空と海の境界線上 錯交編


 レオンとユフィ、エアリスの間に起きた気まずさは、その日の夜には解消されていた。
夕方、ソラはシドとクラウドに連れられ、昨日の内に取り置きしていた買い物を一通り済ませた。
その帰りに、シドがティファと船番を交代し、一部メンバーを替えて宿に戻って来た時、女部屋の前でユフィがレオンに抱き付いていた。
仔猫がじゃれつくように頬を寄せるユフィを、レオンは少々困った顔をして受け止めており、そんな二人をエアリスが微笑ましそうに見ていた。
事情を知らないクラウドとティファは、いつもの事だと特に気にしていないようだったが、ソラはその光景に安堵した。
お陰で夕食も賑やかに過ごす事が出来、夜も何も気にする事なく、健やかな眠りを得た。

 一時のぎこちなさはあったものの、それがより彼女達の距離を近付けたのか、ユフィはそれまで以上にレオンにスキンシップを取るようになった。
エアリスもレオンを連れて買い物に出かけたり、街の広場で催される大道芸人の見世物にも誘っている。
必然的にティファも彼女達に伴って出掛ける事になるので、同じように彼女もレオンとの距離を近付けて行った。

 シドとクラウドは相変わらず、必要以上にレオンに話しかける事はない。
ただ、シドは彼女を見かければ声をかけ、クラウドも女性達の買い物に同行する事が多いので、お互いに壁を作っている様子はなかった。

 そしてソラは、レオンの方がソラに気を許すようになっていた。
出掛ける時に彼女の方からソラに声を掛けたり、船番で彼の姿が見えないと気にかけたりする。
彼女が自分の事を頼ってくれたようで、ソラは嬉しかった。
あの日の彼女の姿も自分だけが知っているのだと思うと───不謹慎とは思うものの───、仄かに優越感を抱いてしまう。
それをユフィに目敏く見抜かれ、「何か良い事あった?」と悪戯顔で揶揄われて、真っ赤になると言う場面も繰り返された。

 ディスティニーアイランド号がこの街に到着してから、一週間が経ち、レオンの服等と言う必要物資も、一通りを揃える事が出来た。
船に乗せる予定の荷物も整えられ、いつもならばそろそろ港を発つと言う頃合いだ。
しかし、今回は誰も海に戻ろうとは言わず、宿でのんびりとした日々を過ごしている。

 一行の朝食は、いつの間にか、行き付けのパン屋と決まっていた。
美味しい焼き立てのパンが毎朝休む事なく作られるのだ。
人気のパン屋は値段もリーズナブルで、日替りの品も並べられており、ソラはあのパン屋のパンが食べられる事を喜んだ。
仲間達からも特に不満の声はなく、この宿に泊まっている間は世話になろう、と全員一致で決定した。

 八日目の朝も、ソラはシドと共にパン屋に来ていた。
ティファとレオンも同行しており、エアリスとクラウドはまだ宿で寝ている。
今日も今日とて、あれもこれもと食べたがるソラを、食事一切を取り仕切るティファが確りと制しつつ、食欲旺盛な男性陣の為にボリュームは欠かさないようにと、パンの山が積み上げられて行く。
女性陣の為のパンは、レオンとティファが相談しながら選んだ。

 十分にパンを買い込んで、宿に戻ろうとした時だ。
宿へと向かう道の途中で、レオンがふと足を止めた。


「レオン?どうしたの?」


 ティファが声をかけるも、レオンはその場から動かない。
不思議に思ったソラが駆け寄って、直ぐ隣で声をかける。


「レオン?」
「あ……」


 はっとしたように、レオンの目がソラを見た。
それからシドとティファも自分を待って足を止めている事に気付き、


「すみません。ちょっと…先に戻っていて貰えますか」
「何か気になるものでもあったの?」
「はい」
「一緒に行こうか」
「…いえ。直ぐに済みますから、お先に行っていて下さい」


 重い口で言ったレオンに、シドとティファが目を合わせる。
二人は抱えていたパン袋を持ち直して、うん、と頷いた。


「良いよ、私達は先に戻ってるから。貴方のパンは、部屋に置いておくね」
「はい。失礼します」


 ぺこりと頭を下げた後、レオンは踵を返して走り出した。
あ、と後を追おうとしたソラだったが、シドに肩を掴まれる。


「放っといてやれ」
「でも、一人でなんて」


 危ないんじゃないのか、とソラは言った。
一週間をこの街で過ごし、比較的治安の良い土地である事は確かだったが、完璧な安全が保障されている訳ではない。
時刻は朝なので、夜に比べればまだ心配事は少ないが、それでも事件が起こる可能性は皆無ではないのだ。
況して、レオンは何処か世間知らずな雰囲気がある為、悪だくみをする連中に目を付けられる可能性は高い。
そんな心配もあるから、今までレオンを一人にしないよう、街に出る際には、必ずティファやエアリス、ユフィ、そしてクラウドと言った面々が傍についていたのではなかったか。

 ソラの疑問は最もであり、彼女の身を心配するなら当然のものだったが、シドとティファは宿へと歩き出した。
肩を掴まれたままのソラも、引き摺られる形で其方へ歩き出す。


「なあ、シド。良いのか?レオンの事、一人にして」
「仕方ねえだろ。一人で確認したいものがあったんだから」
「一緒に行けば良いじゃんか。直ぐ済むって言ってたし、それ位……」
「俺達が一緒に行ったら、確認したくてもし辛いものってのもあるんだよ。仕事探しとかな」


