ドント・セパレート・フロム・ミー
『ドント・ミスアンダースタンド・ミー』の続き


 事故と言えば、事故なのだ。
その事故が起こらない為の努力は、出来る限り、していたと思う。

 例えば、必要以上に彼女に近付かないようにだとか、彼女が着替えている時には部屋の外に出ているとか。
そんなザックスの気遣いに、どうしてか彼女は不機嫌な表情を浮かべている事が多かったが、かと言って、年上であるザックスの方が気遣いを忘れる訳にもいかない。
部屋を別々にするようにも働きかけたし、実際に部屋も取ってみたし、彼女が部屋を移動したくないのなら、ザックスの方が安部屋に行っても良かった。
しかし、彼女はがんとして「ザックスと一緒にいる」と譲らず───それはザックスの“表向きの休暇”の為なのだろうけれど───、良い年齢の男と並んでいる危険性については、まるで考えていないようだった。

 その末の、事故である。
出来る限りの努力をしていたザックスだったが、ちょっとした油断と、想定外の出来事で、事故は起こってしまった。
それはザックスが彼女を心配しての事で、彼女自身も怒ったりと言う様子を見せなかったので、致し方のない出来事であったと流されているのだろうと思う。
しかし、それでも────少女とは言え、やはり複雑且つ敏感な年頃の女の子である。
正面切って詫びを入れると、折角流してくれているのを掘り起こして恥ずかしい想いをさせてしまう気もするが、配慮すべき立場である大人として、「全く何もありませんでした」となかった事にしてしまうのもどうかと思う。

 何より、あの時触れた少女の細く白い肢体が、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。




 仕事を終えて神羅カンパニー社に帰還したザックスは、上層部宛に報告書を提出した後、ビルの1階ロビーでぼんやりと過ごしていた。
社員や展示フロア見物の一般人が忙しなく出入りしている中、新作ポーションの試飲を勧める薬品研究部門の社員の声が景気よく響いている。
ザックスの手にも、新作ポーションが握られていたが、ベンチに座った時に一口飲んだだけで、後は蓋を閉めて手の中でぶらんと垂れ下がっているだけ。

 “表向きの休暇”が終わった後、休暇以前の一連の事件について、様々な憶測が飛び交うようになった。
終わった筈の事件が、本当に終息を迎えたのか、まだ何か隠されている事があるのではないか。
その上、休暇撤収の切っ掛けとなった海上都市ジュノンでの戦闘の際、一連の事件の中心人物的存在であったホランダーにも逃げ果せられてしまうと言う始末。
おまけにソルジャー部門を統括していたラザードが行方を眩ませてしまった。
現在のソルジャー部門は、治安維持部門と統合され、ハイデッカーを責任者とし、内部ではクラス1stであり最も古株であるセフィロスを支柱にする形でなんとか支えられてはいるものの、その構造にはかなり罅が入った状態になっている。
一連の事件から来るソルジャーへの風当たりも相変わらずだ(寧ろラザードの行方不明が重なり、より一層強くなったようにも思う)。

 唯一の救いと言えば、其処まで周囲から冷たく当たられようとも、神羅カンパニーからソルジャー部門が丸ごと追い出される様子がない、と言う事だろうか。
ソルジャーは神羅カンパニーにとって手放せない商品である。
特殊に強化された兵を多数抱えているお陰で、神羅カンパニーはあらゆる危険な場所にも食指を伸ばして魔晄の採掘が出来ているし、会社に対するライバルや反発する市民団体の暴走を抑える事が出来る。
自分の体内に爆弾を内包していると言われても、神羅カンパニーがソルジャー部門を切り捨てるのは、容易な話ではない。
お陰でザックスは路頭に迷わずに済んでいる。

 ソルジャーへ舞い込んでくる仕事の量も、以前とそれ程変化してはいない。
クラス1stになると、仕事の受諾・拒否を自分で決められるようになると友人が言っていた気がするが、現在、ザックスはそうした余裕は殆ど持てていない。
一連の事件で落ちた信用を取り戻す為と言うのもあるが、慢性的な人手不足と言うのが正直な所だ。


「………あー………」


 気力のない声が、天上を仰ぐザックスの口から零れた。
たぽん、と手元の瓶が音を鳴らしたので、片手で蓋を開け、口まで持って行く。
小さな気泡が口の中で弾けて行くのを感じながら、ザックスはポーションを喉に通した。


