空と海の境界線上 錯交編


 クラウドから聞いた一件により、レオンは仕事を探す為に出掛ける時には、必ずシドかティファに同行して貰う事になった。
レオンはクルーの面々の時間を割いてしまう事を最後まで遠慮していたが、シドが「お前さんがまともな仕事に就けた事が判りゃあ、こっちも安心するからよ」と言って宥めた。
今まではレオンの決断を焦らせまいと見守る事に重きを置いていたが、彼女がはっきりと仕事を探す事を決めたのなら、その為の助力は誰も惜しまない───唯一人を除いては。

 女だけでは足元を見られる事もあるだろうと、レオンの仕事探しに同行するのはシドに決まった。
男が一緒にいれば、不埒を働く輩は近付き辛いし、シドは人を見る目も経験もあるので、騙そうとしている人間の事も嗅ぎ分けられる。
レオンもシドの事を信頼しているようだったので、話は直ぐにまとまった。

 これらの流れを、クラウドは船番交代の折にユフィから聞いた。
次いで、話がまとまって以降、ソラがずっと不貞腐れた顔をしている、と言う事も。
彼女の言った通り、クラウドが一日振りに宿に入ると、ベッドの上で芋虫になっている少年を発見した。


「……言いたい事があるなら、言いに行った方が良いぞ」


 宿への道すがらに買ったものをテーブルに置いて、クラウドは言った。
芋虫はもぞもぞと身動ぎし、のそ、と布を捲って顔を出す。


「……そんなの、別にない……」
「鏡を見て来い」


 何もないなどと言う顔はしていない、と指摘するクラウドに、ソラは唇を尖らせた。
そんな表情のまま、もそもそと芋虫に戻るソラに、クラウドは表情を変えずに言う。


「あいつが仕事を探すのが不満か」
「……別に……」
「ユフィに聞いたぞ。昨日、仕事探しの邪魔をしたらしいな」
「…邪魔なんかしてないよ。…そんな感じになっちゃってたけど」


 ユフィの奴、変な言い方するなよな───とぼやきながら、ソラは彼女の言葉が強ち外れていない事を自覚していた。

 レオンが仕事を探していると気付いた時、少なからずショックを受けた。
彼女が船を降りる事を決めたからだと思い、それは自分達との別離が決まったも同然だったからだ。
自分達が海賊と知られてからの蟠りが解け、もう一度親しく笑い合えるようになった事を喜んだ矢先だったから、ソラには余計に哀しかった。
しかし、レオンにはレオンの事情があり、一般人から見て“海賊船”が如何にリスキーな存在であるかが判らない程、ソラも子供ではない。
何より、成り行きで拾った彼女の動向は、彼女の意思が何よりも優先されるべきものだ。
ソラがどんなに彼女と一緒にいたいと望んでも、バラムの島まで届けてやりたいと思っても、レオンがそれを良しとしなければ、縁は此処で終わりとなる。


「……良いことだって判ってるんだ」


 ぽつりと呟いたソラを、クラウドは目だけで見た。
買い物袋の中から、昼食用に買った干し肉を取り出して齧りながら、「何が?」と確かめてやる。


「…レオンが仕事を探してること。レオンが元気になったって事なんだし」
「そうだな。積極的なのも悪い事じゃない」


 無防備なのは良くないが、とクラウドは胸中で付け足した。
それも、今日の内にシドが色々と教えているだろうから、少しは改善されるだろうと期待する。


「…海賊船なんか、いつ何が起きるか判んないしさ。他の船とトラブルになったりとかあるし。海軍に追っ駆けられたりもするし」
「ああ」
「うちの船、大きくないから、嵐になったら大変だし。そんなのに比べたら、大きくて安全な連絡船に乗った方が良いだろうなって思うし。お金はかかるけど、その分、安全が保障されてるのも確かだし……」


 芋虫になったまま、ぼそぼそとソラは続ける。
クラウドは話を聞きながら、買い物袋から取り出した牛乳の蓋を開ける。
シドがいるなら温めて貰うのだが、彼はレオンに同行しているので不在だ。
冷たい牛乳が飲めない訳ではないので、構わずに口に運ぶ。


