ドント・セパレート・フロム・ミー
『ドント・ミスアンダースタンド・ミー』の続き


 『総務部調査課』────それが神羅カンパニーの暗部を担う『タークス』の表向きの部署名であった。
そのプレートが提げられた部屋の中は、書類やら資料やらで埋まっている所為で決して広くは感じられないものの、フロアの四分の一を占有しており、そこそこ大き目のスペースを与えられている。
其処にはタークスメンバーが愛用している武器の保管庫や、手入れの為の道具も揃えられており、仮眠室も設けられていた。
仕事用のデスクは人数分が並べられているのだが、数年前から、其処に小さめのデスクが置かれるようになった。
そのデスクは、大人が仕事をするには小さく、しかし他のメンバーのデスクと同じように調査資料に関する書類が、数は少ないものの、積み上げられていた。

 その一回り小さなデスクスペースの持ち主である少年が、拗ねた顔でデスクに顔を埋めている。
ダークブラウンの横髪がかかる頬がぷくぷくに膨らんでいるのを見て、可愛い、とシスネは思った。
しかし、可愛がっている少年があからさまに不機嫌な面をしていると言うのは、保護者としてのんびりしている訳にはいかないだろう。


「どうしたの、スコール」


 自分を拾ってくれた、姉的存在であるシスネに、スコールは一等素直な反応を見せる。
だから、拗ねた面持ちをしている時のスコールの相手は、大抵、シスネが率先して引き受ける事になっていた。

 顔を上げたスコールは、心の不満を全て露わにしているかのように、判り易く不機嫌だった。
シスネにすら睨むように見つめる青灰色に、姉は柔らかく微笑んで「うん?」と首を傾げてみせる。
自分から話を切り出す事が苦手である少年に、言葉を促すように見つめるシスネに、スコールはむぅ、とまた一つ頬を膨らませ、


「……ザックスが」


 零れた知人の名前に、シスネは特に驚きはしなかった。
自分達のデスクでそれぞれ聞き耳を立てている同僚達も、この名が出てくる事は想像済みである。


「うん。ザックスがどうかしたの?」
「………」
「スコール?」


 名前を呟いたきり、また口を噤んでしまったスコールに、シスネは口元に指を当てて、どうしようかな、と思案する。
スコールは口下手である上、自分の気持ちに当て嵌まる言葉を探している内に、自分の内側だけで自己完結させてしまう癖がある。
そんな彼から諸々の事情を引き出すには、問う側が順序を立てなければ。


「スコール、ザックスの休暇、一緒にいたんでしょう?」
「……」


 シスネの確認の言葉に、どうしてそんな事を聞くんだ、と青灰色が見上げて来た。
ザックスの“休暇”と同時期のスコールの“休暇”は、タークスの面々は皆知っている事だ。
今更確かめる事でもない事を、改めてシスネが問うたのは、会話の糸口にする為だ。


「休暇の間、ザックスとずっと一緒にいたのよね」
「それは、だって」
「うん。立派な“お仕事”だったものね、スコールにとっては」


 仕事、と言われて、スコールの頬が微かに赤くなる。
“見習い”であるが故に、単独での仕事を滅多に廻されないスコールにとって、ザックスの“休暇”への同行と言う“仕事”は、とても嬉しいものだったのだ。
特別に身構えなければならないような仕事内容ではなかったが、いつもシスネやレノの補助でしか仕事に参加出来なかったスコールには、一人で仕事を任されると言う事が、とても重要な意味を持つものになったのである。

 殆ど初めてだった一人きりでの“仕事”。
逐一連絡を取ってはいたものの、保護者的存在が現場にいるのといないのとでは大違いだ。
しかし、スコールはきちんと仕事を終え、その後の報告書も完璧(幾らかシスネが添削はしたものの、大きなミスはなかった)だった。