(もう一回休暇に行きてえな。って言うか、あれって結局、休暇じゃなかったしなぁ。仕事してた訳じゃないから、休みって言えば休みだけど)


 口から瓶を放して、端から零れた雫を手の甲で拭う。


(あー……でも、休みなあ。あんまり休めた感じしなかったっつーか……)


 ザックスの脳裏に、休暇に同行する形で傍についていた少女の顔が思い浮かぶ。

 神羅カンパニーの暗部を担う部署『タークス』に“見習い”と言う立場で所属している彼女は、まだ10代の前半と言う、幼さの抜け切らない人物であった。
見る者が見れば、きっぱりと「子供」と呼ばれる事もあるだろうし、ザックスもそうした印象を持っている。
それでもタークスに所属しているだけあって、並大抵の一般男性や一般兵よりも戦闘能力は高い。
彼女の上司であり、保護者でもあるタークスの面々から直々に戦闘技術を教えられていると言うので、彼女は正に暗部のエリートとして育てられていると言う事だ。
その割にタークスメンバーは揃いも揃って彼女に過保護で、彼女の兄代わりを自負しているレノに至っては「お姫様」と呼ぶ程の可愛がりようだ。

 その暗部が大事に大事に、蝶よ花よと言わんばかりに可愛がっている少女と、ザックスは休暇の間中、一緒にいた。
それも、二人きりで。
同じホテルの、同じ部屋で。


(……やっぱ可笑しかったよなー、あの状況)


 幾ら10代前半と言う未成熟な少女であるとは言え、女の子である事に代わりはなく(寧ろ女性が男性に比べて早熟傾向があると考えると、10代前半でも立派な女性として扱うべきかも知れない)、そしてザックスはれっきとした男である。
“たまたま”重なった休暇で保護者代わりにザックスが付いているとか、“たまたま”ホテルが同じだと言うだけなら、ザックスとてそれ程気にはしなかった。
ビーチの水着美人をナンパ出来ないのは辛かったが、ふとした瞬間に妙な輩に絡まれてしまいそうな少女を放置する訳にもいかないだろう。
増して彼女はタークスが可愛がっている存在なのだから、彼女に万が一の事があれば、ビーチが一晩で焦土になってしまう。
それを未然に防ぐ為にも、ザックスは彼女の保護者役となる事を余儀なくされたのだが、


(部屋が一緒なのは可笑しい。絶対可笑しかった。まだもうちょっと、こう…高い部屋で、ちゃんと間仕切りって言うか、寝室が分けられてたりとか言う部屋ならともかくさー)


 ザックスが一番頭を抱えたのは、自分と彼女の過ごすホテルの部屋が、同室であったと言う事。
向かいの部屋でも、隣の部屋でもなく、全くの同じ空間であったと言う事。

 若い男女が一つの部屋で、一週間以上の同居状態。
何が起きても可笑しくない、と言われても反論できない状況だ。
ザックスには少女趣味はないし、彼女に対しては妹のような意識があって、万が一の事件は起こらない、と自信がある。
しかし、少女の健全な未来と安全の為にも、こうした事態に慣れさせてしまうのは宜しくないと思い、繰り返し少女の上司にも訴えたのだが、結局最後まで無視されてしまった。
少女の方はと言えば、ザックスのそんな気遣いに気付く様子もなく、ザックスの目の前で着替えを始めようとしたり、すやすやと安らかに眠ったり。
基本的に人見知りが激しく、警戒心が強いらしい彼女が、そうした一面を見せると言う事は、ザックスの事を信用しているからと言って良いのだろうが、それにしても、


(無防備過ぎる!)


 休暇中、ザックスの彼女への印象は、その一言に尽きる。

 男の目の前で素肌を晒したり、仕切り板すらないのにすやすやと寝入ったり(寝返りでシーツの端から足が見えていたりした)、朝に弱い体質なのか寝起きもぼんやりとしていたし。
少女趣味はない、彼女は妹のように庇護しなければならないと思っているザックスでさえ、思わず唾を飲んでしまうような場面もあった。
ザックスは直ぐにその思考を追い払ったが、世の中には、彼女のような未熟な蕾を好んで散らそうとする不埒な輩もいる。
彼女は、そうした輩に対して酷く無警戒で、無知であった。

 ザックスは休暇の間中、時間を設けては彼女に男の危険性について説いたが、彼女はその都度、不満そうな顔をしてザックスを睨んでいた。
後でシスネから、彼女が極端に説教嫌いな性質である事を知って、ザックスはおおいに後悔した。
説教嫌いに延々と同じ話を説き続けるなんて、絶対に彼女の不興を買ったに違いない。
しかし、それでも必要な話だった筈だ─────とザックスは自分に言い聞かせている。

