santih







なんか、悪いことしたっけ。

三蔵の迷惑ないなるような事とか、
三蔵が怒るような事とか、
何かしたかな?


覚えてないけれど、
覚えていない間に何かした事は何度もあるから、
必死で思い出そうと思ったけど、
やっぱり判らない。

三蔵が仕事で出て行ってから、
オレはこの部屋から出てないし、
なんか問題起こしたつもりもないのに。



それとも、
やっぱり何かしたのかな?

だったら誰か教えてよ、
それなら誰か教えてよ、
じゃないとオレ、
判んない事ばっかりだよ。




なぁ、
三蔵、

オレ、
なんかした?
オレ、
なんか怒られるような事した?


判んないんだよ、
三蔵がいないと、
なんにも判んないんだよ。

平気だよ、
我慢出来るよ、
でも、
判んないんだ、
嫌なんだよ。







なぁ、

誰か、

教えてよ。









三蔵、

傍にいて、



ずっと手を握って掴まえててよ。

あとはなんにもいらないから。








せめて、それだけ。































笑い声が、耳に障る。
吐き気がするのは蹴られた所為か、別の所為か判らなかった。

腹部から込み上げる嘔吐感。
部屋をそれで汚したくなかったから、手で口元を押さえたいのだけれど、それも出来ない。
飲み下せなかった唾液が漏れて、床に溜まりを作っていた。


腕の貼り付けられた呪符の所為だろう。
体中が言う事を聞かない。

これがなければ、直ぐにでも此処から逃げるのに。
これがあるから、此処から身動きできないのだ。



「こうしてると、やっぱり可愛げもあるな」



相手が動けないという優越感からだろう、悠々とした態度で言い放つ。
足元で転がっている悟空を見下ろしながら、僧侶はクツクツと笑う。



「っけほ…ぅ……」
「やっぱり三蔵様がいなけりゃ、この程度なんだな」
「ガキだからこれで済んでるんだろうよ。成長したらどうなるか判らんぞ」



ぐ、と悟空の頭を僧侶の足が踏み付ける。



「だから今のうちに躾しておくんだろ?」



もう一人の僧侶が、悟空の腹を蹴飛ばした。
さっきから其処ばかりを蹴られている。
多分、青痣になってしばらくは消えないだろう。

三蔵が帰って来たら、なんて言えばいいだろう。
きっと彼には嘘なんて通じないから、何を言っても、結局真実に辿り着いてしまうのだろうけれど。



「ほら、どうだ?」



ぐい、と。
僧侶は悟空の大地色の髪を掴んで、上向かせた。

いつも爛々と光る金瞳は、朦朧としている。
それでも奥に灯る炎は消えていなくて、僧侶達を睨み付ける。
それは僧侶達の中にある加虐心を煽る。


ガ、と音がした。
発生源が自分の頭だったので、まともに聞こえなかった気もするが。

掴まれていた頭を床に叩きつけられたのだと、朦朧とした頭で思い当たった。
頭と言うのは大事な部分が色々詰まっている。
これで何かしら弊害があったとて、目の前の彼等は構わないのだろう。
自分は、盛大に困るのだけど。



(畜生────……)



札一枚で身動きが出来なくなる自分が悔しい。
一瞬でもそんな隙を見せてしまった自分が悔しい。

思えば思うほど、下唇を強く噛む。
切れてしまうかも知れないけれど、もうとっくに口端から血が零れているから今更気にする事はなかった。


こういう事をされる度に、やっぱり三蔵は優しいんだと、場違いな事を考える。
だって彼はどんなに怒っても、ハリセンや拳骨の一発で済ませてくれるのだ。
それから怒鳴りつけて、睨みつけて、最後は頭を撫でてくれる。

怒るのは、心配してくれるから。
殴るのは、心配してくれるから。

言えば沸いてるのか、と呆れたように呟かれるのだろうけれど。



「ほら、余所見してんじゃねぇよ」



余所見なんてしてない。
いつも彼を見てるだけ。

ズキズキと無遠慮な痛みが鬱陶しかった。
蹴られた腹の感覚は麻痺していて、嘔吐感も何処か遠くに消えた。
ただ頭の奥で手を差し伸べる太陽だけが、何処かクリアだった。



「意識が飛びかけてるな」
「まだ寝るんじゃねぇよ」
「これからもっと楽しい事するんだからよ」



クク、と笑い声さえも聞き取れなくなってきた。

服の襟に僧侶の手が伸びて、もう一人がズボンのベルトに手をかける。
何をされるか判らなかったけれど、本能的に危険を感じた。





屈してたまるか──────







その一心で、彼等を睨みつけ。












……その向こうにある、太陽を見つけた。






















「随分楽しそうだな」





凛とした、はっきりとした怒気を含んだ声に、二人の僧侶の顔が一気に蒼くなった。
悟空はぼんやりとした金瞳で、彼等の後ろに立つ者を見ている。
心なしか安堵したような表情で。

上擦った声を漏らしながら、二人の僧侶は振り返る。



「おい猿、起きろ……──────」



言った三蔵の視線が、悟空の腕に向けられた。
其処にあるのは、対妖怪人間共通の不動術の札。

成る程な、と小さく呟いて、三蔵はちらりと顔を真っ青にしている僧侶を睨む。



「退け」



一言それだけを言えば、僧侶は悲鳴を上げながら部屋から跳び出て行った。
それに対してそれほどの興味を持つまでもなく、三蔵は悟空に歩み寄る。

腕に張られた札を剥がし、小さな身体を抱き上げる。


悟空の身体の見える場所は、殆ど隙間なく痣が出来ていた。
一週間ほどは消えないだろう。

痛みと共に熱が発せられて、悟空は開け放しの窓から入って来る風が寒く感じた。
小さく震えていると、三蔵がそれから隠すように腕の中に抱き込んだ。
其処から伝わる温もりが心地良くて、悟空は知らぬうちに笑みを漏らしていた。



