空と海の境界線上 錯交編


 久しぶりの陸地は、レオンに束の間の安寧を齎してくれた。
漣の音の聞こえない夜、レオンは深い深い眠りに落ちて、次に目が覚めたのは翌日の昼前と言う時間。
眠り過ぎた、と思う事はあったものの、それだけ疲労も溜まっていたと言う事だろう。
不足した睡眠が十分に補われると、少しだけ心地の良い目覚めを得る事が出来た。

 疑心暗鬼の要因には、無自覚な睡眠不足もあったのかも知れない。
そう思ったのは、遅い昼食に呼びに来たティファの声に、躊躇う事なく返事をした時だ。
なんとも現金な奴だと自分に呆れつつ、レオンは昨日買って貰ったばかりの服に袖を通した。

 レオンが買って貰った服は、動き易さと頑丈さを優先させた、なんとも色気の足りないもの。
シャツとスキニージーンズ、足下はブーツで、長く伸びた猫っ毛の髪は、項で無造作に括った。
鏡を見ながら髪を括ったレオンは、其処に映った人物に滲む面影を見て、またじんじんと胸の奥が傷むのを感じていた。


(……大丈夫……大丈夫だ……)


 どう足掻いても拭えない不安と、殆ど無条件に過ぎる最悪の結末を、レオンは頭を振って追い出した。
大丈夫、と言い聞かせるにも、何の根拠もなくて頼りなかったが、今はそうする以外に自分を慰める方法もない。

 一通りの身嗜みを終えて部屋を出ると、待っていたティファが「おはよう」と笑いかけた。
それに応える形で、「おはようございます」とレオンも笑う。
ぎこちなくはあったが、なんとか口角を上げる事は出来た。
それを見たティファが嬉しそうに笑い、行こう、と宿の外で待つ仲間達の下へと案内する。


「おっ!似合うじゃーん!」


 宿を出たレオンを迎えたのは、無邪気なユフィの声だった。
駆け寄って来たユフィは、自分の服に袖を通したレオンを、頭の天辺から爪先まで眺め、


「すっきりしたねー。店で見た時はシンプル過ぎるんじゃないかと思ったけど、そんなでもなかったね」
「変ではありませんか?」
「大丈夫だよ。やっぱりズボンの方が楽みたいね」
「はい……すみません、エアリスさん。ずっと貸して頂いて…服はきちんと洗ってからお返しします」
「ありがと。でも、気にしなくても良いよ?あと、私はいつでも貸してあげるから、またお揃いの服着ようね」


 にこにこと笑ってねだるように言うエアリスに、レオンは頷いた。
スカートはどうにも慣れないが、船上で一度、エアリスと同じ服を揃いで着た時、彼女がとても嬉しそうにしていた事は忘れていない。
その時はくすぐったくて堪らなかったレオンだが、嫌な感覚を抱く事はなかった。
偶になら、またああして揃いの服を着て過ごすのも悪くない。

 ───其処まで考えて、はた、とレオンは我に返る。


(またってなんだ……もうあの船から降りるって決めたのに)


 昨夜、眠る前に決めた事だった。
これ以上の迷惑にならない為にも、自分はあの海賊船に長居しては行けない。
バラム島までは酷く遠回りする事になるが、それが選ぶべき道だと思ったのだ。

 ゆっくり眠って、気が抜けてしまったようだった。
いけない、とレオンは自分を叱咤して、朝食の店を探すクルー達の後をついて行く。


「昼間から酒場はヤダなー」
「安いじゃねえか」
「そうだけどー。たまには爽やかなトコでご飯食べたい」
「あ、あの食堂が良いんじゃない?ランチもやってる」
「じゃあ、其処にするか」
「サラダ、美味しいのあるかな」


 宿から然程離れない内に、食事処は決まった。
昨晩の酒場程ではないが、賑やかに繁盛している大衆食堂だ。

 味噌を使った温かなスープを売りにしたその店は、午後の仕事に向かう人々で溢れていた。
米とスープ、焼き魚と幾つかのオードブルで構成された定食が、注文から間もなく素早く揃えられ、客の下へと運ばれる。
食べ終わった客は、のんびりする間もなく、返却口に空になった食器トレイを返し、支払いを済ませていそいそと店を出る。
客の多くが朝の仕事を控えている所為か、回転が早く、常にウェイトレスが忙しなく駆け回っていた。

 のんびりと過ごすと言った雰囲気ではないものの、食後のコーヒーをゆっくりと傾けている客もいる。
そうした客は、店の奥に案内され、店の忙しなさとは隔離された状態になっていた。
レオン達も店奥のテーブル席を貰い、メニューを見ながら適当に注文を済ませた後、今日の今後について話し始める。


「今日の予定は───レオンとユフィとエアリスは、買い物か」
「うん。レオンの服とか、他にもまだ色々買わなきゃだし」
「すみません。有難う御座います」
「気にしない、気にしない。あたしも色々見たいし」
「ティファは船番?」
「うん、ソラと交代ね。作り置きのご飯も作らないと行けないし」
「俺は資材集めか……クラウド、後で運ぶの手伝え。夜で良い」
「判った」
「食糧は?まだ大丈夫?」
「うん。週頭には買いに行きたいから、クラウド、その時お願いね」
「了解」
「ねー、レオンー、エアリスー。服を買うの、昨日と別の店に行こうよ。色々見た方が楽しいでしょ?」
「そうだね。私も靴を新しくしたいし。リボンも欲しいなあ」


 甘えるように名前を呼んでねだるユフィに、エアリスがくすくすと笑いながら頷いた。
レオンも、と話を振られたレオンも頷けば、ユフィは「やったー!」と大袈裟にはしゃいで見せる。