 よく頑張りました、と頭を撫でるシスネに、スコールはほっとしたように小さな笑みを漏らす。
が、直ぐにぶんぶんと頭を振って、シスネの手を振り払ってしまった。


「シスネ、子供扱いしないでくれ」
「ごめんごめん。つい癖で、ね」


 くすくすと笑って詫びるシスネに、スコールは口をへの字にして視線を俯かせた。
シスネはそんなスコールの顔を覗き込み、


「それで、スコール。休暇中のザックスと何かあったの?ひょっとして、報告書に書洩らしでもあったの、思い出した?」
「……違う」


 シスネの言葉に、スコールはふるふると首を横に振った。


「じゃあ、ザックスに意地悪されたとか?」
「…あいつ、そんな事しない」
「よね」


 直ぐに否定したスコールに、シスネは予想通りと頷く。
スコールはそんなシスネを、また拗ねたように見つめた後で、


「でも、相変わらずだった」
「相変わらず?」


 スコールの言葉に反応したのは、シスネも勿論であるが、レノも同様だった。
見ているようで見ていなかった書類から顔を上げ、弟的存在の少年の方へ向き直る。

 スコールはデスクに体を向け直して、先程と同じように突っ伏した。


「ザックスの奴、まだ俺の事、女だと思ってる」
「なんだ、そんな事か、と」
「そんな事じゃない!」
「おっ?」


 バン!とデスクを叩いて声を荒げると言う、いつになく激昂した様子のスコールに、レノは目を丸くした。

 スコールはガタンと椅子を蹴って立つと、早足でレノのデスクまで向かう。
タークスの面々の前では、幼さの目立つ眦が、これでもかとばかりに吊り上げられ、眉間にも深い皺が出来ている。
おお?とレノが瞬きをしている内に、デスクチェアに落ち付いた彼の目の前まで来たスコールは、握った拳をわなわなと震わせてから、────ゴツン!と固い音を鳴らした。


「……っつ〜!なんだ、いきなり!?」
「煩い!あんたの所為だ!」
「ちょ、ちょっとスコール、待って。少し落ち着いて」


 拳骨の落ちた頭を抱えるレノと、じんじんと痛む拳を手で摩って宥めながら怒鳴るスコールに、シスネが慌てて声をかけた。
もう一度殴りそうな剣幕のスコールを、ルードが後ろから羽交い絞めに抱えて止める。
スコールはルードに抱えられた格好のまま、鬱憤を晴らすように叫び続けた。


「あんたが俺の事を“お姫様”なんてふざけた呼び方するから、ザックスがいつまでも勘違いしたままなんだ!」
「…いやー…あいつの勘違いは、俺の所為だけじゃないと思うぞ、と」
「いいや、あんたの所為だ。“お姫様”なんて、男に向かって言う台詞じゃないだろ」
「でも、昔からそう呼んでるし。お前だって、別に何も言わなかったじゃないか、と」
「それは、あんたが何回言っても呼び方を止めないから、諦めてただけだ。でも、もう無視できない。今直ぐあのふざけた呼び方を止めろ」
「そう言われても────」


 レノは、スコールの頭の天辺から爪先までを、じっくりと観察する。

 成長途中の体は、最近ようやく性別の境界が曖昧な年齢を脱しつつはあるものの、やはりそのシルエットは華奢で、少年らしいとも言い難い。
大きな青灰色の瞳は、いつも瑞々しく光を湛え、尖り切らない頬の輪郭もあってか、まだまだ中世的で、見様によっては少女のようにも映る。
肌は雪のように白く、日に当たると炎症を起こして痛みを発してしまう為、同じ年頃の少年少女のように健康的に日焼けする事も出来ず、子供特有の丸みが削がれて来た所為で、余計に儚い印象を相手に与えてしまう。
変声期もまだ訪れていない所為で、声も高く、男性特有の太みのある音は、どんなにドスを利かせようとしても出せなかった。
ついでに言うと、ほんの少し前までは、酷い人見知りと内気な性格の所為で、ちょっと可愛らしい格好をさせれば、少女であると言っても誰も疑わなかった程だ(今もそうだが、あの頃よりは男だと言って信用する者が増えた)。
今でも時々、シスネが悪ノリをして、潜入任務の為と言ってスカートを穿かせる事があるが、その時の違和感のなさと言ったら。

