熱を呼ぶ声
R15/自慰


 高校生は忙しい。

 クラウドも数年前に通った道である筈だが、喉元過ぎればなんとやらと言う奴だろうか。
大学三年生も終盤となり、ぼちぼち就職に目を向けなければならない───人によっては遅いと言うかも知れない───頃だが、クラウドはのんびりとしたものだった。
卒業に向けたあれこれと言うのも、まだ他人事のように眺めていられる程度で、追われる事と言ったら、生活のかかったアルバイトくらいのものだ。

 対して、現在高校三年生である恋人、スコールは、定期試験は勿論だが、それ以上に受験勉強に追われている。
折々に耳にする彼の成績や、日常の授業態度を聞くと、何処の大学でも推薦で通れるのではないかと思うのだが、スコールが行きたい大学は、教員達が推薦するものとは全く違っていた。
彼は恋人であるクラウドが通う大学を希望している。
紅い顔でそれを告白された時、クラウドはなんとも面映ゆい気持ちで、その赤らんだ頬にキスをした。
直後に羞恥心がピークに達した恋人から、腹に拳を喰らう羽目になったのだが、そんな初々しさも含め、クラウドは気に入っている。

 ───話を戻すと、スコールは恋人の在籍する大学に受かる為、必死で勉強に打ち込んでいるのだ。
推薦が頼れない以上、自力で受かるしかない訳だが、平時のスコールなら十分余裕の偏差値の大学だ。
しかし、神経質で慎重、加えてメンタルが色々と弱い彼は、どうしても不安が拭えないらしく、更に模擬試験で酷い点数を取ってしまった事が、大きなダメージになっていた。
その模擬試験の時、スコールは折悪く高熱に魘されてしまい、試験中に熱のピークに襲われ、問題すらも碌に読めない状態だった。
家を出る時には薬を飲んだが効きが悪く、時季の流行風邪ではなかった事は幸いだったものの、テスト結果は散々で、スコールを大いに打ちのめした。
彼が必死で受験勉強に終身しているのは、そうした経緯もあった。

 模擬試験の結果を見た後、漠然と抱えていた不安が許容量を超えたのだろう、珍しくスコールはクラウドの前で泣いた。
大袈裟だな、とクラウドは思ったが、どうやらスコールなりにクラウドとの関係を思って、進学先を決めたようだった。
たった四つの年齢差でも、スコールにとっては大きな壁で、高校生と大学生の生活リズムの違いもあって、逢える時間も限られる。
人嫌いのようで、人一倍甘えたがりの彼には、存外と辛い問題だった。
それが解決できる訳ではないが、たった一年だけでも同じ大学で、同じ空間で過ごす事が出来れば───と言う思いで、進学先を決めたらしい。
しかし、模擬試験で失敗した事で、何もかもが駄目になってしまった、と思ってしまったのだ。

 模擬試験の件については、宥めて慰めて、本番で落ち着いて頑張れば良いと励まして、落ち付かせる事が出来た。
それでも、芽吹いて根付いてしまった彼の不安までは拭い切れず、スコールはそれまで以上に受験勉強に打ち込むようになった。
止むを得ない事だと、クラウドも理解している。
だから現在、二人の恋人としての時間は、スコールが学校から自宅へ帰宅する放課後くらいしか確保する事が出来ない。
しかし、クラウドにはアルバイトがある為、その時間も確実に取れる訳ではなく、一週間を電話のみの遣り取りで終える事も少なくなかった。

 元々多いとは言えなかった恋人同士の時間が削られている事に、クラウドの募る寂しさは否めない。
頑張っている恋人を邪魔するまいと、受験さえ終われば幾らでも時間が取れるのだから、と自分に言い聞かせるが、それでも、


(………)


 築二十年のアパートの二階、一人暮らしをしているワンルームに据えたベッドの上で、クラウドは携帯電話の着信履歴を眺めていた。
仕事先からの連絡で埋まった履歴をスクロールさせると、隙間にぽつりと恋人の名前がある。
日付は五日前、クラウドのアルバイトがなかった日、スコールの放課後の時間にかかってきたものだ。
話の中身は大したものではなく、元気にしていたか、無理はしていないかと言う、他愛のない物だった。
それすらほんの十分足らずで終わってしまい、以後、彼からの電話はない。

