ドント・イマジン・モア・ミーニング
『ドント・セパレート・フロム・ミー』の続き


 両手に巻かれて行く包帯を、スコールはじっと見詰めていた。
その唇は、判り易く“不満”の二文字を表すようにへの字に噤まれている。
シスネはそんなスコールに気付かない振りをして、包帯の下の傷を痛める事のないように、丁寧な手付きで手当てをして行った。

 白い包帯の下には、軽度の凍傷に犯された皮膚がある。
先の任務で、氷のマテリア発動後の制御を誤ってしまい、魔力の半分以上が逆流し、スコールの両手を凍り付かせてしまった。
直ぐに炎のマテリアを使って氷を溶かした為、重度になる事は避けられたものの、その後の任務は強制的に外される事となった。
両手が上手く使えない状態では、何をするにも手間取ってしまい、足手まといにしかならない事は理解していたから、スコールも大人しく離脱命令に従った。
その後、炎のマテリアと回復のマテリアを使い、殆どの傷を癒す事が出来たが、任務後まで処置が遅れざるを得なかった所為か、完治させるには至らなかった。

 任務の完遂後、その場で出来る限りの手の治療をした後は、神羅ビルに戻ってから、シスネ達が手ずから手当をする事になった。
本来なら、神羅カンパニーの医療部門に任せれば良いのだが、スコールは少々特殊な事情がある。
神羅カンパニーの暗部を担う精鋭部隊『タークス』───或いは、対外的に頂いた部名『総務部調査課』に“見習い”とは言え所属しているスコールは、色々な意味で神羅カンパニー内部に知られている。その為、『タークス』及び『総務部調査課』から何某かの利を賜ろうと思う者が、子供であるスコールならば手籠めにするのも容易いだろうと、食指を伸ばそうとする事も少なくない。
幼く見えて賢いスコールであるから、そうした輩の腹積もりなど容易く看破できるが、立場上、手荒に退場させるのも難しい。
スコール自身、嫌な思いをする事も多い為、タークスの面々は、余程の大怪我でもしない限り、スコールの怪我の治療は保護者である自分達が行う事にしていた。
負傷により医療部門の手を借りる事になっても、必ずシスネやレノ、ルードの誰かがスコールに付き添うようにしている。

 姉と慕う女性の手で、綺麗に巻かれた白い包帯。
その下の皮膚が、じくじくと痒みのようなものを生むのを感じて、スコールは顔を顰めた。


「痛い?スコール」


 心配そうに覗き込んできたシスネに、スコールはふるふると首を横に振った。
じくじくとした痒みは、鬱陶しくはあるものの、“痛み”とは違う。
耐えられない程に酷いものでもなかったから、「大丈夫だ」とスコールは言った。

 良かった、とシスネが笑みを浮かべ、スコールのダークブラウンの髪を撫でる。


「シスネ、お姫様の具合はどうだ?と」


 聞こえた声に、スコールとシスネは声を上げた。
自分のデスクで提出用の書類を書いていたレノに、シスネはうん、と頷いて、


「大丈夫。医療部に行く程じゃないわ」
「だが、完治するまでは任務からは外さねばならないな」
「!」


 低い声───ツォンが紡いだ言葉に、スコールがぴくっと反応を示した。

 青灰色の瞳が、白に包まれた自身の両手を見下ろす。
指先の感覚は、本来のものよりもずっと覚束なくなっており、武器を握る事に支障はないまでも、些細な振動や感触を感じ取る事は出来ない。
それは、日常生活には問題がなくても、任務に置いては致命的な事だった。

 細くしなやかな手が、スコールの手に重ねられた。
顔を上げると、柔らかく笑うシスネと目が合う。


「平気、平気。これくらいなら直ぐ治るから。ね?」
「……ん」


 こくん、と頷いたスコールに、シスネはよしよし、と満足げに笑みを深めた。
そんな二人を見詰めていたレノは、手に持っていたペンを転がして、上司であるツォンへ首を巡らせ、


