humanbeings crazy







差し込む朝日が眩しくて、悟空は思わず目を細めた。




ベッドから石鹸の匂いがして、自分の移り香だと思い出す。
眠ってから恐らく然程の時間は経過していないのだろう、多分1、2時間程度だ。

慢性的に寝不足が続いていると思うが、悟空はあまりそれを気にしてはいなかった。
少しでも眠れるのなら良い方で、時には眠る間もなかったりするのだから。
けれどその原因を思い出すと、悟空はそれもまぁいいか、なんて思ったりもするのである。


ゆっくり起き上がると、庇ったにも関わらず腰が盛大に痛んだ。
再び柔らかいベッドに逆戻りしつつ、よくこれで昨日は戻れたなぁ、等と思う。
正確に言えばほんの数時間前なので、昨日と言うのも可笑しいのだろうが。

しかもちゃんと風呂まで入ってベッドに戻ったのだ。
その間、何処をどうしていたかの細かい記憶は、一切残っていないのだけど。



今日はもう寝倒したい。



そう考えながらも、脳裏を過ぎる一週間後の自分の聖誕祭。
今日もまたそれの準備に追われて、あれこれ着せ替え人形のように着飾らされるのだろう。
あれは退屈だし、寝ることも出来ないから好きではなかった。

どうせ自分の誕生日なんで、本当に祝ってくれるのはほんの一握りの人だけだ。
それ以外の人が本当は自分のことをどう思っているかなんて、幼い頃から否応なく感じてきたから判る。


気だるさと面倒臭さで溜息が漏れた。

その直後、数回のノックの音が聞こえて、部屋の扉が開かれた。




「お、起きてるな、悟空」




入ってきたのは兄代わりの一人である捲簾だった。
その手には多分悟空の朝食になるものがトレイに乗せられていた。



「ケンにーちゃん……おはよ」
「おう、おはよう。なんだ、また寝不足か?」



テーブルにトレイを置いて、ベッドまで歩み寄った捲簾は悟空の頭を撫でた。
大きな手に少し荒っぽく掻き撫でられて、悟空はむぅ、と意味のない声を漏らす。

明るい日の下に晒された悟空の目元には、くっきりと隈が出来ていた。
前々から薄く見られるようになったそれを、捲簾は随分と気にしているらしい。
それはもう一人の兄代わりと、父も同じことだった。



「寝れないんなら、俺等で添い寝してやろっか?」
「そんなに子供じゃないよ」
「俺等にとっちゃ、お前はずっと子供みたいなもんだよ」



ベッドに腰掛けて、捲簾は悟空を抱き締めながら言う。
石鹸の匂いがバレないかと思ったが、悟空の五感の方が人より敏感なだけだ。
実際はそれほどはっきりと匂いはしない。



ぎゅうぎゅう抱き締めて来る捲簾は、昔からこういうスキンシップが好きだった。
駆け回るような遊びも捲簾に教えて貰ったし、小さい頃の遊び相手は専ら彼であったと悟空はよく覚えている。

もう一人の兄代わりは、遊ぶよりも色んな事を教えてくれた。
覚えていた方が良いという難しい話は勿論、どうでも良いような雑学まで。
悟空が知りたがった事はなんでも教えてくれて、彼の部屋はまるで書庫だ。
たまに捲簾が片付けを手伝い、悟空も一緒になり、ついでに父も巻き込む事もある。


父はと言えば、厳格ではないけれど、叱る時はしっかり叱る人だった。
けれど誰よりも悟空の事を愛してくれていると知っているし、悟空もそんな父が大好きだった。

少し不器用で、だけど誰より優しい父。
悟空は母の顔を覚えてさえいないけれど、それでも寂しいと思ったことはなかった。
それほど、悟空にとって父の存在は大きく、大切なものだったのだ。

────父より大事なものなんてないと思っていたほどに。



捲簾は腕の中に閉じ込めた弟を、大事そうに見下ろしている。
目元の隈を指先でなぞられて、悟空はくすぐったくて笑う。

吊られたように捲簾が笑って、二人だけの部屋の中に笑い声が響く。



「ほら、飯食おうぜ」
「うん」



捲簾に促されて、悟空はベッドから降りる。
が、それ以上足が進むことはなく、ぺたんと悟空は座り込んでしまった。



「おい、どうした?」



すぐに捲簾が悟空の前にしゃがんで、抱き上げるように助け起こす。

悟空は一人、焦っていた。
けれど何も言わないように務めて、捲簾に縋りながら立ち上がると、椅子に座らされる。



「なんだ、寝返り失敗して腰でも痛めたか?」
「う〜……」
「お前が寝像悪いのは昔からだろ。後でマッサージしてやるよ」



テーブルを挟んで悟空の向かいの椅子に座って、捲簾は言った。
マッサージをして貰うと楽になるのは知っていたから、悟空は素直に頷く。

どうして痛くなったかなんて、当たり前だが本当の事など言えない。
捲簾だけでなく、もう一人の兄にだって、父になんて以ての外だった。
気付かれないように気を付けてはいるけれど、自分は判り易いらしいから。


朝食は育ち盛りの少年が食べるのだとしても、かなりの量だった。
悟空は子供の頃からそんな調子だから、今更捲簾が驚くことも、咎める事もない。

スープを口に含むと、悟空の好きな味と匂いが広がった。
こういう時、大抵この料理を作ったのは捲簾だ。
普通は給仕がする事だが、器用な捲簾は基本的に何でもソツなくこなし、その中でも料理は趣味の一つになっていた。
その理由はこうやって悟空が喜ぶからで、弟の笑う顔が見たくて色んなオリジナルにも手を出している。