 スコールの受験勉強の邪魔をしない為に、クラウドからの電話は極力控えている。
代わりに二週間分のアルバイトのシフトをメールで伝えてあり、着信の擦れ違いにならないようにしていた。
スコールからの着信回数が極端に少ないのは、その為だ。


(……仕方のない事なんだが)


 クラウドのアルバイトは、バイクを使用しての宅配業だ。
大手の運送会社である為、仕事量は少なくはないが、自由な時間が作れない程ではない。
上手くすればコンビニや本屋に寄る時間も作れるし、ゆっくりとした昼食の時間も確保できる。
以前は、そうした時間を利用して、クラウドがスコールに電話をかけていた。
そうしなければ、邪魔になるかも、と気後れしてしまうスコールと、話をする事が出来なかったからだ。

 しかし、今はそれすらも出来ない。
クラウドが確保できる時間は不定期なもので、スコールがその時間に手を空けているかは判らない。
まだ失敗から立ち直り切れていなかった頃は、折々に電話をかけて様子を見ていたが、勉強に打ち込むようになると、話もそこそこに切り上げられる事が増えた。
言い辛そうに、勉強の続きをしたい、と言うスコールの言葉を聞いて、クラウドは電話を自重する事を決めたのである。

 こうした経緯も然る事ながら、たった一年で終わるであろう、恋人との共学生活の為に奮闘する恋人を、邪魔する事は出来なかった。
それでも、自覚せざるを得ない侘しさは日に日に募り、顔が見たい、声が聞きたい、と思ってしまう。


(……いや、我慢だ。スコールが頑張っているのに、俺が邪魔してどうする)


 時刻は夜の八時、勤勉な彼のこと、今頃は勉強の真っ最中だろう。
模擬試験の失敗で、この世の終わりの如く落ち込んでいた彼を思い出し、自分の所為でまた失敗させてしまう訳には行かない、と思い直す───と、その瞬間、着信音が鳴りだした。
唯一個別設定をしているメロディに、クラウドは矢も楯もたまらず通話ボタンを押した。




 机に齧り付いて黙々と勉強をする事は、決して好きではない。
暇があれば参考書やノートを開いている所為で、生真面目な勤勉家、口の悪い者はガリ勉だとスコールを揶揄するが、スコールとて好んでそんな事をしている訳ではなかった。
予習復習を何度も繰り返すのは、何度やっても不安が拭えないからで、それさえなければ参考書もノートも見たくない、と思う事は珍しくない。

 しかし、夏の終わりに経験した失敗が、スコールを捕えて離さない。
不運が重なり合った事であって、スコールの所為じゃない、と年上の恋人は何度も慰めてくれたが、あの出来事はスコールの内側に深く根を張って影を落としている。

 幼い頃から兄のように面倒を見て来てくれた、クラウド・ストライフと言う男と、スコールは恋人関係にある。
父が不在の日、どちらかの家に泊まって、肌を重ね合った事もある仲だ。
生活時間の擦れ違いで、逢える時間は少なかったが、その分、逢えた時には濃厚な時間を過ごしていた。
しかし現在は、そんな甘酸っぱい日々とは長らく遠退いている。
それも全て、夏の終わりの失敗を引き摺っての事だった。

 土日も関係なく勉強に打ち込むスコールは、既に一ヶ月以上、クラウドと逢っていない。
電話越しに声を聞くのも、週に一度、あるかないかと言う具合であった。
その事にクラウドが面と向かって不満を口にした事はなかったが、学校から家に帰宅する間の僅かな時間に話した後、電話を切る旨を告げると、「そうか……」と寂しそうな声がする。
俄かに募る罪悪感と、密かな寂しさが助長されるのが辛くて、電話をするのも段々と億劫になっていた。
今日の放課後も、彼がアルバイトが入っていない事を知っていながら、電話をかけていない。
邪魔をしたくないから、と彼からの発信が控えられている以上、スコールから電話をしなければ会話すら儘ならないのは判っていたが、自分が寂しさに耐えられなくなりそうで、声を聞く事すら逆に辛くなっていたのだ。