「じゃあ、それまでお姫様は休暇、と」
「そう言う事になるな」


 ツォンが頷くのを見て、スコールはぱちりと瞬きを一つ。


「休暇……?」
「任務に出られないんだから、そうなるだろ、と。良かったな」
「……」


 遊べるぞ、と言うようにスコールに笑いかけるレノであったが、スコールの表情は浮かないものであった。
休暇自体を嫌う訳ではなかったが、突然時間が空いても、何をすれば良いのか判らない。
一刻も早く一人前になり、他のタークスのメンバーと同じように仕事をしたいと思うスコールにとって、任務のない日───所謂オフ日は自分自身を磨く時間で、シスネ達から教わった体術や戦闘、暗殺技術の特訓に当てる時間となっていた。
だが、両手がこの状態では、それは叶うまい。
───つまり、休暇を言い渡されても、スコールにはその時間を有効活用する術がないと言う事だ。

 戸惑う表情で見上げて来た子供に、シスネは眉尻を下げて、口元を緩めた。
仕様のない子だな、と思いつつ、そういう風に育ててしまったのは、他でもない自分達だ。
子供が子供らしく、玩具やゲームで遊ぶ筈の時間を、この少年は戦闘技術を磨く為だけに費やしている。
一所懸命に保護者達に追い付こうとしている姿は、いじらしくも健気で、シスネの心を温かくさせるが、同時に微かな罪悪感も抱かせる。
もっと自由にしても良いのに、そんな考えを抱かせない程に、“見習い”とは言え、彼がタークスの1人として染まってしまっている事が感じられた。

 どうしよう、と困った表情を浮かべているスコールの前に、シスネはしゃがみ、彼の目を見上げた。
まだ幼さの残る、零れ落ちんばかりの大きな丸い瞳が、きょとんとしてシスネを見下ろす。


「スコール。休暇の間に私と買い物に行こうか」
「買い物?……シスネと?」
「そう」


 頷いたシスネに、スコールはなんとも微妙な反応を示した。
微かに嬉しそうに口元を綻ばせたかと思ったが、ぴたりと動きを止め、気まずげにシスネから目を逸らす。


「何?私と買い物に行くのは嫌?」
「……そう言う訳じゃないけど……シスネ、いつも色んな物買うだろう」


 シスネの買い物には何度か付き合ったことがあるスコールだが、その都度、大変な目に遭っていた。
トラブルに巻き込まれるような事はないのだが、購入するものが毎回大変な荷物となり、時には両腕で抱えきれない程になる事もある。
購入物は半分程がシスネの私物で、後はタークスのメンバーや、会社内の知り合いへの土産だ。
勿論、スコールへの土産・買い物に付き合ったお礼等も含まれているので、シスネの買い物に関して文句を言うつもりはないのだが、荷物持ちをするのが大変なのだ。

 スコールの言葉に、ああ成る程、と納得したのはレノとルードだ。
シスネの買い物に付き合って、山のような荷物に埋もれた事は、彼らもよく覚えている。

 シスネと一緒に買い物に行くのは、決して嫌ではない。
嫌ではないけれど、抱えきれない程の荷物に埋もれるのは御免被りたい。
それは単純に重い荷物を抱える事への面倒臭さからだけではなく、女性であるシスネよりも、幼いとは言え男であるスコールの方が腕力がない事を如実に体感させられるから───だ。
それさえなければ、シスネと一緒の買い物を拒む理由はない。

 むぅ、と悩む表情を浮かべるスコールに、シスネは「そんなに一杯買ってたかな?」と首を傾げつつ、


「じゃあ、一緒に行ってくれたら、スコールが欲しがってたシルバーアクセサリー、買ってあげる」


 シスネの言葉に、スコールがはっとした表情で顔を上げる。
いつも落ち着いた光を抱いている青灰色の瞳が、爛々と煌き、白い頬がほんのりと紅潮している。
判り易く興奮している様子のスコールに、シスネはくすりと笑った。