「あとさ、あとさ。カフェも行こうよ。ケーキ食べたーい!」
「はいはい。目星はつけてるの?」
「うん。一品メニューもあって、オヤツに丁度良さそうな所。レオンも行こう〜」
「はい。楽しみです」
「へへー」


 抱き付いて甘えるユフィに、レオンは快く答えた。
ごろごろと懐くユフィは、まるで仔猫のようで可愛らしい。
天使の輪の浮かんだ黒髪を撫でると、ユフィはまた嬉しそうな顔で、レオンの肩に頬を寄せた。

 昨夜、ゆっくりと風呂に入って、眠る事が出来たお陰か、レオンの肩からは力が抜けていた。
疑心が全く消えたとは言えないが、無邪気に懐いて来るユフィの行動にまで、心がささくれ立つ事はない。
甘えん坊の妹と接しているような気分で、レオンはじゃれつく彼女を寛容する事が出来た。

 だが、その寛容や心の余裕は、今後の身の振りを決めたからでもある。
あと少しの間だから、今だけは───そんな気持ちで、レオンはユフィの頭を撫でていた。




 食事の後は、各自バラバラに行動を開始するのがパターンになっているようだった。
シドとティファは港へ、レオンはユフィ、エアリス、クラウドと共に街へと向かう。
クラウドは服云々に興味がある訳ではなかったが、女性だけで街を歩かせると言う事をシドが許さなかった為、基本的に街を歩く時は男性一人が女性陣に付き添う事になっているらしい。
買い物で重くなり勝ちな荷物を持つ為の力仕事要因も兼ねている。

 ユフィとエアリスに連れられる形で、レオンは街の中心部を一回りした。
ブティックは勿論、飲食店も多く、何処に行っても人が絶えない。
保安事務所の看板も目立ち、治安は全体的に安定しているように見えた───が、


「やっぱり裏の方は何処も似たようなもんだね」


 建物の隙間に見える路地を見遣って、ユフィが呟いた。
どう言う事かとレオンが訊ねると、応えたのはクラウドだ。


「見た目は綺麗でも、裏はそうでもないって事だ。だからあんたは、夜は勿論だが、昼でも暗い道は通るなよ」
「あ……は、はい」


 脅しのようにも聞こえたクラウドの言葉だが、レオンはちらと路地を見遣って、彼の言葉に従うのが正解だと悟った。
暗い道の途中に、酔っ払いなのか、それとも怪我人なのか、判然としないシルエットが転がっている。
心配にならないかと言われれば、決して気にならない訳ではないが、下手に仏心を出して、裸に剥かれると言う出来事もあるのだ。
鴨になりたくなかったら、見ない振りと言う自己防衛は必要だ。

 明るい道を通れと言うクラウドの言う通り、ユフィもエアリスも、遠回りになる面倒を愚痴りながらも、大通りを進んでいる。
シドもそうするようにと何度も注意した、とユフィは言った。
実際に面倒事に巻き込まれる事もあったと言うユフィに、クラウドが溜息を吐き、エアリスが苦笑する。
彼女のお転婆ぶりは、おおいに仲間達を振り回しているようだ。

 レオンの買い物は順調に進み、インナーからアウターまで、四日分は揃える事が出来た。
レオン自身は然程変わり映えのしないものを選んだが、ユフィからバリエーションは増やした方が良いと言われ、それらは二人に選んで貰った。
ユフィが選んだのは、昨日と同じく露出の高いもの───流石に極端なものは避けてくれた───で、エアリスが選んだのはすっきりとしたロングスカートだった。
シンプルなものは着回しするとして、二人が選んでくれたものは、ドレスコードや必要とされる時に着れば良い、と言われた。
”必要とされる時”がいつを想定しているのか、レオンも判っている。
彼女達は、レオンがこの街で船を降りた時、仕事を探す時等に必要になる可能性のある物を、一通り揃えてくれたのだ。
それが、レオンを船から追い出す為ではなく、厚意から来るものだと言う事を、レオンも理解している。


(……やっぱり、何かお返しをした方が良いよな……)


 荷物が多くなれば鞄も必要だろうと言うクラウドの提案で、今度は鞄を売っている店を捜し歩きながら、レオンは思う。


(この人達はいつまで街にいると言っていたか……一週間?それ位はあるかな……早い内に仕事を見付ける事が出来れば、この人達が海に出てしまう前に、何か返せるかも知れない)


 考えながら歩くレオンが抱えていた荷物を、クラウドが「俺が持つ」と言って攫う。
レオンが礼を言う間もなく、クラウドは荷物を持ち易いように抱え直して、行くぞ、と言った。
ぶっきら棒で取っ付きにくい雰囲気はあるが、彼なりの気遣いなのはよく判った。

 次はあそこに行こう、とユフィがレオンの手を取って走り出す。
真新しいブーツで土を踏みながら、レオンは促されるままに店の前に立った。
あの鞄が可愛い、と指差すユフィと一緒に店に入り、並ぶ品々から用途に合ったものを探す。


「一杯入る奴が良いけどさ、デッカイだけってヤだよね。これとかどう?猫のマーク入ってるの、可愛いよ」
「私が持つには、可愛すぎますよ」
「私は、良いと思うけど。レオンは、大人っぽいのが良い?」
「まあ……そうですね」
「じゃあ次、あっち見てみよ!」


 すかさず次の陳列棚に引っ張って行くユフィと、あれも良いなあ、と棚を眺めながら呟くエアリス。
クラウドはと言うと、彼は専ら荷物持ちとボディガードを勤めとしているようで、買い物には興味が無いらしく、店の入り口横で暇を持て余していた。

