if it snows ....









雪が降ったら










二人で見にいけたらいいね




























「那托、なぁコレ見て見て!」



ぱたぱたと軽い足音を立てながら駆け寄ってきたのは、悟空だった。


たった一人の、同い年の友達。
いや、互いの正確な年齢は自分たちさえ知らないので、同じかどうかは定かではない。
けれども、同じ年頃である事は相違ないだろう。

悟空の背は小さく、那托もさほど大きくはない。
成長したらどっちの方が高くなるのか、今から密かな楽しみだった。


駆け寄ってきた悟空の手には、一冊のアルバムらしきものが抱えられている。



「どした?」
「あのな、コレ!」



傍まで来て、悟空はアルバムを開く。
それは一種の写真集だった。

おそらく下界のものだ、書庫と化している天蓬元帥の部屋から持ち出したのだろう。
悟空は時々、こうやって彼の部屋から、何かしら本を引っ張り出してくる。
それは大抵が絵本なのだが、稀にこういった変わった物も持って来る。



「ちょっと待ってな……」



言いながら、悟空はアルバムのページを捲る。
ページの紙は厚紙で出来ている為、ぱらぱらとは捲れなかった。

那托はその様子をじっと隣で見ているだけだ。


下界にいたと言うのに、悟空は知らないことが多い。
子供特有の無知であることを引いてみても、それは余りある程だ。
まだ那托の方が事を弁えているといっても良い。

だから那托は、悟空が放って置けなかった。
どうにも、ふわふわした感のある悟空を、自分が守らなきゃ、と思うほどに。

言えばきっと、悟空は「那托の方がふわふわしてる」なんて言い出しそうだけれど。



「あ、あった! コレ、コレ見て!」



ようやっと目当てのものを見つけた悟空が、嬉しそうに那托の服裾を引っ張る。
軽くお預けを喰らう姿勢になっていた那托もまた、なんだろうとアルバムを覗き込んだ。










そこにあったのは、

一面の、白。











那托はそれを見た事があった。
いつだったかは覚えていないけれど、下界に遠征に行った折、一度だけ。



「ああ、雪じゃん」
「那托、知ってんの?」
「見たことあるよ」
「スゲー! いいな〜!!」



何が凄いんだかいまいち判らないが、子供達はそんな事は気にしない。
凄いと言われて、那托だって悪い気はしなかった。



「一回だけだけどな。凄かったぞ、ぜーんぶ真っ白でさ!」
「いいなぁ、いいなー! オレも見たいー!」



悟空があまりにも目を輝かせるものだから、那托も気持ちが高揚してくる。



「全部!? 全部真っ白!?」
「おう、ぜーんぶ白かった! 地面も、山も、木も、ぜーんぶ白!」
「遠くの山も?」
「ああ、白かった!」



アルバムの写真の中の一枚。
その雪景色も、確かに一面が真っ白だった。

けれども那托は、これよりもずっと白かったのだと言う。
多少の誇張はあれども、那托の記憶に残っている白は、鮮明なものだった。
悟空はせっついて、話を聞きたがっている。



那托が地上に降り立った時は、既に雪は止んでいた。
大人の身長並に積もった白銀だけが、静かにその空間を満たしていたのだ。


其処に降りた瞬間、那托は一瞬、何故下界に降りたのかさえも忘れそうになった。
何処までも続く白は、綺麗で、眩しくて。
雲の切れ間から差し込んできた陽光を反射させ、輝いてさえ見えたものだ。


歩を踏み出せばそれは軽く沈んで、浮かせるとくっきりと跡がついた。
ぎゅ、ぎゅう、と歩く度に音がして、時折深く足を取られて埋もれてしまう。

那托も実物を見たのはあの日が初めてだった。
一体どんなものなのだろうと素手で触れると、冷たく、それは後で悴んで痛みを運んできた。
雪に塗れてしまった服は後から水を吸って重くなった。



何もかもが初めてだった。






あの、純白そのものが。






目が痛くなるくらいに白かった。

帰ってきて見れば、意外と日焼けが酷くて驚いた。
空からの陽光は、確かに雪の白に反射したけれど、それほど強くはなかったと思うのに。
雪焼けというものだと聞いたのは、随分後の話だ。



「そんなに白いの?」
「白い!」



あんなに綺麗な白は、あの日まで見た事がなかった。

部屋の壁のような、無機質な白ではない。
絵の具のように、交じり合うような白ではない。
空の雲とも、また違う。


他の何も浸食のできない、白。



「お前、見たことないの?」
「うーん……」
「下界にいたんだろ?」
「あんま覚えてないからなぁ……」



悟空は、此処に連れてこられるまで下界にいた。
けれども、その頃の記憶は今は曖昧になっているらしい。

生まれたばかりの赤子のようなものだ。
悟空は殆ど、今の姿で生まれたけれど、年数を考えれば無理はなかった。
時間が経つに連れて霞になっても、無理はないだろう。



「あーあ、勿体無いな、オレ」
「そうだなぁ」



そんなに綺麗なら覚えていたかった、と。
本当に見た事もないのかも知れないけれど、悟空はそう思わずにはいられなかった。


初めてこの写真を見た時の驚きと、那托の話を聞いている時の心の躍動と。
それは決して誤魔化せるものではなく、寧ろ好奇心を煽られる。

見た事がないものは、見たい。
知らないものは、知りたい。
ごくごく自然な欲求だった。



「なぁ、見れないかなぁ」
「どうかな。下界の季節にもよるし……」



那托は先日、遠征で降り立った。
けれど、季節は暖かくなり始めた───恐らく、春先であったと記憶している。

悟空の希望もむなしく、雪降る季節は過ぎてしまったのだ。


写真で見る白も綺麗だけれど、やはり百聞は一見にしかず。
那托と同じものが、悟空も見たかった。

けれど季節は過ぎ去り、あと一年しないと、再び雪はやって来ないのだ。



「……ちぇー……」



心底残念そうにしている悟空に、那托も表情を曇らせる。
その顔に、先程の興奮していた様相は欠片もなかった。

悟空が那托と同じものを見たいと言うように、那托も悟空と同じものが見たかった。
同じ場所で、同じものを見て、互いがいたら、こんなに嬉しい事はない。
一人で見ても綺麗だったあの白は、きっともっと綺麗に見えるに違いない。


けれども、子供達のそんな願いは叶わない。



「見たかったなぁ、雪」
「俺ももう一回見たいな」



アルバムの中、四角く切り取られた真っ白な世界。
これの、もっともっと広い、白い世界を見てみたい。

二人で、手を繋いで。


那托の記憶の中にある雪は、とても冷たかったし、寒かった。
だけど隣に悟空がいてくれたら、そんなもの、きっと気にもならない。

手を繋いでいれば其処から熱が分けられるし、その熱は全身に行き渡る。
与え、与えられるそれは、一緒にいなければ出来ないことで。
同じ場所で、同じものを見て、手を繋いでいられたら、こんなに嬉しい事はない。



「……でも、しょうがないよな。季節が過ぎちゃったから」
「来年だったら見れるかな?」



諦めたように呟いた那托に、悟空が言う。
こちらはやはり、そう簡単に諦められないようだ。


けれど如何な神と言えど、天候まではどうにも出来ない。
季節外れの雪なんて早々ないだろう。
あったら、何に置いても、目の前の親友を引っ張って下界へ降りるのだけど。

来年になったら、確かに見れるかも知れない。
けれど一年と言う月日は、短いようで、待つ身となると酷く長いのだ。



だから、せめて。









「降ったら、二人で見に行こうな」









約束、だけでも。