「今月のファッション雑誌に載ってたアクセサリーで良いのよね」
「そうだけど…良いのか?」
「構わないわ。それに、今回はスコールにお礼とご褒美してあげなきゃね」


 恐る恐る確かめたスコールに、シスネは頷いて言った。


「…お礼?」


 意味が判らない、と首を傾げて、疑問形を口にしたスコールに、シスネはもう一度頷いた。
シスネの手が、スコールの包帯を巻いた手をやんわりと握る。


「この手。私達を守ってくれたから、でしょ」


 ────今回、スコールがシスネ達に同行した任務は、神羅カンパニーに反発する過激派テロリストの鎮圧であった。
アンダーグラウンドで手広く活動していたテロリスト達は、その人脈を使い、沢山の武器兵器を所持していた。
そう言った危険な任務は珍しくはないが、隠密活動をする必要はない、他の反発団体への見せしめとして、大いに暴れて貰って構わないと言われたので、姿や証拠を隠す必要がない分、簡単な任務であるとも言えた。
相手が、得ていた情報以上の数の武器兵器を所持していた事と言う、予定外の事を除けば。

 それでも、順調に敵を追い詰めていく事には成功した。
そのまま任務遂行なるかと言う所で、テロリストのアジト内に設置されていた機械が漏電を起こし、爆発を引き起こした。
テロリストの多くはそれに巻き込まれ、スコール達も同じように爆炎に襲われようとした時、スコールが氷のマテリアで壁を作った。
一瞬で作りだした分厚い氷の壁によって、スコール達は無事に済んだが、咄嗟の事で焦っていた所為だろうか、スコールは魔力制御を誤り────後は前述の通り。
スコールの両手は、魔力の逆流によって凍り付き、凍傷を残した。


「私達が無事に任務を終える事が出来たのは、スコールのお陰よ。だから、そのご褒美と、お礼。私達の命の恩人なんだからね」
「そんなの、別に……」


 笑みを浮かべて言うシスネに、スコールは戸惑うように視線を逸らして、もごもごと呟く。
普通の事だし、俺がしなくても誰かが…と、ぼそぼそと独り言を零しているスコールだが、頬はやはりほんのりと赤らんでいる。
照れていると判るその横顔に、可愛いなあ、とシスネは口元を綻ばせた。

 ぽんぽんとスコールの頭を撫でて、シスネはしゃがんでいた足を伸ばす。
デスク越しにツォンを見ると、ツォンは相変わらず堅い表情のまま、紙面と向き合っている。


「ツォンさん。私の有休、まだ残ってますよね」
「ああ。今日明日は難しいが、その後なら好きな日を選べば良い」
「判りました」


 簡潔な言葉で許可を貰い、シスネはもう一度スコールと目を合わせた。


「と言う訳だから、お買い物は明後日ね。行きたい所があったら、何処でも一緒に行ってあげるから、考えておいて」
「……ん」


 素直に頷いたスコールに、シスネは良い子、とまたスコールの頭を撫でる。
ふるふると猫が嫌がるように頭を振るスコールに、シスネだけでなく、見守っていたレノやルードも口元を緩ませていた。





 負傷治療の為の休暇を言い渡された翌日、スコールは神羅ビルの1階ロビーで暇を持て余していた。
明日になればシスネと一緒に買い物に行けるが、今日は何もする事がない。
タークスの面々は皆仕事───先日の件の後始末らしい───に出向いている為、神羅ビルに残っているのはスコールのみで、暇潰しに会話(スコールは口下手なので、いつも聞き役であるが)が出来る相手もいない。

 神羅ビルのロビーには、神羅カンパニーが開発した機械が常時展示されているスペースがある。
これは神羅カンパニーを訪れるビジネスマンや、稀にやって来る一般人向けに展示されているものだ。
どれも神羅カンパニーの歴史や威光を臭わせるもので、中には技術の粋を集めて作られたものもあり、それらから漂う重厚さに心酔する者もいる。
無論、その逆の想いを募らせる者も少なくはないが、神羅カンパニーのビル内でそうした不安をぶちまける様な命知らずは、反神羅組織の超過激派くらいのものだろう。
そしてスコールはと言うと、それらを見ても特に何も感慨が沸く事はない。
要するに、これらを見回った所で、スコールの暇潰しにはならないと言う事だ。


(暇……)


