空と海の境界線上 憧憬編


 閉じた瞼を貫通して、きらきらとした光がソラを差す。
寝返りすら面倒な程に重怠い体が、目覚めを拒否してもう一度眠ろうとする。
しかし、仰向けになっているソラの目許に落ちて来る光は、待てども待てども消えてくれない。
いい加減にそれを耐える方が鬱陶しくなって来て、ソラは仕方なく目を開けた。

 背の高い針葉樹の枝葉の向こうから、煌々とした太陽が光を降り注いでいる。
光が疎らに落ちて来るのは、枝葉が風に揺れているからだ。
光のちくちくと痛む目を擦りながら、ソラは起き上がる。
と、ぱさり、と何かがソラの体から滑り落ちた。


「……あれ。これ、レオンの…」


 見れば、それはレオンが先の港町で買ったジャケットだった。
持ち主である本人はどうしたのかと辺りを見回すと、砂浜に点々と続く足跡を見付けた。
昨日の足跡とは逆方向に、海に向かって伸びている大きな靴跡は、間違いなくレオンのものだろう。

 ソラはジャケットを拾って、木に手を突いて支えにしながら立ち上がった。
一晩眠れば回復するかと思った足の重みは、少しは楽になってはくれたものの、筋肉痛に似た鈍い痛みが続いている。
それでも歩けない程ではなかったので、ソラは足を引き摺るようにして、のろのろと浜辺へ向かった。

 昨日は疲れ切っていた事、直ぐに辺りが暗くなった事で、周りの状況など何も判らなかったが、今は太陽のお陰で何もかもが鮮明に望む事が出来る。
海は遠くまで続いているが、ぽつぽつと小さな島影のようなものが見えた。
浜辺は思っていたよりも広くはなく、円形の湾を描きながら伸びているが、ぐるりと見渡せば端から端まで確かめられる。
視界を遮るような大きな遮蔽物はなく、お陰で足跡を辿って行けば、レオンの姿は直ぐに見付ける事が出来た。


「あ、いた」


 浜辺のほぼ中央───昨日、ソラがレオンを背負って泳ぎ着いた場所に、彼女は立っていた。
眠っているソラにジャケットを貸していた為に、彼女のトップスは薄手のシャツ一枚になっている。


「おーい、レオンー!」


 ソラが声をかけると、レオンは直ぐに振り返った。
それと同時に寄せた波がレオンの足元を浚い、レオンが後ろに踏鞴を踏む。


「っとと……、」
「レオン!大丈夫?」
「ああ。ソラも目が覚めたんだな。体は大丈夫か?」


 昨夜、自力で立つ事も出来なかったソラ。
それを心配するレオンの言葉に、ソラは「もう平気」と言った。
足はまだ重いが、昨日のように全く動けない訳ではないし、レオンに必要以上に心配させたくなかった。

 レオンが波打ち際を離れて、ソラの下へ合流する。
ソラは持っていたレオンのジャケットを差し出した。


「これ、ありがと」
「ああ。私の方こそ、昨日はありがとう。お陰でよく眠れた」
「そう?へへ……服、結構乾いた?」
「そこそこ、かな」


 言いながら、レオンは受け取ったジャケットの袖を通した。
厚みのある生地なので、完全に乾いたとは言い難いが、着れない程ではないようだ。
この分なら、今の日差しが続いていれば、今日中に乾いてくれるだろう。

 ざあ、と波の音が響く。
レオンがその音の向こうを見たので、ソラも釣られて水平線を見た。
海の向こうを見つめるレオンが、何を探しているのかは、ソラにも判る。


「船、ありそう?」
「いや……」


 昨日中に遭遇した嵐が嘘かと思う程の晴れ渡った空は、海の向こうを遠くまで望ませてくれるが、其処に二人が期待する影はない。
否定するレオンの声が消沈しているのは明らかであったが、ソラはそれを振り払うように声を大きくして言った。


