ある夏の日の風景 2


世間で言われるような“バイク野郎”程ではないが、バイクのカスタムやメンテナンス作業はクラウドも好きだった。
友人のザックスが大型バイクのカスタムショップに勤めているので、知識も技術も道具もそれなりに揃えられた。
とは言え、素人仕事なので、大事な所や内部メンテナンスの際には、よく頼らせて貰っている。

夏の暑い日、クラウドは契約者の無い駐車場の1スペースを借りて、バイク洗車とオイル周りの点検をしていた。
アパートの駐車場には殆ど日影がないのが辛いが、水場は近いし、遠い洗車場まで乗って帰る気力はない。
そもそも、大型バイクが置ける駐輪場が備えられている時点で、このアパートはバイク乗りにかなり優遇していると言って良いのだ、これ以上の贅沢は言うまい。
水を使っていれば、その内心なしか涼しくもなるだろう(湿気がべとつくのは鬱陶しいが)。

目立つ汚れを水で落とし、ザックスから友人価格で売って貰った専用ワックスを使って、車体を磨く。
毎日の細かい砂埃でくすんでいた表面が、新品のように輝きを取り戻して行く様は、何度見ても嬉しいものだ。

────其処に、とてとてとて、と近付いて来る、軽い足音。


「クラウドお兄ちゃん」


呼ぶ声にクラウドが振り返ると、Tシャツと長袖のフード付きパーカー、ショートパンツ姿で、麦わら帽子を被った子供がいる。
アパートで隣室に住んでいる、スコールだった。

スコールは離れた所で、もじもじとしている。
クラウドはバイクに向けていた身体を反転させて、スコールと向き合った。


「どうした、スコール」
「……そっち、行っても、いい?」
「ああ」


クラウドが頷くと、スコールはぱあと表情を明るくさせ、クラウドの元まで走る。
ぽすん、と抱き着いて来たスコールに、クラウドはまだまだ小さいな、とこっそり笑った。
いつものように撫でようとした手は、オイル塗れだった事に気付いて、寸での所で止める。

スコールはクラウドに抱き着いたまま、しゃがんでいても尚高い位置にあるクラウドを見上げる。


「クラウドお兄ちゃん、何してたの?」
「バイクを洗っていたんだ。綺麗にしてたんだよ」
「ふぅん」


スコールはクラウドの肩に顎を乗せて、バイクを見る。
じぃ、と見詰める蒼の瞳に、バイクの光がきらきらと映り込んでいた。


「ぴかぴかしてる」
「ああ」
「もっとキレイにする?」
「うーん……そうだな、もう少し…」


今の状態でも不満はないのだが、やはりもう一手間かけたい。
最後に使う仕上げ用のマット用のワックスがけもしなければ。
しかし、こんな暑い時間帯に、基本的に外遊びが好きではないスコールが出てきたと言う事は……と考えていると、つんつん、と服の端が引っ張られた。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「ん?」
「僕、お兄ちゃんのお手伝い、したい。だめ?」


それは、“遊んでほしい”と中々言えないスコールの、精一杯の“構って”の言葉。
クラウドは小さく笑みを漏らして、頷いた。

やった、と小さな声ではしゃぐスコールに、クラウドは乾拭き用の布を渡した。
まだ幼いスコールの手は、ぷにぷにと柔らかく、きめ細かい。
その手に、刺激のあるワックス類が沁み込んだ布を使わせるのは、少し抵抗があったからだ。
クラウドはバイクが倒れないように改めてスタンドの固定を確認し、ワックスがけも終わっていたカウル部分を拭いて貰う事にする。


「ん、しょ…んしょ」
「上手いな」
「ほんと?」


嬉しそうに問うスコールに頷いてやれば、スコールは頬を赤らめて笑う。
そのままスコールはカウルを拭く作業に戻った。


「お兄ちゃんのバイク、大きいね」
「大型バイクだからな」
「僕よりおっきい」


スコールの言葉に、クラウドが彼とバイクを見比べれば、確かに、ハンドルの高さまで含めれば、バイクの方が高さがあった。
シートはスコールの方が頭一つ抜いているが、それでもスコールには大きく見える事は変わりない。


「かめんらいだーのバイクより、大きい?」
「どうかな。仮面ライダー、見たのか?」
「見た」


お父さんと一緒に見た、とスコールは言った。
怪人や悪役は相変わらず怖かったが、バイクに跨って颯爽と走るヒーローの姿は格好良かった、と。


「お兄ちゃんも、バイク、乗る?」
「ああ」


持っているんだから乗るだろう、とは思ったが、クラウドは言わなかった。
スコールの前でバイクに乗ってる所を見せた事もないし、世の中には持っているだけで満足と言うコレクター気質の人間もいる。
第一、子供の質問と言うものには、基本的に前後も脈絡もないのだ。
一々目くじらを立てずに、聞かれた事に応えてやれば良い。

スコールは背伸びをしながら、カウルのフロント上部を拭いている。
幅のある大型バイクは、小柄で身長が足りないスコールの手では届かない場所が多いようだ。


「届かない所は、無理にしなくて良いぞ」
「う、んっ」


小さなスコールには、手順だの効率だのと言う考え方は、まだまだ足りない。
見付けた汚れ、目についた場所を拭こうと一所懸命になっている。

背伸びをして、首を伸ばしてバイクの上部を拭いているスコールの頭から、麦わら帽子が滑り落ちる。
ぎらぎらと熱い太陽がスコールの額に当たって、直ぐにじわりと珠の汗が浮いた。
クラウドはエンジン回りを拭く手を止めて、麦わら帽子を拾い、スコールの頭に乗せてやる。
すると、スコールは背伸びをしたまま、頭だけを後ろに反らせてクラウドを見上げた。
転ぶぞ、とクラウドが膝で背中を押してやりつつ、蒼の瞳を見下ろしていると、


