繋いだ幸せ












このてのひらで


初めてつかんだ、幸せを
















ずっと手放したくないと思った


















こっそり、自分の館を抜け出した。
向かう先はただ一つしかない。


今日はあいつを連れて、少し遠くまで行ってみよう。
じゃないと、すぐに捕まって連れ戻されてしまう。
見える場所で遊んでいたらそんな事になってしまうから、少しだけ遠くまで行こう。

下界に下りられたらもっともっと遠くまで行けるのだけど、それはあいつが嫌がる。
あまり遅くなると保護者が心配して怒るから、だそうだ。


いいな、と思った。
心配して怒ってくれる奴がいるんだ。

自分には、そんな人はいない。
心配するのも怒るのも、全て仕事上として割り切られる自分には。
そんな風に心配して、「何処行ってたんだ」なんて殴りながら心配してくれる人はいない。


いつだったか忘れたけれど、それをポツリと漏らした事があった。
その時、何故かあいつは淋しそうな顔して、自分の事みたいに泣きそうになっていた。

それから、言ったんだ。





『那托が帰って来なかったら、オレ、やだよ』






そう言って繋いだ手は、誰より熱くて、優しかったんだ。














中庭で退屈そうに座っているのを見つける。
いつもならば、名前を呼んで駆け寄って、タックルなりお見舞いしてやる所だ。

けれども今日はほんの少しの悪戯心が沸いた。


気配を殺して、足音を立てないようにそっと近付く。

靴だと砂利を踏む音がするから、脱いで適当に転がしておいた。
裸足に小石が当たるけれど、大して痛いとは思わない。
それよりも目の前の存在に、意識は全部傾けられている。


自分がこんな風に一所懸命になるのは、こんな時だけだと思う。
悪戯をする時、と言うよりも……この存在の、傍にいる時。

遊んでいても、悪戯をして怒られていても、遊び疲れて眠っていても。
いつだって意識はこの存在に向けられていて、逸らされる事はない。
大好きだよと一所懸命に伝えて、大好きだよと一所懸命に伝えられるのが心地良いから。


ギリギリの距離まで近付いて、す、と息を吸った。






「わっっ!!!!!」


「わぁ!!?」






突然の大音声に、大地色が地面に転がった。

転がったそれが起き上がると、今度は眩しい金色の光。


「那托ー!!」


怒ったように名前を呼ぶ高い声。

転んだ時に顔面をぶつけたか、鼻先が赤い。
それに気付かず怒る様がなんだか可笑しくて、那托は腹を抱えて笑い出す。


「なんで笑うんだよ!」
「だって…だってお前…!」


リフジンだ、と。
小難しい言葉を使うけれど、きっと意味は判っていない。

周りに色々な知識を溜め込んで、それを教えてくれる大人がいるから、
悟空は時々、意味も判らず覚えた手の言葉を使う事がある。
辞書なんて読みそうにないから、きっと大人達の会話の端々で覚えているものもあるのだろう。
物事の吸収は早い方だけれど、何処かでいまいち偏っている。


笑うのを止めない那托に、悟空は唇を尖らせる。
まるで笑いを咎めるように、悟空は那托の背中を叩いた。

容赦ない一発に、那托は一瞬、呼吸が遅れた。


「何すんだよ、お前!」
「そっちが先にやったんじゃん!」


お返しだ、と。
あっかんべー、と舌を出す悟空。

そんな悟空の両頬を摘んで、引っ張る。


こんなじゃれあいは、いつもの事だ。









一頻りじゃれた後は、二人で並んで、静かに座っている。
他愛もない話をしながら。


抜け出してきたんだと言うと、悪いんだ、と笑みで言われる。
悟空の方はと言えば、仕事の邪魔になるからと追い出されたらしい。
書類が溜まっている所に遊んで構ってと纏わりつけば、まぁ当たり前の事か。
だって最近、ちっとも遊んでくれないから、と悟空は拗ねた顔をした。

いつもの遊び相手──食えない元帥とガキ大将──はどうしたのかと聞いてみれば、
今日は二人とも下界に出陣していて、本日中に帰って来る様子はないらしい。

観世音菩薩の所に行こうとも思ったようだが、保護者に口酸っぱく止められているのを思い出したと言う。
その選択肢は正解だと言えば、なんで駄目なのかな、と呟く始末。
……確かに、別段悪い人ではないのだけれど。


とにかく、遊び相手がいなくて、中庭で退屈を持て余していたところで。
那托がやって来たのだというと、いいタイミングだったんだと笑う。


友達だけど、中々一緒に遊べなくて。
一緒に遊んでいても、すぐに離されてしまって。



でもやっぱり、
悟空の隣は居心地が良いから。





やっぱり離れたくないと願うんだ。










「悟空、ちょっと遠く行こう」


そう言って立ち上がって、座ったままの悟空を見下ろす。
突然の言葉に、悟空は理解出来ずにいたのか、きょとんとした顔で見上げている。

まん丸の金瞳に、那托の顔が映りこんでいる。


「この辺だと見付かったら煩いから」
「……別にいいけど…晩飯までに帰れる?」
「それはヘーキ」


多分、とは言わなかった。
何処まで遠くに行くのかまでは、考えていない。
帰れなくなるぐらい遠くまでは行かないつもりだけど。

それに、晩飯が食べれないのは自分も困る。
空きっ腹は結構応えるのだ。


でもこの辺りで遊んでいたら、側役に直ぐ見付かって連れ戻される。
屋敷を抜け出してきたのだから、尚更。

悟空と二人の時間を壊されたくない。
居心地のいい場所を離れたくない。
それはきっと、子供でなくたって願う事だ。




大切なものを護ろうとするのは、本能だと思う。


だから差し出した手を掴まれた時、それだけで凄く嬉しかった。













繋がった手を、しっかりと握って。
先導して歩くのは那托。

どんどん外れの方に。
後ろを歩く悟空は、時折後ろを振り返るけれど。
大丈夫だと笑いかければ、うん、と頷く。


怒られないかとか。
心配かけないかとか。
きっと考えてる。

自分はと言えば。
こんな強引な事をして、嫌われないかとか。



一緒だったら、怒られたって平気だ。
隣に一緒にいれば、それだけで何も怖くない。
手を繋いでいられたら、それだけで。



一緒にいるだけで幸せなんて。
安っぽい幸せだと、誰かが言っていた気がする。

…いや、本だったかな?
どっちでもいい。


でも、それだけで十分。
安っぽくてもいい。
ちっぽけでもいい。





幸せなのには、変わりない。