「大丈夫だって!ちょっと時間がかかるだろうけど、絶対見付けてくれるから」
「……うん。そうだな」


 ソラの明るい声に、レオンは小さく笑みを浮かべて頷いた。
そうして頷く事で、大丈夫、と自分自身を宥めて落ち着かせる。

 ぐううう、と盛大に腹が鳴ったのはその時だった。
打ち寄せる波の音も消さんばかりの大きな腹の虫の出所は、ソラである。
昨日の夜も薄らと感じてはいたが、それよりも疲労の方が大きかった為、深く自覚する事のなかった空腹が、一挙にソラを襲う。


「はあ〜……腹減ったぁ……」
「ああ……確かに、そうだな。何も食べていない訳だし…」


 レオンもソラ程判り易くはないが、胃袋が空なのは確かだ。
丸一日を漂流していたのだから、当然の事であった。


「この辺、魚はいない?」
「見当たらない。私は何も持っていないし、探すとしたら───」


 レオンの視線は、昨夜眠った木の向こうにある、鬱蒼とした森。
夕方と夜に見た時は、一寸先も見えない程に深い茂み覆われていた森は、今は葉の隙間から木漏れ日を落としている。
しかし、それでも遠くまでは見渡せず、幾らも見通さない内に木々で行く手を塞がれた。

 この島が無人島なのか、そうであるとして、人が一度も踏み入れた事のない未開の土地なのか。
生き物がいるのか、いたとして、それは人に襲い掛かるような狂暴なものではないか。
何も判らない状態で森に入る事に不安はあるが、かと言って、この浜辺で立ち尽くしていても、食べ物はやって来ないだろう。


「じゃあオレ、行って来るよ。レオンは此処で待ってて」
「え?」
「船が来るかも知れないだろ?どっちかが此処で海を見てた方が良いと思うんだ」


 ディスティニーアイランド号がいつこの島を訪れるのか、ソラ達に予想する事は出来ない。
若しも船が島に近付いた時、誰もいなかったら、彼等は次の島へと移動してしまうだろう。
一度立ち寄った島ならば、少なくとも、周辺の島を虱潰しに一周した後でもなければ、もう一度訪れる事はあるまい。

 と、その理屈はレオンにも判ったのだが、


「待ってくれ、ソラ。それなら、私が食料を探して来るから、ソラが此処で皆を待っていた方が良いだろう」
「えっ、なんで?」
「昨日の今日だし、動けるようになったとは言え、長時間は無理なんじゃないか。食料を探すとなると、かなり歩き回る事になるかも知れないぞ」


 ソラは体は大丈夫だと言ったが、歩き方がぎこちない事をレオンはしっかりと見抜いていた。
姿を見付ければいつも駆け寄って来る筈のソラが、ゆっくりとした足取りでしか近付いて来なかったのだから、レオンでなくとも、ソラの状態には気付いただろう。

 レオンの言葉に、全部バレてる、と隠していた筈の自分の状態が全て知られていると判って、ソラの唇が尖る。
きっとこんな状態でどうして良いのか判らないであろうレオンの為にも、自分がしっかりしなければと思っていたのだが、真正直な性質のソラに騙されてくれる程、彼女は鈍くもない。

 しかし、だからと言ってソラの方も、それなら交代しよう、と言う訳にはいかない。


「オレなら平気だって。オレより、レオンが行く方が危ないよ。何が起きるか判らないんだからさ」
「だったら尚更、私が行った方が良い。何かに追われる事もあるかも知れないだろう。今のソラでは、逃げる事も戦う事も出来ないぞ」
「走る位ならどうって事ないよ。レオン、野宿するのに何が必要なのかとか判んないだろ?オレ、こう言う事って前にもなった事あるし、色々経験済みなんだから。レオンが行くより、絶対オレが行った方が良いよ」
「サバイバルの知識なら、多少はある。確かに殆ど経験はないが、今のソラよりは私の方が動ける筈だ」
「駄目だよ。危ないからレオンは此処にいた方が────」
「私が危ないと言うなら、ソラだって同じ事だろう。それなら、まだ体力に余裕のある私が行った方が────」