 だって、彼女がもっと警戒していれば、あの環境の危険性について理解してくれていれば。
彼女の上司が、あんな環境を作り出したりしていなければ。
あんな事故だって起こらなかった筈。


(………)


 ザックスは頭上に自分の手を掲げ、天井の明光で影を作る掌を見詰めた。
其処に有るのは武骨な剣胼胝のある手で、記憶にある少女の細い手首を簡単に掴めてしまう。
その手で、あの時、触れたものは、触れてしまったものは、


「─────何してるんだ、あんた」


 ひょっこり、掌の向こうに現れた青灰色に、ザックスは一瞬、意識を飲み込まれた。
魔晄を浴びたガラス玉のような碧色と、深い深い海の底のような蒼が、数秒、じっと交差する。


「……スコール、」


 その蒼の持ち主の名を、確かめるように呼ぶ。
すると、蒼い瞳の少女────スコール・レオンハートは、きょとんと小首を傾げてザックスを見下ろした。

 タークスの制服とも言える、黒のスーツで上下を固め、ダークブラウンの髪と言う、全体的に暗色で整えられている中で、顔や手と言った最低限の露出で覗く肌は、まるで雪のように白い。
ザックスと共に海辺のリゾートで毎日のように陽光に当たっていたのに、彼女は全く日焼けをしていなかった。
シミやソバカスといったものもなく、シスネから貰ったと言っていた薬用クリームは、どうやら彼女のいたいけな肌を守る役目を存分に果たしてくれていたようだ。

 その白い肌に、ザックスは触れた。
触れた場所は、頬や掌といったありきたりな場所ではない。
もっと、きっと容易に触れてはならないような、そんな場所。


「…………!!」
「ザックス?」


 火が出るように顔に血が上ったザックスを見て、スコールは目を丸くした。
どうした、と問うてくる彼女の顔が近付いて、ザックスは慌てて逃げる。
背後は壁で動けなかったので、ベンチの横に這うように移動した。


「……なんだ?」


 不機嫌に眉を潜め、睨んで問うスコールに、ザックスは自分の行動が如何に不自然であったか気付く。


「あ、いや、ちょ……うん。考え事してたもんだから、びっくりしちまって」
「………」
「わりぃな!あ、俺、これからまた仕事があるんだ!じゃ!」


 胡乱な眼で睨む少女に、ザックスは一方的な別れを告げると、ベンチを立ってロビーを駆け抜けた。
おい、と高い少女の声が呼び止めるのが聞こえたが、無視して丁度良く到着したエレベーターに滑り込む。

 取り残された少女が、それから一時間、誰も話しかけられない程に不機嫌なオーラを放っていた事を、彼は知らない。




 ザックスは、自分が軽い男である事を自覚している。
ただし、女性に対する態度が軽い事と、女性を軽んじる事は別だ。
美人なお姉様や可愛い女の子は勿論の事、(失礼な言い方ではあるが)見た目がちょっと残念な子にも、優しく接するべきだと思う。
小さな子供を相手に、大人の女性と同じように接しようとは流石に思っていないが、大切にするべき、庇護するべきだと思っている。

 スコール・レオンハートは少女である。
故に、庇護するべき対象だとザックスは考える。
彼女が神羅カンパニーの精鋭タークスの“見習い”とは言え一メンバーであるとしても、これは変わらない。
実際、彼女は実戦経験と言うものが浅く、幼さ故の背伸びもあって、青さが目立つ所がある。
一人前の人間としてはまだまだ足りないし、成長し切っていない身長や華奢な体躯、ぱっちりとした大きな蒼の瞳や幼さを残す輪郭を見れば、やはり彼女は“守るべき対象”になるのだ────少なくとも、ザックスにとっては。

 だから、ザックスにとってスコール・レオンハートとは、妹のような存在であった。
背伸びしたがりで、時々生意気な一面が顔を出すのも、そう考えれば可愛らしく見えてくる。
一所懸命に周囲の大人達に追い付こうとするのも、微笑ましく思えるものだった。

 ……だから。
だから。

 あってはならないのだ。
“守るべき対象”に対して、不埒な感情など。
いたいけな少女に対して、明らかに不純な感情など。

 そう思っている筈なのに、触れた肌の白さが忘れられない。