 募る不安ごと、寂しさも塗り潰すように、勉強机に齧り付くスコール。
───とは言え、長い時間を集中する事のみに使っていれば、疲れてしまうのは無理もなく。


「……はぁ……」


 長い時間、延々と問題集の文字列を折っていた目を押さえて、スコールは溜息を吐いた。
シャーペンを転がし、頭上に両腕を伸ばして、丸めていた背中を伸ばすと、ぴきぴきと骨が軋む。

 しん、とした静寂がスコールを包む。
高層マンションの上層部分に住んでいるスコールの家には、外の喧騒は殆ど届いて来ない。
この家で一番賑やかなものと言ったら、暇さえあればスコールに構いたがる父親くらいのものだが、その父も今日は仕事で不在、帰って来るのは明後日になる。
過保護な父は、息子一人を家に残す事を酷く心配していたが、17歳にもなって可惜に心配される必要はない、とスコールは思う。
確かに幼い頃は、小学校からの帰宅途中に誘拐されそうになったり、息の荒い中年の男に声をかけられたりと言う事が頻繁にあり、父を何度となく心配させ、一人きりになるのが不安で留守番すらも碌に出来ず、近所付き合いのあったクラウドが毎日のようにお守り役をしていた事もあったが、それも何年の昔の話。
今はスコールが家事全般を担っており、一人寝が出来ない訳でもないし、静寂に怯えて泣く事もない。
ついでに、構いたがりの父がいない事で訪れる静寂が、今のスコールには心地の良い休息となっていた。

 席を立ったスコールは、息抜きの為に紅茶でも淹れようと、キッチンに向かった。
吊戸棚に並べられた茶葉の缶の中から、適当に缶を取って、ティーポットに茶葉を入れた。
温めの湯で摘出した、薄いオレンジ色の液体がティーカップに注がれて、それを以て自室に戻る。
リビングでテレビでも見ながら飲んでも良かったが、自分のテリトリーである自室が、スコールには一番落ち着く場所であった。

 机に着く気にならなかったので、ベッド横に腰を下ろして、卓上テーブルを引き寄せる。
温かな湯気を昇らせるカップを傾けて、熱が胃まで通って行くのを感じながら、スコールはゆっくりと息を吐いた。
デニムパンツのポケットに入れたままにしていた携帯電話を取り出して、着信履歴を開いた。
下へ下へとスクロールするが、求めている名前はない───当然だった。


(……馬鹿な事をした)


 スコールが探す名前の着信は、もう二ヶ月前から、其処に記録されていない。
判り切っている筈なのに確認してしまうのは、習慣になっているからだ。

 スコールが模擬試験に失敗するまで、クラウドからの着信は毎日のようにあった。
電話が出来ない時はメールが来て、アルバイトのシフト表も添えられ、この日に逢えないか、と彼から誘いもあった。
現在はスコールの受験勉強が一段落するまでは、邪魔をするまいと、彼からの連絡は必要最低限のみに留まっている。

 電話をしなければ寂しくなって、すれば逢いたくなって寂しくなる。
逢えば良いじゃん、とクラスメイト等は言うが、それが容易に出来る性格ではないから、スコールはこうして蹲っている。

 ベッドに上って、ぼすっ、と倒れ込んだ。
洗剤の匂いのするシーツを手繰り寄せ、顔を埋めて、くぐもった空気の中で呼吸する。
体を捩れば、きしり、とベッドのスプリングの軋む音が聞こえた。


(……そう言えば……)


 このベッドで彼と一緒に寝たのは、いつの事だっただろう。
模擬試験の失敗の後、慰められた時に一度体を重ねたが、その後はスコールが勉強に集中するようになった為、しばらく彼の熱を感じていない。
試験以前はと言うと、愛し合いたいと言うクラウドを余所に、模試とは言え軽視は出来ないと取り組むスコールの意見が優先され、この時も長らくしていなかった。

 失敗が尾を引き、以後は勉強の事だけを考えるようにしていた為に忘れていたが、思い出してしまうと駄目だった。
溜りに溜まったものが溢れ出してくるように、腹の奥がじんじんと熱を生むのが判る。

 タイトなデニムパンツの上から中心部に触れると、ぴくっ、と肩が震えた。
長らく触れていなかった所為か、酷く感覚が鋭敏になっている気がする。


(……オナニー、も…してない…よな…?)


