oneself happiness








ただ、幸せで





こうして

傍に温もりがあるのが









ずるいくらいに一人占めしている、幸せな空間























─────犬を拾った。


久しぶりに三蔵と一緒に街へ出た。

と言っても、仕事で少し出かけた彼に、時分が無理やりくっついて行っただけだったのだけど。
それでも三蔵は、放っておくと後々煩いからと、溜息を吐きながら同行を赦してくれた。
仕事中は邪魔をしない、絶対に、そんな約束をして。

無茶な我侭を聞いてくれたから、次は大人しくしていよう。


と、思ったのだけれど。
やはり自分も強欲な生き物だというのか。

ついて行く事を赦してもらうだけでも、破格の譲歩だったというのに、帰り道で手を繋いでくれとねだった。
だって今の機会を逃したら、次にいつ甘えさせてくれるか判ったものではないのだ。
甘えさせてくれる間に、これでもかと言うほどに甘えたかった。


三蔵はあからさまに眉間に皺を寄せていた。
けれども、悟空がじっと見つめて見上げていると、また一つ溜息を吐いて。
「ほらよ」とぶっきらぼうに、こちらに顔を見せないまま、右手を差し出してくれた。

差し出された手を掴めば、其処から伝わる確かな温もり。
調子に乗って腕に抱きついたら、歩きにくいと怒られたけれど、構わなかった。


この際だ、と開き直ったのは、それから数分後。
さっさと帰りたいだろうと思ってはいたけれど、三蔵を引っ張って街をあちこち歩き回った。





そうしたら、見付けた。
狭い暗い路地の中で鳴いている、小さな存在を。






置いて行け、と何度も行っていた三蔵の言葉を無視して、悟空は仔犬を寺院へ連れ帰った。

今日の我侭の中で、一番の我侭だろうと自覚はあった。
けれども、放って置けなかったのだ。


帰る道中、三蔵は何度も飼えない、飼わない、と言った。
それでも悟空は、頑として仔犬を手放そうとはしなかった。



仔犬を見付けた瞬間、悟空はすぐに駆け寄って、抱き上げた。
抱き上げた仔犬は思っていた以上に小さくて、鳴き声もか細く、酷く頼りなかった。

放って置いたら、そのまま消えて行ってしまいそうで。
呼ぶ声さえも、誰にも届かないままになりそうで。
……見つけてしまったのなら、手を伸ばさずにはいられなかったのだ。


三蔵に怒られるのは判っていた。
無理だと言われるのも判っていた。

三蔵に拾われてから、今年で六年。
悟空は捨てられた動物や、怪我をして弱った動物を拾ってくる事がままある。
その多くの理由は、見つけたから、気付いたから、放って置けなかったから。


─────だって自分も、見つけて貰ったから。


そう言われた時、三蔵は諦めた。




「てめぇでちゃんと世話しろよ」




これが今日、最後の譲歩だと。
呟いた三蔵に、悟空はその日一番の笑顔を見せた。















「チビ、ほら、ご飯!」


言って悟空は、自分の食事の残りを仔犬の前に差し出した。
仔犬はクンクンと匂いを嗅いだ後、少しずつ食べ始めた。

その様子に悟空は満足そうに笑む。
三蔵はと言えば、新聞を開いて文字を目で追っていた。
けれども、意識は小動物二匹に向けられて、紙面の内容は一行に頭に入っていない。


「なあ三蔵、こいつすっげーよく食うのな」
「……テメーにゃ負けるがな」
「そっか? でもオレ、せーちょーきだから!」
「その割には一つも成長してないがな」


チビ、と捻りも何もない名前をつけた仔犬の頭を撫でる悟空に、三蔵は呆れた風に返事をする。


今日一日、ずっと自分の我侭を通せたからだろうか。
悟空は四六時中機嫌が良くて、今だけは寺院の修行僧の下らない卑下など耳に入りそうにない。

今だって、三蔵は“成長していない”“子供のまま”と言ったのだ。
転じてそれは、悟空の背が低いという事もニュアンスに含まれている。
いつもならそれに気付いて何事か騒ぎ出すのに、今はにこにこと笑っている。




……ふと思い返すと、ここ暫く悟空と話をしていなかった事に三蔵は気付いた。
仕事ばかりで構ってやれないし、食事も一緒に取れていない。

気を利かせられる者が二人出来たと言っても、悟空はまだ三蔵と一緒にいたがる傾向が強い。
出逢ってから一年が経つが、どうも彼らは二の次らしい。
二人の所で時間を潰して来いと言っても、三蔵の近くにいる方が良いとその場に留まってしまう。
結局じっとしていられなくて、寺院の庭で遊びだしてしまうのだけど。