 話は平行線である。
何せ、向かう先は何があるのか、潜んでいるのかも判らない、森の中なのだ。
話の通じる人がいるのならまだ良いが、凶暴な肉食動物、毒性のある動物や虫、若しかしたら山賊か、海賊がアジトにしているかも知れない。
それを思うと、ソラはレオンを森の中に行かせたくなかったが、それはレオンも同じ気持ちだった。

 行く、駄目、此処で待って、それは出来ない、と何度遣り取りを繰り返しただろうか。
元より体力の回復し切っていない状態で、延々と言い合いを続けていられる訳もなく、段々と二人の声には力がなくなって行く。
立ち尽くしていたソラも足が限界になって、その場にどすっと座り込んだ。
そんなソラを見て、レオンもその場に腰を下ろす。


「……キリないね、なんか」
「…そうだな……」
「レオン、結構頑固なんだな」
「お前も人の事は言えないぞ」


 沸騰した頭が一気に冷えて行くのを感じながら、ソラとレオンは寄せる波に視線を移す。
こうして言い合いをしていても、体力を消耗していくばかりで、何も良い事はない。
しかし、このまま砂浜で座り込んでいる訳にも行かない。

 ソラはぽりぽりと頭を掻いて、


「……一緒に行く?」
「…しかし、それでは船が通った時に困るだろう」


 どちらも譲らないであろうと察したソラの提案に、レオンは眉尻を下げる。
が、ソラは続けた。


「それなんだけど、目印みたいな物があれば、大丈夫かなって思ってさ」
「目印?」


 鸚鵡返しをするレオンに、うん、と頷いてソラは立ち上がった。
ふらふらと重い足で浜辺を歩き始めたソラに、レオンも立ち上がって彼を追う。


「えーと……」
「何か探しているのか?」
「うん。長い棒とか、そんな感じの」


 きょろきょろと辺りを見回しながら言うソラに倣い、レオンも浜辺を見渡した。
と、ブルーグレイの瞳が、波打ち際の漂着物を見付け、速足でそれに駆け寄る。

 レオンが見付けたのは、一メートル程の長さの細長い木の棒だ。
先端が折れているので、元々はオールか槍か、そう言った類の物だったのかも知れない。
打ち寄せる波に揺られていたので、棒は水分を吸って重くなっていたが、腐ってはいない。


「これはどうだ?」
「良い感じ!これを、こうして……」


 レオンが拾った棒を受け取り、ソラは浜の真ん中に穴を掘って、棒を突き刺した。
自分の上着を脱いで棒の先端に落ちないように括り付ける。


「うん。これで良し!オレの服だって判れば、オレ達が此処にいるって皆に判るだろ?」
「成程。でも、ソラは大丈夫か?薄着になると夜は辛いと思うんだが……」
「平気平気!オレ、体温高いから。昨日判っただろ?」


 昨夜、レオンはソラを抱き枕にして眠った。
泥のように眠った理由は疲労も勿論であるが、触れ合う少年の高い体温に安心したのも確かである。
───自分よりもずっと年下であろうソラに、不安を慰められ、宥められた事は、今思うと少し恥ずかしくもなるのだが、それでも彼の存在によって安堵する事が出来たのは事実であった。

 ソラが大丈夫だと言うのなら、レオンが強く言える事はない。
若しも夜になって冷気が堪えるようなら、また抱き合って過ごせば良い、とレオンは思う事にした。

 未開の地を進む事に慣れているからと、薄着になったソラが前を歩く形で、二人は森へと入って行った。
生い茂る木々にはシダ植物が絡み付き、じっとりと蒸し暑い空気と相俟って、亜熱帯樹林であると思われた。
方々で鳥の鳴き声や羽ばたきの音がするのを聞いて、二人は少しほっとした。
生き物がいるのであれば、それらが食する食べ物も何処かにある筈だ。
人が食べて毒にならないものでなければ良いが、と思いつつ、道なき道を進んで行く。