 あれやこれやと商品を指差して、これはどう、あれは、と選ぶユフィと、花をモチーフにした鞄を持って来て、似合うよ、と笑うエアリスに、レオンはくすぐったさを感じていた。
思えば、こうして誰かと買い物に行った事など、殆ど経験した事がない。
それはレオンの立場が許されなかった為で、不満に感じた事はなかったが、こうして経験してみると、とても楽しくて心地が良い。
同年代で同じ立場の友人がいたら、こんな風に過ごしたりするのだろうか、と夢のような心地で考える。

 レオンが決めた鞄は、容量の大きなトランクだ。
今は決して多くはない荷物だが、服は案外と嵩張るもので、持ち歩くとなると邪魔になる。
相変わらずシンプルな柄のものを選ぼうとしたレオンだったが、ユフィとエアリスに揃って「もっと可愛い方が良い!」と言われ、デザインについては彼女達に一任した。
二人は一頻り店を見回った後、白を基調にし、革の装飾が施されているものを選んだ。
それなりに値の張るものだったので、レオンは遠慮したのだが、長く使う事を考えれば妥当な金額だとクラウドに言われ、厚意を受け取る事となる。


(…どんどん恩が膨らんで行く気がする……)


 良いものを手に入れる事が出来た事よりも、その為にかけている迷惑や費用が気になって、レオンは素直に喜べない。
早く仕事を見付けないと、と思うレオンの傍らで、ユフィは「はいこれ!」と購入したトランクをクラウドに渡していた。


「あ……あの、それ、持ちます」
「気にするな。平気だ」


 既に両腕に大量の荷物を抱えていたクラウドに、これ以上の負担はと申し出たレオンであったが、クラウドはけろりとした顔で鞄ごと荷物を持ち上げた。
剥き出しの二の腕の盛り上がりは伊達ではない。

 買い物が終わったなら次に行くぞ、と言うクラウドに、追って来たエアリスがもう一つ鞄を渡す。
レオンにと買ったものよりは小さかったが、此方もトランクであった。


「これもお願いね、クラウド」
「……ああ」
「クラウド、あたしのも持って!」
「それ位は自分で持て」
「ちょっとー!あたしにだけ冷たい!」


 真新しいウェストポーチを持って貰おうとするユフィだったが、クラウドは素っ気なく無視した。
ユフィはわざとらしく泣き真似をしてエアリスに甘え出したが、クラウドは露とも気にする事なく、さっさと店を出て行ったのだった。




 シドに送られる形で船に戻ったティファを待っていたのは、甲板の真ん中で大の字に転がっているソラだった。
いつもの元気な様子が嘘のように、ぼんやりと空を眺める最年少クルーに、ティファは眉尻を下げて笑みを零す。


「ソーラ。交代の時間だよ」
「……あ。うん」


 全く気付く様子のないソラに声をかけると、案の定、ようやく気付いたとソラが顔を上げた。

 転がしていた体をのろのろと起こすソラに、ティファは港へ向かう途中で買った林檎を差し出した。
ソラは覇気のない目でそれを受け取り、惰性で口に持って行く。
しゃぐっと齧った口の端から果汁が零れ、ソラはそれを手の甲で拭った。


「宿屋まで行ける?迷いそうなら、すぐ其処の市場に行けば、まだシドがいる筈だよ」
「んー……大丈夫。多分」


 むぐむぐと林檎の入った口を動かしながら、ソラは答えた。
そっか、と言って、ティファは船室へと入る。

 キッチンに備えていた朝晩の食事は、綺麗に平らげられていた。
それを見て、ティファはひっそりと安堵する。
育ち盛りのソラの食欲は大したもので、大食漢と言う程ではないが、食べる量が健康のバロメーターにもなっている。
昨晩はソラの様子も鑑みて、いつもより少し少な目に作って置いたが、それも食べられていなかったら、ソラの症状はかなり重いと言う事になる。
一先ずは其処までではなかったようだと、ティファは胸を撫で下ろした。

 とは言え───甲板に出てもう一度ソラの様子を見れば、彼の状態は昨日と変わりない事は判る。
心此処に在らずで空を見上げ、もそもそと林檎を齧る彼の頭には、きっと彼女の貌が浮かんでいるに違いない。
そんな少年に、ティファは伝えるか否かを少し考えた後で、


「ソラ。レオン、少し元気になったよ」
「!」


 きっと気にしていただろうと教えてやれば、ソラはぐるんっと振り返った。
判り易い反応に、ティファは零れる笑みを隠しながら、マスト下に座ったまま動かないソラへ近付く。
ソラは口に含んでいた林檎をごくっと飲み込み、きらきらと目を輝かせる。


「レオン、元気になった?」
「うん。ご飯も食べたし、服も買いに行ったし。今日も買い物してる筈よ」
「そっか。良かったぁ」


 そう言って笑うソラに、ティファも頬が緩む。
やはりソラは元気印の笑顔が一番良い、と。

 しかし、その笑顔も直ぐに引っ込んでしまった。


「あのさ、ティファ。クラウドが言ってたけど……やっぱりレオン、もうこの船には乗らないのかな」


 寂しげな表情で訊ねるソラに、ティファは眉尻を下げた。


「…その辺りの事は、まだ聞いてないかな。私達への遠慮もあるだろうし、色々恩を感じてる所もあるみたいだから、どっちに決めても言い辛そうでね。急かすような事もしたくないから、私達からは聞かない方が良いかなって、エアリスとユフィとは話してる。シドとクラウドは何も言わないけど、同じじゃないかな」
「……レオンは、どうするつもりだと思う?」
「…降りるって考えてるかもね。買った服とか、動き易いのにしたんだけど、あれならこの街で仕事も出来るだろうし」