「暢気に笑ってんじゃねぇよ」
「……わぁってないよ……」
「呂律回ってねぇぞ」



ベッドに下ろされて、顎を掴まれる。
口を開けろと言われる前に、悟空は素直に口内を見せる。

チ、と小さな舌打ちが聞こえた。
案の定、切れていたらしい。
蹴られるわ殴られるわ、床に叩きつけられるわで、歯が折れていないのは幸いだったか。


予告もなく、呼吸を奪われる。
酸素がなくなるのは苦しかったけれど、体中が痛いから抗うことも出来ない。

口内を蹂躙する舌が、時折傷口に当たった。
ぴく、と自分の身が竦んだのが判った。
消毒のつもりなのだろう、三蔵は丹念に其処を舐める。



「……っふ………ぅ……!」



ふるふると震える身体を、三蔵は壊れ物を扱うように抱く。
決して放すまいと強い腕ではあったけれど、身体の痛みは殆どなかった。



「……ぁ……」



唇が離れると、銀糸が残る。

ようやく解放されて、悟空は必死に酸素を取り込む。
然程長い時間の口付けではなかったが、事前準備がなかった所為で予想以上に苦しかった。
それは、今に始まったことではないけれど。


三蔵は酸素を取り込んでいる悟空を抱き締め、赤子をあやすように背中を叩く。
悟空はこうされるのが好きだった。
子供扱いであるとは、まだ判らない。



「痛むか?」
「……んーん」



小さく首を横に振った。
今はそれだけが精一杯。

その返事に偽りはない。
先刻まで確かに、身体の痛みはあったのだけれど、今はもう微塵もないと言っていい。
体中の骨と言う骨が、内臓が、悲鳴を上げていたけれど、もうなんともなかった。



「無理すんじゃねえよ」



くしゃくしゃと撫でる、大きな手。
それだけで悟空は酷く救われるような気がするのだ。



「冷やした方がいいな」



熱を持ち始めている傷に触れながら、三蔵は呟いた。
けれども悟空は、小さく首を横に振る。

三蔵は顔を顰めたが、特に何も言わなかった。
予想していたのか否か、悟空にはよく判らなかった。


けれど、三蔵が傍にいてくれるなら、此処から離れないなら、どうでも良かった。



「……お前が寝たら、必要なもんを取りに行くからな」



それは包帯だとか、冷やした手拭であるとか。
悟空は三蔵の言葉に頷いて、真っ白な法衣に擦り寄った。
僅かに血がついてしまったけれど、怒られなかったから、それに甘えることにする。

ふと随分早く帰ってきたんだなと思い立ったけれど、きっとまた煩く呼んでいたのだろうと思う。
これが初めての事ではないし、ただやっぱり迷惑をかけたんだなぁと思った。


三蔵は悟空の頭をくしゃりと撫でる。
その手はいつものように心地良くて、自然と笑みが零れるのが判った。

眠らなければ、きっと三蔵はずっと傍にいてくれるのだろう。
でも────疲労と、安心と、やっぱり、眠いかも知れない。



「……寝やがれ」
「…………まだ、やだ」



口ではそうは言うけれど、瞳は徐々に閉じられようとしている。

それでも、最後の抵抗のように。
悟空は動かぬ腕を無理に動かし、三蔵の手を掴まえる。








……そして、そのまま、

まどろみの中に意識を手放した。























ふわふわと意識を飛ばしてしまった悟空を、三蔵はじっと見つめていた。
最後に掴まれてしまった手はそのままで、子供ながらのバカ力で手放される様子はない。

先程言った通り、眠ったら必要なものを取りに行くつもりであった。
しかし掴まれた手は解放されそうにないし、振り払えばきっと目覚めてしまうのだろう。
妙なところで、悟空はそういった気配に目敏かった。



「……ったく……」



呼ぶ声が相変わらず煩かったから、早く切り上げた。
今回はそれが、本当に幸いだったと思う。

帰った途端に見た光景に、身体の熱が一気に沸点に上りあげたのがわかった。
元々自分の沸点がかなり低い位置にある事は自覚している。
その場にいた二人を即撃ち抜いてやろうかとも思ったが、あの位置からでは悟空に血が被るので止めた。
後でそれ相応の───それすら生温い───罰を与えなければならないだろう。


だが当面は、必要な物を取りに行くのも、彼等に罰を与えるのも、後回しになりそうだ。



「……ガキが」



次の仕事は連れて行った方が良いだろう。
何処に行くかは判らないけれど、此処に一人で待たせるよりは安全だろう。

……呼ぶ声が煩いからだ、と誤魔化しながら。







掴まれた、その手。
まだ幼い、その手。

それを護りたいと思うようになったのは、一体いつからだっただろうか。



















この手を放すことが

あってはならないと




この手を喪うことが

あってはならないと









だから必死で伸ばしてる手を

掴もうとして、掴まえようとしている手を



護りたいと思うようになったのは、一体いつからだっただろう









きっとそれほど遠い昔ではない筈だ
















FIN.




後書き