「あんまり海から離れない方が良いよな。でも、奥に行った方が食べられそうな物もありそうだなぁ」


 自分の身長とほぼ同じ高さに垂れ下がる木の枝を押し退けながら、ソラは言った。
レオンは、肩や胸を掠める枝で皮膚を切らないように気を付けつつ、ソラを追う。


「食べられそうな物か……やっぱり、木の実の類か?」
「なんでも良いよ。そうだ、川探そう!海にはいなかったけど、そっちなら魚がいるかも知れないし」
「川、川か……うーん……」


 川を探して辺りを見回すレオンであったが、視線は直ぐに茂る木々にぶつかって遮られてしまう。
見付ける為のコツと言うものはあるのだろうか、と迷いのない足取りで進むソラの背中を見る。

 目印として浜辺に上着を置いて来たソラは、その下に来ていたタンクトップ一枚と言う格好になっている。
生い茂る森の中、生態も判らない昆虫がいると言うのに、レオンには余りにも無防備に見えて仕方がなかった。
自分が着ている上着をもう一度貸そうか。
自分ならジャケットの下はTシャツなので、ソラよりは肌を守る事が出来る筈だ。
しかし、どちらが森に入るか口論したばかりである。
レオンがソラを心配するように、ソラもレオンを気遣って、また言い合いになる予感しかしなかった。

 ソラの事ばかりを気にしていても仕方がない、とレオンは一人頭を振った。
本来の目的である食料探しに気持ちを切り替え、木の実ならやはり木の上に、と見上げてみる。


「……あ」
「何かあった?」
「あそこに───」


 振り返って駆け寄って来たソラに、レオンは頭上を指差して示す。
其処には、地上3メートル程の高い針葉樹のほぼ頂上に、大きな実と思しき物が生っている。


「登るには高過ぎるな……」
「揺らしたら落ちるかも!」


 どうしたものかと思案するレオンの横をソラが駆け抜け、木の幹に両手をかける。
ぐっぐっと強い力で幹を押すと、頭上の大きな枝葉がゆさゆさと揺れるのが見えた。
其処にぶら下がっている大きな木の実が、重そうに左右に振れる。


「お、イケそう。レオン、手伝って」
「ああ。押せば良いか?」
「うん。この木、結構撓るから、押して揺らせばイケると思う」


 ソラに倣ってレオンも木に両手を添え、リズムを合わせて幹を揺らす。
二人がかりになると、木は一層大きく揺れて、木の実が完成の法則に従いながら大きく揺れ、直に揺れの動きについていけなくなった実の根本が、ぷつんっと切れた。

 放物線を描いて落ちて行く木の実を見上げて、ソラが後ろに踏鞴を踏む。
オーライオーライ、と誘うように声を掛けながら、ソラは落下して来た実を見事にキャッチする。


「やった、ヤシだ!」
「食べられるか?」
「うん。皮をどうにかしなきゃいけないけど……ま、いっか。それは後で考えれば良いや」
「私が持っていようか」
「じゃあお願い」


 ソラが差し出したヤシの実は、直径10センチはあろうかと言う大振りの物だった。
レオンが受け取ると、ずしりとした重みがあって、中身が詰まっている事が判る。

 歩き続けて行くと、ぽつぽつと同じようにヤシの実が生っている木があった。
良い色をしていると思う実をもう一つ落とし、二人で一つずつ持って運ぶ。


「ヤシ、結構あるね」
「うん。他のものは見当たらないな……」
「草も食べれなくはないんだろうけどなぁ〜。オレ、大丈夫な草とそうでない草って覚えてないんだよな」
「…本で見た物なら、幾つか覚えてはいるが……すまない、余り自信がないから、当てにはしない方が良いと思う。処理を間違えると危ない物もあるだろうし」
「それもそうだよな……────あ、川!」


 木々の隙間に覗く川面を見付けて、ソラは喜色の声を上げた。
行く手を阻む茂みを掻き分けて、ソラの進む速度が上がる。
レオンも遅れないように足を動かした。

 見付けた川は、小川と言って良い細やかなものだった。
深さはソラの膝に届くか届かないかと言う程度で、水は澄んでおり、所々で魚が跳ねているのが見える。
それを見付けた瞬間、ソラが諸手で喜んだ。


「魚だ、魚!よーし、捕るぞ!」


 ソラは靴と靴下を脱ぎ捨てると、一も二もなくザブザブと川の中へ入って行く。
レオンは靴と一緒に放られたヤシの実を拾って、きょろきょろと辺りを見回した。

 川の周りもやはり鬱蒼とした木々が茂っていたが、川の上まで枝は伸びておらず、太陽の恩恵が余す所なく水面に降り注いでいる。
そのお陰か、川底には苔のようなものがあり、これが魚を呼び育んでいるようだ。


(此処は、安全だろうか……?)


