- end of Eden -









もう少し


もう少し













もう少しだけ時間を下さい















この温もりを、覚えていられる時間を下さい
























保護者に手を引かれて奔っていく子供。
それを後ろから見守りながら、時折後ろを伺い見る。

姿は見えないけれど、多数の足音がする。
もう直、此処まで追いついてくるだろう。


子供が時折転びそうになるのを、天蓬が支える。
幾ら足の速い子供でも、体力はまだ幼いものだ。
長時間の運動に疲れているのは確かだろう。

休ませてやりたいけれど、それは出来なかった。
安全な場所に辿り着くまで、きっと立ち止まれない。


抱き上げてやれたらいいのに。
変わりに奔ってやれたらいいのに。

そうは思うけど、あの枷が邪魔なのだ。
それに恐らく、自分では役不足なのだと思う。
少しだけ、それをしてやれる人物が羨ましくて恨めしい。

その人物は子供の手をしっかりと握ったまま、前を見ている。










――――――“楽園”は、まだ遠い。
























「悟空!」



不意に子供の名を呼ぶ声が聞こえて。
見てみれば、保護者から手を離して、床に転んだ子供。

少し先まで進んでいた保護者と友人の変わりに。
背中を預かっていた自分が、子供を起き上がらせた。


奔れるか、と確認するよりも早く。
子供はするりと腕の中をすり抜けて、駆け出して。
保護者の手を取って、再び走り出した。

それを見て小さく笑って、捲簾も走り出す。



ふと、隣から何か視線を感じて。
目を向けてみれば、薄く笑う旧い友人がいる。




「フラれましたね」
「……そうだな」




少し淋しそうに、嬉しそうに笑う友人。
だから捲簾は、同じように笑って応えた。




二人の少し先を走っていく、大きな影と小さな影。

子供よりも体力がない癖に、腹を括った男と。
そんな保護者を一心に信じて走っていく子供。
勝てっこないのだと、よく判っている。
保護者は走るペースを一向に落とそうとしない。
自分たちもそれは同じ事だった。