 気付いてしまうと、生物の本能を思い出したように、躯が疼き出す。
いつからしていないんだっけ、と考えると、クラウドと恋仲になる以前であった事に気付く。
元々が淡泊であった事に加え、クラウドの手で高められるのが当たり前であったから、自分で処理する必要もなかったのだ。


「んん……っ」


 デニムの上から中心部に指を宛てて擦ると、ぞわぞわとしたものが腰全体に響く。
が、それはもどかしさを募らせるばかりで、スコールには反って辛さが増して行く。

 横たわったベッドの上で身を捩ると、こつん、と何かが肩に当たった。
寝転がった時に放り投げていた携帯電話だ。
液晶画面を黒く染めているそれを見詰めて、スコールはのろのろと手を伸ばした。
設定している短縮ダイヤルを押して耳に宛てれば、ルルルル……とコール音が鳴り、


『もしもし?スコール?』


 三コールとしない内に、通信の向こうから声がした。
久しぶりに聞いた声に、一瞬心臓が大きく跳ねる。


『スコール?』
「あ……」


 かけていながら反応のない通信主に訝しんだか、名を呼ぶ声に、スコールは我に返った。


「……クラ、ウド」
『ああ。どうした?休憩か?』
「……ん」


 恋人の名前を呼べば、心なしか嬉しそうに返事があった。

 スコールはごろん、と寝返りを打って、仰向けになった。
もぞ、と足下を動かせば、シーツの衣擦れの音が鳴る。
その音と共に恋人の声を聞くのが随分と久しぶりで、スコールは酷く落ち着かない気分になる。


『勉強は順調か?』
「…まあ、なんとか」
『あまり根を詰め過ぎるなよ』
「…ああ」
『判らない所があったら、俺が教えてやるぞ』
「…其処までの事はない」
『残念だな。口実にして、お前に会いに行こうかと思ったんだが』


 くすくすと笑うクラウドの声に、馬鹿じゃないのか、といつものスコールならば言う所だった。
しかし、今日はその言葉を聞いた耳の奥が、じんじんと熱を放って仕方がない。


『スコール?』
「……うん」


 予想していた反応がなかった所為か、クラウドが確かめるように名を呼んだ。
スコールは白い天井を見上げたまま、短い返事だけを投げる。


『…なんだか、お前の声を聞くのは随分と久しぶりだな』
「……悪い」


 クラウドの言葉に、スコールは短く詫びた。
彼からの電話の発信を制限する事を提案したのはクラウド自身だが、それもスコールを慮っての事だ。
自分の所為でクラウドを振り回している、とスコールの気分は沈んでいく。

 電話越しでもその気配を感じたのだろうか、直ぐにクラウドからは「謝らなくて良い」と声が聞こえた。


『俺の言い方が悪かったな。別に責めてる訳じゃないんだ。ただ、久しぶりにお前の声を聞いたから、もっと聞きたいと思ったんだ。黙っている時間が勿体ない』
「……喋るのは得意じゃない」
『知ってる。でも、お前の声を聞いていたいから、相槌でも良いから、返事は欲しいな』


 静かに通る声が紡ぐ言葉に、スコールは顔が熱くなるのが判った。
ベッドに俯せになって、僅かに冷気を含んだシーツに顔を埋めて熱を逃がそうと試みる。

 しかし、通信の向こうから聞こえて来る声の所為で、顔の火照りは一向に消えない。
それ所か、長らく聞いていなかった声が耳元から聞こえる───電話越しなのだから当たり前だが───所為で、顔の火照りは首へ、その先へと広がって行く。


『学校はどうだ?友達とは上手くやっているか?』
「…ラグナみたいな事聞くな」
『気になるんだから仕方ないだろう。苛められてないかとか、一人ぼっちになっていないかとか』
「……子供じゃないんだぞ。そんな事……」
『昔は俺がいないと一人ぼっちだったじゃないか』
「…何年前の話だ」
『そうだな。今のお前の周りは、賑やかな奴ばかりだし、こう言う心配は要らなかったか。じゃあ、体調はどうだ?』
「……別に、何も」
『風邪とか。最近、寒いだろう?お前は寒がりだから、どうしてるかと思ってたんだ』


 スコールは寒さに弱い。
もこもこに着膨れしても、まだ足りないと思う程に寒がりで、真冬に外遊びなど絶対に御免だ。
反対にクラウドは寒さに強く、自身の体温も高めで、幼い頃のスコールは、よく暖を求めてクラウドに抱き付いていた。

