オシリスの審判









守らなければならなかった

失われてはならないものだった




何より無垢な、その魂を


































三蔵の今回の仕事は、妖怪退治だった。
悟空はそれに同行することが出来たのが嬉しくて、道中、終始ご機嫌であった。

ジープを足として出した為、悟浄と八戒も一緒である。
悟空にとってはそれも嬉しい事で、ちょっとしたピクニック気分でもあったのだ。
これから血生臭い事に妖怪退治に向かっているのだとしても、道中の気分はそれとは関係ない。
大好きな保護者と、気心の知れた友人達だけと一緒だという事が何より大事だった。


悟空が三蔵の仕事に付いて行ける確率は、大まかに数えて5回に1回と言った所か。
内容は大抵が妖怪退治の時、それならば悟空の戦闘力が遺憾なく発揮されるので、悟空は役に立てると喜んだ。

悟浄と八戒の同行はジープを貸すついでのようなものだったのだが、三蔵はこれも特には拒まない。
彼等の戦闘力はよく判っているし、慶雲院の修行僧よりもよほど信頼できる。
ついでに八戒がいるなら美味しいものが食べられるし、と悟空もこれには喜んだ。


普段の三蔵の遠方の仕事は、基本的に悟空の同行は赦されない。
三蔵に同行する修行僧が煩いし、向かった先の寺院でも良い顔をされない。
常を思えば、本当に今回の保護者の同行は、悟空にとってピクニックめいたものだったのだ。



同行者が揃って僧侶ではないので、三蔵は寺院に泊まってくれという申し出を(表向き)丁重に断わった。
妖怪の情報収集も兼ねて街宿に泊まる事になったが、その実、単に三蔵の面倒臭がり故のものだと三人ともよく判っている。
寺院にいれば暇があれば説法だなんだと頼まれるので、三蔵はそれを煩わしがり、寺院への滞在を拒んだのだ。

これは悟空だけでなく、他二名にとってもラッキーだった事だ。
悟浄は重度の喫煙者だし、八戒も寺院に対してあまり良い印象がない。
悟空については、言わずもがな。

寺院でなく、街宿の滞在を拒むものは、此処にはいなかった。


しかし、問題になったのは街の治安である。


寺院が街の中心部に位置している事もあってか、信仰心の強い街だった。
中部を歩けば三蔵が“三蔵法師”である事が瞬く間にバレ、信者に囲まれ、三蔵が眉間に皺を寄せる。
老年の者は金晴眼にも反応したし、悟浄の紅い髪にも気付いた。
三蔵の傍にいる事もあってか何も言われなかったが、向けられる奇異の目は鬱陶しいものだ。

円形に形作られた街の中心部がそうであれば、円の外側はまた真逆。
街に入る時にも垣間見たが、荒くれ者が道端で取っ組み合いの喧嘩を始め、悟浄や八戒も少々絡まれた。
絡んだ連中は問答無用の返り討ちにしたが、ああいう手合いは後々根に持つ上、しつこいので厄介だ。


選んだのは円の半径の中腹。
どちらに属するとも言えない、けれども両極端の場に比べれば落ち着けた。

だが、治安についてはあまり良いとは思えない。


円の外側の者が時折やって来ては暴れるらしく、街の人々はそれに怯えている風だった。



─────宿を選ぶ際に聞いたその話に、八戒が眉根を潜めている。
悟空には悪いが、これではとてもピクニック気分とは言えない。

もともとピクニックではなく、妖怪退治に来ているのだが、空いた時間ぐらいはそんな雰囲気で過ごしたかったのだ。
道中のジープでの悟空のはしゃぎ具合に、八戒はすっかり保父心をくすぐられていたのである。


少々傾き気味の街宿の一室で、八戒はどうしたものかと頭を悩ませていた。



「だから、しょーがねえって言ってるだろ。お前は危なっかしくてしょうがねえ」
「……でも皆はヘーキなんだろ」
「そりゃ慣れてるしな。お前と違って大人だし」
「オレだって大人だ!」
「んなチビなナリして、何処が大人だってんだ」