「その方が良いよなって、思ってるんだけど……」


 頭と心がバラバラになったようだと、ソラは思う。
理由が何であれ、レオンの積極性は喜ぶべき事だ。
彼女が元気になった証でもあるし、職探しにシドの手を借りるようになったのも、良い事なのだ。
しかし、そう考える頭とは裏腹に、ソラの胸の奥で、もやもやとしたものが大きくなって行く。

 ぐす、と鼻をすする音が聞こえて、クラウドは零れかけた溜息を牛乳で誤魔化した。


「…泣く程嫌なら、そう言って来い」
「泣いてない!」
「……良いから、早く言いに行け」
「そんな事したらレオンが困るに決まってるだろ!」
「普段、俺達にあれこれ言って困らせてるお前が、今更それを言うのか?」
「皆とレオンは違うじゃん!」
「……まあな」


 布団から跳ね起きて、叫ぶように言ったソラに、クラウドは静かな声で頷いた。

 ソラが仲間達を良くも悪くも振り回せるのは、その対象が家族同然の仲間だからだ。
毎日を同じ船の上で過ごし、酸いも甘いも共に分かち合っているからこそ、ソラも遠慮なく言いたい事が言える。
時にトラブルを巻き起こしながらも、それを怒ったり、許す事も出来るから、ソラは最年少でありながら船長と言う役職を許されたのだ。

 しかし、レオンは家族ではなく、仲間ではない。
偶然見つけた廃船で、偶然保護した、行きずりの人である。
行く宛てもなく風来船をしていられるディスティニーアイランド号とは違い、彼女は行く先を持っている。
今は偶々線が交わっているだけで、明日にもそれは解けるかも知れず、そうなればきっと二度と逢う事はないだろう。


「……それにさ。クラウド、言ってただろ。レオンはお姫様かも知れないって」


 ソラの言葉に、そんな事も言ったな、とクラウドは他人事のように思い出した。


「かも知れないってだけだ。確信はないし、俺の勘違いだって可能性の方が高い」
「でも似てたんだろ?」
「男だったけどな。うろ覚えだが、名前も違ったと思うし」


 言いながら、“レオン”が本名であるかも怪しいんだが、とクラウドは独り言ちる。
彼女の正体が何であれ、立ち居振る舞いから考えるに、貴族やその血縁と言う線は濃い。
となれば、家柄もそれなりだろうし、得体の知れない他人に自分の本名を迂闊に明かすとも思えなかった。

 ソラはクラウド程に考えが及ばないようで、先のクラウドの言葉を聞いて、ううん、と唸る。
胡坐の足首を両手で掴んで、ゆらゆらと体を左右に揺らすソラに、クラウドはくすりと笑う。


「なんだ。身分違いの恋に悩んでるのか?」
「へっ!?」


 冗談めかしたクラウドの言葉に、ソラは引っ繰り返った声を上げて目を丸くした。
笑みを含んだ顔でクラウドが彼を見てやれば、碧眼に貫かれた幼顔がぽかんとして、次いで、ぽこぽこと赤くなる。
それを見たクラウドは、おや、と目を瞠った。


「まさかまさかと思ってたが、そのまさかだったか」
「なっ、何言ってんだよ!なんでクラウドまでそんな事言うんだ!?」
「お前の様子がいつもと違うからな」
「俺はいつも通りだよ!」


 そう見えないから言っているんだが、とクラウドは思ったが、音にする事は止めた。
真っ赤になって否定するソラは、自分の気持ちの形は別にして、完全に意地になっている。
このままでは、本心が何であれ、クラウドの言う事を否定し続けるに違いない。

 軽く揶揄うだけだった筈が、思春期の少年には───彼自身が思っている以上に───地雷だったようだ。
クラウドは「冗談だ」と短く言って、言及するのは止めた。
ソラは赤い顔のまま、警戒する猫のようにクラウドを睨んでいる。
それを気に留めず、クラウドは牛乳を一口飲んで、