「ケン兄ちゃん、これ美味しい!」
「そっか?」
「うん!」



悟空が笑ってそう言えば、やっぱり捲簾も嬉しそうに笑う。


幼い頃からずっと続く光景だ。
捲簾は悟空の好みを熟知していて、綺麗な食べ物はないと知っている。
けれど甲乙付けるなら野菜が苦手な悟空の為に、捲簾は食べやすいように色々と考慮してくれていた。

お抱えの給仕達が作ってくれる料理も、悟空は決して嫌いではない。
でもやっぱり、大好きな人が作ってくれる料理の方が、何より美味しく感じられるのだ。



「本当は、天蓬や金蝉も一緒に食おうと思ってたんだぜ」
「……そうなの?」
「でもあいつら、朝から仕事になっちまってな」



もう一人の兄・天蓬と、父・金蝉。
そして捲簾と悟空、揃って食事を取ることは殆どない。

幼い頃はそうでもなかったと思うのだが、成長していく内に確実に頻度は減っていっていた。
金蝉は一国を担う者としての責務があり、天蓬はその参謀として。
捲簾だけは悟空の教育係も兼ねてそれなりに時間を取らせて貰えているけれど、それでも物足りないのを捲簾は判っていた。



「ごめんな、寂しい思いさせて」



成長していくごとに息子に、弟に構ってやれる時間が減っていく。
悟空がこの城内でどんな風に思われているか判っているから、余計に彼らはやるせなかった。

でも、悟空はワガママを言わない。
幼い頃は何故一緒にいられないのか判らなくて困らせたこともあったが、成長に伴ってそれもなくなった。
いつかは自分も背負わなければならないものを、父や兄が今背負っているのだと知ってからは。


テーブルを挟んだ向こう側で、寂しそうに笑う捲簾。
それを見ながら、悟空はふるふると首を横に振った。
くしゃ、と大きな手がまた悟空の頭を撫でる。



「しょうがないよ。もう直ぐオレの誕生日で、それで余計に忙しいんでしょ」
「んー……まぁ、な……でも、正直俺は、それもどうでも良かったりするんだよな」



一国を担う者の息子の誕生日。
国を挙げて祝おうという事は決して珍しいことではなかった。

けれど捲簾だけでなく、天蓬も金蝉も、本当は家族だけでひっそりとするような誕生パーティの方が好きだった。
幼い頃は何度かそうして祝った事があったし、ささやかな幸せが其処に集まっていたと思う。


でも、聖誕祭がくれば悟空は19歳になる。
もう分別のつく歳だし、いつまでも幼い子供のままではいられない。

それが保護者達はまた寂しいのである。



「でも、やんなきゃ皆が心配するし」
「うん……そうなんだよな…」



悟空とて、父と兄二人だけに祝ってもらえるだけで良かった。
盛大なお祭りになんてしなくたって良かったし、自分の誕生日なんで他の誰もが知らなくなって構わなかった。
大好きな人たちにおめでとう、と言って貰えるだけで、それで。

でも、もうそんな子供のワガママは通用しない。
一国を背負う重みを、そろそろ知らなければいけないのだから。









……でも、本当は。









不意に脳裏を掠めた光に、悟空は俯いた。

急に黙り込んだ弟に、捲簾は心配そうな顔をして覗き込む。
しかし悟空はそれから逃げるように、ごちそうさま、と言ってフォークを置いた。


此処で料理が残っていたら、捲簾の心配はヒートアップしていただろう。
だが幸いにもあれだけ沢山あった料理は、綺麗に平らげられていた。



「オレ、着替えるね」
「…あ……おう」



それでも何か言及されるのが怖くて、悟空はウォーキングクローゼットに逃げ込んだ。
捲簾が追いかけて来ることはなく、食器を持って部屋を出て行く音がぼんやりと聞こえた。

クローゼットの中には沢山の服があったけれど、悟空は迷わずに一番奥にあった服を手に取った。
他のきらきらと喧しい服とは違って、その一着だけは白を基調にしたシンプルなものだった。
それは何処何処の店で作られたとかいう大層なものではなくて、少し前に天蓬から貰ったもの。


他の喧しい服は着ていて良い気持ちはしないから、余程の時でなければ着なかった。
駆け回るにも邪魔だし、色々ついていてジャラジャラ邪魔で重くて、鬱陶しいから。

それよりも天蓬から貰ったこの服の方が、機動性も通気性も優れていた。
着飾ることが好きではない悟空を知っているから、用意してくれた。
でも他のスタイリストだの形式に拘る頭の固い人はお気に召さないらしく、今までに捨てられてしまった事もある。
その度に天蓬は新し仕立ててくれて、今度こそ捨てられないようにと、一番奥に仕舞うのが常だった。



寝巻きの薄手の服は、部屋に放置しておけば誰かが回収して行く。

着替えてすぐに、悟空は部屋を飛び出して行った。
頭の固い宮仕えの人たちから雷を食らう前に、今日しなければならない事を済ませようと思って。


それが全部済んだら、またあのケモノのところへ行こう。
そして今日あった詰まらないことは全部忘れてしまおう。







もう、頭から離れない。


二人の兄より、父が好きで。
父より好きな人なんていないと思っていた、けど。








少しずつ変わっていく自分に、今は不思議と違和感を感じなかった。