 一人で部署室に篭っていても、“見習い”であるスコールがこなせるような仕事はない。
そもそも、両手の包帯の所為で、ペンを長時間持つ事すら難しい今は、書類を書く事も出来ない。
コンピューター相手のカードバトルは、コンピューターが弾き出す行動の規則性を見出してしまった為、駆け引きが出来なくて飽いた。
書庫の本は一通り読んでしまって、新しい本は入荷待ち。
ソルジャーフロアにあるバーチャルシミュレーションを使っての特訓なんてものは、レノ達を相手取っての特訓と同様、両手の包帯が取れるまで禁止されている。

 いよいよする事がない。
話し相手もいない。
部署室に篭っていても退屈だからと、いつもなら滅多に長居しないロビーに来たが、タークスのメンバー以外で滅多に他人と交流を持たないスコールが、それで状況の変化が望める訳もなく。


(……)


 取り敢えず、この場で出来る事と言ったら、ロビーを行き来する人を観察するくらいのもの。
右へ左へ、視線だけを巡らせて、レセプションの受付嬢や、任務の行き帰りに出入りするソルジャー、警備の兵士達を眺めていたスコールだが、それも程なく飽きた。


(……もう戻るか)


 暇潰しに降りて来たが、やはり、無為な時間を過ごすだけになった。
なんとなく予想はついていたので、落胆はない。
ないが、これからどうするか───と言う、途方に暮れたような気持ちは誤魔化せなかった。

 両手を使う以外の特訓なら、構わないだろうか。
ルードからは、時には休息も必要だと言われ、丁度良いから両手が上手く動くようになるまでは“休息の練習”をしてみろと言われたが、やはりどうにも落ち着かない。
何もせず、何も考えず、ただただ悠久の時間を過ごせと言うのは、スコールが最も苦手な事だった。

 せめて退屈を誤魔化す術だけでもあれば良いのに。
それを見付ける為にもと、ルードは“休息の練習”を薦めたのだが、急ぐように保護者達に追い付こうとするスコールには、まだまだそうした時間を受け入れられる程の余裕はなかった。

 腰かけていたチェアから立ち上がり、エレベーターへ向かう。
その背中に、弾みの良い元気な声が届いた。


「スコール!」


 いつの間にか覚えてしまった声に振り返れば、頬に十字傷を持った、黒髪の青年が手を振っていた。


「……ザックス」


 神羅カンパニーが誇る強化兵“ソルジャー”の、現在、たった二名しか残されていないトップクラス1stの1人───ザックス・フェア。
人懐こい笑みを浮かべたその男は、自分を見付けたスコールに気を良くし、急ぎ足でスコールの下へ近付いてきた。

 普段、タークスのメンバー以外とは、神羅の幹部も含めて滅多に近付く事のないスコールであったが、ザックスだけは別だった。
任務の最中に邂逅して以来、どう言う縁か、度々顔を合わせている。
先日はザックスの休暇にスコールが同行し、約一週間、殆どの時間を同じ空間で過ごした。
その間も、スコールがザックスに対してストレスを募らせるような事もなく(少々悶着はあったが、それも後に一応の解決を迎えた)、正しく、スコールがタークス以外で唯一心を開いている相手であると言える。

 スコールの下まで駆け寄って来たザックスは、自分の胸の高さにあるスコールの頭を、予告する間もなくぐしゃぐしゃと撫で、


「どしたー?スコールが一人で此処にいるなんて珍しいな。シスネやレノは一緒じゃないのか?」
「く、この……撫でるなっ!」
「お」


 ぱしん、と頭を撫でる手を振り払うと、魔晄を宿した碧色の瞳が、きょとんとした表情で瞬きする。
それをじろりと睨み付けてやると、ザックスは払われた手を自分の頭に持って行ってがりがりと掻いた。


「なんか機嫌悪いな。何かあったのか?」
「……別に」


 覗き込んでくるザックスに、ふいと顔を背けて、スコールは言った。
素っ気ないスコールの様子に、ザックスは眉尻を下げたが、何気なく落とした視線がスコールの手に巻かれた白い物を見付けると、彼の細い手首を掴んで持ち上げた。