「クラウドお兄ちゃん」
「ん?」
「……んと……」


もじ、と視線を逸らしたスコールに、クラウドは首を傾げた。

頭を反らせ、背伸びをするのを止めたスコール。
クラウドは膝を折って、スコールと目線の高さを合わせてやった。
スコールは、乾拭き布を背中に隠すように持って、俯き気味になってもじもじとしている。


「どうした」


ちらちらとクラウドの顔を見ながら、両肩を前後に揺らすスコールの仕草を、クラウドは見慣れている。
これは恥ずかしがり屋で消極的なスコールが、「おねがい」をする時のものだ。

スコールの頭から僅かに浮いている麦わら帽子を、軽く上から押さえて、きちんと被らせる。
解けていた首紐を結んでやろうと手を伸ばした所で、スコールが顔を上げた。


「あの、ね。僕ね」
「うん」
「ばいく……」
「うん」
「………ちょっと、…のって、みたい」


……だめ?と。
首を傾げてお願いする子供の仕草に、勝てる人間がいるなら、見てみたい。

くすりと笑って、クラウドは頷いた。


「いいぞ」
「ほんと?」
「どうせだから、走ってるのに乗るか?」


ちょっと怖いかな、と思いながら提案してみると、スコールの表情が輝いた。
これは決定、だろう。

だが、そうなると、今のバイクの状態では少し厳しいものがある。


「今日は夕方から俺の仕事があるから、ちょっと時間がないな。そうだな……明後日になるけど、それでもいいか?」
「うん!」
「それと、この事は後でお母さんに話すぞ。いいな?」


大型バイクと、まだ7歳になって間もない小さな子供と言う組み合わせだ。
事前の準備は必要だし、バイクは決して安全なだけの乗り物ではないから、両親にもきちんと説明をしておいた方が良い。
勿論、怪我をさせないつもりではあるが、万が一の時の為、反対される可能性も含め、ちゃんと話は通して置くべきだろう。

それでも良い、ともう一度スコールが頷いたので、クラウドは良い子だ、と言った。
スコールは嬉しそうに頬を赤らめ、いそいそとカウルを拭く作業に戻る。

それから十分程でクラウドがワックスがけを終えると、スコールもカウルの乾拭きを終わらせた。
スコールが細かな隙間───クラウドでは指が入らない程の隙間だ───まで丁寧に拭いてくれたお陰で、バイクは隅から隅まで綺麗になった。
クラウドはそれをぐるりと周りながら眺め、スコールはそんなクラウドをやや緊張した面持ちで見上げ、


「……よし。綺麗になったな。ありがとう、スコール」
「…!」


クラウドの言葉に、今日何度目になるか、ぱあああ、とスコールの表情が明るくなる。
嬉しそうに頬を赤らめるスコールに、クラウドも自然と頬が緩んだ。

いつものようにスコールの頭を撫でようとして、ああ、とクラウドは思い出して手を止める。
オイルやらワックスやら、そうでなくともクラウドの手はすっかり汚れている。
汗拭き用に使っていたタオルで手を拭いて、クラウドは改めてスコールの頭を撫でようとし、


「スコール。鼻、ついてるぞ」
「ふぇ」


きゅっ、と小さな鼻を摘まんでやる。
そこには、乾拭きに夢中になっている内にいつの間にかついたのだろう、黒ずんだ汚れがあった。

クラウドが摘んだ指を離すと、スコールは腕でごしごしと鼻頭を擦った。
が、腕が離れてみると、汚れは伸びただけで取れていない。
くつくつと笑うクラウドに、スコールは眉尻を下げる。


「とれた?だめ?」
「くく……」
「んぅ…んゆ、んっ、んっ」


ごしごし、ごしごしとスコールは何度も顔を擦った。
指で引っ掻いて拭おうともしたが、指先も汚れていたので、また汚れが酷くなる。
やれやれ、とクラウドは眉尻を下げて笑いながら、タオルでスコールの顔を拭いてやった。
このタオルも汗やらオイルやらで汚れているが、手で拭うよりは良いだろうし、後できちんと綺麗な水で洗ってやれば良いだろう。

タオルが離れると、スコールは顔の汚れを確かめたかったのだろう、また手で鼻に触ろうとする。
それをクラウドの大きな手がやんわりと捕まえて、


「手、汚れてるんだ。家に帰って、ちゃんと石鹸で洗おう」
「バイクのおせんたく、終わり?」
「ああ。バイクを戻してから行くから、先に行けるな?」
「お兄ちゃんち?」
「ああ」
「行けるよ」
「これ、カギな。開けておいていいから」


クラウドがポケットから差し出した鍵を、スコールは大事そうにぎゅっと握りしめる。
小さなコンパスで玄関まで駆けて行く背を見送って、クラウドは子供用のヘルメットって売ってたかな、と友人に訪ねるべく携帯電話を取り出した。






2014/08/02

麦わら帽子を被った子スコはかわいい。