてるでしょ?」


 ティファの言葉に、レオンの腹が空腹感を訴える。
そう言えば、此処数日は殆ど食事を採っていない、と思い出した。

 海賊船の件の後も、ティファは変わらずレオンの食事を用意してくれている。
しかし、レオンはどうしても、その食事に手を伸ばす気になれなかった。
回復しかけていた食欲や、胃袋の呻きに促され、幾らか腹には入れたものの、パンの欠片を齧った程度だ。
折角の厚意を、と言う意識はあったが、どうしても頭が疑いを先に考えてしまい、食べる気になれなかったのだ。

 ティファはその事を気にした様子もなく、笑顔でレオンに接している。
恐い事はないから、と何度も繰り返していたエアリスと同じように、彼女もレオンを気遣ってくれていた。
海賊が作ったものは食べられなくても、宿店のものなら、と。


(……俺は、酷いな……)


 其処まで気を遣ってくれているのに、どうしても信じる事が出来ない。
それでも、自覚した空腹は勝手に治まってはくれそうになくて、レオンは「行きます」と言った。それを見て、「良かった」と笑うティファに、消えない猜疑心の傍らで、じりじりと胸が痛む。

 外は海からの風で寒いから、と言うティファからポンチョを借りて、レオンは宿を出た。
他の船員達は既に集まっており、レオンが来た事を見ると、エアリスとユフィが嬉しそうに笑った。
行こう、と手を引くユフィは相変わらず無邪気で、手を握られた瞬間は肩が跳ねたレオンだったが、彼女の手を振り払う気にはなれなかった。
シドとクラウドは、レオンとユフィの前を歩き、エアリスとティファは後ろを歩いている。
挟まれているのは、きっと守ってくれているからなのだと、レオンは自分に言い聞かせて、出来るだけ緊張を表に出さないように努めた。
手を握ったユフィは、そんなレオンを気にしていないかのように、立ち並ぶ店々に目移りしてははしゃいでいる。


「レオンはさー、どう言う服が好きなの?」
「…服…ですか?」
「うん。ご飯食べたら、買い物して帰ろうって話してたんだ。疲れてるだろうから、直ぐ宿に帰っても良いんだけど、レオンも早く自分の服が欲しいでしょ?色々買うのは明日にして、取り敢えず、レオンがあたし達の事とか気にしないで着られるのが一着あった方が良いねーって思ってさ。そんな訳でさ、レオンはどんな服が好き?」


 気に入った奴を買おうよ、と言うユフィ。
そんなユフィに、レオンが小さく「ありがとう」と言うと、ユフィは照れ臭そうに頬を赤らめて笑った。

 レオンの私物は、何一つない。
あの海賊船に拾われる以前に、レオンは故郷を失った日から、着の身着のままで過ごしていた。
彷徨うように山を歩き、ふらふらになって辿り着いた港街で、落ちていた乗船チケットを使って客船に乗った。
銅貨の一枚も持っていなかったレオンであったが、そのお陰でどうにか故郷の大陸を離れた。
その後、客船は海賊船に襲撃され、襲い来る海賊達から逃げている内に、レオンは船倉で気を失う。
目覚めた時にはエアリスの部屋で、服は着せ替えられていた。
その後、意思の疎通がはっきりと可能になった所で、ボロボロだった衣服は、下着も含めて、全て棄てる運びとなった。

 着られるものがないので、海の上にいる間、レオンはずっとエアリスとティファの服を借りていた。
二人の気遣いは有難くも、不慣れな服であるとか、やはり借り物の服を汚したりと言う事を考えると、新しい服は出来るだけ早く欲しい。


「あ、あの服とかどう?レオンに似合いそう!」
「え……あ、いや、あの、あれは……」


 ユフィが指差した服を見て、レオンは判り易く顔を引き攣らせた。
貴族令嬢がパーティドレスとして着るような、エンパイアドレスがショーウィンドウに飾られている。
故郷での立場上、ああした服に馴染みがない訳ではなかったが、どうにも抵抗がある。
それはきっと、幼い頃に止む無く施された出来事が、二十歳を超えた今でも沁み付いているからだ。