 シドの言葉に、ソラの円らな瞳が見開かれた。
冷や水を浴びせられた表情を浮かべるソラを、シドとティファは気付かないまま歩を進める。

 そうだ、とソラは思い出した。
この一週間で、レオンは自分達の事を信じてくれたように見受けられるが、それでも彼女が今後もディスティニーアイランド号に乗るとは限らない。
乗組員に危険な人物がいないとは言え、あの船が海賊船である事に変わりはなく、海の上にいた時のように、他船の襲撃と言った危険に遭遇しない保証はない。
船の大きさも小規模なので、嵐に巻き込まれた時や、他海賊の襲撃を受けた時の危険度は高い。
それならば、乗組員の数も多く、護衛船も就くような客船や定期船に乗った方が良いだろう。
しかし、客船、定期船に乗るならば、先立つものが必要となる。
生真面目そうなレオンの事、其処までソラ達に無心する訳にも行かないと、働き口を探しているのだろう。

 ソラはシドに肩を押されながら、彼女が消えて行った雑踏を振り返った。
求人広告は街の至る所に張り出されており、些細なものから危険なものまで様々だ。
レオンが何を選ぶのかは判らないが、それを見に行ったとすれば、彼女はもうディスティニーアイランド号に乗らないと考えているのかも知れない。


(……そしたら、お別れなんだよな)


 ソラが廃船でレオンを見付けてから、二ヶ月が経とうとしていた。
絶対安静期間の後、ようやく元気になった彼女とソラが対面してからは、一ヶ月と言った所だろうか。
長いとは言えないが、お互いの人となりを知るには十分な時間だったのではないだろうか。

 けれど、海賊と一般人の隔たりは大きく、レオンにはレオンの目的もあるだろう。
海賊と一緒にいる事は、決してメリットにはならない。


(……こう言うの、別に初めてって訳じゃないんだけどな……)


 船上生活を主軸とした日々は、一期一会も珍しくなく、それはレオンのように平和な遣り取りばかりではなかった。
難破したボートを拾って人を助けたら、部下達に裏切られて海へ放り出された海軍の船長だったり、難破を装った泥棒海賊だったり。
その所為で危険な目にあった事も数知れず、その副産物でディスティニーアイランド号は海賊船として名を知られてしまった。
街に行けば、海賊は出て行けと拒絶されたりもする。
助けた人すら、ソラ達が海賊だと知って恐怖する───数日前のレオンのように。
恐怖のあまり、夜の海にボートでこっそりと漕ぎ出して行った者もいた。
そうした者が、それからどうなったのか、ソラ達に知る手段はなく、無事に陸に着く事を願う他なかった。

 そう思うと、レオンと過ごした日々は、良い思い出になるものだった。
ぎこちなくなった事もあるが、レオンは自分達の下から逃げるように姿を消す事はなく、今も同じ宿に泊まっている。
レオンにとって致し方のない判断なのかも知れないが、決してソラ達の事を厭っている訳ではないは判った。
一緒に食事をしたり、買い物に行ったり、他愛もない話をしたりと、ユフィ達も楽しそうにしていた。

 レオンが自分達に怯えずにいてくれた事も、彼女が自らの目的の為に動き出そうとしている事も、喜ばしい事なのだと、ソラも判っている。
ソラの脳裏には、暗い船倉で死を待つだけの眠りの中にいた彼女の姿が焼き付いていた。
その姿と入れ替わるように、街に辿り着いてから見る、健やかな彼女のシルエットが浮かぶ。
柔らかく笑い掛ける彼女の貌や、無造作に結いまとめた濃茶色の髪が尻尾のように揺れる後ろ姿。
じゃれつくユフィを甘やかしたり、エアリスとティファに髪を整えられている時は恥ずかしそうに顔を赤くしていたり。
そうした日常の風景の中で、一際強くソラの記憶に残っているのは、自分の肩に顔を埋めて体を震わせるレオンの姿だった。

 あの時、何度も撫でた柔らかな髪の感触を思い出して、右手を見る。
じわり、と、熱のような冷たいようなものが肩に滲んだ気がして、ソラは唇を噛んだ。




 いつもと違い、もそもそとパンを齧るソラの様子に、シドもクラウドも気付いていた。
シドはその原因を知っているし、クラウドも何はなくとも、察するものがあった。
此処暫くのソラを知っていれば、彼を一喜一憂させるものが何であるのかは明らかだったからだ。

 昨日はリスのように頬袋を膨らませ、嬉しそうに食べていたチーズ入りのパン。
今日も選ぶ時には「あれ!絶対あれ!」とシドにしつこく強請っていたのに、その時の勢いは何処へやら、今はすっかり消沈している。
そんな弟分に、流石にこれを見守るだけと言うのは薄情か、とクラウドが考えた時だった。


「……レオン、船に乗らないのかな」


 ぽつりと呟いたソラに、クラウドはパンを千切る手を止めた。
碧眼が養い親を見遣り、視線に気付いたシドが小さく首を横に振った。
それでクラウドには全てを知るには十分であった。

 クラウドは慰めるべきかと思ったが、一時の誤魔化し等、何の意味を持たない。
ならば何を言ったものかと考えていると、


「………仕事、探してるみたいなんだ」
「そうと決まった訳でもねえけどな」


 ソラの一言に、シドがそうは言ったものの、彼女が仕事を探しに行ったと言ったのは彼だ。
ソラは唇を尖らせて、


「シドはどっちだと思ってるんだよ?」
「船に乗るかどうかって事か?」
「船も、仕事も」
「……判んねえな」
「なんだよ、それ」
「俺に当たんなよ」
「シドがどっちつかずな事言うからだろ」
「仕方ねえだろ。船にいた時から、仕事がどうのとか言ってたし、そうなんじゃねえかと思ったんだよ。船に乗るにしろ乗らないにしろ、あいつは借りを作りっぱなしってのは我慢ならねえようだし。服やら何やら、全部俺らが立て替えた様なもんだしな。返せるもんは返そうって思ってても可笑しくねえ」