 生い茂る木々が視線を遮る所為で、余り遠くまで見通す事が出来ない事が、レオンの不安を呼ぶ。
此処に辿り着くまでの道程で見掛けた生き物は、頭上で威嚇するように鳴く鳥位のものだったが、地上を闊歩する野獣がいないとも限らない。
腰を落ち着けるなら、もう少し周りを探索した方が良いか───と思っていたレオンだが、


「捕ったーーーー!」


 川の真ん中で、森中に響かんばかりの声を上げるソラ。
その両手には、立派な大きさの魚が一匹ずつ捕まえられている。


「レオンー!見てみて、デカいの捕まえた!」
「あ、ああ。手掴みなんて凄いな」
「へへー。こいつら、ちっとも警戒しないんだもん。楽勝楽勝」


 折角捕まえた魚をうっかり逃がしてしまわないよう、ソラはそれぞれの手でしっかりと魚を握って、川を上がった。
ハーフ丈のズボンの裾がびっしょりと濡れていたが、ソラは全く気にしない。
それよりもソラは、食事にありつく為の根本的な問題を今になって思い出した。


「勢いで捕まえちゃったけど、オレ、料理出来ないんだった」
「……ああ。そう言えば、そうだったな」


 喜び勇んで魚を捕まえた時とは正反対に、がっくりと肩を落とすソラ。
落ち込むソラに、レオンはええと、とかける言葉を考えて、


「その……焼き魚にすれば。ああ、でも、火を起こさないといけないのか」
「そうなんだよ。うーん……取り敢えずこの魚はこの辺に置いとこう」


 ソラは足で川底の石を集めて小さな水溜まりを作り、捕まえた魚を入れた。
即席の生簀の中に入れられた魚は、出口のない小さな穴の中をぐるぐると泳ぎ回る。


「レオン、薪集めるの手伝って貰っても良い?」
「私に出来る事ならなんでも。だが、マッチもないのに、火をつけられるのか?」
「前にシドに教えて貰った事があるんだ。逸れたり遭難したりした時に、自力でどうにか出来るようにって」


 ソラの言葉に、レオンは凄いな、と何度目になるか判らない言葉を零した。
呟くレオンの表情は芯からソラに感じ入っている様子があり、感心した瞳で見詰めるレオンに、ソラは無性に照れ臭くなった。

 川を中心に、二人で薪に使えそうな物を探した。
森の中とあって、木や落ち葉には困らない。
以前として判然としない猛獣への警戒を怠らないように注意しつつ、二人は両手で抱えられる限りの燃料を持って、魚を採った場所へと戻る。

 ソラは腰の鞄から小さなナイフを取り出した。
適当に枝を見繕い、その先端を削って尖らせていく。
それが終わると、今度は太めの枝を採って、樹皮を剥ぐように削って平らな部分を作った。
レオンはその様子をじっと隣で見詰めていた。
出来る事なら手伝いたいが、知識のない事には手を出す訳にも行かず、せめてソラがしようとしている事を覚えておこうと、彼の手許を具に見詰めている。
ソラもそんなレオンの視線をひしひしと感じており、


(なんか……なんか緊張する!)