小柄な割りに大食漢なのか、それとも単に空きっ腹だったのか。
仔犬は瞬く間に目の前の食事を平らげた。

悟空と同じだ。
小さい癖に、一体何処に溜め込んでいるのだろうか。
きっと消化も早いのだろうと勝手に予測をつけた。


「美味かった?」


問いかけて頭を撫でる悟空に、仔犬は嬉しそうに鳴いた。
言葉が判るわけでもないだろうに、悟空はその鳴き声に機嫌を良くする。


「な、三蔵」
「……なんだ」
「三蔵もチビ撫でてよ」
「…なんで俺が」


またこの子供は、突拍子もない事を告げる。

新聞から目を離して、視線を悟空に向ければ、仔犬を抱き上げた子供が其処にいる。
まん丸などんぐりみたいな瞳が二対、真っ直ぐにこちらを見詰めてくる。


撫でてよ、と仔犬を近づける悟空。
仔犬は状況が判っていないのか、小首を傾げている。

動物と戯れるような趣味は持ち合わせていない。
だけれど、どうしてだろう。
見上げて来る金色の瞳に、何故か自分は甘いのだ。





……このまま無視したら、後が煩いんだ。





言い聞かせるように胸中で呟いて、三蔵は手を伸ばす。

腹が一杯で満足らしい仔犬は、尻尾を振っている。
そんな仔犬を撫でてやると。



「良かったなー、チビ。三蔵ってな、こう見えてもすげー偉いんだぞ」



こう見えてもってなんだ。
自分の見掛けが僧侶として不適切なのは自覚があるが、改めて他人に言われると少し腹が立つ。

しかし目の前にいるのは、無邪気な己の養い子。
他意がある筈もなく、怒ってもただこちらが疲れるだけだ。
取り合えず、聞こえていない振りで流す事にする。



「こーいうの、“あやかる”って言うんだって。八戒が言ってた。偉い人に撫でて貰うと、幸せになるんだって」



また妙な事を教わったのか。

やはりあの二人の所に行かせるのも考えものか。
悟空の世間知らずをどうにかしようと、丁度良いと思って彼らの所に行かせるようになったのだが。


悟浄は想像に難くない。
事実、突拍子ないどころか、とんでもない質問をされる事がある。
そういう時は大抵、悟浄から何かしら吹き込まれた時である。

対して八戒はまともな事はまともなのだが、時折とんでもない事も教え込む。
どうも三蔵に対しての嫌がらせに思えるのは、間違いではないと思う。


別に“あやかる”という言葉が良くない事だとは言わないが、後々の面倒を考えると、少し頭が痛くなる。
疲れる事は保護者である自分に回ってくるのだと、この一年間で嫌と言うほど実感した。

…そしてそれを面白がっている紅と翠の事も。




「あ、でも、そしたら……」


仔犬を腕に抱いて、悟空はふと思い立った顔をする。



偉い人に触って貰ったら、幸せになれる。
そして三蔵は、最高僧───十分“偉い人”だ。


悟空はそんな三蔵に拾われて、保護して貰っていて。
手を繋いだり、頭を撫でられたりもしていて。
甘えている時は、抱き付いたりなんかもしていて。

半分は相手から触って貰うのではなく、自分から触る方だけれど。
それでも、触れている事には変わりはない。


もしも触れるだけで、本当に幸せになれるというのなら。



「オレ、すっげーぜーたくだ」



そして、触れているだけで、本当に幸せだと思えるのなら。








「幸せ独り占めしてる」








笑う子供に、三蔵は新聞を畳んで、机に放り投げた。

窓から見える空は既に暗く、月が昇っている。
この時期、日が暮れるのは早いから、月が昇る時間も早くなる。
部屋に時計がないから正確な時間は判らないが、子供はそろそろ眠る時間だろう。


「沸いた事言ってんじゃねぇよ、猿」
「猿じゃないもん! 沸いてない!」


腕の中に仔犬を大事そうに抱いたまま、悟空は唇を尖らせた。

しかし三蔵は特に気にした風でもなく、ベッドへと移動する。
悟空もそれを追いかけてベッドへと乗り上げた。


「だってそういう事になるじゃん」
「知るか。だから沸いてるって言ってんだろ」
「なんだよー」


嘘じゃないのに、と。
拗ねたように悟空は三蔵の金糸を引っ張る。

鬱陶しいと払っても、その手はまた伸ばされる。


小さなその手の片方は、今は小動物を包んでいる。
仔犬は何が面白いのか、嬉しいのか、尻尾を振ってその手を舐めた。
くすぐったさに悟空が少し笑ったが、三蔵が視線を向けている事に気付くと、まだ拗ねる。

この子供が始終同じ顔をしているなんて、土台無理な事なのだ。
悟浄が教えたというカードも負け続きだと聞くし。




だから、自分が折れてやるしかないのだろうけど。