 レノはじぃっと、弟的存在として可愛がっている少年を見詰めた後で、うん、と納得したように頷き、


「やっぱり“お姫様”でいいと思うぞ、と」
「このっ!」
「おっと」


 落ちて来た二発目の拳を、レノは素早く椅子から退いてかわす。
忌々しげに睨むスコールを、落ち付け、ともう一度ルードが抱えて抑え込んだ。


「待て、スコール。レノに八つ当たりしても仕方がないだろう」
「八つ当たり?立派な原因だろう。レノが俺の事を“お姫様”なんて呼ばなければ、ザックスに勘違いされずに済んだんだ」
「うーん……」


 そうでもないと思うけど、と言う言葉を、シスネは寸での所で飲み込んだ。
ザックスがスコールを女だと勘違いしている要因として、レノの“お姫様”呼びがある事は確かだが、ザックスはシスネ達と顔を合わせる以前から、スコールの事を“お嬢ちゃん”と呼んでいた。
レノの呼び方が彼の勘違いを促進させた所はあるだろうが、“お姫様”呼ばわりが原因と言うのは、少し違う。

 が、そんな事はスコールにとってはどうでも良いのだ。
重要なのは、レノにしろザックスにしろ、いつまでも自分の事を女扱いしているのが腹が立つと言う事。

 体格の良いルードに抱えられていては、スコールはどう暴れても逃げる事は出来ない。
観念したように、両脇を抱えられた格好でスコールが動かなくなったのを確かめて、ルードは彼を解放した。


「…レノには後で俺が言って聞かせよう」
「絶対だぞ。もうあんな呼び方、嫌なんだからな。俺は女じゃないんだ」
「……ああ」


 念を押すスコールに頷いて宥めながら、ルードはちらりと相棒を見遣る。
レノは赤い頭を掻きながら「似合ってるのになぁ」等と呟いている。

 スコールは、無人になっていたレノのデスクチェアに腰を下ろした。
俺の席が、とレノが言ったが、スコールはつんとそっぽを向いて、その場から動こうとしなかった。
そんなスコールに、別の方向から声がかかる。


「それで────ザックスの方はどうなったんだ」


 並んだデスクの上座に当たる位置に座っている、ツォンだ。
彼の口から述べられた名前に、そうだ、とまたスコールの眦が尖る。


「休暇の間に誤解を解こうと思ったのに」
「出来なかったの?ずっと同じ部屋で過ごしてたのに」


 シスネの言葉に、スコールが頬を膨らませた。


「ザックスの奴、俺の話をほとんど聞いてないんだ。それより男と女が一緒の部屋にいるのが良くないとか、男の前で着替えようとしたりするなとか。女扱いするなって言うのに、そういう事言うのもやめなさいとか」
「お風呂、一緒に入ったりとかしなかった?そうしたら手っ取り早かったと思うんだけど」
「根本的に勘違いしてるから、スコールがそういう誘いをしても、じゃあ一緒にって事にはならないと思うぞ、と」


 レノの言葉に、そうなんだ、とスコールは顔を顰める。
自分の体を見せれば、流石にどれだけ酷い勘違いでも解けるとは思うのだが、ザックスはそれを良しとしなかった。
スコールが少しでも自分の前で裸身を晒そうとすると、滑稽な程に慌てて顔を背けたり、シーツや自分の上着を被せたりして、無防備過ぎるとか警戒しろと言う説教(だとスコールは思っている)が始まるのである。

 ────タークスの面々からすると、男としてのプライドも育ったスコールには悪いが、ザックスが彼に対して抱く心配の念も判らないでもない。
世の中には未成熟な少年少女(そう、少女だけではないのだ)を性的対象とし、犯罪行為も厭わないと言う、不埒な輩もいる。
スコールもタークスの一メンバーであるから、何某かあっても相手を投げ飛ばす位は出来るだろうが、何せまだまだ未熟である。
予想外の事態や、突発的な出来事に対しては、直ぐに対処する事が出来ず、硬直してしまう癖があった。
その一瞬の隙の間に手籠めにされてしまう可能性も少なくはなく、幼さと華奢な体格に見合って腕力に恵まれていない彼が、組み敷かれてから逃げるのは、非常に難しい、と保護者達は考えていた。
この辺りの警戒については、シスネがゆっくりと言い聞かせている段階なのだが、スコール自身の警戒心はまだきちんと形になっていなかった。