 ティファの言葉に、ソラの表情が寂しげに揺れる。
幼馴染のように、ツンツンと重力に逆らう髪をくしゃくしゃと撫でると、ソラは拗ねた顔でティファを見上げた。
子供扱いを怒っているようにも見えたが、滲む寂しさや悔しさを誤魔化す表情にも見える。


「俺達の事、嫌いになったかな……」


 いつも爛々と輝く丸い瞳が、泣き出しそうに滲んでいる。
ソラのこんな顔は初めて見たな、と思いながら、ティファはソラの頭を撫で続けた。


「それは多分、ないと思う。ご飯を食べてる時も、買い物の時も、遠慮はあるけど、恐がったりって言う感じはなかったよ。ソラがいないって気付いた時にも、大丈夫かなって気にしてたりしたし。嫌いになったら、そんな事、気にしたりしないでしょ?」


 昨夜の食事の席で、レオンはその場にいないソラの事を気にしていた。
クルーの面々は、船番はいつもの事だし、ソラが最年少でも荒事に慣れている事を知っているので、特に心配する事はない。
しかし、レオンにしてみれば、ソラは年端も行かない子供同然なのだ。
船泥棒の話を聞いてソラの心配をしていた彼女は、純粋にソラの事を気にかけているように見えた。

 レオンが自分の心配をしていたと聞いて、ソラの瞳に光が戻る。
面映ゆそうに赤らんだ鼻頭を掻いて、「そっかぁ…」と呟くソラの声は、嬉しそうだった。


「今後の事はまだ判らないけど、話をする時間はあるよ。だから、早く行っておいで。まだ買い物してると思うけど、夕方には宿屋に帰ってる筈だから」
「うん。ありがと、ティファ。船、宜しくー!」


 がばっと立ち上がって、ソラは駆け足で船縁に向かう。
梯子を降りる時間も惜しいと、舷縁を飛び越えて行く。
ティファが船縁に行って見下ろしてみると、彼は既に市場向こうへと消えて行こうとしていた。

 今後、レオンが船に乗り続けるのか、この街に留まるのか、ティファ達に決める事は出来ない。
ディスティニーアイランド号は、気の向くままに何処にでも行けるが、レオンは恐らくそうではない。
船が真っ直ぐに目的地であるバラム島に向かうとしても、彼女には彼女の思う事、憂慮する事がある筈だ。
それには勿論、海賊船に乗り続ける事への不安もあるに違いない。


(…仲良くなれるかなって思ったんだけど……こればっかりは、ね)


 レオンがどんな選択をするにせよ、仕様のない事だと、ティファは割り切ることを決めている。
その反面、もっと一緒にいたい、と言う気持ちを隠せないソラの後ろ姿が、少し羨ましかった。




 ソラが宿屋に着いた時、買い物に行っていると言う仲間達は、まだ戻って来ていなかった。
女性の買い物は長くなるものだと経験もあるので、此方は仕方のない事だが、シド位は帰っているかもと思っていたのが当てが外れた。
部屋の鍵もシドかクラウドが持ち出しているようで、どちらかが帰って来ないと、ソラは宿泊する部屋にも入れない。

 仕方なくソラは、仲間達が帰ってくるまで、適当に暇を潰した。
街の中心地に構えられた宿の周囲には、雑貨や金物を売る店も多く並んでいる。
それらをのんびりと見て回っている内に、空が夕焼け色になって来た。
ソラは、度々宿に戻っては、まだ帰らない、まだ帰って来てない、と確認して、また辺りをふらふらと歩くと言う行動を繰り返す。
それにも飽きて来た頃、雑踏の向こうに見慣れた人影を見付けて、ソラは大きく手を振った。


「おーい!シドー!」
「おう。来てたか」


 元気よく呼んだソラに、最年長の男は咥え煙草を揺らして応えた。
シドは肩に担いでいた麻袋を持ち直して、宿屋の前にいるソラの元まで歩み寄り、


「ンなトコで何やってんだ?」
「何やってるも何も、部屋に入れないから待ってたんだよ」
「ああ、そう言う事な。って事は、他の奴等もまだ帰ってねえのか?」
「うん」
「そりゃ遅いな。クラウドがいるから、気にする事ぁねえと思うんだが────おっ」


 シドが不精の顎鬚を訝しんだ顔で指でなぞった矢先、大路の向こうに見付けた人々に、仄かに口端が緩む。
倣ってソラが其方を見ると、ユフィ達が近付いて来るのが見えた。


「あ、ソラー!船番お疲れ様ー!」
「おーう!」


 まだ幾らも距離が縮まらない内に、手を振って労うユフィに、ソラも大きく手を振って応えた。
元気なソラの姿に、エアリスもくすくすと笑って手を振る。
クラウドは、目線のみをソラに向けて、両手は大量の紙袋やら革鞄やらで、とても持ち上げられる状態ではない。

 そして、ユフィとエアリスに挟まれる位置に一人、見慣れない人物がいた。
仲間達よりも一つ大きな身長に、夕映えの光を浴びて尚濃いチョコレート色の髪を、首の後ろで無造作に括っている。
ユフィやエアリスに比べると少し広い肩幅を、ソラは初めて見た。
シャツとジーンズ、ブーツと言うシンプルな服装で、長身も相俟って男性かとも思える井出達だが、胸元の膨らみがそれは違うと主張している。
膨らみに押し上げられたシャツは、真ん中に突っ張った横線の皺を作っていて、その大きさをより強調させているように見えた。

