おねがい、とどいた?


クリスマスの前日、レオンはいつもよりも早めに家に帰るつもりだった。
家で待っている弟にも、今日は出来るだけ早く帰るよ、と伝えていた。

───────が。

6時を過ぎた頃、弟に非常用にと渡してある携帯電話からメールが来た────『なんじにかえるの?』と。
送り主は、今年6歳になったばかりの幼い弟だ。
それに対し、レオンは『7じごろにはかえるよ』と返信を送った。

しかし、ちょっとしたトラブルによって残業が出来てしまい、7時上がりは絶望視となった。
止むを得ず、『すまない、もうちょっとかえれない。8じごろにはかえるよ』とメールを送った。
弟からは『まってる』と返信が来た。

しかし、またもトラブルが起きて、更に残業が追加され、8時上がりも絶望視となった。
それでもレオンは出来るだけ早く帰ろうとしていたのだが、こんな時に運命の悪戯とでも言うのか、次から次へとトラブルが起こる。
もういっその事全部投げ出してしまおうかと、自暴自棄な思考にも至ったが、元来「責任感が強過ぎる」と言われるきらいのあるレオンが、そんな自由な真似が出来る筈もなく、結局、最後の最期まで会社に残る事になった。

ようやく仕事を終えたレオンは、電車を使う時間も惜しいと、仕事終わりの目処が立った時に呼んでおいたタクシーに乗り込み、家の近くのコンビニまで走らせた。
釣り銭なしできっちり支払を終えた後は、只管走ってマンションに向かう。
エレベーターでは遅いと、階段を駆け上って、自分の家がある8階に到着すると、通路を急ぎ足に歩きながらカードキーを取り出した。
そして予定を大幅にオーバーして家の前に着くと、直ぐにカードキーをドアの施錠に当てた。
ガチャリ、と音が鳴るのを確認して、ドアを開け、


「ただい、ま、……」


は、は、と肩で息をしながら、帰宅の挨拶。
けれど、いつも其処に帰って来る、無邪気な声はない。

無理もないか、とレオンは暗い部屋の中を見つめて思った。
時刻は11時半を周ろうかと言う所で、小さな子供が起きていられる時間ではない。
レオンはいつもは遅くても8時前後には帰宅できるように努めており、弟もそれを覚えている為、夕飯も食べずに兄の帰りを待っているのだが、流石にこんな時間までは起きていられなかったのだろう。

レオンはリビングに入ると、壁のスイッチを押して灯りを点けた。
煌々とした蛍光灯の下、テーブルの上にラッピングされた夕飯が置いてある。
今日の夕飯は、昨日の内に作り置きしていた唐揚げやミートボールなどで、仕事から帰ったら直ぐに食べられるようにと、今朝盛り付けを済ませて冷蔵庫に入れていた。
どうやら弟は、それを自分で取り出し、温めをして兄の帰りを待っていたようだ。

弟が知らない内に随分と成長していた事と、仕事で疲れて帰るであろう兄を想ってくれた事に微かに頬を緩めたレオンだったが、


「……?」


テーブルに並べられた夕飯は、二つ。
可笑しい、と思ってレオンは眉根を寄せた。

レオンは鞄を椅子に置いて、ラッピングの上から皿に触れた。
冷たくなっているそれは、一度は温められたのだろうに、そのまま放置されて長い事が知れる。
それは良いのだが、判らないのは、皿が二つとも残されていると言う事だ。
てっきり、弟は先に夕飯を食べ、待ち切れずに寝室で眠ってしまったものと思っていたのだが、ならば何故二つ分の皿が手つかずで置いてあるのか。


「スコール?」


レオンは辺りを見回して、弟の名を呼んだ。
返事はなく、部屋の中はしんと静まり返っている。

まさか、とレオンの脳裏に厭な思考が過ぎる。
小さな子供が夜遅くまで一人で留守番をしているのは、非常に危ない。
マンションのセキュリティは上質な方だが、それも完璧なものではないし、擦り抜ける方法は幾らでもある。
そして世の中には、小さな子供を狙った犯罪が横行しており、一週間前にもそれがニュースで取沙汰されていた。
だからこそ、レオンは出来るだけ早く家に帰ろうとしていたのに、この有様。


「スコール。スコール!」


声を大きくしながら、弟の名を呼ぶ。
やはり返事はない。

どうして食事が2人分あるのだろう。
食べなかった?食べる暇がなかった?食べられなかった?
メールは9時を過ぎた頃に『まだ?』と言う短い一文だけが送られていて、それに対しレオンは『ごめんな、もうちょっとでかえるよ』と返事をした。
何かあったとしたらその後か、それともその時には既に──────

巡る思考を打ち切ったのは、かたん、と言う小さな音だった。
ともすれば聞き逃しそうなその音に釣られて、レオンは顔を上げる。
音が聞こえたのは、寝室だった。


「────……スコール?」


ドア越に呼びかけてみるが、また返事はなかった。
レオンは息を詰めて、キ、とドアを押し開ける。

ふわり、冷たい風がレオンの頬を撫でる。
開け放たれた窓から吹き込んでくる風が、ふわふわとレースのカーテンを躍らせていた。
その直ぐ下、ベッドの上で丸くなっている影が一つ。