 言い辛そうにもごもごと口籠るレオンに、ユフィは冗談だよと言った。


「やっぱり動き易いのが良いよねー。軽く走れる位のさ」
「そうですね…」
「ティファやあたしと同じ位が良い?」


 ユフィの言葉に、レオンは目の前の少女の服装を見た。
上半身はタンクトップで、その上に革製と葦で編んだプロテクトを着ている。
ボトムスはホットパンツとハイソックス、足下はブーツだった。
頭に前髪分けのバンダナと、首下には薄手のスカーフ。
両手は指出しグローブを嵌め、手首元から肩までは肌を露出させている。

 ティファはと言うと、ノースリーブのジャケットにハーフのカーゴパンツ、足下は編み上げブーツだ。
海の上にいた時は、他にも幾つかパターンがあり、スカートを履いている事もあった。
ユフィと同じく、動き易さを重視した服装を好むらしい。


「エアリスは、今レオンが着てるような奴が好きみたいだけど、動き易いってのとは違うし」


 ブティックを眺めながら呟くユフィに、確かに、とレオンは思う。

 船上生活でレオンが借りていた服の多くは、エアリスのものだ。
ワンピーススカートを主として、ゆったりとした服が多く、病床人であったレオンの体への負担も少なく、看病するエアリスとしても手間がかからなかった。
エアリスが普段着ているものも似たような形が多い。


(確かに、この服は締め付けも少ないから楽だが……動き回るには不便だし、何より…慣れないんだよな……)


 世話になっている身なので、我儘を言うつもりはなかったが、ひらひらと揺れる裾や、風が吹くと翻ってしまうスカートは、どうにも慣れない。
何より、今後の事を思うと、ユフィやティファ程ではなくとも、動き易さは最優先するべきだ。

 ユフィがレオンの服の好みについて訊ねている間に、食事処は決まった。
あそこにしよう、とクラウドとシドが決めた店に、女性陣も続いて行く。

 がやがやと賑やかなその店は、酒場だった。
仕事帰りか、これからの景気づけか、テーブル席で酒を飲んで盛り上がる男達の傍ら、煌びやかに着飾った女達がカウンターを占領して話に花を咲かせている。
馴染みのない風景に、一瞬二の足を踏んだレオンだったが、ユフィに手を引かれて入店した。

 クラウドが確保したテーブルで、それぞれ席に着く。
レオンは壁に接した奥席に通され、隣には右にエアリス、左にユフィが座った。
他の客席に近い外枠は、シドとクラウドが座り、空いた場所にティファが座る。
行き場のない壁際に通される事に躊躇いはあったものの、離れた場所から聞こえた喧嘩勃発の音に、恐らく一番安全な場所を譲ってくれたのだと思い直した。


「さーて、何食うかな」
「取り敢えず肉」
「あたしもお肉ー!」
「クラウド、ちゃんと野菜も食べないと駄目よ」
「ユフィもね」


 エアリスがメニュー表を取って、レオンの前で広げる。
シドがもう一つメニュー表を広げると、クラウドとティファがそれを覗き込んだ。


「レオンもお肉食べる?」
「いえ、私は……重いものはあまり」
「そろそろ確り食べた方が、体力も着くよ。鶏肉のお団子のスープがあるから、これなら大丈夫じゃないかな」
「ビール」
「俺も。あとはツマミだな」
「大皿で何か一つ注文しよっか。それから…」


 ティファがメモ帳を取り出し、一枚を破って、メニューを書きとめて行く。
肉が主となった注文内容を、ティファはカウンター向こうの店主へと持って行った。

 今回の航海について、反省会のような愚痴り合いのような雑談が交わされる中、目当ての食事は次々と運ばれてきた。
ボリュームを重視した肉料理の横で、同じくボウル一杯に盛られたサラダもやって来る。
ティファとエアリスがてきぱきと小皿に取り分け、各人の前に並べられ、それでも残ったものは食べたい人が好きに食べる。
肉を消費するのは殆どがクラウドだった。
ユフィも細身の何処に消えるのだろうと思う程に食べており、シドは始めに幾らか食べた以外は、専らビールを煽っている。
レオンはと言うと、腹は減ったが未だ胃が全快とは言えない事もあり、野菜炒めと肉団子のスープをエアリスと分け合っている。