「な、ザックス、」
「これ、どうしたんだ?」


 突然の事に目を丸くするスコールに構わず、ザックスはタークスの制服でもある黒のスーツの袖を捲って言った。

 無理に動かして刺激を与えないようにと、掌から手首に至るまで、綺麗に巻かれた白い包帯。
それは、スコール自身の腕の細さや、肌の白さと相俟って、酷く痛々しいものに見える。
心配そうに覗き込んできた碧眼を見て、スコールは大袈裟だ、と胸中で呟いて、腕を掴むザックスの手を振り払った。


「……ただの不注意だ」
「不注意で、両手ともこんなになるまで怪我したのか?」
「そんなに大したものじゃない。シスネ達が大袈裟なんだ」


 口ではそんな事を言ったものの、任務から外される程の怪我であるから、決して軽く見てはいけない。
しかし、それを自ら口に出して認めてしまうのは、スコールの若いプライドが赦せなかった。
目の前にいる男が、ザックス・フェアであるから、尚更。

 そんなスコールの胸中に気付く事なく、ザックスは、殊更に心配そうにスコールの顔を覗き込み、


「本当に大したことないのか?」
「……問題ないと言ったら、ない」
「そっか?なら良いけどなぁ。無理はするなよ」


 ザックスはそう言って、くしゃくしゃとスコールの頭を掻き撫ぜた。
頭を振ってそれを振り払い、じろりと睨み付ければ、怒るなよ、と眉尻を下げて笑う男がいる。
判り易くスコールを子供扱いしているその表情に、スコールの眉間に険しい皺が寄せられた。

 苦々しい表情を浮かべ、唇を尖らせるスコール。
ザックスはそんなスコールをしばし見詰めた後、誤魔化すようにきょろきょろと辺りを見回し、


「えーっと……それで、シスネ達は?いないのか?」
「仕事」
「お前は行───けないか。その手じゃなあ」


 悪戯に動かして刺激しないようにと、しっかりと固定されている包帯。
この状態で、一体何の仕事が出来ると言うのか。
ザックスもそれが見て取れたらしく、残念だったな、とスコールに苦く笑いかけた。


「そんで、一人で暇潰ししてたって感じか?」
「……」


 結局、暇を持て余すばかりで、潰す事すら出来ていなかったが。

 無言を肯定と受け取ったか、そっかそっか、とザックスは納得したように言った。
伸びて来た手が頭を撫でようとしたのを察知して、スコールはその手が下ろされる前に、ぱしん、と自身の手でそれを払う。

 機嫌の悪さが判り易く伺えるスコールの態度に、ザックスは空の手を彷徨わせた後、スコールの顔を見詰めて自分の頬を掻き、


「あー……じゃあ、暇してる訳だよな」
「悪いか」


 暇潰しをしていたのだから、暇なのは当然だ。
それを改めて言い当てて来るザックスに、スコールは眉間の皺を深くして、じろりと睨む。
ザックスはいやいや悪くない、と慌てて首を横に振り、


「そのー、あれだ。時間があるんだったら、俺と一緒に買い物行かないか?」
「……あんたと?」


 不機嫌な様相から一転し、目を丸くして確かめるように問うスコールに、ザックスはそう、と頷く。

 にこにこと、人の良い顔で笑う青年の誘いの意図が読めずに、スコールは不思議に首を傾げる。
ザックスとは、タークスのメンバー以外でスコールが親しくしている数少ない知人であるが、ショッピングに揃って出かける程の間柄ではない。
数ヶ月前の任務で丸一週間近く、同じ空間で同じ時間を共有する事もあったが、あれはスコールにとっては任務の一つであったし、その一週間の間、二人で並んで買い物を楽しんだ、等と言う事もなかった。
スコールにとってザックス・フェアは、親しくはあるものの、あくまで知人の域を出ない人物で、プライベートな時間に都合を合わせて付き合う程の相手ではなかったのである。

 それは、ザックスにとっても同じ事だと、スコールは思っていた。
ザックスの場合、スコールを“知人”と言うより“保護すべき対象”として見ている、と言う若干の違いはあるが、一線を引いた距離を保っているのは変わらない。
だから今まで、ザックスがスコールのプライベートな時間にわざわざ介入してくるような事はなかった。