 成長に伴い、甘え下手になったスコールが抱き付く事はなくなったが、代わりにクラウドがスコールに抱き付いて来る。
正しくは、抱き締めて来ると言うべきか。
特に、抱き合った後、夜半にスコールが目を覚ました時には、必ずと言って良い程クラウドの腕に抱かれていた。


「………!」


 脳裏に甦った記憶に、スコールの顔が一気に赤らんだ。
同時に、ずくん、としたものが下肢を襲って、下着の中が酷く窮屈になる。


『スコール?』
「………っ」


 何かを察したように、心配そうに名を呼ぶ声に、スコールは返事も出来ない。
見えない相手にジェスチャー等無駄だと言うのに、ベッドシーツに顔を埋めたまま、ふるふると首を横に振る。

 そんなつもりで電話した訳じゃないのに、と思いながら、全くその気がなかったのかと問われると、スコールは答えに窮するだろう。
右手が下りて行くのを止められず、零れかける呼気を押し殺そうとシーツを噛んだ。
必然的に耳元で聞こえる声への返事は出来なくなり、聞こえる声は一層心配の色を濃くして行く。


『スコール、大丈夫か?調子が悪いならちゃんと寝た方が良いぞ。ラグナはいないのか?』
「クラウド、」


 具合を確かめるように、矢継ぎ早になるクラウドの声を、スコールは名前を呼んで遮った。
直ぐに「なんだ?」と返事があり、スコールは無意識に噛んでいた唇を解いた。


「……あんたと、……ス、…したい……」


 羞恥心が勝って、声が一部消えた。
が、言い直す勇気はスコールにはない。

 電話の向こうから返事らしい声はなく、代わりに数拍の間の後で、ゴトン、と固い音が聞こえた。
熱に浮かされていた意識が現実に戻って、その意識の切り替わりに自らがついて行けず、スコールはきょとんとした顔で白い波を見下ろしていた。
沈黙の続く電話機を眼前に持って来ると、通話状態は続いていたが、其処から聞こえる音がない。


「……クラウド?」


 言ってはいけない事だったのだろうか。
そんな不安を抱きながら、通信の向こうにいる筈の人を呼ぶと、


『───すまない、携帯を落とした。……その、さっき何て言ったのかよく聞こえなかったんだが、もう一度言ってくれるか?』
「………」


 あちらで何事もなかった事にほっとしたのも束の間、続いた言葉にスコールは真っ赤になった。
一度口にした後で、果てしないほどに恥ずかしくなったと言うのに、もう一度なんて無理だ。
しかし、通信向こうは静かになり、スコールの言葉を待っている。


「……あんたと、…せっ、くす、…したい……」


 蚊の鳴くような小さな声が、スコールの精一杯だった。
何か酷く悪い事をしているような気分がしたが、下腹部の熱は消えてくれない。
寧ろ、はっきりと口にした事で、熱が更に温度を増したような気がする。

 はぁっ、と唇から吐息が漏れて、携帯電話を握る手に力が篭る。
下肢をデニムパンツの上から緩く握って、やわやわと揉む。


「クラ、ウド……」
『あ、ああ……その、すまない。お前の口からそんな台詞を聞く事になるとは思わなかったから…』
「……ん、ぅ……っ」


 戸惑いを隠せないクラウドの声に、スコールは小さく身を震わせる。
褥で聞いていたものとはトーンの違う声だが、最早スコールには、彼の声そのものが官能のスイッチであった。


「クラ、ウド……早く……」
『早くって……スコール、お前、まさか今まで───』
「……」


 しているのか、していたのか。
クラウドがどう問おうとしたのかはスコールには判らなかったが、どちらにしても同じ事だ。
スコールはゆるゆると首を横に振って、


「まだ……と言うか、…ずっと、して、ない……」
『ずっと?……一度も?』
「……忘れてたし……」
『勉強漬けだったから、か』
「……それに……その……」


 口にしようとした言葉の意味に直前になって気付いて、スコールは口を噤んだ。
電話の向こうから「なんだ?」と言う声がして、もう一度口を開くが、音は上手く形にならない。
その癖、体の熱の上昇だけは順調で、じくじくとした焦燥ばかりが昂って行き、デニムの上から中心を撫でていた手は、いつの間にかその中へと潜り込んでいる。

