INJURE



「うぁっ!」



途端に耳に届いた高い声の悲鳴。
三蔵は目の前の妖怪どもを消し去ると、声の方に目を向けた。

そこにいるのは、いつものように妖怪を殴り飛ばす悟空。
けれど、動きがぎこちない。



「おいサルっ!!」



少し遠方から、悟浄の声。僅かに心配の色が浮かび上がっている。



「ヘーキ、こんくらいなんともないっ」



強がるような言葉とは、表情が矛盾していた。
いつものように軽やかに躍動しない。



「悟空、そっちに行きますから!」
「ヘーキだって!」



八戒の言葉に、悟空が答えた。
そんな悟空の正面から、妖怪が牙を向けた。



「悟空! 前だ!」



三蔵の怒号に近い声に、悟空が視線を前へと向ける。

───けれど、遅い。
悟空が如意棒を構えるより早く、綺麗な紅が華を咲かせた。



「悟空──っ!!」



悟浄が、倒れる悟空に駆け寄った。

更に一撃を加えようと爪を向ける妖怪の胸に、三蔵の銃弾が埋め込まれた。
呆気なく霧散された妖怪の横を過ぎ、悟浄が悟空を支えた。



「悟空! おい、サルっ! …八戒!!」



悟浄の呼び声に、八戒は最後の一匹を消して、駆け寄る。
三蔵も周囲に妖気がなくなったのを確認し、近寄る。


悟空を支えていた悟浄の手に、べっとりと生温いものが張り付いた。

悟空の、血液。
やられた位置が悪かったのか、出血が酷い。



「悟浄、どいて下さい!」



八戒が悟空の傷口に手を添え、気孔術で治癒する。


「……っ…!……」



悟空の目蓋が僅かに震えたのを、三蔵は見逃さない。
すぐに傷は塞がり、もう一度悟浄が抱えた。
そのとき悟浄の手に、また血が落ちる。
添えられた手は、悟空の背中に触れていて。



「悟浄、どけっ!」



自分より幾分か大きい悟浄を押しのけ、三蔵は悟空の服を剥ぎ取る。


その背中にあった───広い、傷。
爪痕。

三本の長い爪痕は、傍目で判るほど深かった。
八戒がすぐさま気孔術をかけるが、効きが悪い。



「八戒、どうだ?」



悟浄の質問に、八戒は答えない。
答えなくても判る。
何より、三蔵の面持ちを見れば、それだけで。



「…悟空……っ…」



目を覚ましてくれ、と。
八戒から僅かに漏れた呟き。

それは、悟空には届かなかった。

















しばらくして、傷は僅かながら塞がり始めた。



「…しばらくは、動かさないほうがいいですね」
「医者見せたほうがいいなら、急ぐべきじゃねえの?」
「僕だってそうしたいですけど……」



八戒が言葉を濁す。


悟浄、八戒とは少し離れた場所で、三蔵は眠る悟空を見つめていた。

「平気だ」と大声で叫んだあれは、やせ我慢にもならないもの。
ぎこちない動きは、この傷の所為。


時折苦痛に歪む悟空の表情に、三蔵は苛立った。



「…バカが」



それは、誰に向けた言葉なのか。
やせ我慢にもならない言葉を吐いて、今に至る悟空か。


気付けなかった自分か。



「……バカは、俺だろうな」



火を点けずに加えていた煙草を、捨てる。

正面から受けた傷は、出血は多かったものの、そう深くなかった。
あちこちの擦り傷も、気孔で回復させた。
だが、背中だけは。



「……っ…ぅ……」



痛みに歪む、幼い顔立ち。
滲み出る汗が、地面にポタリと落ちた。



「………悟空……」



低い声で呼んだ。

それが聞こえた訳ではないだろう───けれど。
悟空はぼんやりと金瞳を覗かせた。



「…起きたか?」
「……さんぞ…」
「まだ寝てろ。起き上がるな」



上体に力をいれようとした悟空を、言葉で制した。



「……オレ……どうしたの?」



おそるおそる尋ねてくる。
不安に揺れるその瞳は、何を思っているのだろうか。



「……腹をやられた傷は八戒が塞いだ。問題は、背中だな」
「ごめん……」
「まったくだ。意地を張るからこうなるんだ」



それともあの時は、背に痛みを感じていなかったのか。

悟空は落ち込んでしまった表情で、視線を上に向けなかった。
三蔵から背を向けた状態で寝転がり、ただ沈黙だけ。



「………ごめん……」



悟空がやっと出した言葉は、それだけ。
少し離れた場所にいた悟浄と八戒が、歩み寄ってくる。



「すいませんけど、悟空を見ててください。僕らは休みますから」
「あとで交代だぜ」



それだけ言うと、二人は悟空を気にしながら離れていく。


三蔵は緩く溜息をついた。
懐の煙草に手が伸びたが、引っ込める。
幾らなんでも、今の悟空の前で吸うのは止したほうがいい。

この長い静けさに、悟空は何を考えているのだろう。
自分を見ようとしない小さな背中。
そこに巻かれている包帯に滲んでいる、赤。
先刻よりも滲みは広がったんじゃないだろうか。



「───っ!!」



不意に、悟空の身体が震えた。

三蔵は悟空の肩を掴み、ゆっくり起す。
前から抱き込んで──



「……痛むか?」
「…ちょっと……」



何が少しだと言うのか。
三蔵の視界の端に映るその顔は、激しい痛みを訴えるもの。

包帯の端に、手を添える。
そのまま白い布を解いていくと、すぐに赤い液体が地面に零れた。
相当、酷い。



「痛むか?」



もう一度、同じ言葉を繰り返す。

悟空は答えない。
三蔵にしがみつくだけだった。


傷口の近くに触れると、熱を持っているのが感じられる。



「悟空、むこう向け」



告げられた悟空は、何も言わず背を向けた。
化膿し始めているんじゃないだろうか。



「ひっ!!」



三蔵の舌が、傷口を舐める。



「さ、さんぞぉっ…!」
「大人しくしろ、消毒するだけだ」
「やだっ…い…痛いっ……!」



涙声で訴える悟空だが、三蔵は止めない。
滴り落ちる血を舐め取り、また傷口を舐める。



「や…ぁ……っ…」



悟空の身体が震え始める。



「…感じてんのか?」
「違う…っ……」
「違う? じゃあなんでココが立ってんだ?」



スル、と三蔵の手が悟空の下腹部に触れる。
ソコはズボンの上からでも判るほど、立ち上がっていた。

三蔵の紫闇が、僅かに笑った。



「暴れるなよ、傷口に響くぜ」



その言葉はなんの為なのか。
解かれた包帯が地面に落ちて、悟空は背を仰け反らせた。



「やっ…やだぁ……」
「暴れるなっつってるだろ。それとも痛ぇほうがいいか?」



サディスティックな笑みを浮かべて、けれどその顔は、背を向けたままの悟空には見えない。
ただ背後からの生温い感触に、悟空は身を震わせる。

それでも、このままでいたくない。
裸体を晒したまま、傷口を生温かいもので舐められる。