 真剣な眼差しで見詰めるレオンが何を考えているのかは、ソラにもなんとなく判った。
こうした状況で自分が出来る事を探す為、新たな知識として得る為に、ソラを観察しているのだと。
しかし、その為にソラの両手に無用な力が入っている事に、彼女は気付いていない。

 遭難した際等、一人でその場を乗り切る為に、その知恵をソラに授けたのはシドである。
彼はディスティニーアイランド号に乗っている者に取って一番の年配である事、元々クラウドやティファと言った故郷を失った者にとってはれっきとした事実として、養父の役目を担っていた。
その所為か、彼は若い船員達に対し、長い船上生活の中で培われた知識等を教えるように努めている。
その際、女性クルーに対しては比較的易しく教えてくれるのだが、ソラやクラウドと言った男陣にはややスパルタな所があった。
火を起こす為の手順を教わった時には、手順を一通りやって見せた後、直ぐに実施で練習させたのである。
間違った所で叱られるような事はなかったが、火を起こして安定させるまで何度も繰り返し練習させられたのを、ソラはよく覚えている。

 その甲斐あってか、作業をして行く内に、ソラの手は教わった内容を復習するように思い出して行く。
とにかく根気のいる作業であるから、ソラは苦手で仕方がなかった火起こしだが、傍らにある視線もあって、途中で投げ出す事は出来ない。
平らにした太い枝に彼はを起き、それに尖らせた枝を押し当ててキリキリと回し続けていると、白く細い煙が立ち上がって来た。


「レオン、草!草入れて!」


 摩擦熱で燻っている其処に、ソラの指示を受けてレオンが急いで草を詰め込む。
もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせながら、ソラは歯を食いしばって摩擦を起こし続けた。


(これで火が点かなかったら格好悪い!)


 煙は徐々に濃くなり、枝から焦げた匂いもする。
恐らく後少しで種火が出来ると思うのだが、此処までやっても火が点かない、と言うのはよくある事だ。
空気が湿っていたり、強い風が吹いたり、僅かに摩擦の力が足りなかったり───。
慣れている者ならそれでも簡単に火を点けられるようだが、ソラはシドに教わって以来、この火起こしの方法を実践した事がない。

 レオンの視線が、ソラにプレッシャーを与えている。
今正に火が点こうとしている瀬戸際と言う事もあってか、レオンの表情も真剣そのもので、張り詰めていた。
蒼灰色の瞳には、火が点くかも知れない、と言う事に期待が滲んでいる。
昨夜からずっと不安を抱えているであろうレオンを落胆させない為にも、絶対に火を点けなきゃ、とソラは思っていた。

 レオンが詰めた枯草に、ぽつぽつと赤い光が浮いた。
キリを回す事に必死になっているソラを見て、レオンはええと、と頭の中の本を引っ繰り返す。
火を大きくする方法は───と考えて、風が必要なのだと思い出した。

 レオンは体を屈めて、枯草に息を吹きかけた。
ふー、ふー、と何度も息を当てていると、赤い光がじわっと大きく膨らむ。
もう少し、もう少し、と何度も吹いていると、ぽつっ、と小さな火が灯った。


「点いた!ソラ、点いたぞ!」
「はっ、あーっ!草増やして!葉っぱも!」


 レオンの言葉にソラもようやく火が点いた事に気付いた。
小さな火が消えない内に、急いで燃料になるものを足していく。
うっかり消してしまわないように。
草葉に火が行き渡るように火種を囲んで行く。

 火がはっきりとした形になって行くと、燃料を小枝にして、炎を育てる。
そうしてソラの努力とレオンの助力の甲斐あって、無事に火は焚火へと進化した。


「はあ〜っ…!良かったー!」
「ああ。お疲れ様、ソラ」
「へへへ」


 レオンの労う言葉に、ソラは汗だくになった額を手の甲で拭いながら笑った。

 ぱちぱちと小さな音を鳴らしながら燃える焚火。
それが安定した時には、木々の向こうに見える空は薄らと暗くなっていた。
川の上はあまり枝が伸びていないのだが、陽が傾いてしまえば、光が届かなくなるのも早い。
昨日は疲れ切っていた事もあり、火を起こす体力も気力もなかった為、暗闇の中で過ごしていたが、