 シドの弁明に、ソラは益々唇を尖らせるが、自分の行動が八つ当たりだと言う自覚はあった。
シドの考え方は自然な事であるし、レオンの今後を思えば、彼女の行動は当然のもの。
定期船に乗るなら金銭は必要不可欠になり、そうでなくとも、この街でレオンの為に揃えられた諸々の費用の為に、幾許かでも返したいと彼女が考えるのは、想像に難くない。

 ソラの喉から、うぐうぐと唸るような音が漏れる。
もやもやとした気分は未だに消えず、何処にもぶつけようもなく、ソラはパンを食べる事で気分を発散させる事にした。
焼き立てだったパンも、時間が経って冷めて来たが、もっちりとした食感が失われる事はない。
美味しいものを食べて腹を膨らませれば、少しは何かが変わる筈だと言い聞かせ、残りのパンを一気に胃袋に詰める。

 無理矢理食事を終わらせたソラは、街へ散策に出る事にした。
必要物資の調達は終わっており、特にやる事がある訳でもなかったが、部屋の虫になっていると、あれこれと考え込んでしまいそうだったのだ。
考え込むのは自分の性に合わないと自覚がある。
少し体を動かして、面白いものでも見付かれば、この鬱々とした気分にも変化はあるだろう。

 そう思って、一人で街に出ようとした時だった。
一階のロビーに下りた所で、丁度宿を出て行こうとしているレオンを見付けた。
後ろ姿のみであったが、それを見た瞬間、ソラの足は走り出す。


「レオン!」


 宿の玄関を開けると同時に名前を呼べば、レオンはまだ直ぐ其処にいた。
ポニーテールに結った髪が揺れて、振り返った蒼がソラを見付ける。


「ああ、ソラか」
「何処行くの?」


 心なしかほっとしたようにソラの名前を呼んだレオンに、ソラは駆け寄りながら訊ねた。


「少し街を歩こうと思ったんだ。色々あるから、見て置こうと思って」
「一人で?大丈夫?」
「ああ」
「……俺も一緒に行って良い?」


 レオンが何処に行こうとしているのか、ソラは何と無く予想がついた。
今朝のシドの予想が合っていれば、これから本格的な職探しに出るのだろう。
ソラの心には、またもやもやとしたものが浮かび上がっていた。

 ソラの申し出に、レオンは弱ったように眉尻を下げた。


「その……詰まらないと思うぞ。見て回るだけだから」
「俺も散歩行こうと思ってたトコだから、それは平気」
「そうか……」


 じゃあ一緒に行こう、とレオンは言わなかった。
来ないでくれとも言い辛いのは、相手が子供とは言え、自分を助けた恩人だからだろうか。

 彼女の行動を邪魔している自覚はあったが、ソラはレオンを一人にしたくなかった。
はっきりと断られない事を良い事に、行こう、とソラはレオンの手を握って歩き出す。
レオンはソラの手を振り解こうとはせず、されるがままにソラの後について足を動かした。


「何処行く?広場?大通り?」
「…市場に行こうと思っていたんだ」
「じゃあこっちだ」


 手を引くソラに、レオンは大人しくついて行く。
ソラが握った手は力なく垂れていて、彼女の複雑な胸中を具に表しているように思えた。

 この街の中心部を突きぬける大通りには、並行して伸びている市場通りがある。
大きな市場は区ごとに分けられ、場所によって生鮮食品、金物や日用雑貨を扱う店も並んでおり、ブティックが並ぶ場所もあった。
食堂や酒場と言った飲食店もぽつぽつと建っており、市場で働く人々の憩いの空間になっている。
商業区として発達した市場通りは、常に商人と買い物客で溢れており、同時に職を求める人が集まる場所でもあった。

 市場通りに入る頃には、レオンはソラと並んで歩くようになっていた。
繋いだ手が解かれる事はなく、レオンはソラの歩調に合わせて足を動かしている。
どうやら、ソラの好きにさせる事にしたらしい。


「あの林檎、美味そう」
「そうだな。良い色だ」
「あっちのオレンジも美味そうだな〜」
「よく見かける。この街では旬なのかな」
「野菜は良いや」
「ソラは野菜は嫌いか?」
「嫌いって訳じゃないけど、肉の方が好き。腹も膨れるし」
「ソラは燃費が悪いみたいだな」
「よく食べるんだよ。だから俺、絶対にもっと身長伸びるよ。クラウドなんか追い越してやるし」


 いつも小さい小さいと揶揄う年上の仲間を思い出して、ソラは対抗心を燃やした。
自分だって決して大きくはない癖に、と。


「知ってた?クラウドのあの髪、自分でセットしてるんだよ」
「……その…寝癖と言うか、自然なものではないのか?」
「勝手にあんな風にはならないって」


 クラウドに身長の事を指摘すると、クラウドは無言でソラの両頬を抓りに来る。
彼は決して小柄ではなく、ソラが知る限りでは恐らく一般平均程度の身長はある筈だ。
しかし、彼にとっては理想の身長には程遠いらしく、髪の毛を逆立てて見た目の身長を誤魔化している所がある。
シドが言うには、あれはクラウドの幼い頃からの事らしく、幼年期には幼馴染のティファよりも身長が低かった事がコンプレックスになっているとの事。
現在の髪型は、あれでもまだ落ち着いた形になったらしく、一時期は本当に鶏冠そっくりだった事もあるらしい。
生憎、ソラは今のクラウドの髪型しか知らないが、現在の髪型で落ち着いたと評する程、彼の身長へのコンプレックスは強いものだったのだと言う事は判った。