……宥めるのなら、もう少し歯に絹着せられないものか。
………無理か。


そこそこ広い部屋の真ん中でいがみ合っている二人を見て、八戒は溜息を吐いた。
その二人の向こうでは三蔵が盛大に溜息を吐いている。

悟空はすっかり機嫌を損ねていて、なんでなんで、ずるいずるい、と癇癪を起こしている。
滅多に来れない遠い地にはしゃいでいた反動が、見事に此処で現れていた。
いつもは保護者の言葉に、鶴の一声宜しく納まるのだが、今日はそれも駄目だ。




「なんでオレは外に出ちゃ駄目なんだよー!!」




子供特有の高い声音は、普通に喋ってもよく耳に届く。
それが本人が意識しての大声となると、必要以上に鼓膜に響くものである。

この数分間で何度目か知れないそれを間近で聞いて、悟浄が痛む耳を押さえた。



「何度も言ってんだろ、此処は治安が悪いんだよ!」
「そんなもん、怖くねぇもん!」
「判ってねぇからンな事言えるんだよ!」



悟空の癇癪具合が、どうも悟浄にも伝染しているらしい。
最初は子供を宥めすかそうと努力していた声が、徐々に苛立ちを帯びている。

もともと、悟浄は感情に流され易いタイプだ。
普段は飄々とキザったらしく振る舞うくせに、沸き上がる感情を上手く受け流すことが出来ない。
聞かん坊をあやすのには、あまり向かない性格だ。


悟空がうーっと唸ったのをチャンスと見て、八戒が二人の間に割り込んだ。



「はいはい、お二人ともその辺で」
「だって八戒!」
「お前が大人しくしてりゃ」
「はい、黙る」



済む話だ、と言いかけた悟浄の口を手で塞ぐ。
強制的に黙らせたのと、タイミングを逸されたからか、悟浄はそっぽを向いた。

人が忠告してやってんのに、とブツブツと呟く悟浄に苦笑し、八戒は悟空に向き直った。



「ねぇ悟空、何もじっとしてろって言ってる訳じゃないんですよ。一人が危ないってだけで」
「……でも、皆は一人でも危なくないんだろ」
「危ない、危なくないと言うより……悟空が心配なんです、皆ね」



俺は心配してねぇ!と悟浄が吼えた。
が、無視する。


心配イコール弱いと言われたと思ったのだろう。
悟空がまたうーっと小動物の威嚇のように唸り声を漏らした。

こういう子供は理屈で幾ら宥めても無駄である。



「誰かと一緒なら外に行っても構いませんから」
「……なんで一人じゃ駄目なんだよ」



膨れっ面で見上げてくる悟空は、見るからに幼い。
誰が見ても経験の薄い子供であると判るから、だから一人で出歩かせるのが危険と皆思ったのだ。


治安の悪い場所は、単純に言えば敵地に似ている。
そんな所を一人で出歩けば、自分を守れるのは自分のみという事だ。
何が安全で何が危険なのか、何が罠なのかを自分で判断しなければならない。

悟空は世間知らずだ───言えば本人は激しく怒るだろうが、大人三名からすればそうである。
子供特有の過敏さと本能で敵味方の区別は出来るが、それにも経験は必要なのだ。
隠す事に長ける者など幾らでもいるし、もともと悟空は人を信じ易い性格で、疑うことを知らない。


街の治安は半端である。
だからこそ、余計に大人達は警戒する。

人好きのする面をして近付いてくる者など、幾らでも溢れている。
半端な街だからこそ、余計に判別がつき難い。
そんな場所で子供の一人歩きなど、言語道断であった。


………けれども、当の子供はこの調子。



「なんかあったら、ブン殴って逃げれるから平気!」
「そりゃそういう余裕のある奴が言う台詞だ」
「オレ強いもん!」



悟空の戦闘力については、誰も危惧していない。
幼く見えて天性の怪力と俊敏さ、格闘センスを持つ悟空である。
正面からの戦闘で、悟空に勝てる人間はいないのではないか。