「やっぱり明るいと色々良いね」
「そうだな」


 下処理を済ませ、串代わりに木の枝に刺した魚を焼きながら言うソラに、レオンが小さく頷く。


「温かいし、魚も焼けるし。もう食べても良いかな」
「良い色に焼けたな。大きい方はソラが食べると良い」
「ホント!?でも、良いの?」


 レオンの言葉に、食べ盛りのソラの目が輝いた。
が、直ぐにレオンも自分同様に腹が減っている筈だと言う事を思い出し、確かめるように問い返す。
レオンは直ぐに頷いて、


「私よりソラの方が色々頑張っていたし、魚を捕ったのもソラだ。私の事は気にしないで食べると良い。そんなに腹も減っていないしな」


 絶対に嘘だと、ソラにも判った。
二人が最後に物を口に入れたのは、昨日の嵐に遭う前の事。
それから今日は歩き通しで、火を起こしてようやく一段落する事が出来たのだ。
落として持ってきたヤシの実はと言うと、ソラが持っていたナイフだけでは割る事も出来なかったので、明日以降に食べる方法を探す事にして、保留になっている。
そんな状態で今の今まで過ごしていたのに、「腹が減っていない」なんて嘘が下手にも程がある。

 だが、魚は二尾しかないのだ。
幸い、大小の違いと言っても、其処まで極端な物ではない。
レオンが小さい方の魚を取り、頂きます、と言って食べ始めたので、ソラは大きい方を食べるしかなくなった。
途中まで食べて分けようかな、と思いつつ、ソラは焼き魚に齧り付く。


「んー!うまっ!」
「川が綺麗だからかな。意外と食べ易いな」


 レオンが言う通り、味付けも何もない、ただ焼いただけの川魚にしては、泥臭さもなく食べ易い。
サンマのような小骨はなく、確りとした太い骨があり、脂身は少なく固くも感じられたが、空っぽの胃袋には十分な御馳走であった。

 レオンが魚を食べ終わった所で、ソラはまだ三分の一程残っていた自分の魚を差し出して見たが、丁重に断られてしまった。
大丈夫だから、と笑う彼女に、ソラも余り強くは出られず、自身もまだ物足りなかった事もあり、結局は自分で食べ切った。
骨になった魚は木にくべられて燃えて行く。


「……ふあ……」
「んん〜っ……」


 腹が膨れると、一気に睡魔が襲って来た。
共に欠伸をし、固くなった背中を伸ばして解す。


「この辺で寝ても平気かな」
「…此処で眠るしかないだろう。移動するのも危ないしな…」


 日中に歩き回っていた時から、野生動物は鳥以外とは遭遇しなかった。
明るい内に見た川の周辺にも、亜熱帯のジャングルにいそうなワニや肉食魚の類は見当たらない。
と言っても、じっくりと探索をした訳ではないので、あくまで二人が薪探しに歩き回った程度の確認である。

 しかし、このまま眠らずに周囲を警戒して過ごし続ける事は出来ない。
昨夜と同じく、二人は疲れ切っているのだ。
元いた浜辺に戻ろうにも、夜の森こそ危険である事を思うと、下手に移動する訳にも行かない。


「明日は、海に戻ってみる?結構真っ直ぐ来たから、方向だけ間違えなければなんとかなると思うんだ」
「ああ。途中で食料になりそうなものがあれば採って行こう。水も持っていける道具があると良いんだが、難しそうだな」
「オレの鞄じゃ水は無理だし。バケツみたいなものでもあればなー」


 無い物ねだりをしても仕方がない事は判っていたが、少しでも楽な方法は欲しいものである。
しかし、そんな話を続けていたら、際限なく要求は出て来るし、出せば出す程困窮している今が辛くなる。


「……寝よっか」
「…そうだな」


 ぱちぱちと燃える火を見詰めながら呟いたソラに、レオンも小さく頷いた。

 ありったけの薪を火にくべて、二人は其処から少しだけ離れて、また適当な木の幹に寄り掛かって目を閉じた。
寄せた肩から伝わる体温と、微かに聞こえる自分以外の小さな呼吸音が、此処にいるのが自分一人ではないのだと言う証だった。