「さっきのは冗談にしても、だ。言いたい事を言わないままでお別れって言うのも、気持ちの良いもんじゃないだろう。面と向かって仕事を探すなと言うのは如何かと思うが、もう少し一緒にいたいって事位は、言っても良いんじゃないか」
「………」
「あいつと違って、今の俺達には目的のようなものもない。困窮するほど生活に困ってもいないしな。予定では明後日には船を出す筈だったが、シドがあいつの職探しに付き合うなら、見付かるまで延長するだろうし、上手く職が見付かったとして、あいつがそこでちゃんと働いて行けるか不安なら、もう少し見守ったって良い」


 レオンが首尾よく仕事を見付けたとして、それが芯からまともな仕事であるかどうか。
シドがついているなら大丈夫とは思うが、仕事自体は良くても、環境の方は判らない。
酒場で働けば酔っ払いに絡まれる事も多いだろうし、中にはウェイトレスを無理やり部屋に連れ込もうとする輩もいる。
その辺りのかわし方も教えてくれる所なら良いが、酒場のマスターも、いかがわしい事を目当てに飲みに来る客がいる事を知っている。
余程悪質ならば止めるが、そうでなければ放置している所も珍しくない。

 力仕事はレオンには向かないだろう。
しかし、日当が良いのは其方だ。
レオンの意思によっては、波止場での荷積み等も視野に入るが、ああした場所は基本的に男手で埋まっているものだ。
そうした場所にレオンが紛れ込むのは、野獣の中に羊を放り込むようなものだろう。
此方はシドが安易に頷きはするまい。
事務仕事なら有り得るが、此方も酒場と同様、女日照りの海男に目を付けられるのは想像に難くない。

 一番堅実なのは、昼間に開店している喫茶店の類か。
生真面目なレオンなら、トラブルの種を自ら撒く事もないだろうし、無難に過ごせるだろう。
シドも、奨めるのならこの類ではないだろうか。
これも他の仕事と同じで、店舗の位置、来店する客層、店主の性格等によって環境は大きく左右される。
レオンは生真面目な性格の様だから、少し環境が悪い程度でも、直ぐに投げ出したりはしないだろうが、環境が悪いか否かの判断が鈍そうだった。
周囲から見れば酷いものでも、一定の金額を溜めるまでの辛抱だからと耐え忍ぶかも知れない。


(わざとミスを誘ったり、適当な文句をつけて賃金の支払いを渋る奴もいるからな。店主がまともでも、同僚が酷いなんてのもある。あいつ自身のミスはどうにもならないが、そうでない事であいつが悲惨な目に遭うのは、流石に気分が悪い)


 あまりレオンと話をしていないクラウドだが、自身も彼女に思い入れがない訳ではない。
弟分のソラがいつになく気にしている人物だし、一ヶ月以上の時間を同じ船で過ごしたのだ。
決して悪い人間ではないのだから、謂れのない傷は負わせたくなかった。

 クラウドは空になった牛乳ビンを備え付けのシンクに移し、ビンの中を水道水で洗う。
最後の干し肉を口の中でよく噛んでから、ごくん、と飲み込んだ。

 ソラはベッドの上で、膝を抱えて丸くなっている。
いつも元気な円らな瞳は、半分を瞼に隠して、泣き出しそうな雰囲気だった。
クラウドはゆっくりと近付くと、茶色のツンツン頭をくしゃっと掻き撫でた。
むっとした目がクラウドを睨むが、構わずにクラウドはベッドに腰を下ろす。


「言いたい事は言いに行け。あいつも、お前の事は無碍にはしないだろう」
「……困らせるじゃん」
「あいつを困らせるのは嫌なのか」
「……うん」


 素直に頷いたソラに、クラウドは彼に背を向けたまま、こっそりと笑う。
汐らしい殊勝な態度が見慣れなくて、似合わないな、と思った。


「どうして困らせるのが嫌なんだ?」
「……嫌われるかも知れないじゃん」


 嫌われたままでお別れになるのはやだ、とソラは言った。
これも彼には珍しい言葉だ。
折角知り合った人と、喧嘩別れを嫌うのは判るが、今まではそれでも言いたい事を言っていた筈だ。
言いたい事を言って、喧嘩になれば、何が相手の気に障ったのかを考えて、ちゃんと謝りに行く。
知り合った人間の中には、謝る暇もなく船を去り、その後の知れない者も少なくないが、レオンとは話し合う時間を幾らでも作れる。
躊躇う事はないだろうに、ソラは一時としても、彼女に嫌われる事が嫌らしい。