 船員達の間で交わされる会話の中に、海賊船に襲われた時の事は出て来なかった。
レオンを助けた出来事についても、暗黙の了解のように、話題に上らない。


(気を遣ってくれている……)


 これも美味しいよ、とティファから差し出された小皿を受け取り、つみれ団子を口に運ぶ。
魚介の味と、薄めの塩味のスープは、本当ならきっと美味しいものだっただろう。
しかし、レオンは味覚が麻痺してしまったように、殆どの食べ物の味が感じられなかった。

 それでもなんとか一通りの食事を終え、レオンはスプーンを置いた。
同じ頃にはエアリスも満腹になっていたようで、他のメンバーの食事が終わるのを待つ。
食卓はわいわいと賑やかで、その賑わいの中心はユフィにあった。
食事の傍ら、些細な事を面白おかしく語る彼女に、ティファとエアリスが笑う。
ユフィが喋りに夢中になっていると、彼女の前の皿の肉をシドが浚い、それあたしの、とユフィが怒った。
そんな彼女をティファが宥め、別の肉を皿に盛り、ユフィに譲る。
クラウドは黙々と料理と酒を消費して行き、ヒートアップするユフィを諌めつつ、自分とユフィの二人分の新しいメニューを注文していた。

 何処に行っても賑やかな船員達と、このテーブルに見るからに悪漢染みた者が近付かないのを見て、レオンの肩の強張りは少しずつ解けていた。
その傍ら、テーブルを囲む面々に違和感を感じて、レオンは目だけをきょろきょろと巡らせる。


(ソラがいない……?)


 緊張と、周囲への疑心と警戒で、当たり前に気付きそうな事に、レオンは今まで気付いていなかった。
ユフィと一緒に賑やか組で、いつでも何処でも、元気な声で自分の居場所を主張する最年少の少年が、此処にはいない。
宿を出る時には既にその存在はなく、宿に残っているのだろうか、と思っていると、


「何か気になるものがあった?」


 レオンが黙ったまま辺りを見渡している事に、隣に座ったエアリスが気付いていた。
エアリスの問いに、レオンは訊ねて良いものかと迷いつつ、


「その…ソラ、君がいないので……」
「あいつは今日は船番だ」


 レオンの言葉が最後まで続く前に、クラウドが答えた。


「船番……ですか」
「泥棒なんかが侵入する事もあるからな。最悪、船ごと持って行く奴もいる」
「そんな事まであるんですか…」
「泥棒ならまだ可愛い方だが、悪質な奴だと、燃やされたりな。ガレオン船のようなでかい船なら、乗っている奴もそれ相応だから敬遠されるが、うちみたいな船は狙われ易いんだ」


 クラウドの話を聞きながら、そんな危ない事が起きるのに、あの少年一人で大丈夫なのだろうか、とレオンは俄かに心配になった。
コソ泥一人の侵入なら大丈夫かとも思ったが、そうした企てをする者が、一人で危険を冒すとも思えない。
徒党を組んで襲って来られたら、と思うとレオンの背が震える。


「大丈夫なんでしょうか……」
「ソラの事?ヘーキヘーキ。あいつもうちのクルーなんだから」


 ぐいぐいとスープを一気飲みしながら、ユフィが言った。
その言葉に、そうだ、とレオンは思い出す。
あの無邪気で元気な少年も、彼等と同じ海賊であり、最年少にして海賊船の船長なのだと言う事を。

 綻びかけていた緊張の糸が張り詰めて、レオンはそれを誤魔化そうと、テーブルの下でスカートを握り締めた。
エアリスがその手を握ろうとして、止める。
柔らかく微笑みかけたエアリスの顔が、レオンの視界の端に映り、その反対側ではシドがユフィの頬を抓っていた。


「痛い!何すんのさ!」
「飯が付いてたんだよ」
「抓んなくてもいいじゃん!」


 噛み付くユフィを受け流して、シドはビールを煽る。
ティファがユフィを宥め、食後のジュースを注文しようと言った。
お酒が良い、とユフィは言ったが、ティファににっこりと笑顔で却下され、リンゴジュースが注文される。
それが運ばれてきたついでにと、クラウドが全員分の白湯を頼んだ。

