ペットショップ・ファンタジア 2


いつものように、腹に乗った温もりを感じながら眠っていた。
時折、何かの物音で目を覚ましては、腹の上ですぅすぅと息づく呼吸を感じて、また眠りにつく。
透明な箱の中で二人で過ごすようになってから、すっかりそれが当たり前になった。

大きくて優しい生き物達は、定期的に自分達に暖かい雨を当てる。
最初は頭の上から勢いよく落ちてくる雨が怖いと思ったけれど、何度も繰り返されている内に、段々と慣れてきた。
けれど、慣れてしまったのは自分だけで、子供の方はまだ怖くて堪らないらしく、いつも悲鳴のようにおにいちゃん、おにいちゃんと泣いているのが聞こえた。
あんまりにも子供が泣いて嫌がるので、最近は一緒に雨に濡れるようになった。
それでも子供は雨を怖がったが、自分が一緒にいるようになってからは、前のように大きな声で泣く事はなくなったと思う。

それ以来、透明な箱の中にいる時も、時々箱の外に出る時も、一緒に過ごすようになった。




物音がして、今日何度目か、目を覚ます。
顔を上げると、いつものように大きな生き物が透明な箱の向こうから自分達を見ていた。

透明な箱の中で過ごすようになってから、最初の頃は警戒したものだったけれど、最近はすっかり慣れてしまった。
子供が怯える事もなくなったし、あの生き物達は、透明な箱を越えて此方にやってくる事はない。
決して警戒しなくなった訳ではないけれど、毛を逆立てて睨む必要はないのだと気付いてからは、ただじっと、生き物達の動向を注視する事にした。

大きな生き物達は、大抵、賑々しいものが多かったが、今日の生き物はその中でもより一層賑々しかった。
しきりに箱の中にいる自分達を指差して、何かを言っては、傍にいる別の生き物に話しかけている。
その話し声の所為だろう、腹の上ですやすやと眠っていた子供がもぞもぞと身動ぎを始め、やがてぱちりと瞼を開けた。


なあに?


子供は眠そうな目を擦り、きょろきょろと辺りを見回した。
それから、自分達を指差している大きな生き物を見付けて、子供は体を起こして箱の壁に近付く。

最初の頃は怖がってばかりだった子供も、少しずつ環境に慣れて、沢山の生き物に見詰められる事に慣れてきた。
それは多分、兄が一緒にいてくれると言う事と、何があっても箱の向こうから生き物達がこれ以上近付く事はないと覚えたからだろう。
根っこは相変わらず怖がりで、突然何処かから聞こえた正体不明の音だとか、そういうものには敏感に反応する。

箱の前で、生き物の前足がちっ、ちっ、ちっ、ちっ、とリズム良く左右に揺れている。
子供はそれを追いかけて、首を左右に揺らしていた。


なあに?なあに?これなあに?


子供の前足が持ち上がって、ぺたぺたと透明な壁を叩く。
きっと揺れているものを捕まえたいのだろうけれど、うずうずしている尻尾とは裏腹に、透明な壁の所為でそれは叶わない。
だから代わりに、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、と揺れるものを追うように、首を揺らして前足でぺたぺたと壁を叩く。

しばらくして、揺れていたものがなくなって、除き込んでいた生き物もいなくなった。
気になっていたものが目の前から消えて、子供は少し詰まらなそうに尻尾を垂らしていたが、くるっと振り返ると、兄を見付けて嬉しそうに破顔する。


おにいちゃん、おにいちゃん。


甘えて体を寄せてくる子供に、知らず目を細める。
すりすりと頬を寄せられて、同じように頭を寄せてやれば、子供は益々嬉しそうに抱き着いてきた。

いつものように子供をあやし、撫でてやる。
くるり背中を向けて尻尾を揺らしてやれば、子供はまじまじと揺れる尻尾を見つめて、前足でぺたりぺたりと床を叩く。
時々、喉が乾いて水を飲んで、また遊んでと繰り返し。
ふわ、と時々欠伸を漏らしつつ、子供が遊び疲れて眠るまでは、もう少し起きていようと尻尾を降り続ける。

そんな時だ。
透明な箱ががちゃりと開いて、いつも毛布を取り替えてくれる生き物の前足が伸びてくる。
前足は子供を抱き上げて、箱の外へと連れ出すと、ぱたりと箱を閉めてしまった。


あれ?おにいちゃん?


箱の向こうで子供の声が聞こえる。

こんな事は、いつ以来だろう。
突然子供と離れ離れになるなんて、考えてもいなかった。


おにいちゃん、おにいちゃん。
おにいちゃん、どこ?