 中々面倒な青さだ、とクラウドは天井を仰いだ。
もっと一緒にいたい、別れたくないけれど、それを言えば嫌われてしまうかも知れないから、言いたくない。
どれも少年の真っ直ぐな本音だから、動かすのは難しいし、このままでいさせるのも、彼にはきっと辛いに違いない。


(……こいつも意固地だからな)


 もそもそと布団に包まる準備を始めたソラを見て、どうしたものか、とクラウドは頭を悩ませる。
シドならもう少し上手く宥めてやれるのだろうか。
いつまで経っても不慣れな長兄役に、漏れる溜息を手の中で誤魔化した。




 夕方に宿へ戻って来たシドとレオンを加え、ユフィを除く一行は夕食へ向かった。
場所はすっかり定着した酒場で、ウェイトレスも心得たように、店の隅のテーブル席へと案内する。
シドとクラウドがビールを注文し、肉がメインの料理と、サラダを一頻り注文し、メニューが一通り揃った所で、シドが言った。


「レオンの仕事だけどな。良さそうなのが見付かったぞ」
「本当?」


 ビールを傾けながら言ったシドに、ティファがレオンを振り返る。
「はい」と頷くレオンは、私服を買ってから着ていた動き易さを重視したパンツスタイルではなく、清潔感と清楚な印象を与える、ロングスカートを着用していた。
紹介して貰った仕事の面接用にと着替えて行ったのである。


「泊まる所とか、大丈夫?」
「はい。部屋を貸して頂ける事になったので」
「汚さないって条件でな。ま、お前さんなら心配ないだろ」
「はい」


 確認するティファに、レオンはまた頷いた。
その返事は、問題ないと言うよりも、問題が無いように努める、と言う意思の表れだろう。
自分が贅沢を言える立場ではない事を、彼女は理解していた。


「それで、何処で働くの?」
「一つ大きな宿が求人出しててな。やる事は、受付やら掃除やら……色々だ。中央の方にある宿だし、泊まりに来るのはそこそこ羽振りの良い奴等だ。制服は用意してくれるし、泊まり込みも可。飯は賄い。その分、色々と規則も厳しいだろうが、半月もいれば、そこそこの金は稼げる筈だ」


 出来るだけ早く金を溜めたいレオンにとって、宿泊費と食費が浮くのは大きいだろう。
レオンもそう思っているようで、彼女は珍しく嬉しそうな雰囲気を滲ませていた。

 クラウドは声を潜め、隣に座るシドに訊ねる。


「まともな宿なのか?金持ち客でも、碌な奴ばかりとは言えないだろう」
「ンな事言ってたら、仕事は探せられねえよ」
「それはそうだが」
「試用期間に三日、その間に査定して、向かないと判断されたらクビって条件だ。厳しいって言やあ厳しいが、あいつは仕事ってもんも初めてだから、下手に優しくされて、相性の悪い所でズルズル働き続ける方が良くねえだろ。三日位なら俺達の出発も延ばせるし、その間に駄目になったら、もう一度仕事探しに付き合う。じゃねえと、俺も寝覚めが悪いしな」


 胡椒の聞いた肉の塊にフォークを挿し、豪快に齧りながら、シドは言った。
出立延長について、やはりそう来たか、とクラウドも納得しながらビールを煽る。


「一応、あっちが意図的に辞めさせないように企んでないかってのは、確認して行くつもりだ。客の顔の方もな。裏でこっそりあくどい事やってるかってのは、昼に見ただけじゃ判らねえモンだしな」
「試用期間中、俺達が逢いに行くのは問題ないのか?泊まり込みとなると、丸一日を拘束されるようなものだろう。内情をこっちに話せる時間があるなら良いんだが」
「夕方頃なら少しは時間が取れるらしい。俺と、ティファかエアリスで話を聞きに行くつもりだ。場所は後で教えるから、荷物やら動かす必要があるモンがあったら、お前が手伝ってやれ」
「了解」