 わざわざ髪型を立ててまでサバ読むなんて、と言うソラを、レオンはじっと見詰めている。
蒼が映しているのは、ツンツンと重力に逆らった茶色の髪だ。
ついでに、年齢と言う点も無視は出来ないが、ソラは船に乗っていた者達の中で、最も小柄である。
ユフィも小柄だが、そのユフィと並んでも、ソラは一等背が低いのである。

 それでさあ、と他愛のない話を続けようとしたソラだったが、ぽす、と何かが頭に乗った事に気付いてピタリと止まる。
丸い目で隣の女性を見上げると、レオンは空いていた手でソラの頭を撫でていた。
ティファやエアリスよりも大きく、シドよりも小さく柔らかな手が、ソラの頭を撫でている。


「………へ?」


 突然のレオンの行動に、ソラはぱちくりと瞬きをした。
立ち尽くすソラの頭を、レオンは堪能するように、頭頂部、後頭部、耳の上と、優しく撫で続けていた。


「うえ…あ……レオン?」
「……あ、」


 ソラがようやくと言った風にレオンの名を呼ぶと、彼女もはっと我に返ったように、慌てて茶色の頭から手を退かせた。


「す、すまない。ソラの髪は、柔らかいなと思って……固めてる訳じゃないんだな」
「……俺、別に身長とか気にしてないよ。身長誤魔化すのに、髪を固めたりしてないし。クラウドじゃあるまいし」
「そう、だな。すまない」


 唇を尖らせたソラの言葉に、レオンは眉尻を下げて詫びた。
それに対し、別に良いけど、と言いながら、ソラは自分が嘘をついている事を判っていた。

 クラウド程ではないが、ソラも身長がコンプレックスだ。
船の上で自分が一番年下で小柄と言うのもあるが、どうやら自分は平均的に見ても、身長が伸び難いらしい。
幼年期は小柄だったクラウドも、14歳の頃には今のソラよりも身長が伸びていたと言う。
彼の場合は、初めが遅く、思春期に一気に伸びて、打ち止めが早かったパターンだ。
しかし、ソラはこのままで行くと、思春期真っ只中である今も余り身長は伸びないまま、成長期が終わるかも知れない。


(いやいや。まだ伸びるし。大人になっても伸びる奴だっているし)


 誰に対してでもなく、胸中で言い訳を零して、ソラはうん、と頷いた。
自分に言い聞かせるソラの仕種に、レオンがきょとんとして首を傾げる。

 ソラは、前を向いてゆっくりと歩き出したレオンを見た。
見上げなければ見えない顔、繋いだ手の大きさからも判るように、彼女は背が高い。


「……レオンはさぁ。背が高いよな。なんで?」


 身長が伸びる秘訣でもあるのかと、ソラは訊ねた。
すると、繋いだ手が僅かに強張ったのが伝わる。


「……なんでって?」
「どうやったらそんなに背が高くなるんだろうと思って」
「…ん……どう、だろうな……」


 鈍い反応に、おや、とソラは違和感を察した。
その理由を探して、ひょっとして地雷だったかと遅蒔きに気付く。


「あの……俺、変な事聞いた?」
「いいや。大丈夫だ」


 そう答えながら、レオンの表情は寂しげだった。
謝らなきゃ、とソラは思ったが、「大丈夫」の言葉が引っ掛かる。
気にしなかった事にして、流してしまった方が良いだろうか。

 ひっそりとソラが悩んでいると、不意に芳ばしい香りが鼻腔をくすぐった。
明らかに胃袋を刺激する事を目的としているような匂いに、ソラは誘われるままに眼を向ける。
其処には、薄く切ったバゲットで肉と野菜を挟んだ食べ物が売られていた。
強い匂いは濃厚なソースが漂わせているもので、朝食のパンの消化が終わったソラの胃袋を誘っている。


「あ、あれ!レオン、あれ食べよう!」
「え、」


 レオンの反応を待たず、ソラは彼女の手を引いて匂いの下へ走った。
店は屋台の形で、人がやってきては素早く対応しており、行列は出来ていないものの、客足は絶えない。
ソラは首尾良く客足の隙間に滑り込んだ。


「二個!」
「毎度ー」
「ソ、ソラ、待ってくれ。俺…私は今、手持ちが」
「俺が買うから気にしないで良いよ」
「そう言う訳には……」


 レオンが戸惑っている間に、店主はてきぱきと商品を揃え、薄紙に包んだサンドを二人の前に置いた。
ソラはポケットに入れていた財布から銅貨を六枚取り出して、商品と交換する。


「はい、レオンの分」
「あ……」


 店を離れ、差し出されたサンドを、レオンはぽかんとしたまま受け取った。
保温と手持ちの役目を果たしてくれる紙を一部開けると、先も嗅いだ香ばしい匂いが立ち、ソラは大きく口を開けて齧り付いた。
むぐむぐと顎を動かしながら、座って食べられる所を探して歩く。
レオンはそんなソラの後ろをついて歩いていた。

 ベンチ等と言ったものは見当たらなかったので、道の端を彩る生垣に座らせて貰う事にする。
ソラが生垣に腰を下ろすと、レオンはやや迷ったように留まった後で、ソラの隣に寄り掛かった。
座ったソラの足がぷらぷらと遊んでいるのに対し、生垣に尻を僅かに乗せただけで寄り掛かるレオンの足は、しっかりと地面に届いている。
彼女の足が如何に長いか、身長差を実感して、ソラは微妙な気分が再来したが、サンドを齧って追い払う。