─────ほ、とレオンは安堵の吐息を漏らした。


「いつもソファで寝てるのに。今日はちゃんとベッドに行ってたんだな」


すぅ、すぅ、と寝息を立てている小さな子供────スコール。
レオンはベッドの傍らに膝をついて、丸くなっているスコールの頬をそっと撫でた。

眠る幼い小さな手には、レオンが昨日洗って部屋干ししていたポロシャツが握られている。
スコールはそれを抱き締めるように抱えていて、シャツはすっかりしわくちゃになっていたのだが、レオンはそれを見ても口元が緩むだけ。
寂しがり屋の小さな弟は、一人での留守番に寂しさを感じると、こうして兄を求めて、兄の気配がするものを探すのだ。

すやすやと眠るスコールに、良かった、とレオンは一気に肩の力が抜けて行くのを感じた。
大袈裟だったな、と先程までの自分の取り乱しようを思い出し、ひっそりと顔を赤らめる。
けれど、空いた窓を見上げて、強ち冗談じゃ済まされない事もあるかも知れない、と思い直した。
スコールを起こさないように、音を立てないように気を付けつつ、腕を伸ばして窓を閉める。


「ん……」


ぎしり、と鳴ったスプリングの音の所為か、もぞ、とスコールが身動ぎする。


「ふぁ……おにいちゃん…?」
「……ああ。ごめんな、遅くなって」


青灰色が覗いて、レオンを映し出す。
くしゃ、と頭を撫でてやれば、スコールは嬉しそうに頬を綻ばせた。

すり、と擦り寄って来る小さな弟の体を抱き締める。


「スコール、ご飯食べてないのか?」
「うん……」
「お腹痛い?」
「んーん……おにいちゃん、いっしょ…」


お兄ちゃんと一緒に食べたい。
だから、お兄ちゃんが帰って来るまで良い子で待ってた。

ポソポソと零れる弟の言葉に、レオンはついつい口元が緩む。
可愛いな、と抱き締めてやれば、柔らかい頬がすりすりと猫のように寄せられた。


「どうする?ご飯、食べるか?」
「んぅ……」


スコールからの返事ははっきりとはしなかった。
そのまま、腕の中で再度寝息を立て始める弟に、無理はないか、とレオンは苦笑する。

眠るスコールをそっとベッドに戻して、部屋着にきがえ、レオンは寝室を出た。
すっかり冷めてしまった夕飯は、冷蔵庫に入れて置き、明日の朝食ないしは昼食にしてしまおう。
幸い、明日は仕事が休みになったので、今日の埋め合わせに、夕飯にはスコールが好きなものを用意してあげよう。

そんな事を考えながら、レオンは食卓を片付けると、寝室へ戻る前に、一度キッチンに向かう。
吊り棚の扉を開けて、手前に並んでいる食器を退かし、奥に隠していたのものを取り出す。


「喜んでくれると良いんだが」


赤と緑のクリスマスカラーでラッピングされた、人の頭程の大きさの袋。
それは今晩、クリスマス・イブに良い子の下へやって来る、サンタクロースからのプレゼント。
吊り棚は、小さなスコールでは椅子に乗っても届かないので、此処に隠していたのだ。

寝室に戻って、すやすやと眠るスコールの枕元に、そっとプレゼントを置いておく。
これでよし、と自分も床に就く為、スコールの隣に潜り込んで、


「……ん?」


レオンは、見上げた窓辺に、何かが挟まっているのを見付けた。
腕を伸ばして取ると、それは一週間前にスコールがレオンに珍しくおねだりした、便箋だった。

携帯電話を灯りにして、『サンタさんへ』と書かれたそれを開いてみる。
其処に綴られた、幼い弟の文章を見たレオンの目尻は、何処までも優しく柔らかく。


『サンタさんへ

プレゼントを もってきてくれて ありがとうございます
でも きょう ぼくは プレゼントは いりません
ぼくのプレゼントは おにいちゃんに あげてください
おにいちゃんは まいにち おしごと がんばってます
ぼくは おにいちゃんに なんにもあげられません
だから ぼくは がまんするから
サンタさんが ぼくのかわりに おにいちゃんに プレゼントを あげてください

スコールより』


便箋をおねだりされた日、スコールは「サンタさんにお手紙書くの」と言った。
レオンはてっきり、自分の欲しい物を書いておねだりしたのだとばかり思っていた。
だから、何度も手紙を見せて欲しいとさり気無くお願いしてみたのだが、スコールは恥ずかしがってばかりだった。

─────その理由がこれ。
成る程、レオンに見せたがらない筈だ。



すやすやと眠る、幼い弟を抱き締める。

小さな小さな、自分だけのサンタクロース。
ぎゅ、と抱き着いて来るその温もりが、何よりのクリスマスプレゼントだと思った。






2012/12/26

社会人レオンと子スコでメリークリスマス。
一日遅れたけど。書きたかったので!