 チョコレート色の髪の下から、深い深い海の底のような、蒼灰色が覗く。
形の綺麗な唇が、ソラ、と紡いで、蒼が眩しげに細められる。
正面からそれを見た瞬間、ソラの心臓が大きく打った。


「……ん?」
「どうした?」


 大きな音を鳴らした胸に手を当てて、ソラはきょとんと首を傾げた。
そんなソラにシドが訊ねるが、ソラからの返事はない。
シドが改めて訊ねる事はなく、彼は合流した仲間達を迎え出た。


「おう、目当てのモンは見付かったか?」
「うん。良いの一杯あったよ〜」
「こんなに買って貰って、すみません」
「ああ、気にすんな。……っつか、どう見てもお前さんだけの買い物じゃねえよな、この量は」
「うふふ」
「へへへー」
「……置いて来て良いか」
「うん。これ、私達の部屋の鍵ね。全部まとめて置いててくれて良いよ」
「ああ」


 クラウドはエアリスから鍵を受け取ると、宿に入って部屋へと向かった。
ソラも続こうかと思ったが、


「ソラ、飯食いに行くぞ。お前、ずっとこの辺ウロウロしてたんなら、夕飯もまだだろ」


 シドの言葉に、そう言えばそうだ、とソラは空腹を自覚した。
思えば朝食にティファの作り置きを食べた後は、船を降りる前に林檎を一つ貰っただけだ。
あの林檎が昼食分と言えなくもないが、育ち盛りのソラには全く足りない。

 荷物を置いたクラウドが戻って来ると、一行は夕食を採る店へと向かう。
前を歩くシドの足は迷いが無いので、恐らく決めているのだろうと、ソラものんびりと彼の後をついて行く。
そんなソラの後ろで、ユフィがレオンにじゃれついていた。
ソラが後ろを肩越しに覗くと、レオンはユフィと手を繋いで、他愛もない話に花を咲かせているようだった。
そんなレオンの表情に、船にいる時に最後に見た緊張の気配がないのを確かめて、ソラはほっと息を吐く。


(元気になってる)


 無理をしていないと言う訳ではないのだろうが、頬には赤みがあり、船の上で見ていた時よりも健康的な印象を受ける。
海に慣れていないと言っていたし、陸でようやく一心地をつける事が出来たのかも知れない。

 良かった、とソラは前に向き直る。
と、その時、どんっと勢いよく背中を押された。


「うわっ!何すんだよ、ユフィ!」
「えっへっへー。おーい、シドー!」


 振り返るまでもなく、犯人を特定して抗議すれば、予想通り、ユフィがちょろっと舌を出して、ソラを追い抜いて行った。
ユフィは先頭を歩いているシドの背中に跳び付いて、ソラが怒ってるよー、等と訴えている。
シドはどうせお前の所為だろ、とユフィの頭をわしゃわしゃと掻き撫ぜていた。

 何の為にちょっかいを出されたんだとソラが唇を尖らせていると、ふっと視界に影が差す。
視界の端に映った白いシャツに、ソラが顔を上げてみると、蒼灰色とぶつかった。


「わ、」
「あ、」


 思わずと言った声を漏らしたソラに、レオンが慌てて身を引く。


「すまない、驚かせて」
「あ、え、いや、ご、ごめん」


 眉尻を下げて詫びるレオンに、ソラも慌てて首を横に振る。
レオンはそんなソラを見て、ほっとしたように口元を緩めた。

 ユフィに対しては気を許していたように見えたレオンだが、それは彼女が同性だからで、船にいた時から話をしていたからだろう。
そんなユフィに比べると、ソラは何度か話をした程度で、「普通の話し方で接して欲しい」と我儘を言ったものの、距離感まで一気に縮む訳ではない。
もどかしさを感じながら、ソラはがしがしと後頭部を掻いた。


(俺がレオンを緊張させちゃ駄目じゃんか……)


 普通にしなくちゃ、と自分に言い聞かせながら、ソラはちらりと隣を歩く女性を見る。

 船にいた時と違い、レオンは随分とすっきりとした服装になっている。
ティファが動き易いものを買ったと言っていたので、恐らくそれを着ているのだろう。
エアリスの服を借りていた時と違い、体のラインがはっきりとしており、豊かな胸元は勿論、引き締まった腰や、すらりと長い脚など、スタイルの良さが際立っていた。

 其処まで見て、ソラははっと我に帰る。
じろじろと女性の姿形を観察するのは良くない事だった、とクルー達に教わった事を思い出し、慌てて視線を前へと戻した時、


「一人で船番をしていたんだってな」
「えっ。あ、ん、うん」


 自分に話しかけられていると一瞬気付かなくて、ソラは反応が遅れた。
が、レオンは気付いていないのか、隣でソラを見下ろして、柔らかな表情を浮かべている。


「船泥棒が出る事があるんだとか」
「うん。船もそうだし、食糧とか、酷いと船の外装とか剥ぎ取って行く奴もいるんだ」
「外装……船の横の部分とか?」
「んーと……よくあるのは、帆とかロープとかだけど、確かにその辺もやられた事あったなぁ」
「見張をするって言う事は、そう言う人が来た時、追い出さないと行けないんだよな」
「うん」
「その……怖くはないか?」


 ぽつぽつとレオンの言葉に応えていたソラだったが、最後の言葉にきょとんとして顔を上げた。
見下ろす蒼は、じっとソラを見つめていて、不安そうな、心配そうな色が滲んでいる。