「うまっ!やっぱこの街、美味いもの多いよな」
「………」


 舌鼓を打ってレオンに話しかけてみると、彼女は包まれたままのサンドをじっと見詰めていた。
ソラはもう一口齧って、飲み込むまでの間、じっとレオンの横顔を見詰める。
レオンは視線に気付く様子はなく、両手で持った包み紙を見下ろしているだけだった。


「食べないの?肉、嫌いだった?」
「あ……い、いや。そんな事はない」
「じゃあ早く食べないと冷めるよ?」


 ソラが声をかけて、ようやくレオンは包み紙を解き始めた。
ほこほこと温かなサンドを齧って、ゆっくりと噛んで飲み込む。


「……うん。美味いな」
「な!」


 レオンの言葉に、ソラは破顔した。
大きく口を開けて齧り付いて、むぐむぐと噛んで飲み込み、直ぐにまた齧る。
そうして何度か食い付いてから、はた、とソラはある事に気付いた。

 想像の範囲ではあるが、レオンは仕事を探そうとしている。
先立つものが必要である事と、今までソラ達に世話になった分を返そうとしているのは、強ち間違いではないだろう。
そんな時に、銅貨数枚分とは言え、奢られる形になった食べ物一つ。
微々たる借金が増えてしまった事を、彼女は気にしているのかも知れない。
そうでなくとも、年齢差が明らかな二人で、見るからに年下のソラに奢られていると言うのは、年上のプライドを傷付けたのではないだろうか。


(あああ、失敗したかも……)


 ソラは頭を抱えて蹲った。
普段、仲間達と当たり前に行っている事だが、レオンは決して仲間ではないのだ。
一ヶ月近くを共に過ごして距離感は近付いたものの、それは決して気安い仲ではなく、彼女の遠慮を残した態度も相変わらずだ。
ただでさえ、彼女に無理を言って付いて来ているのに、更に余計な事をしてしまったのでは───とソラが考えた時だった。


「ソラ。ついてるぞ」
「へ?」


 レオンの言葉に顔を上げるソラだったが、彼女が何を指して行っているのかが判らず、ぽかんとしてしまった。
レオンはそんなソラにくつくつと笑って、ポケットから取り出したハンカチで、ソラの口元を拭ってやる。


「ソースが口の端についていた。急いで食べるからだ」
「あ、ありがと……」
「ソラは食べる事となるとまっしぐらだな」


 笑いながら、レオンはハンカチを畳み直して、ポケットにいれた。
小さな口がサンドの二口目を齧り、ゆっくりと噛んで飲み込む。

 サンドを食べる彼女の表情は柔らかく綻んでいて、口端が緩く持ち上がっている。
それを見て、ソラはぽかぽかと温かいものを感じながら、半分になったサンドを食べ進めた。




「……で?結局、夕方までずーっとデートに連れ回してたって訳?」


 夕食へと向かう道すがら、ソラはユフィに今日一日の出来事について話していた。

 ユフィはソラとレオンが一緒に出掛けている所を見ており、何話してたの、と訊ねた。
レオンに対してスキンシップを躊躇わないユフィだが、その反面、彼女の今後の動向については余り聞いていないらしい。
気になる事ではあるのだが、直接聞けば彼女の選択を急かしているように思われそうだし、その所為で彼女に後悔のある選択をさせるのも嫌だった。
その為、数日前からレオンが一人でふらりと何処かへ行っている事は聞いていたが、何処で何をしているのか、気になっていても直接聞く事が出来ずにいた。
今日は一人で出かけようとしていたレオンを、ソラが追って行くのを見たので、ソラに聞こうと思ったのだ。

 ソラはユフィに聞かれるまま、正直に答えた。
レオンと一緒に市場巡りをし、のんびりと散歩をして、少し買い食いをした───話せる事はそれだけだ。
市場の散策が終わると、大路を中心に行く宛ても決めずに歩き、夕方まで過ごしていた。
それを聞いたユフィの反応が、先の言葉である。


「……デートじゃないって」
「いや、デートじゃん。二人で一緒に散歩でしょ?」
「うん」
「デートじゃん」


 だから違うって、と反論するソラに、いやいや、とユフィはまた反論した。
そのまま押し問答が続く事、しばし。
二人の隣で話を聞いていたティファが、眉尻を下げて割り込んだ。


「まあまあ、ソラもユフィも。問題はそう言う事じゃないでしょ?」
「だってデートじゃないし」
「デートじゃん!」
「その話はまた後でね。それより、レオンの事が気になるんじゃなかったの?」


 ティファに宥められ、そうだった、とユフィが思い出した。


「レオンはきっと仕事を探しに行ったんでしょ?」
「…多分」
「なのにずーっと一緒にいた訳?」
「…まあ」
「何やってんの」
「うぐ」


 直球なユフィの言葉に、ソラはぐうの音も出なかった。

 話題の中心である人物は、現在、一人で宿に残っている。
ティファとユフィが夕食にと誘った所、レオンは「昼過ぎに色々と食べたので…」と断った。
その時ティファは、彼女がソラと一緒に出掛けていた事を知った。
一緒に食べ歩きなんて随分と親しくなったものだと、二人も微笑ましく思っていたのだが、昼前から夕方までずっと一緒にいたとは思わなかった。
レオンが何を思って出掛けようとしていたのか、ユフィもティファも予想が出来ていただけに、ソラの行動には驚いたのだ。
結局、レオンは仕事探しは出来ないまま、今日一日を棒に振った事になる。