 レノのチェアに座って、投げ出した足の踵でコツコツと床を蹴るスコール。
シスネは、拗ねた面持ちの彼の頭を優しく撫でた。
子供扱いを嫌うようにスコールがシスネを睨むが、微笑んで見せる姉に、彼は頬を赤らめて目を逸らした。
撫でる手を拒否し切れないのが、シスネには可愛くて堪らない。


「じゃあ、今からでも行って来たら?ザックス、今日は午後から仕事はないみたいだから」
「…………」
「どうかした?」


 良かれと思っての助言だったのだが、スコールはそれが気に障ったとばかりに、シスネを睨む。
何か言い方がまずかっただろうか、と表情に出さず思案するシスネに、スコールは小さく呟く。


「ザックス、昼に会った時、これから仕事だって言ってた。なんか此処の所、ずっと忙しいって…」
「え?そんな事ないと思うけど……ほら」


 シスネはPHSを取り出して、スコールに差し出して見せた。
液晶画面には、『from. Zack』と表示されたメールの文面。


『やっと仕事が終わったぜ。今日は午後から空いてるから、良かったら一緒にお茶でも飲まない?なーんつって』


 冗談めかして書いてあるが、判り易くナンパである。
ザックスはシスネと出逢った頃から、度々こうした誘いをしており、シスネはそれをのらりくらりとかわしていた。
今では、お互いに「機会があれば」程度の気持ちで、こうしたメールを送り交わしている。
その遣り取りは割と頻繁に行われており、これでシスネはザックスの凡そのスケジュールを把握していた。

 メールを見たスコールが、チェアの縁を掴んでいた手をわなわなと震わせる。
みるみる内に赤くなって行くスコールの顔に、その場にいた全員が身構えた。


「仕事があるって、だから話する時間がないって言ってたのに……あいつ、やっぱり嘘吐いてたのか……!」


 苛立ち方が、レノに八つ当たりをしていた時の比ではない。
完全に火に油を注いだと知って、シスネは自分の浅はかさに頭痛を感じた。

 眺めていた書類から顔を上げたツォンが問う。


「“やっぱり”とは、ザックスが嘘を吐いていると言う予測はしていたのか」
「あいつ、凄く判り易いから。あからさまに挙動不審で、エレベーターに逃げるんだ。本当に仕事があるなら、その後もう一回降りてくるのに、待っても待っても出て来ないし。ヘリで出たって話も聞かないし。それに、最近、俺の顔を見ただけで直ぐに逃げる」
「逃げる?あいつが?」


 ルードの確かめる言葉に、スコールは頷いた。


「休暇の後から、ずっとそうなんだ。だから、俺が女だって誤解も解きたいのに、そんな話も出来ない。おまけに嘘吐いて……」
「スコール、休暇中にザックスと何かあった?ザックスが気まずくなっちゃって、顔を合わせ難いって思うような事とか」
「ない。女だって勘違いしてるのは相変わらずだったけど……別に喧嘩とか、そういう事もしてないし。そういう事にはならないし」


 ザックスがスコールを女だと思い込んでいる以上、彼がスコールに対して冷たい態度を取る事はない、と言って良いだろう。
紳士を通り越して、タークスの面々に負けず劣らず保護者のような態度で接しているのだから。


「ザックス、結構優しかった。女だって思ってる所為もあると思うけど。説教とか鬱陶しかったけど」
「じゃあ……うーん。スコールの方から何かしちゃったとか、思い当たる節は?」
「……ない。多分」


 スコールの返事は曖昧だったが、シスネは深く言及しようとは思わなかった。
人に迷惑をかけるような子ではないと信じているし、スコールも自分への評価がタークスへの評価に影響する事を理解しているので、可惜に出過ぎた真似をする事もない。