 丸い目をぱちぱちと瞬きさせて見詰め返すソラに、レオンは気まずそうに目を反らし、もごもごと弁解のようなものを始めた。


「いや、その、俺……私が言っても余計なお世話と言うか、大した意味にはならないと思うんだが、気になってしまって。相手が刃物を持っていたり、泥棒じゃ済まない事だってあるだろうと……すまない、やっぱり余計なお世話だな……」


 段々と尻すぼみになって行くレオンの声。
余計な事を言った、と思っているのだろう、レオンは口元を手で隠している。

 ソラは少しの間、反らされたレオンの横顔を見つめていた。
レオンの目元は前髪で隠されてしまい、ソラの位置から彼女の表情を伺う事は出来ない。
彼女からはぎこちない雰囲気が漂っていたが、緊張と言う空気までは感じられず、ソラはほっと息を吐いて、頬を緩ませた。


「大丈夫だよ。慣れてるし」
「…そう、か」
「でも、心配してくれてありがと」


 言葉少ないレオンの反応の後、ソラは正直な気持ちを口にした。

 誰かにこうして心配されるのは、最近はめっきり減った事だった。
船に乗った始めの頃は、年齢もあって何かと仲間達に心配されていたが、長い時間が経ち、海賊旗を掲げて海を渡るようになってからは、殆ど心配されなくなった。
船長と言う役職を与えれられた事を皮切りに、子供扱いは終わったと言う事なのだろう。
ソラ自身も、可惜に心配されるのは好きではなかったし、叱咤される事も含めて、自分が大人と同じように扱われるようになったのは嬉しかった。

 しかし、レオンの心配の言葉は、すんなりとソラの中に沁み渡った。
彼女が自分の事を気にかけてくれたと言う事が、ソラの心に喜びを齎している。
くすぐったくて温かな彼女の心遣いに、ソラは足下がうきうきと弾むのを自覚した。


「へへっ」


 我慢できずに零れた笑顔に、蒼の瞳がぱちりと瞬きをした後、くすくすと笑う。
その笑顔を久しぶりに見る事が出来たのが嬉しくて、ソラの機嫌は益々良くなった。

 シドが夕飯にと選んだのは、がやがやと賑やかな酒場だった。
昨日も此処だった、とユフィが言っている。
美味かったから良いじゃねえかと言うシドについて、一同はテーブル席を確保した。


「んじゃ、先ずは───」
「肉」
「俺もっ!」
「あたしもー!」
「お前ら変わり映えしねえな」


 メニューを開く間もなく主張したクラウド、ソラ、ユフィに、シドはやれやれと呆れる。
栄養バランスがどうのと言いつつ、シドはメモ用紙を一枚破り、昨日と同じメニューを書き綴る。


「お前らはどうする?」
「私はサラダと、後は……つみれ団子が美味しかったなあ。レオンは?」
「私は……豆のスープを」
「スープだけだと足りねえだろ。ベーコンサラダがあるから食え」
「あ、は、はい」


 遠慮の消えないレオンの返事を待たずに、ベーコンサラダが注文メニューに加えられる。
エアリスが「多かったら皆で食べるから大丈夫だよ」と言った。

 注文から程無く届けられた料理群に、ソラの空っぽの胃袋が刺激される。
口早に食前の挨拶をして、一つ大きな肉に齧り付く。
ずるい、と言いながら二番目に大きな肉を確保したのはユフィだ。
クラウドはと言うと、彼は別の皿に肉を注文していたので、しっかり皿を確保して黙々と食べている。


「うまー!」
「良いトコ見付けたよねー」
「酒もまあまあ美味いしな」


 早速ビールを傾けているシドの言葉に、クラウドが頷く。


「この辺りは水が良いらしいからな」
「ふーん。大きい街なのに珍しいね」
「治水がしっかりしてるんだろ」
「近くの山に湧いてる水を上手く引いているようだ。まあ、上の連中が色々と力を使って優先させているようだから、俺達がありつけているのは、その内の何十分の一って所だろうが」
「ふーん。お、コレ貰いっ!」
「あ、俺の肉!」
「へへーん、早いもん勝ちー!」
「おいソラ、飯食ってる時に立つんじゃねえ」
「だってユフィが!」
「これやるから座ってろ」
「魚の腸じゃん!苦いから嫌だ!」
「好き嫌いすると大きくなれないよーっと」
「ユフィだって好き嫌いしまくりじゃんか!」
「エアリス、胡椒取ってくれ」
「はい。あ、レオン、お水がないね。貰って来るよ」
「ありがとうございます」
「他にお水いる人ー」
「はーい」


 エアリスの言葉に、ソラとユフィが返事をし、クラウドが無言で手を上げる。
一人でグラスを運ぶには無理のある人数に、レオンが腰を上げた。


「エアリスさん、私も行きます」
「ありがとう」


 空になったレオン、エアリス、ユフィのグラスをエアリスが、まだ底に僅かに水膜を残しているソラとクラウドのグラスをレオンが運ぶ。
水の入った大きな樽は、店の隅に置かれていた。
蒸留水を溜めた樽には蛇口が付いており、捻るとちょろちょろと水が出てくる。
少々じれったい水量なのは、飲食店の提供と言えど、安易に消費できる環境ではないからだろう。
クラウドが言っていた、利用できる筈の湧水の大部分を、上流階級の人間によって制限されていると言う事実が、こうした形で表れているのだ。

 人数分のグラスに水を入れ、備えられたトレイを借りて、テーブルに戻ろうとした時だった。
行こう、と言ったエアリスの肩に、どんっと強い力がぶつかる。


「ごめんなさい」
「───ちょっと待ちな」


 直ぐに謝って擦れ違おうとしたエアリスの肩を、大きな手が掴む。
かちゃん、とトレイの上でグラスが揺れて、水が零れた。
次いで、後ろをついて歩いていたレオンの前に、壁のような巨体が立ち塞がる。