 じっとりと睨むユフィに、ソラは目を反らすしか出来ない。
自分が彼女の行動を制限していた事は自覚があるのだ。
半分はそのつもりで同行をねだったし、遠目に求人募集の掲示板を見る彼女に声を掛けたりしていた。
レオンはその事に何も言わなかったが、複雑そうな表情を浮かべている事もあり、ソラの行動が彼女の邪魔をしていたのは確かだ。


「鬱陶しいって思われてたんじゃないの」
「そ…そんな事ないだろ…レオン、何も言わなかったし」
「言うような性格じゃないっしょ、あれは」


 レオンの態度には、相変わらず遠慮が見られる。
あの態度は、判り易い距離の置き方なのだろう。
必要以上に近付き過ぎないように、遠慮と言う形で線を引いている。
一緒に行こうとねだったソラを拒否出来なかったのも、その所為だろう。

 ユフィにちくちくと突かれて、ソラは判り易く萎れて言った。
自覚があっただけに、ユフィの言葉で喰らうダメージは相当大きい。

 そんな気配を察したか、シドと共に前を歩いていたエアリスが振り返り、


「ソラは、レオンとこれからも一緒にいたいんだよね。だからそんな事しちゃったんだ」
「……ん……」
「だからってさあ。邪魔しちゃ駄目でしょ」
「うう……」


 エアリスの援護も、ユフィはばっさりと言い切った。
また凹んで行くソラの頭を、ティファがぽんぽんと撫でて慰める。


「レオンがこれからどうするのか、レオンが決めた事なんだよ。その為に仕事を探してるんだから、あたし達が邪魔しちゃ駄目だよ」
「まあ、ね。ユフィの言う事は最もだけど、ソラの気持ちも判らないでもないよ。折角仲良くなったんだし、バラム島まで送るって約束もしたし。それ位はって言う気持ちは、私もあるし」
「でも」
「その辺にしとけ、ユフィ」


 言い募るユフィを遮ったのはシドだ。
シドは酒場の扉を押し開けながら、続く養い子達を振り返って言う。


「その辺の事は、ソラだって判ってんだ。今日位は多目に見てやれ。まだあいつを一人で街歩きさせるにゃ、心配もあったしな」


 レオンが所謂“一般人”ではない事は、シドだけでなく、全員が感じていた事だった。
船の上で初めての仕事を任せた時、洗濯のやり方すら彼女は知らなかった。
知っていなければ可笑しい、とは言わないが、一般常識の範疇である。
それは彼女も理解していたようで、ティファ達に洗濯の仕方を訪ねる時は、酷く気まずそうにしていた。
そもそも、立ち居振る舞いからして、彼女には気品がある。
目上に対する改まった態度も、無理をして正している訳ではなく、沁み付いたものである事が伺えた。
所作だけで育ちの良さが伺える人間は、王族貴族か、或はそれらに仕える家の者に限られる。
一般人からすれば全く別の生物も同然であり、向こう側もそう思っている事は少なくなかった。

 王族貴族、それに仕える者は、平時は先ず一般人の住む場所に姿を見せる事はない。
日常生活に必要なものの調達は、それを仕事とした者が行う事で、当人達が触れるものではないのだ。

 そんな王族貴族がふらりと街に紛れ込んでくる事がある。
下々の生活を覗いてみたいと言う、好奇心か学術的欲求か、そんな理由で下りてくる。
大抵は御付の者がさり気無く警護しているが、世間知らずの子息は好奇心に任せて一人で下りてくる事もある。
そうした貴族の子供は、悪い事を生業にするような者からすれば格好の鴨であった。
────レオンもそうした空気が滲んでいるのだ。


「あいつからすりゃ、自分の事にこれ以上俺達を振り回さないようにってつもりなんだろうが、どう見てもカモにされる性質だろうからな。ソラがいたお陰で、妙な輩に絡まれる事もなかったって事にしといてやれ。職の目星をつけるだけなら、ソラがいても出来ただろうしな」
「…シドはソラに甘いよー。あたしだったら絶対怒る癖に」
「時と場合だ。ソラ、お前も程々にしとけよ。気持ちは判らねえでもねえけどな」
「……うん」


 釘を差すシドに、ソラは素直に頷く。
その隣では、ユフィが不服そうに唇を尖らせていたが、萎れている弟分を横目に見て、ぽんぽんと頭を撫でた。




 船番としてディスティニーアイランド号に一人乗っていたクラウドは、甲板で幼馴染の作った夕食にありついていた。
三日前にティファが作り置きした肉団子入りのスープは、ピリッと胡椒が利いていて、年下好みの味の濃さになっている。
水の代わりにラム酒を傾けながら、一人のんびりと過ごす時間を、クラウドは存外と気に入っていた。

 毎日賑々しい仲間達に囲まれているクラウドだが、彼自身は静寂を好む性格だ。
港に着いての船番は、その静寂をじっくりと謳歌できる。
明日にはまた賑やかな生活に戻るので、クラウドは今の内にと静寂を肴に酒を飲む。

 摘まみの料理がなくなった所で、クラウドは最後の酒も飲み干した。
止める人間がいないので、次の酒を注いでも良いのだが、船番として酔い潰れる訳には行かない。
適度に気分の良い所で止めるのが一番だと、クラウドは甲板に出していた食器を戻す為に腰を上げた。