 下着の中で窮屈にしている物を握って、小指で根本を押す。
くにゅ、くにゅ、と生々しい感触が掌全体に伝わった。
携帯電話を肩と耳に挟んで、空いた手でデニムパンツのジッパーを下ろし、膝上までズボンを脱ぐ。
外気に晒されて太腿が僅かに震えたが、それ以上に体の中が熱くて、スコールは頭を起こしている中心部をゆっくりと扱き始めた。


「っは…ん……」
『スコール、』
「…んん……っ」


 直接触れて刺激を与えている事で、スコールが感じる官能は一層強くなった。
久しぶりの刺激に悦ぶように、腹の中の熱は瞬く間に昂って行き、噛んだ唇の隙間から、甘い声が漏れる。

 しかし、感じる刺激は敏感な躯には狂おしくも、物足りなさも同じように募って行く。
手はただ上下に動いているばかりで、刺激の波も短調になもので、スコールは悶えるようにシーツの波を蹴った。


『スコール。“それに”……なんだ?』


 途切れた台詞の続きを促され、スコールの顔が熱くなる。


「…それ、に……やり方…判らな、い……っ」
『判らないって、自分でした事くらいあるだろう?』
「……だって…あんた、が…触ってたから……っ」


 真っ赤になりながら言えば、通信の向こうが静かになった。
絶句しているような気配が伝わった気がして、あんたが言わせたんじゃないか、とスコールは益々火照る顔をシーツに押し付けた。

 中心部を刺激する手は自分自身のもので、記憶にある恋人のものとは全く違う。
彼に触れられている時は、それだけで体の奥が燃えるように熱くなって、あっと言う間に極限まで高められた。
関係が始まって間もない頃は、自分で慰める時とはまるで違うその感覚に、今日のようなものさえ感じていた。
しかし、宥めるようにキスされ、あやすように耳元をくすぐられ、強張る体をゆっくりと解きほぐすように撫でられている内、恐怖は次第に遠退いて、快感のみに支配されるのが常だった。
けれども、自分自身の手で与える刺激では、其処まで昇り詰める事は疎か、あの快感の半分も得る事が出来ない。


「クラウド…ん、う…っ、早く、触って……」
『……!』


 電話の向こうで、喉が鳴る音が聞こえた。
その傍らスコールは、自分の頭は相当茹っているらしい、と他人事のように冷静な頭の隅で分析する。
こんな台詞は、彼と向き合っている時ですら、一度も言った事がなかった。

 俯せになって膝を立て、尻を高くした四つ這いの格好で、スコールは自身を愛撫する。
締め付けるものがないので、窮屈さはないが、張り詰めるばかりで苦しいのは変わらない。
クラウド、と繰り返し名を呼ぶ隙間に、熱を孕んだ吐息が漏れた。


『……スコール』
「ふ…あっ……」


 聞こえる声のトーンが落ちて、スコールの背中にぞくぞくとしたものが奔る。


『俺も直ぐにそっちに行く。それまで我慢できるか?』
「………」


 沈黙するスコールの言葉を、クラウドは否と受け取ったようだった。
仕様がないな、と小さく笑う声が聞こえる。

 電話の向こうで、重いドアの開閉音が聞こえた。
クラウドが住んでいるアパートの玄関の音だ。
カン、カン、カン、と階段を下りる音を聞きながら、早く、とスコールは息を詰める。


『俺が着くまで、自分でしているか?』
「……う……」


 膨らんでいる中心部は、此処で止めるのは辛い、と訴えている。
しかし、幾ら刺激を与えても、拙い自身の行為では半端に熱が煽られて行くばかりで、欲しい場所まで昇る事が出来ない。
けれども、どうすれば今以上の快感が得られるのか、スコールには判らない。

 そんなスコールの焦れる気持ちが伝わったように、通信の向こうから耳触りの良い声が聞こえる。


『教えてやる。言う通りにすれば良い』
「……ん…」


 囁かれる声に、恥ずかしさと同時に、安心感のようなものが沸き上がる。
その声を聞くと寂しさが募るからと拒絶していた癖に、現金だな、と場違いに冷静な頭が呟いた。