 回された白湯の一杯を、レオンは飲めなかった。




 シドとエアリスが一足先に宿へ戻り、レオンはユフィ、ティファ、クラウドと共に服を買ってから帰る事になった。
酒場への往路でユフィが目星をつけていた店に入り、レオンは女性二人に挟まれて、陳列された服を選ぶ。
クラウドは店内の休憩スペースに設置された椅子に座り、女性達の買い物が終わるのを待っていた。


「あ、これ可愛い!ね、レオン、これにしない?」
「え、あの……」
「こっちの方がレオンに似合うよ〜、セクシー系!どう?」
「あ、その、あの……」


 服選びを始めて間もなく、すっかりテンションの上がったユフィとティファに、レオンは完全に飲まれていた。
二人は、出来ればパンツスタイルが良いと言うレオンの要望を加味しつつも、自分が気に入ったものをレオンに薦めて来る。
シンプルな服を着ている事が多かったティファは、フリルやレースを使った女性らしいものや可愛らしいもの、ユフィは胸元を大きく開けた大胆なものや、殆ど下着と変わらないようなものを薦めて来る。
ティファの選んだものはともかく、ユフィの選んだものは着れるものじゃない、とレオンは思った。
選んで貰っている手前、強くは言えなかったレオンだが、流石にそれは、と言葉を濁す。
が、ユフィは「折角だから武器にしないと!」と、レオンにはよく判らない理屈で、尚も薦めて来た。

 結局───と言うか、当然と言えば当然の流れで、最後はレオンが自分で選ぶ事になった。
選んでくれる二人の気持ちは有難かったが、趣味趣向の違いもあり、やはり自分で楽に着れるものとなると、自身で選ぶのが一番良い。
値段だけには気を付けて───と言っても、店自体がリーズナブルなので、最高金額でも限度は知れているのだが───、レオンは服一式と、下着も揃えて購入して貰った。

 宿に戻って、レオンは直ぐに服を脱いだ。
食事の前に考えていた風呂に入る為だ。

 湯船に湯を溜めながら、シャワーで体の汗を流す。
頭から湯を被って、シャンプーで念入りに洗う。
船にいる間、エアリスやティファと一緒に風呂に入らせて貰い、丁寧に洗って貰っていたお陰で、傷みは殆どない───筈だったのだが、三日前の一件から、また髪は傷みを見せていた。
精神的なものが作用したのは間違いない。

 体も洗い終える頃には、バスタブには十分な湯が溜まっていた。
全身を浸かって、レオンはゆっくりと長い息を吐く。
小さな湯船は、長身のレオンが脚を縮めなければ収まる事は出来ないが、誰に気を遣う事もなく風呂に入れるだけでも心地が違う。


(……それもあって、一人部屋にしてくれたんだろうな…)


 バスタブの壁に背を当てて、レオンはオレンジ色の電球を見上げて思った。
他人の家も同然な船の上で、看病の意味もあって、一人でのんびりと堪能する事は難しかったバスタイム。
ようやく得られたその時間は、まるで至福のようだった。

 その反面、どうしても拭えないのが猜疑心だ。
何もかも気を遣って貰って、服も食事も面倒を見て貰っているのに、疑う事を止められない。
疑わなければならないのだと、レオンの頭の中で、ずっと警鐘が鳴っている。


(明日は……ティファさん達と買い物で…明後日も、多分……)


 しばらくは、レオンの為に色々なものを探して買い揃えると言っていた。
服も下着も、今日は取り敢えずの一式を揃えただけで、日常を過ごすには足りない。


(一通りそろえて貰ったら、後は───後は……)


 抱えた膝に頬を乗せて、レオンは目を閉じる。
洗ったばかりの長い髪が、温かな湯の中で泳いでいた。
背中にまとわりつく髪の感触を感じながら、ぼんやりと思考を巡らせる。