 それが何故、このタイミングで。
急な申し出と、相手の意図が見えない事にスコールが沈黙していると、ザックスが自ら誘いの理由を説明し始めた。


「ほら、この間さ。俺、お前の事、避けてただろ。あれで結構嫌な思いさせてたみたいだったから、そのお詫び───みたいなさ」


 それは、スコールとザックスが同じ時間を共有する事となった、ザックスの“休暇”の後の事。
知り合って以来、顔を合わせればいつでも朗らかにスコールに声をかけていたザックスが、途端にスコールと距離を置くようになった。
その時のザックスの態度は、誰が見ても明らかに不審で、意識的にスコールを避けている事がよく判った。
終いには、自分のスケジュールに嘘を吐いてまでスコールと一緒にいる時間を減らす素振りを見せるようになり、遠目にスコールと目を合わせただけで大袈裟に慌て、逃げるようにその場を立ち去るようになる。

 スケジュールに嘘を吐いてまで距離を置いていた事は、ザックスがシスネに送ったメールによって判明した。
ザックスが自分をあからさまに避けている事に苛立っていたスコールは、彼が自分に嘘を吐いていた事を知って、激怒した。
しかし、怒り以上に、無性に寂しくなって、スコールはシスネ達の前で「顔も合わせたくない位嫌いになったのなら、そう言えば良いのに」と、涙を浮かべて呟いた。

 可愛がっている弟が涙を浮かべているのを見て、火がついたのが、シスネとレノだ。
二人は直ぐにザックスの下へ向かい、スコールを避けている理由を問い質そうとした。
その一連の出来事は、何か色々な誤解と会話の行き違いの所為で、非常にややこしくなってしまったらしいが、スコールはその辺りの詳細についてはよく知らない。
ただ、シスネとレノの暴走のお陰で、ソルジャーフロアの半分が壊滅的打撃を被った事と、直後のソルジャー1stであるセフィロス率いるソルジャー達による現場検証からこっそり逃れ、ザックスと二人きりで話をしたお陰で、蟠りを解消する事が出来たのは確かな事だった。

 ───この出来事について、スコールが酷く苛立ったり、もやもやとした気持ちを抱えたのは確かだが、それも蟠りの解消と共に払拭された。
ザックスが未だ、スコールに対して“根本的な勘違い”をしている事は変わらず、それが垣間見える彼の言動に対し、スコールが顔を顰めるのも相変わらずであるが、それも含め、以前と変わりのない良好な関係が続いている。

 だから、改めて“詫び”をされるような筋合いはない、とスコールは思っているのだが、ザックスはそうは考えていないらしく、


「なんか欲しいものとかないか?服でも、本でも、なんでもさ。買ってやるよ」
「…あんたに買って貰う必要があるものなんて、ない」
「あ、そう…?」


 ふい、とそっぽを向いたスコールの言葉に、ザックスは眉尻を下げる。


(買い物は、明日、シスネと行くし。欲しいものだって、その時買って貰うし。わざわざ今ザックスと行く必要なんかない)


 欲しいものも、幾つも挙げられる程に多い訳ではない。
いや、本音を言えば、本もアクセサリーも欲しいものは沢山あるのだが、その欲求を無条件に人にぶつけ、無心に強請れる程、スコールは図太い性格をしていなかった。
明日、シスネとの買い物で買って貰うものさえあれば、スコールにはそれで十分だ。

 ────でも。
と、スコールは、自分の前でうんうん唸っている男をちらりと見上げた。


「じゃあ、そうだな……そうだ、腹減ってないか?まだ飯食ってないなら、どっか食いに行こうぜ。俺が奢るからさ。食堂の飯もそこそこ美味いけど、LOVELESS通りの、ちょっと奥まった所なんだけど、美味い店があるんだよ。スコールって普段、任務以外であまり外に出ないんだろ?たまには外食してみるのも良いと思うんだけど」