だが、いつでも何処でも正面から攻撃を仕掛けられる訳ではないのだ。
実際に悟空は不意打ちに鈍い観があり、寺院で時折受ける嫌がらせもそういう類から来るものだった。

見えない場所まで気を配る、ということが、まだ出来ない。


納得行かない、という顔で見上げる悟空に、なんと言えば理解してもらえるものか。
食べ物で釣っても無駄のようで、これで保護者が通じないとなると、打つ手なし。

大人達は皆、一様に長い溜息を吐いた。



「……あのね、悟空……」



幼稚園児を宥める口調になっている事を、八戒は自覚していた。
が、こうでもしなければ悟空は話を聞いてくれそうにない。





それから、子供が形だけでも納得するまで、丸々二時間を費やすことになる。



















─────夜。



情報収集と言って、大人達が酒場に行く事は珍しいことではない。
そして、それに悟空が置いて行かれる事も珍しいことではない。

いつもなら気にしない。
悟空はまだ酒の味というものが判らないし、匂いもあまり好きではない。
果実酒の甘い香りはまだ良いけれど、幾つも混ざると変な匂いになってしまうから、自然とそれの集まる酒場に行くのは好きではなくなった。

だと言うのに、今日に限ってそれがやたらと腹が立つのは、昼間の遣り取りがあったからだろう。



「……なんだよ、皆してよ……」



子供扱いに怒って頬をぷくりと膨らませる様は、本人には申し訳ないが、何処からどう見たって子供である。

備え付けのテーブルに頬杖を着いて、椅子に座って足はブラブラ。
ジープはさっきまでじゃれていたのだが、一足先に夢の世界に行ってしまった。


ぽっかりと生じた退屈な時間を、どうしたものかと悟空は持て余している。
眠ってしまえば容易い事なのだが、生憎眠気もやって来ない。



「ガキじゃねーっての」



だったら酒の一つも飲んでみろ、と悟浄に言われそうだ。

全く飲めない訳ではない、けれど好きではないし、直ぐに酔う。
彼等と同じペースで酒を交わせるようになったら、もう少し大人扱いしてくれるのだろうか。
しかし八戒は論外として、三蔵と悟浄もかなりの酒豪である。
悟空が彼等に追いつくのは、後どれ程かかるだろうか……


自分一人だけ歳が離れていると言う事が、こういう時はやたらと頭に引っ掛かる。
だからこそ彼等が自分に優しくしてくれる所もあるだろう。
けれど、だからこそ、こうして置いてけぼりにもされるのだ。

たかだか4つ5つの差であるが、それを小さいと言えるようになるには、悟空はまだ若いし、幼かった。
また、1の違いでさえも、まだまだ大きなものに思えるのだった。



「…………ジープ、起きろよー」



唯一、この場で一緒に留守番を預かっている小竜に声をかける。

反応はなかった。
予想はしていたから、悟空は憤らなかった。



「………つまんね」



折角、三蔵の仕事に同行出来たのに、これでは役に立っていない。
悟空の出番が今此処でないのは判っているつもりだが、こうも退けられると面白くないものだ。


ちらりと窓の外に目をやると、昼間と違う雰囲気が其処に漂っていた。
暗い街並みの中で灯る光は誘蛾灯に似て、悟空には日中とは別世界のように思えてならない。

まだまだ悟空にとって馴染みのない夜の街は、子供の好奇心を多いに刺激する。
あの世界に馴染んだら、ちょっと大人になるのかも、なんて発想まで出てくる。


三蔵達は、しばらく帰らないだろう。
情報収集ついでに飲んでくるのは間違いない。



「自分達ばっか楽しそうでさー」



酒が飲めるとあってか、悟浄は勿論、珍しく三蔵も上機嫌だった。
八戒も例に漏れなかった訳で、思い出すと余計に苛立ってくる悟空である。

一応、悟空が夜中に腹を空かした時の為に八戒が夜食を作っていったが、一人でそれを食べても美味しくない。
八戒の料理が不味いとは言わないが、一人の食事より、誰かと一緒に食べる方が良い。
意識的な違いから、どうしてもいつものように食事をしてはしゃぐ気にはならなかった。


酒も飲めない、煙草も吸えない、心配されるばかり。
不慣れな場所を警戒するのは当たり前だけれど、だからって外出禁止までしなくても良いだろう、と思うのだ。



「………もうトイレ行って寝よ」



誰に言うでもない独り言が増えるのは、沈黙が落ちるのが嫌だからだ。
本当に置いて行かれてしまったようで。




寝て目覚める頃には、きっと皆帰っている筈だ。



そう思いながら、悟空は共同トイレへと向かう為、部屋の扉を開けた。