(後は、どうする?あの船を降りる?海賊船なんだからそうした方が良い。あの人達に悪意はないとしても、それが本心からなのかは判らないし、いつ何が起こるかも判らない。この間みたいに、他の海賊船に襲われる事だって───…これは客船に乗っても同じか。でも、客船なら護衛船が付くものもある……だけど、早くバラムに着くには…このまま、あの船に乗っている方が……)


 目的の地に出来るだけ早く到着する為には、幾つかの定期船を乗り換えながら進むより、あの海賊船に乗っている方が良い。
ティファは幾つかの港に立ち寄りながら行くと言っていたが、それは定期船も同じ事。
大きく違うのは海洋上のルートだ。
レオンに海の事はよく判らないが、定められた航路で複数の港を経由して周る定期船に比べれば、目的地まで最短で行く事が出来る船の方が早い筈だ。
金銭的な余裕を考えれば尚の事、現在一文無しのレオンが無条件で乗れる船は、厚意で乗せてくれている、あの海賊船しかない。
定期船を使えば、乗り換える度に金が必要となり、それを稼ぐ為の費用も、直ぐに整える事は出来ない。


(あの船を降りて定期船に乗るなら、この街でしばらく働かないと……)


 その為には、この宿とは別に、仕事をしながら寝泊まりできる場所を探さなければ。
何せ、この宿は彼等の厚意で一緒に泊まらせて貰っているだけだから、あの船を降りるとしたら、これ以上甘える訳には行かない。
馬房でも物置でも良いから、間借りできる場所を探し、其処で寝泊まりしながら日銭を稼がなければならない。

 日銭を稼ぎ、この港から出る定期船に乗れるだけ稼いで、次の街へ。
其処でまた日銭を稼ぎ、次の定期船に乗る。
それを何度繰り返せば、目的のバラム島まで着くだろうか。


(……気が遠くなるな……)


 泣き言を言っていられないのは判っていても、溜息は零れる。

 故郷の大陸を出た時は、運良く落ちていた乗船チケットを拾う事が出来たが、あんな幸運は早々あるまい。
それを思うと、やはりこのままあの船に乗っていた方が、と言う思考も強くなる。

 ────それに。
損得を抜きにして考えても、あの船から降りるのは、レオンに強い引っ掛かりを抱かせた。
後ろ髪を引っ張られる様な気持ちが、レオンの胸の内を支配する。


(こんなに良くして貰っておいて、恩返しもせずに下りるのか?……いや、このまま乗り続けているのだって迷惑だろう。海賊云々は抜きにしても、あの人達にはあの人達の生活があるし、俺が船に乗っている事で手間も増える。良い事なんか一つもない)


 なればこそ、自分は此処で下船すべきではないだろうか。
胸の内に巣食う疑心も、彼等の前では隠していても、きっと皆見抜いているに違いない。
自分を疑っている人間を、いつまでも船に乗せていると言うのは、居心地の悪い話だろう。


(若しかしたら……俺を追って来る連中もいるかも知れない。最悪、それが海軍だったりする事も……)


 最悪の事態は、幾ら考えても足りない位だった。
レオンの立場がそれを呼び込んでしまう可能性があるのだ。

 助けてくれた人々を、自分の所為で危険な目に遭わせたくない。
優しく微笑んでくれた女性や、無邪気に話しかけて来る少年少女、粗っぽくも温かく頭を撫でてくれた人の顔を思い出し、レオンはぎゅうと唇を噛んだ。
ざぶっ、と湯の中に顔を着けて、滲む雫を誤魔化す。
息が一杯に苦しくなるまでそのまま過ごし、一分近く経った後、レオンはようやく顔を上げた。


(……船を降りよう。その方が良い。俺自身の為にも、あの人達の為にも……)


 自分を助けてくれた人達を、いつまでも疑いたくなかった。
いつか本当に裏切られてしまうかも知れない、それを考え続けるのも嫌だったし、現実にそうなってしまった時の事が怖かった。


(………逃げているだけだな……)


 自分の心の不安と向き合うのが辛くて、その全てに背を向けようとしている。
弱い自分に自嘲しながら、それでもこれが一番良い選択なんだと、レオンは自分に言い聞かせた。