 こうなると、後は────スコールの知らない何かが、ザックスの琴線に触れてしまった事くらいか。

 シスネ、レノ、ルードの三人が顔を見合わせる。
数秒の無言の会話でそれぞれの思考を把握した三人は、うん、と大きく頷いた。
それを見たツォンが一つ溜息を吐き、手元の書類へと視線を戻す。

 静寂に包まれた部屋の中で、蒼の瞳に薄く雫を滲ませた少年の、小さな声がぽつりと零れた。


「なんだよ、ザックスの奴。俺が何かしたなら言えば良いのに。それとも、そんなに俺と話したくないのか?」


 最後の言葉は、独り言だった。
しかし、その言葉にこそスコールの、彼自身も気付いていない本心が覗いたような気がして、シスネとレノは可愛い弟を悲しませている張本人の下へ、足早に急いだのだった。




 通りがかりのソルジャーにザックスの行方について尋ねると、ソルジャーフロアでバーチャルシミュレーターに没頭しているとの事だった。
シスネとレノはエレベーターでフロアに上がり、目的の部屋へと向かった。

 シミュレータールームには使用中のランプが点灯し、ロックをかけた状態で扉が閉められている。
仕方がないので、目当ての人物が出てくるのを待っていると、5分程で扉が開く音がした。


「お?シスネとレノじゃん」


 見知った顔を見付けたザックスは、人懐こい子犬を思わせる、にこにことした笑みで二人に「よう」と手を上げて挨拶した。
シスネが片手を上げて返事をする。


「二人がこのフロアに来るのって珍しいな」
「そうね。ちょっと今日は用事があったものだから」
「用事?」
「そう。貴方に、ね」


 そう言ってシスネが指を差せば、ザックスは「俺?」と自信を指差して首を傾げる。

 立ち話も難だからと、ザックスの誘導で、二人はソルジャーフロアの奥にある、休憩スペースへと移動した。
デザイン重視の透明テーブルを囲うソファに、ザックスと間を空ける形で、シスネとレノが並んで座る。


「そんで、俺に用事ってなんだ?」
「ちょっとスコールの事で、聞きたい事があって」


 可愛がっている弟の名を出せば、ぎくっ、とザックスが判り易く動きを止めた。
それを見逃すシスネとレノではない。


「最近、スコールのことをずっと避けてるみたいね」
「え?い、いやぁ…そんな事はないと思うぜ?」
「だが、うちのお姫様は避けられてると思ってるぞ、と」
「う……」


 ザックスは気まずげに視線を彷徨わせる。
どうやら自分の行動如何について、自覚はしているようだ。


「ねえ。スコール、あなたに何かしたの?」
「お姫様が何か気に障る事したんなら、避けるなんて真似しないで、言ってやってほしいぞ、と。あれでうちのお姫様、結構寂しがり屋だからな、と」


 溺愛する弟の悲しむ顔を、シスネもレノも、ルードやツォンも見たくはないのだ。
決して愛想の良い子ではないし、大人びた雰囲気を醸し出していて、生意気に見える事もあるかも知れないが、それは彼の精一杯の背伸びだ。
保護者であるタークスの面々に早く追い付けるように、自分が子供であるが故に他の大人から舐められてしまわないように。
そんな誤解され勝ちな背伸びがなければ、スコールはとても繊細で、寂しがり屋な、まだまだ幼い普通の少年なのである。

 シスネとレノの言葉に、ザックスはがしがしと乱暴に頭を掻いて、苦い顔を映す。
酷く言い難そうな表情をする男に、シスネとレノは互いに目配せして、この場はシスネが引き受ける事にする。


「スコールが言ってたんだけど、休暇の後からあの子の事を避けてるんだってね。休暇中に何かあったの?」
「……スコールから聞いてるんじゃないのか?」
「いいえ。何かあったのって聞いても、何もないって」