 食器はシンクの水に浸し、洗う事はしない。
クラウドは基本的にキッチンへ立つ事を禁止されている為、洗い物もほとんどしなかった。
何度か手伝った事があるが、洗っている筈の皿が割れたり、調理はキャベツとレタスの区別がつかなかったりで、キッチンを仕切る幼馴染から「クラウドは何もしないで」ときっぱりと断られた。
その頃には、自身もその方が良いと自覚があったので、このお達しは素直に受け入れている。
酒とグラス一本の持ち出しは許されているので、それ以外の余計なものには触らない。

 酒で温まった体を少し解そうと、クラウドは甲板に戻り、船首へ向かった。
風に当たって火照りが収まったら、軽く運動をしよう───と思った時だった。
船首楼から見下ろす波止場に、一人立ち尽くす影を見付けて、眉根を寄せる。
夜に慣れたクラウドの眼は、時間を置かず、その影にじりじりと近付く不届き者を確認した。


「……やれやれ」


 クラウドは肩を竦めて、早足で甲板の舷縁に向かった。
舷縁の柵を一足で飛び越えて、波止場へ降りる。


「あんた、其処で何をしているんだ」
「!」


 着地と同時に声をかけると、立ち尽くしていた人影が振り返る。
ポニーテールの豊かな濃茶色の髪を揺らしたその人物は、遠目に見た時の予想通り、レオンであった。

 レオンはクラウドの顔を見て、ほっとしつつも、些かばつの悪い表情を浮かべる。


「その……人と待ち合わせをしていて」
「待ち合わせ?」


 レオンの言葉に、クラウドは見るからに顔を顰めた。
判り易い流れに、クラウドは溜息を吐く。


「こんな時間に、こんな場所でか?」
「あちら側の指定だったんです」
「……あんたなぁ……」


 見るからに悪い誘導ではないか、とクラウドは思ったが、レオンはそうは思っていないらしい。
全く疑っていないと言う訳でもないようだが、律儀に来てしまった時点で、彼女の危機意識の如何を見た気分だった。

 レオンはきょろきょろと辺りを見回し、人を探しているようだった。
船首楼から見ていたクラウドは、周囲に面倒な気配が蔓延している事が判るが、夜目が利かないのもあってか、彼女は気付いていない。
クラウドは人気のない大きな木箱の山を見た。
こそこそと此方を伺っている者が、恐らく、件の首謀者だろう。

 クラウドはレオンの隣に立って、知り合いである事を判り易く示す。
自分がディスティニーアイランド号から降りてきた事は、恐らく見られている筈だ。
次いで、自分が海賊だと知っている者があちら側にいれば、これ以上は連中も近付いて来ない筈。


「こんな場所で待ち合わせとは、穏やかじゃないな」
「…私もそう思ったんですが……」
「思った時点で断るべきだぞ。断れないなら、せめて誰かと一緒に来るべきだ」
「……はい。すみません」


 詫びの気持ちに頭を上げるレオンに、クラウドは頭を掻く。


「そう言う態度も止めた方が良い。あんた、完全に鴨だからな」
「鴨……?」
「……狙われ易いって事だ。まあ、言っても仕方がないか」


 首を傾げるレオンは、自分が回りにどのように見えているのか、全く気付いていない。
クラウドは言いたい事は色々あったが、此処で長話は良くないと、言葉をひっくるめて飲み込んだ。


「それで、誰と待ち合わせだったんだ?まさか、言えないような相手じゃないだろ?」


 遠回しに“言え”と強いてやると、レオンは少し言い難そうに口籠った。
それは後ろめたさと言うよりも、クラウドや船の仲間達への遠慮の所為だろう。

 レオンは少し間を空けた後、正直に言った。


「今朝、仕事を紹介して貰えないかと相談したんです」
「誰に?」
「え…と……酒場の人です」
「晩飯に行っていた所か?」
「いえ。今朝、たまたま見つけた酒場です。外に掲示板があって、求人や依頼広告のようなものが貼ってあったので、見ている時に声を掛けられて」
「……仕事を探しているなら紹介してやる、と言う流れになったと」
「はい」


 ────何と言う判り易い釣り針だろうか。
クラウドは呆れるしかなかったが、レオンにとっては願ったり叶ったりだったのだろう。
地元の人間と違い、伝手も何もない上、自身で自覚している世間知らず。
こんな自分を雇ってくれる所が果たして有るだろうかと思っていた所で、仕事を紹介してくれると言う。
紹介となれば、仲介人の信頼度があれば、雇う側も簡単に拒否する事も少ない。
後は自分が信頼を得られるように頑張れば良い、と、彼女はそう思ったに違いない。

 だから鴨なんだ、とクラウドは胸中でひっそりと毒を吐く。

 説教は後にしよう、とクラウドは思った。
先ずはこの物騒極まりない状況から、彼女を安全区域に避難させなければならない。


「上から見ていたが、近くには誰もいなかったぞ」
「そうなんですか?」
「フイにされたのかもな。まあ、ああ言うのはあちこち声をかけているものだし、忘れられるのも珍しくない。当てるつもりだった仕事に、あんた以外の適任が見付かったんだろう」
「……そうですか……」
「連絡も寄越さず放ったらかしって言うのは、大抵、碌な仲介人じゃない。勉強したと思って、今日は宿に帰れば良い」
「…もう少し待ってみたいんですが」
「止めておけ。そんな事をしている間に、他の仕事を探した方が建設的だ」


 食い下がるレオンを、クラウドはきっぱりと切り捨てた。
彼女の必死さは判らないでもないが、このまま此処に一人にすれば、どうなってしまうのかは明らかだ。

 行くぞ、とクラウドはレオンの手を掴んで歩き出した。
強引な手段にレオンの手が一瞬震えたのが伝わったが、クラウドは構わなかった。
仕事への名残惜しさにいつまでも待ち続けそうなレオンを連れ出すには、これが一番手っ取り早い。