「ぶつかっといてそれだけか?姉ちゃん」
「な……」


 エアリスの肩を掴んだ、坊主頭の厳めしい男の言葉に、レオンは絶句した。
直ぐに謝ったではないか、と言いかけたレオンの口は、ずいっと近付いた巨体に圧迫されて音にならなかった。

 身長二メートルはあろうかと言う大男二人に、エアリスとレオンは挟まれていた。
縦にも横にも広い男達の体で、二人の姿はすっぽり影になってしまい、がやがやと賑やかな店の客達からは、完全に見えなくなっている。
男達もそれが判っているのだろう。
彼等はにやにやとあからさまに鼻の舌を伸ばして、二人の整った貌や、衣服を押し上げる胸元を見下ろしていた。
その顔は酒気を帯びて赤らんでおり、完全な酔っ払いである事が見て判る。


「ちょいとこっち来て酌でもしてくれよ。そうしたら、ぶつかった慰謝料はチャラにしてやるからさ」
「慰謝料って、そんなもの。少し肩がぶつかっただけなのに、」
「良いよ、レオン。気にしないで」


 露骨な下心で難癖をつける男達に、堪らずレオンが反論しようとすると、制したのはエアリスだった。
にこにこと人好きの笑顔を浮かべているエアリスに、どうしてそんな顔をしているのかとレオンは困惑する。

 エアリスの態度を、男達は従順な物と受け取った。


「それじゃ、早速行こうぜ。何、俺達の気が済んだら帰してやるからよ」
「んー……貴方達の気は、私にはどっちでも良いんだけど。それより後ろ、気を付けた方がいいと思うの」
「あん?」


 坊主頭の男が、エアリスの腕を捕まえようと手を伸ばした時だった。
ゴッ、と鈍い音が強い衝撃と共に男の背中を打ち、傾いた体をエアリスがすいっと避けると、男は顔面から地面に倒れ込んだ。
何が起きたのかとレオンが目を丸くしている間に、


「おい、あいぼ────うごっ!」


 レオンの行く手を阻んでいた巨漢が振り返った瞬間、ブーツの裏ゴムが巨漢の頬を踏んだ。
吹き飛んだ巨漢男の顔面がレオンの目前に跳んできて、レオンは思わず身を引いた。
受け止めるものをなくした巨体が、錐揉みしながら床へ落ちる。


「レオン、大丈夫?」


 状況の転換について行けず、逸る心臓に手を当てて呆然としていたレオンの耳に、少年特有の高い声が届いた。
落ちた男を見下ろしていた頭を振り返らせると、茶色のツンツン頭と、爛々と無邪気に光る瞳がある───ソラであった。

 ソラの向こうでは、昏倒した坊主頭の男を踏み付けているクラウドがいる。
男の背中には、今クラウドが踏んでいる足で刻み付けた、ブーツ跡があった。


「性質の悪い酔っ払いだな。エアリス、レオン、大丈夫か?」
「うん。ありがとう、クラウド。ソラもありがとう。お水、零れちゃったから、入れ直して来るね。ちょっと待ってて」
「ああ」


 とたとたと水樽に戻るエアリスを、クラウドは男を踏んだままで待っている。
もぞもぞと男が身動ぎを始めると、クラウドは足に力を入れて、男の背中を捩じり踏んで再び気絶させた。

 呆然としたレオンの下に、ソラが駆け寄る。


「レオン、大丈夫?」
「え……あ…ああ」
「怪我してない?」
「ああ」
「そっか。良かった」


 そう言って、ソラはレオンの手を取った。
自分より小さな手がぎゅっと強い力で手を握るのを感じて、ぱちりとレオンは瞬きをする。
しっかりと握られた手を見下ろして、また少年へと目を向ければ、ソラはにかっと眩しい笑顔を浮かべ、


「こうしてたら、もう絡まれないよ」
「……ああ。ありがとう」


 笑顔も、繋いだ手も、自分を守ろうとしてくれているのだと悟って、レオンは素直に感謝の気持ちを口にした。
綻ぶレオンの表情に、ソラの頬が赤くなり、ソラは「へへ……」と照れ臭そうに頬を掻く。

 エアリスが水を入れ直すのを待って、四人はテーブルへと戻った。
戻って来た四人を見て、ユフィが駆け寄ってくる。


「エアリス、レオン、大丈夫だった?」
「うん」
「ソラとクラウドが飛び出して行ったから、大丈夫だろうとは思ってたんだけどさ。レオン、怪我してない?」
「はい」


 頷くレオンに、良かったあ、とユフィが胸を撫で下ろす。

 レオンはソラに手を引かれて、席へと戻った。
ソラが自分の席へと戻り、エアリスも水を配り終えて、レオンの隣の席へ座る。
落ち付いた所で、ソラが食事の手を再開させた時だった。


「んー」
「ん?」


 じろじろと、ソラは視線を感じて、きょろきょろと辺りを見回した。
見ていたのはユフィで、ソラは視線の正体に気付くと、なんだよ、と唇を尖らせてユフィを睨む。
ユフィはにやにやと悪戯を思い付いたような顔でソラを見つめていた。
何を言うでもなく、しかし含みのある顔で眺めて来るユフィに、ソラは何とも言えない気分になって、腹いせにユフィの皿にあったソーセージを奪ってやる。