箱の外で、兄を呼ぶ子供の声がする。
怖がっていると判るその声に、あの子の所に行かなければと立ち上がる。
けれど、何度叩いてみても、透明な壁はびくともしない。

少しの間聞こえなくなった子供の声が、別の場所から聞こえてきた。
振り返ると、子供はいつも大きな生き物達が自分達を眺めている場所にいて、優しい生き物の手から、別の生き物の手に委ねられようとしていた。
優しい生き物の手の中で固まっていた子供は、見知らぬ生き物を見上げて、びくっと尻尾を膨らませる。


いや、こわい!
おにいちゃん、おにいちゃん!


じたばたと子供が暴れだして、大きな生き物達の手から逃げ出した。
慌てて優しい生き物が子供を捕まえようとするけれど、子供はそれもするりと逃げて、兄の下へと走り出す。

けれど小さな子供は、兄が何処にいるのか判らない。
追い駆けて来る生き物達から逃げながら、子供は右へ左へ走り回り、隠れる場所を探して小さな物陰の中に滑り込んでは駆け抜けて、辺りはしっちゃかめっちゃかになった。
こっちだよと何度も声を大きくして呼ぶけれど、恐怖で一杯になってしまった子供の声には届かない。


やだ、やだ、やだ。
おにいちゃん、おにいちゃん。
おにいちゃん、どこ?


駆け回りながら泣きじゃくる子供。
自分があそこに行かないと、子供はずっと怖い思いをしたままだ。

透明な箱から出ようと、閉じてしまった壁に体をぶつける。
箱が内側から開いてくれた事はないけれど、今こそ開けなければ、開けて外に出なければ。
あの子を迎えに行かないと、あの子を安心させてやらないと。

何度も弾かれながら転がっていると、がちゃりと箱が開けられた。
延びてきた前足をするりと避けて、外に出る。
並んだ細い四つ足や低い天井の下を擦り抜けて、大きな生き物達の色々な臭いで一杯になった場所に出る。
しっちゃかめっちゃかになった景色を見て、此処だ、と確信した。

がしゃーん、と大きな音が響く。
その音のする方向へと走って行けば、大きな生き物達に囲まれて、泣きじゃくっている子供がいた。
飛び込んで子供を捕まえて走り抜け、床と低い天井の隙間に潜り込んで、生き物達が入って来れない場所に逃げる。
隙間の向こうで自分達を呼ぶように何度も声がかけられたけれど、決して外には出ないで、子供を床に下ろして丸くなる。


おにいちゃん、おにいちゃん。


怖かった、と擦り寄せてくる子供の目は、すっかり濡れてしまっている。
いつものように腹の上にちょこんと寝るだけでは落ち着かない子供を、体の下に隠すように閉じ込める。

優しくしてくれた生き物達の事は嫌いではないけれど、子供を怖がらせる生き物達は駄目だ。
だから、隙間の向こうで一所懸命に呼ぶ声が聞こえていたけれど、聞こえない振りをしてうずくまる。
子供もすん、と鼻をすすりながら、兄の傍らに丸くなって目を閉じた。

─────結局、じっと其処に隠れていられたのは、ほんの数時間の間だけ。
子供が、兄が傍にいると言う安堵感の中で、いつの間にか眠ってしまい、目が覚めた時には透明な箱の中に戻っていた。
目覚めて真っ先に辺りを見回して、いつもと同じように腹の上ですぅすぅと眠る子供を見付けて、ほっとする。
透明な箱の向こうでは、いつも優しい生き物達がしょんぼりとした顔で此方を見ていて、そっと前足の細い先端で頭を撫でた。

しばらくして、腹を空かせた子供が目を覚ました。
きょろきょろと辺りを見回す子供の額を撫でてやると、子供は兄の存在に気付いて、じわあと瞳を潤ませる。
すりすりと体を寄せて甘える子供をあやして、いつもと同じように一緒に食事をして、いつものように毛布に包まって丸くなる。



翌日、透明な箱に一枚の紙が貼られた。
裏側からでは真っ白にしか見えないそれの表側には、こう書いてある。

『二匹ペアです。一緒に可愛がってあげて下さい』




≫3
2013/06/27

色々やらかしてしまった二匹。

最初は、元々同じ親から生まれた兄弟だし、二匹一緒にしていた方が大人しいしと言う理由で一緒にしてただけだったんだけど、離したらとんでもない事になるのだと判ったと言う事件でした。