 シスネの答えに、ザックスが些か驚いたように、魔晄の瞳を瞠る。


「何も?本当に何も聞いてないのか?」
「聞いてないから、貴方に聞きに来たのよ」


 意外だとばかりの反応を返すザックスに、シスネは溜息交じりに言った。
何か話を聞いているなら、シスネもレノもわざわざ本人に話を聞きには来ないし、スコールも心当たりがあるのであれば、あんなにも落ち込みはしなかっただろう。

 ザックスはもう一度頭を掻いて、天井を仰いだ。
「うぁー…」と意味のない声が漏れて、広くはない休憩スペースの壁に反響する。
疲労と言うよりも、虚しさのようなものを孕んだそれに、レノが焦れたように膝に置いていた指をコツコツと鳴らして遊ばせる。


「あんたがスコールを避けてるんだから、あんたが何か気になる事があったんだろ、と。それとも、言えないような事があったのか?」
「え、あ、いや、…う、…うーん……」


 レノの言葉を否定しようとして、ザックスはどもり、そのまま考え込んでしまった。
煮え切らない様子のザックスに、シスネとレノは顔を見合わせ、二人同時に溜息を吐く。

 そのまま一分、二分とまんじりともしない時間が流れた後、ザックスは口元を隠すように手で覆い、


「あのよ……その、本当に聞いてないのか?コスタ・デル・ソルでの事」


 コスタ・デル・ソルでの事────ザックスの休暇中、ずっとスコールが傍にいた時の事。
やはり原因は其処にあったのかと思いつつ、シスネとレノは、スコールが書いた報告書の内容を思い出そうと試みる。
しかし、何度繰り返して思い起こしてみても、ザックスとスコールの間でトラブル事はなかったように思う。
報告書に書かなくて良いプライベート的な面についても、シスネ達はつい先程スコール本人に訊ね、「何もなかった」と言う回答を貰っている。

 聞いてない、と何度目かの返答の代わりに、シスネは肩を竦めて見せた。
それを見たザックスは、「そうか……」と独り言ちるように呟いて、シスネ達から視線を逸らし、溜息を吐く。


「まぁ、うーん……事故…事故だもんなぁ……」
「事故?」
「…本人が気にしてないってんなら…そりゃ別に、良いって言うか…いや、でもなぁ……」


 煮え切らない態度のザックスに、レノが眉根を寄せる。


「一体何があったんだ?と」
「ん、いやー……見ちゃったって言うか、いや…」
「見た?何を?」
「あれは…転んだだけ、だけど……押し倒しちまっ」


 たから────と続くであろう語尾が消える。
しかし、其処まで言葉を繋いでしまえば、後は容易に想像が出来た。


「……押し倒した?」
「い、いや、転んだ、転んだだけ!なんだけど、でも、…揉んじまったよな、アレは、……あ」


 シスネの問う声に、弁明のように喋り続けて、ザックスは見事に墓穴を掘った。
ザックスが顔を上げると、眦を吊り上げた───ただ真剣な眼差しをしているだけだったのだが、ザックスにはそう見えたのだ───シスネとレノがいる。
それを見て、自分が今何を呟いてしまったのか気付いた。

 ザックスの顔から血の気が引いて行く。


「いや、その、だからあれは事故────」
「見たの?触ったの?押し倒したって言った?」
「あ、えっと、いや、多分、見てない、し……事故……で」
「押し倒して揉んだってなんだ、と」
「い、いや、あの、……」
「ザックス。あなた、スコールに何をしたの!?」


 テーブルを乗り出して詰め寄るシスネに、ザックスは思わず顔を引き攣らせる。


「あ、あの、その、えーと、」
「ザックス!」
「大事なことだぞ、と」


 ────シスネとレノが、どれだけスコールを溺愛しているのか、ザックスはよくよく知っている。
それだけに、コスタ・デル・ソルでの一連の出来事について疑問は尽きないが、スコールにとっては仕事であった事、タークスの面々がザックスと言う人間を信用しての事であったと思えば、それ以上の言及も出来なかった。
故にザックスも、リゾートビーチの楽しみを無碍にしてでも、スコールの面倒を見る事を厭わなかった。

 それだけに。
それだけに、ザックスは今から自分の身に降りかかる災厄に身構えざるを得なかった。