「あ!あたしのソーセージ!」
「早いもん勝ちっ!」
「あたしが取ってた奴だぞー!」
「もう食っちゃったもんねー」
「こんのー!」


 あっと言う間に騒がしさを取り戻した食卓に、やれやれ、とクラウドとシドが肩を竦めて、揃ってビールを煽った。




「……レオンは一人部屋なの?」


 食事を終えて宿屋に戻り、部屋へと向かう途中、別れた女性達を見送って、ソラはシドに訊ねた。
シドは火の点いていない咥え煙草を揺らしながら、「ああ」と答える。

 シドの持っていた鍵で部屋に入ると、ソラは早速ベッドに駆け寄った。
レオンと出逢ってから何度か港に立ち寄ったものの、それは物資調達だけを済ませると直ぐに発っていた為、宿屋と言いうものは久しぶりだ。
彼女と逢う以前、最後に陸の宿を発ってから、実に二ヶ月振りの宿のベッドである。
値段からして然程良い宿とは言い難いのだが、それは主に壁や床の薄さ、ルームサービス等を用いていないと言う点で言えば妥当なもので、寝具自体は上等───この場合、下の上から中の中を示す───だった。
船で眠る際に使うハンモックは、波による揺れを感じられて心地良い(クラウドは酔うらしいが)ものだが、やはり陸のベッドのように広々とは行かず、快適さでは此方が勝る。
柔らかく体重を受け止めるマットに顔を埋めて、ふぅー……とソラは息を吐いた。

 部屋に備えられたベッドは三つで、クラウドとシドもそれぞれのベッドへと落ち付く。
シドはさっさとブーツを脱いで、ベッドにごろりと横になった。
クラウドも手袋や肩当等を外し、お気に入りのアクセサリー類も外してしまう。
今日はもう、外は疎か、部屋の外に出る予定もないようだ。

 ソラはしばらくの間、ベッドの感触を堪能していたが、ふと思い出して起き上がる。


「あのさ、レオンは一人部屋で大丈夫なの?」


 此処が街の中心部に位置する宿屋で、比較的治安も良いとは言え、彼女にとって不慣れな土地である事は変わりない。
セキュリティに関しても、王族貴族が宿泊するような場所に比べれば、殆ど意味を成さないものばかりだ。
女性が一人でそんな宿に泊まっていると知ったら、悪い事を考える輩も珍しくはない。
酒場で起こったように、見ず知らずの男に絡まれるような事も考えられた。

 誰か一緒にいた方が良いんじゃないか、と言うソラに、クラウドが首を横に振った。


「今日は少し慣れてくれたが、昨日はまだ俺達に対して緊張していたし、一緒にいれば遠慮してしまう事も多いだろうから、別にしたんだ。船にいる時は、看護の必要もあってエアリスやティファが傍にいる事が多かったが、それももう必要ない。後は気持ちの回復と、俺達の目がない場所で、彼女が自分の今後について考える時間が要るだろうって話になってな」
「俺達が海賊だって知られたしな。そんな状態で俺達が傍にいたら、脅しか監視の為としか思えねえだろ」


 シドの言葉に、ソラは唇を尖らせた。
恐い事なんかしないのに、と言いたげな最年少の船長に、年上と年長のクルーはこっそりと苦笑する。


「一応、あいつの隣を女部屋にしてある。壁も薄いから、何かありゃ直ぐに判るだろ。気になるんなら、お前もあっちで寝て良いぜ。お前ならあいつらも気にしねえだろ」
「行かないよ!」


 最年少とは言え、ソラとて男である。
ついでに言うなら、14歳と言う思春期真っ只中だ。
幾ら家族的な絆で繋がれた仲間とは言え、遠慮なく女部屋に居座れる訳がない。
女性陣は大して気にしないかも知れないが、それはそれで、自分が“男”ではなく“子供”或いは“弟”として幼子扱いされている証左とも言えるので、ソラには受け入れ難い事であった。

 子供扱いから来る心配はしないが、揶揄う事は止めない年長者達に、ソラの頬は思い切り膨れた。
リスのような顔をするソラに、クラウドがくつくつと笑う。
そう言う顔をするからだ、と彼が思っている事を、ソラは知らない。


「まあ、女部屋に行くのは冗談としてもだ。気になるのなら、お前があいつの部屋に行けば良い。俺達に比べて、お前には気を許しているようだから、話をする位は出来るだろう」
「んん……」


 クラウドの言う事は、ソラにとっては有難かったが、じゃあ行って来る、とは言えなかった。
昼はそんな勢いで船を飛び下りて来たが、あれから半日が経って、勢いはすっかり萎んでしまった。
レオンも今日は買い物に行っていたと言うし、歩き回ってきっと疲れているだろう。
宿に戻って、ようやく一人になれた、と彼女が安息しているのなら、それを邪魔するのは気が引ける。

 ぼてっ、とソラはベッドに倒れた。
行かない、と無言の意思表示に、クラウドは肩を竦める。


「昨日も言ったが、言いたい事があるなら、早い内が良いぞ」
「……うん。でも、今日はもう遅いから」


 遅いと言っても、時間で言えばまだ10時だ。
陽が落ちてから時間は経ったが、ソラ自身が起きているには問題ない。
だが、それは昨日今日とあまりエネルギーを使わなかったからであって、件の人物はそうではないだろう。

 そんな最年少の船長に、らしくもないな、と年長者二人は思ったが、件の人物に対し、仲間を相手にするように気安く接する訳にはいかない事も確かだ。
二人の知る少年ならば、一度は彼女の部屋をノックしに行くだろうと思ったが、どうやら今回の事は、彼にとって色々と刺激になっているらしい。
ならば余計な口出しは控えて、当分は見守ろう、と暗黙に意見は一致した。