 頷いた後で、クラウドはちらりとシドの向こうに座る少年を見た。
いつになく静かな彼は、存在を消したように、もそもそと大人しく食事をしている。
今の話題が聞こえていない訳ではないだろう。
いや、聞こえているからこその表情か、とクラウドは考え直す。

 ソラの表情は、判り易く不機嫌だった。
皆が当たり前にレオンの働き口を歓迎している事が、彼には不満なのだろう。
見付かった仕事が住み込み可、目的の金額───この流れでは、彼女がディスティニーアイランド号を降りようとしている事は明らかだった───を得るまで約半月と言う時間がかかると言う事は、ソラと彼女は此処で別れる事が決定づけられたも同然だった。
彼女と一緒にいたいと願っているソラからすれば、不謹慎と判っていても、彼女の働き口が容易に見付からない方が良かったのだろう。

 クラウドは目線だけで、シドに隣を見るように促した。
それを受けて、シドがちらりと少年を見遣る。
彼が酷く大人しい事は、シドも十分感じており、その理由も察していた。
それでいて、いつものように正直に自分の気持ちを訴える事も出来ず、一人やきもきしている事も。


「おい、ソラ」
「……ん」
「……ったく」


 気もそぞろな返事だけを寄越すソラに、シドは頭を掻いた。
テーブルの向こうでは、女性達が和気藹々と話に花を咲かせている。
楽しそうな雰囲気の中で、彼女達の目は、時折ソラへと向けられていた。
特にレオンの目は、何度もソラを追って、気まずそうな空気が蒼灰色に滲む。
しかし、彼女の方からソラに話しかける事はなく、合間を縫うように声をかけて来るティファとエアリスに向き直っていた。

 ソラとレオンの間にある、微妙な空気と言うものを、誰もが感じ取っている。
ソラからレオンに対するものは、彼の自覚はどうあれ、明らかなものがあった。
恐らくは初めてであろうその感情に、ソラ自身が振り回され、二進も三進も行かなくなっている。
レオンはと言うと、ソラが自分を見付けた命の恩人と言う意識と、船のクルーの中で最年少と言う環境から来るであろう、無邪気な子供の相手をしている気持ちとが混ざり合っているようだった。
それぞれが抱く複雑な感情は、もつれ合うようにして二人を繋いでおり、時折、真綿のような柔らかさで、二人の首を絞めている。

 どうしたものか、とシドとクラウドは目線だけで会話する。
他人がどうこう出来るものではない、と言うのは共通の意見だった。
そうなると、出来る事は限られてくるものである。




 夕食を終えた後、宿への道すがらで、レオンは奇妙な事に気付いた。
レオンを挟んで隣を歩いていた筈のティファとエアリスが、いつの間にか其処を離れ、シドとクラウドに話しかけている。
自分とは食事の時にずっと話をしていたので、彼女達の行動に特に違和感はないが、隣が随分と静かなのが気になった。

 並ぶ順は、前からシドとエアリス、クラウドとティファ、そしてレオンと、その隣にソラがいる。
この並びは初めての事ではなかったが、隣から滲む空気が、感じ慣れたものと違っていた。


(……何かあったのか…?)


 いつも元気な少年が、食事の時から───いや、その前から、随分と大人しい。
もう一人、同じ位に賑やかな少女が、船当番でいない所為かとも思ったが、それも今回が初めての事ではなかった筈。

 何か落ち込む事があったのだろうか。
ずっと元気な姿を見ていただけに、レオンは気になったが、部外者である自分が下手に踏み込んで良いものか。
出ない二の足に、もやもやとした気持ちを抱えながら、レオンの足は進む。


(何かあったとして、それを俺が聞いて。話してくれるだろうか。話してくれたとして、俺は、何か出来るんだろうか……もう直ぐ、別れてしまうのに)