「あ、あの……」
「宿まで送る」
「そ、それは、その。有難いのですが、船番では…」
「あんたを送って戻る程度の時間なら、空けていても問題ない」


 船番は必須の役割ではあるが、今優先すべきはレオンの安全だ。
彼女に何かあれば、ソラやユフィは勿論、エアリスやティファ、シドも黙ってはいまい。

 港を離れても、二人を囲んでいた不穏な気配は、後をつけて来ている。
レオンが一人になったら、折角の獲物を失うまいと、形振り構わず襲ってくるかも知れない。

 クラウドは、手を引く女性をちらりと見遣った。
明るさを取り戻してきた街の中で、彼女の存在感は一つ抜きん出ていた。
立ち居振る舞いから滲む育ちの良さは勿論、男を引きつけるスタイルの良さも、注目の的だ。
エアリスの服を借りていた時は、ゆったりとした服装に隠されていたそれが、動き易さを重視した服装の所為で人目に晒されるようになった。
酒場前で声をかけて来た男と言うのも、彼女のそんな所に誘われたに違いない。

 周囲の明かりが増えて来て、不穏な気配が諦めて遠退いたのを確認し、クラウドは歩調を緩めた。
釣られるようにレオンの足も遅くなる。
しかしクラウドは、宿に着くまでは気を緩めてはならないと、彼女の掴んだ手は離さない。


「あんた、仕事を探すなら、次からシドかティファに同行して貰え」
「…其処までお世話になる訳には…」
「さっきみたいな事だってあるんだ。酒場で一度酔っ払いに絡まれただろう。騙して馬鹿な真似をしようとする奴もいる。そんな目に遭ったら、あんたを助けたソラが悲しむ。そんな目に遭わせる為に、あんたをあの船で見付けた訳じゃないからな」


 恩人である少年の名に、ピクッ、とレオンの肩が震えた。
俯いた彼女の目許が迷うように揺れ、唇が真一文字に紡がれる。


「……すみません」


 ようやく絞り出した言葉に、クラウドはひっそりと息を吐く。
これで少しは、彼女の遠慮の壁から来る無茶も取り除けただろうか、と。

 宿の前に来て、此処までで良いか、とクラウドがレオンの手を離そうとした時だった。


「あーっ!!!」


 響いた声にクラウドとレオンが振り返ると、見慣れた顔が並んでいた。
その真ん中でユフィが此方を指差して大口を開けており、隣ではソラが目を丸くしている。
なんだその反応は、と眉根を寄せたクラウドだったが、ユフィが指差しているものに気付いて、しまった、と眉根を寄せた。


「クラウドがレオンの手を握ってる!」
「……やっぱり其処か…」


 駆け寄って来たユフィの台詞に、クラウドはげんなりと溜息を吐いた。
掴んでいたレオンの手も離して、レオンから距離を取る。


「なんでクラウドが此処にいるの?なんでクラウドがレオンと一緒にいんの?何処連れてくつもりだったの〜?」
「揶揄うな。連れて行くんじゃなくて、連れて来たんだ」
「あ、あの……」


 ユフィに反論するクラウドに、レオンがおずおずと声をかける。
蒼灰色が、出来れば秘密にして欲しい、と訴えていたが、クラウドは無視した。
彼女の遠慮の理由は理解できないでもなかったが、何度もこんな事が起こる方が面倒だし、仲間達も気が気ではあるまい。


「仕事を紹介してやると言われて、港で待ち合わせていたそうだ」
「え!?」
「マジで!?そんなの行ったの、レオン!」
「う、あ…は、はい……」


 判り易く目を丸くして振り向いたユフィとソラ、話を聞いていたシド達も顔を顰めてレオンに注目する。
全員の視線はまるで針の筵で、レオンは申し訳なさそうに身を縮こまらせた。


「まあ、フイにされたようだがな」
「あ、そうなの……」
「じゃあ何もなかったのね?」
「一応は」


 含みのあるクラウドの言葉の意味を、仲間達は正確に理解していた。
誘き出された彼女には、それ以上の事は何もなかったが、一歩遅ければ不埒な輩に襲われていたであろうと言う事。
だからクラウドが彼女の手を引いていたのだと、その理由も理解して、ユフィも揶揄って来る事はなかった。


「良かったあ。レオン、ああいう所に呼び出すようなのは碌なのじゃないから、行っちゃ駄目なんだよ」
「はい、覚えておきます。クラウドさん、送って下さって有難う御座いました」
「構わない。じゃあ、俺は船に戻る」
「おう、ご苦労さん」


 クラウドはひらりと手を振って、仲間達に背を向けた。
仲間達が戻って来るまでは宿で警護するべきかと思っていたが、もう心配は要らないだろう。

 船へと戻る道すがら、クラウドは改めて辺りを見渡した。
波止場から宿までの道で、レオンを襲おうとしていた者は消えたようだが、他の人間の目についたのは間違いない。
船の仲間達が一緒にいれば、安易に襲い掛かる者は少ないだろうが、クラウドにとって気掛かりなのは、ディスティニーアイランド号のクルーの半分以上が女性だと言う事だ。


(……少し掃除をして行くか)


 万が一にも起きないと言い切れない事は、種の内に摘んでおいた方が良い。
クラウドは宿に程近い物陰から、じろじろと此方を見ていた男を、見せしめにするべく踵を返した。





色々と設定のあるレオンですが、世間知らずは確かです。
警戒心がない訳ではないけど、それ自体が未熟な上、真面目さに足を掬われる。