大人の歩幅とは随分小さい、子供のコンパス。
何度も足を縺れさせながら、それでも文句の一つも言わずに。
大人達に置いていかれまいと、必死に走っている。




何処かに休める場所は無いのだろうか。
けれども、足を止めれば囲まれてしまうのも事実だった。

止まってはいけないのだ。
それは、“終わり”を意味する行為なのだ。
そんなのは自分達の望む所ではない。


無事でいられる可能性なんて低いと思う。
長年軍にいた経験が、それを悟っている。

けれど、今は無性に足掻いていたいのだ。
結果が見えていようとなんだろうと、最後まで。



格好悪くたってなんだって、いいから。





「来たぞ、急げ!!」
「金蝉、其処を右に!」
「悟空、しっかりしろ! もう直ぐだから…!」






しっかり握り締められた大きな手と小さな手。
あの繋がりを引き離したくない。









あの笑顔が、もう一度みたいから。



































最初に逢ったのは、上司と邂逅した直後だった。
少々萎えた気分でぼんやり歩いていたら。
曲がり角から駆けて来た子供と、正面衝突したのだ。

ぶつかったのは大した衝撃ではなかったのだけれど。
直後に見上げてきた金瞳は、今も色鮮やかに覚えている。


急いでいるのか、直ぐに其処から離れようとする子供の。
尻尾のように、長い大地色の髪を掴んで引っ張った。


噂には聞いていたから、直ぐに判った。
下界から連れてこられた、金瞳の子供。
凶兆の証とされる金瞳を生まれ持った子供なのだと。

けれども見上げて来る瞳は、大きくて丸くて。
とても危険なものだなんて思えなかったのだ。





外に連れ出して、何故自分の居場所とは違う此処にいたのか。
問い出して見れば、那托に逢いにきたのだと言う。

“殺人人形”を友達だと言う子供。
名前を教えたいんだと言う子供。
眩しい笑顔で、笑った子供。






思えば、あの瞬間、既に。



自分の感情の中心は、この子供になっていたのだと思う。










二度目の出逢いは、天帝のクソ詰まらない生誕祭で。
眠くなる天帝の演説に欠伸を漏らしていたら。
ふと騒がしくなった場所が気になって行ってみた。

果たして其処にいたのは、よく知る友人と。
ちょこまか動いている、小さな子供。




何を勘違いしたか、警備員が子供を捕まえようとしたから。
なんとなく、放って置く事も出来なくて。
蹴りを一発お見舞い利して、其処に乱入してやった。

「ケン兄ちゃん!」と嬉しそうに名を呼ぶ子供の瞳は。
初めて逢った時と同じ輝きをしていた。


眠気覚ましついでに、そのまま乱闘を開始して。
天蓬も一緒になって暴れ始めて。
仕舞いには、子供まで参加してしまっていた。

小さい癖に、下界の異端児と言うのは嘘ではないのか。
大人顔負けの力と素早さで、猿みたいに応戦していた。

それを見て「猿」と声に出して呼んでみれば。
「猿って言うな!」と不満げな瞳が向けられて。
そういう顔もするんだなと、関係ない事を考えた。



保護者の登場を皮切りにしてお祭り騒ぎは終了。
噂に違わぬ不機嫌な顔と、それを裏切る保護者振り。

全ては、子供が中心なって起こった出来事。
自分たちが集まったのも、それからの事も。
子供がいて――――その笑顔が、見たくて。





それだけの、事で。



でも。

























「ぼーっとしてるとぶつかりますよ、捲簾」



呼ばれて、捲簾の思考が現実に戻る。
隣を見れば、面白そうに笑う友人。



「暢気で良いですねぇ、この非常時に」
「ま、悲観的なのよりいいんじゃねぇの?」
「あなたが悲観的なんて似合いませんしね」



ごもっとも、だった。

いつだって自分は、後先の事を考えなかった。
思ったように喋って、思ったように行動した。



伴う結果がなんであれ。
そうしなければ、望む結果が得られないのも事実。
だから先の事ばかり考えて何もしないより、今の事だけ考えて、やりたいようにやって来たのだ。

どんなに絶望的な現状であっても、関係ない。
掴みたいものがあるなら、それに手を伸ばすだけだ。




「それにしても、あいつらもしつこいな」
「しつこい人って嫌われるんですよねぇ」
「あっさり退かれても不気味だけどな」
「でも、そろそろ諦めて貰いたいですよね」




眼前を走る二人を見ながら、話す。
あの二人の体力は、きっと臨界点を越しているのだろう。



「どっか寄れる所ってあるか?」
「何処でも行けますよ。その後は知りませんけど」
「だよなぁ」







その時。
する、と子供の手が、保護者から離れて。
少し派手な音を立てて、悟空が床に倒れ込む。

天蓬が駆け寄り、抱き起こしてみれば。
かなり走った所為で、肩で荒い呼吸をしている。







「悟空…」
「ちょっと、これ以上はきつそうですね」




天蓬の言葉に、悟空は健気にも首を横に振る。
大丈夫だと言いたいのだろうが、既に声も出ない。

見れば金蝉の方もやはり限界だった。



「何処かでやり過ごすか?」
「博打ですよ、それ」

「……いい、走るぞ」





明らかに一番無理をしている男に、そう言われた。
保護者がそう言えば、子供も同意する。

反対する訳ではないのだが。
あまり無理をして欲しくないのも確かである。



「そうは言ってもよ、悟空の方が無理なんだって」



捲簾の言葉に、金蝉は眉間に皺を寄せる。
無理をさせてしまっている罪悪感と、止まれない現実。
生真面目な男は、こんな時にまで二択を選べないのか。

選べないなら、こっちで変わりにやるだけだ。
金蝉の気持ちが判らないでもないから、尚更。




「此処からちょっと行った所に、俺らの部下の部屋がある。
この騒ぎなら、多分今はいないだろ。ちょっとお邪魔するとしようぜ」




上司の特権って事で、と。
茶化して言いながら、悟空を抱え上げる。

まだ迷う風を見せる金蝉の背を、天蓬が押しやる。
あなたはもう少し走って下さいね、と。
運ばれたくもないだろうが、言ってやれば。
いつもの渋面になって、足を動かした。



「ケンにーちゃん……」
「おう、お前はちょっと休んでな」
「よく頑張りましたね、悟空」



枷のお陰で100キロ近い子供を抱えるのは骨が折れる。
しかし、捲簾はなんでもない事のように笑う。

子供の小さな手が、捲簾の軍服を握った。



「あー畜生、腹減ったなあ。な、悟空」
「……うん」
「僕、塩ラーメン食べたいです」
「俺は肉だな。金蝉、お前は?」
「…別に。なんでも」



返事はないかと思ったら、意外にも。
中身はいつも通りであったが、金蝉も空腹は否めないらしい。
走りっ放しなのだから、無理もないか。

他に食べたい物は、なんて聞いてみれば。
あれやこれやと、次々に出てくる。




そんな話をして、益々腹が減ってしまう事実に苦笑する。




腕の中の子供は、大人しく収まっている。
呼吸は整ったが、やはり疲労感が大きいのか。
ぐったりとして動こうとしない。

やはり休憩を提案して正解と見るか。
この分だと、金蝉も部屋につくなりダウンだろう。




「そうだ。お前は何喰いたい?」




聞いてなかった事を思い出して。
捲簾は、悟空に語りかける。

ぼそ、と小さな声で返事があったけれど。
三人分の足音に掻き消されて、よく聞こえなかった。
聞き直したかったけれど、それよりも先に。




「捲簾、あそこ!」




天蓬が指差したのは、目的の部屋。

鍵がかかっていたら壊してやる。
本末転倒な事を思いながら、その扉に駆ける。










お邪魔します、なんて。
返事がないと判っていながら、言ってみた。