 そう考えて、ずきりと胸の奥が痛む。
小さな小さな穴から、細く血が流れて行くような感覚に襲われて、レオンは胸元を握る。

 ソラは、レオンの命を救ってくれた恩人だ。
恩を返したいと言う気持ちはあれど、何をして良いのかも判らないし、そもそも余計なお世話かも知れない、とも思う。


(大体……俺がソラに何かしてやりたいと思う事が、おこがましいよな)


 そう思うと、酷く寂しい気持ちに見舞われた。
自分の無力さを実感したからでもあり、ソラとの距離を感じたからでもある。
胸の痛みも増した気がして、レオンは息が出来なくなった。

 ぐちゃぐちゃとした心で、重くなった足を、引き摺るように歩いていた時だ。
重力のままに垂れていた左手を、ぎゅ、と温かいものが握る。
突然の事に立ち止まって手を見ると、隣を歩いていた少年の手が、レオンのそれを握っていた。


「……ソラ?」


 名前を呼んでも、ソラは俯いたまま動かない。
前を歩いていた面々は、立ち止まった二人に気付かないまま、行き交う雑踏の向こうに紛れて行く。
宿は既に看板が見える距離なので、置いて行かれても問題はないが、レオンはおろおろと少年とその仲間達を交互に見た。


「あ…ソラ、あの……」
「………」


 ぎゅう、とレオンを捕まえるソラの手に力が篭る。
振り解く訳にも行かず、レオンはソラと共に佇むしかなかった。


「あの……な、何かあったのか?それとも…私が何かしたか?」


 気まずい固い雰囲気に耐えられず、レオンは恐る恐る訊ねてみる。
俯いたままの少年の顔は、レオンが身を屈めても、見る事は叶わなかった。

 ざわざわと沢山の人が行き交う大路で、立ち尽くす二人を気にする者はいない。
横切る人々が、些か邪魔そうな目でレオンを睨んだが、今のレオンにそれに気付く余裕はなかった。


「ソラ、」
「……レオンは、」


 もう一度声をかけたレオンに、ソラは返事ではなく、強い声で名を呼んだ。
レオンを捕まえる手にさらに力が篭り、微かな震えがレオンの掌に伝わる。


「レオンはもう、俺達の船に乗らないの?」


 俯いたまま、言葉だけは真っ直ぐにぶつけてきたソラに、レオンは一瞬、息を飲んだ。
繋いだ手から伝わる力が、彼の心を言葉以上に伝えて来る。


「仕事は……普通の船に乗るから、探してた?」
「………」
「もう俺達の船には乗らないから?」


 繰り返される問いに、レオンも俯いた。
その沈黙が肯定と同じ意を持つ事を、少年は直ぐに理解した。
やだよ、と小さな呟きが聞こえて、レオンはずきずきと痛む心から目を背けるように、瞼を伏せた。


「……なんで?バラムまで送るって言ったじゃん」
「………」
「…俺達の事、やっぱり信用できない?」
「……それは違う」


 ようやく絞り出したレオンの言葉に、ソラが顔を上げる。
レオンがゆっくりと瞼を持ち上げれば、薄く滲んだ丸い目が此方を見上げていた。
レオンがソラの泣き出しそうな顔を見たのは初めてで、いつも無邪気に笑っていた記憶が多い分、自分がとても酷い事をしているような錯覚に陥る。

 レオンは喉奥の苦しさを、意識して呼吸する事で解した。
それでも何かが詰まったような違和感は消えないが、言葉を発するには十分だ。


「……ソラや、船の皆さんの事は、信頼している。確かに、海賊だと知った時には驚いたけど、船を降りると決めたのは、その所為じゃない」
「…じゃあ、なんで駄目なんだ?」
「………」


 堰を切ったように、真っ直ぐに問うソラに、レオンは傷む胸を握り締めて、声を潜める。


「……俺が───私が、皆と一緒にいるべきじゃないからだ。助けてくれた人達を、私の所為で危険な目に遭わせる訳には行かない」
「危ない事なら、俺達、平気だよ。海賊だもん。慣れてるよ」