 確かに、ザックスの言う通り、スコールは普段、任務以外で神羅カンパニーのビルから出る事はない。
必要なものは基本的に社内にあるもので十分賄われているし、雑誌は余程マニアックなものでなければ、ビル内の購買や図書フロアに置かれている。
食堂のメニューもそれなりに充実しているし、自分で調理する場合でも、食材も(雑誌同様、産地云々に余程の拘りがなければ)一通りのものはビル内で簡単に手に入る。
また、ミッドガル一番街や二番街は基本的に富裕層が住み暮らしている場所だから、社会福祉も充実しており、通信販売等も行われている。
だから、神羅カンパニーに所属する者は、余程の贅沢や個人的趣味に拘りがなければ、その気になればビルから一歩も外に出ずに生活する事も不可能ではない。

 こうした理由から、スコールの生活圏内は、非常に狭く限定されていた。
その中で全てが充実しているのだから、無理もない。
もしも、神羅カンパニーの外に知り合いがいるのであれば、その人に逢いに行く為に外に赴く事もあったかも知れないが、スコールは孤児院から引き取られて以来、タークスの面々以外に馴染みのある人物を持たずにいた。
スコールが外部への興味を持たなかったのも、当然の事と言える。

 今も、ザックスが言う『美味い店』について、スコールはまるで惹かれていない。
食事の為だけにわざわざ外に出向いて、戻って来るなんて、そんな面倒臭い事、と言うのが本音だ。
だが、今この時に限っては、“面倒な手間”こそが、手持無沙汰気味の白紙の時間を埋めてくれるものになる訳で。


「店はまあ、B級グルメって言う奴でさ。安くて美味いんだよ。結構賑やかでさ、騒がしいのが苦手だったら、個室もあるし。あ、個室っつっても、広い宴会用の部屋を板で仕切ってる位のモンなんだけど。メインの肉系は鶏肉だから、ほら、スコールってあんまり肉食わないだろ?でも鶏ならヘルシーだし。柔らかいから食い易くってさ。ちょーっと量が多いかも知んないけど、俺も一緒に食べるから、大丈夫かな。デザートは…どうだったっけな、メニューには色々書いてあったと思うんだけど。あと───」
「……判った」
「え?」


 説明している間に、以前店に行った時の事を思い出したのだろうか。
心なしか興奮した様子で話していたザックスの言葉を遮って、スコールは言った。
途端、返事があるとは思っていなかったのか、きょとんとした顔でザックスはスコールを見下ろす。

 見開かれた丸い魔晄の瞳が見下ろして来るのを見て、なんだその顔、とスコールは思った。
まるでスコールの反応を理解していないような表情をしているザックスに、スコールはもう一度言う。


「判った」
「…え?へ?判っ…た?」


 何が?と言わんばかりのザックスに、スコールは溜息を一つ吐いて、座っていた椅子から腰を上げる。


「だから、その店。行くって言ってるんだ」
「え、マジ?マジで?」
「……なんだ、その反応」


 OKを貰うとは思っていなかった、と言う表情で、信じられないものを見る様な目をするザックスに、スコールは眉間に深い谷を作る。


「……行ったら何か不味かったか」


 誘いの言葉は、単なる社交辞令だったのか。
じろりと睨んで問うスコールに、ザックスは慌てて首を横に振った。


「ンな事ないって!ただ、ちょっとびっくりしたからさ」
「……」
「よし、そうと決まれば、早速行こうぜ!」


 ザックスはそう言うと、善は急げとばかりに、スコールの手を掴んで歩き出そうとした。
が、その手に白い包帯がある事を思い出し、慌ててスコール手から自分の手を放すと、代わりに細い肩を押す。
促されて歩き出したスコールは、渋々と言った表情を浮かべてはいるものの、其処に嫌悪感を臭わせるものはない。


「昼飯の時間だから、ちょっと人多いかも知れないけど、回転早いから、多分直ぐに座れる筈だ。何でも好きなモン頼んで良いぜ、遠慮しなくて良いからな」
「じゃあ、一番高い奴がいい」
「りょーかいりょーかい。一番高くて美味い奴な!」


 ぐしゃぐしゃとザックスの手がスコールの頭を撫でる。
スコールの言葉を本気に受け取らない、子供扱いしている事が判るその手に、スコールは判り易く顔を顰めて見せたのだが、見下ろす碧色がそれに気付く事はなかった。