 ソラの言葉に、レオンは緩く頭を振った。
彼の気持ちは嬉しくても、レオンにはそれに甘える事は出来ない。


「命に関わる事だってあるかも知れない。身に覚えのない罪を被せられる事だって」
「そんなの、よくある事だよ。何もしてないのに、海軍に追い駆けられる事だってあるし。海でバカみたいにでっかい怪物に襲われる事だってあるし。……そう言う事考えたら、レオンの所為って言うより、俺達の所為でレオンが危ない目に遭う事の方がありそうだけど……」


 レオンを説得しようとしながら、ソラは自分が空回っている事に気付いた。
安全をアピールするならともかく、危険な事はよく巻き込まれるから慣れているなんて、何の説得の材料にもならない。
正直すぎる自分を後悔して落ち込むソラに、レオンはくすりと笑みを零す。


「…ありがとう、ソラ。ソラがそうやって正直に話してくれるから、私はソラと皆を信じる事が出来たんだ」


 レオンは、じっと手を握るソラの手を、柔らかく握り返した。
それを感じ取ったソラが、また強い力でレオンの手を握る。

 レオンは膝を折って、ソラの前にしゃがんだ。
少し見上げた位置にソラの顔があって、ゆらゆらと揺れる瞳が、沢山の言葉を言いたげにレオンを見つめている。
言葉が追い付かない感情の揺れを、レオンは受け止めながら、それをいつまでも受け入れていられない事を寂しく思う。


「信じる事が出来たから、迷惑をかけたくないんだ。バラムの島まで送ってくれると言ってくれた時、本当に有難かった」
「……じゃあ、良いじゃん。今のままでも。バラムに行くまでなんて言わないから、次の港とか…もうちょっと、一緒にいようよ」


 ソラの言葉に、レオンはゆるゆると首を横に振った。


「さっき言ったよな。何もしていないのに、海軍に追い駆けられる事もあると。私がそうだったように、海賊と言うだけで、良くないものとして見られてしまう。若しも今後、私があの船に乗っている時に海軍に捕まってしまったら、問答無用で処刑台に送られる可能性もある」


 レオンの言葉は脅しに近かった。
そんな事があるもんか、とソラは思ったが、直ぐにクラウドから聞いた話を思い出す。
クラウドの予測が当たっているとしたら、今のレオンの言葉も、強ち嘘とは言えない。


「助けてくれた人達を、そんな目に遭わせたくないんだ。だから、俺は此処で船を降りるよ」
「……レオン」
「…助けてくれてありがとう。少しでも恩を返せたら良かったんだが……そんな暇もなさそうだ。すまないな」


 嫋やかな手が、くしゃりとソラの頭を撫でた。

 子供を安心させるように撫でる手は、苦労の知らない綺麗な手だった。
世間知らずと語るようなそんな手で、彼女はこれからどれ程の苦労を覚悟している事だろう。
ディスティニーアイランド号に乗れば、そんな苦労もしなくて済む。
しかし、引き換えに、レオンはきっと不安を抱き続けるのだろう。
自分の所為で、厚意で乗せてくれた人々を、危険な目に遭わせるかも知れないと言う可能性を、彼女はずっと考え続ける。

 俯いたソラを、レオンは眉尻を下げて見詰めていた。
言葉を失ってしまったように佇む少年を見ていると、とても海賊船の船長とは思えない。
折々に見る、ごく普通の少年のような一面を見る度に、レオンは彼を自分の事情に巻き込んではいけないと思っていた。


(いや……違うな。巻き込んで、その後の彼等を見たくないんだ。俺の所為で死んでいく人がいるのを見るのも、その人達が俺をどんな顔で見ているのか、それを見るのも。全部、怖い)


 ソラとその仲間達を案じているのは決して嘘ではないが、それだけが理由ではない。
自分の所為で散っていく人を見るのが嫌で、レオンは船から降りるのだ。
一人きりになれば、自分の所為で誰かを傷付ける事も、誰かに裏切られる事もないのだから。

 握り合ったままの手が震えていた。
それがどちらのものだったのか判らないまま、ゆっくりと繋ぐ力が解け、離れる。
俯き、黙ったまま、宿に向かって歩き出した少年を、レオンは半歩遅れて追った。