if it snows ....








子供二人が廊下で騒いでいるのを見つけたのは、捲簾だった。







捲簾は相変わらず腰に酒瓶を下げて、暇を持て余していた。
旧知の部下は本に没頭しているし(何より、自分が行ったら部屋の片づけを手伝わされる。それがイヤなのだ)。
気難しい不機嫌な男の所には用事がないから、早々軽い気持ちで出入りが出来ない。

部下の稽古に付き合うのも疲れたし、花見をしたい気分でもない。
これが下界の桜であるなら、少し気分も変わったかも知れないけれど。


あまりウロウロしていたら、口煩い誰かに見付かるかも知れない。
例えば西海竜王だとか、口ばかり達者な嫌味な文官だとか。

暇とはいえ、流石にそれらの小言に付き合うつもりはない。



其処まで来て、そういえばあの子供はどうしただろう、と思った。
大抵保護者である不機嫌な男の所にいるのだろうけれど、構って貰えなくて拗ねて飛び出す事はよくあるらしい。
だとしたら、何処かでばったり逢ったりしないだろうか。


軍大将と言うより、ガキ大将だと天蓬に言われた事がある。
確かに、あの子供と一緒に遊んでいると、そんな気はしてくる。
だって楽しいのだ、そうしている時の方が。

これでも長く生きているのだから、命あるものの汚さは知っている。
知っているけれど、其処で何もかも諦めてしまったら詰まらないだろう、とは捲簾の自論だ。



つらつらと大して実にならない事を考えながら、捲簾は館の廊下を歩いていた。

その廊下は別館との渡り廊下で、視界を遮断する白い壁はない。
すぐ戸なりは中庭で、それを挟んで遂になる渡り廊下が向こう側にある。
当然、向こうも、廊下そのものの姿を隠す白い壁はなかった。


だから向こう側に誰かがいたら、すぐに判る。



誰かいないか、と捲簾がそちらを向いたのは、偶然だ。
だから其処に誰もいなくても、無理はなかった。


けれど、見付けた。




無邪気な子供が二人、笑っているのを。




悟空と那托だ。
はっきりと姿は確認できなかったけれど、直ぐに判った。
格好からしても、背の高さからしても、彼等以外にいない。

彼等があまりに近付き過ぎることに、保護者はいい顔をしなかった。
けれども、別にいいじゃないかと捲簾は思うのだ。



(……ダチとは、一緒に遊びたいもんな)



片や闘神、片や異端の子。
役職と保護という名のもと、監視されている子供達。

他にいない友達同士だというのに、彼等は滅多に逢えないのだ。
それについて、彼等が自ら何か言って来た事はないけれど、心中はどんなものなのか。
たまに逢えた時の喜びは、きっと自分たちが思う以上のものだろう。


悟空を見つけたら遊び相手をしようと思っていたのだが、此処は自分の入る幕ではないだろう。



(それにしても、ほんっとに楽しそうだな、あいつら)



自分たちが昔どうであったのか、最早捲簾には判らなかった。
きっと彼等のような時が、自分たちにもあったのだろうけれど。



(……なんの話してんのかね)



この天界で、子供達が面白がるような話は滅多にない。
探せば確かに何か有るのだろうけれど、早々転がってはいないだろう。

ただ幼い子供達からすれば、何もかもが珍しいのかも知れない。


悟空は天蓬から色々聞いているようだけれど、それでもまだまだ世間の事を知らない。
那托は閉鎖的な環境で育ってしまったからか、やはり世界が狭い。
なんとなく那托の方がしっかりしているようにも思えるが、大人からすればまだまだ、同じぐらいだ。

互いしか知らない事を聞いては、もっともっと知りたがる。
好奇心旺盛な子供は、時として大人達が困るような事まで知りたがったりもする。

これでまた悟空が何かしら聞いて、それを保護者に伝えたら、彼はどんな顔をするだろう。
彼も大概世間知らず(というか、興味がないのか)な感があるから、よく当惑していた。
最近は、流石にもう慣れてきたようだったけれど。



(……ちょっと聞いてみるか)



決めるが否や、捲簾の行動は早かった。
もともと暇を持て余していたのだ。

中庭との仕切りとなっている柵に、捲簾は足をかけて乗り越えた。
話に夢中になっている子供達は、捲簾の存在に気付いていない。






捲簾も、子供と負けず劣らず好奇心旺盛だった。







二人の会話が聞こえてくる場所で、捲簾は足を止めた。
中庭には池があり、その周りに大きめの岩が添えられている。
その岩陰に、捲簾は隠れた。

傍から見れば怪しいだろうけれど、この場にいるのは、捲簾と二人の子供達だけだ。
他の人も通る様子はないし、気兼ねはいらない。


そっと子供達を伺ってみると、悟空の手には大きめの本が広げられていた。
恐らく、天蓬の部屋から持ち出したものだろう。



「そんなに白いの?」
「白い!」



先の声は悟空で、後が那托だった。
那托のその言葉に、悟空の金瞳が一層輝くのが判った。



「お前、見たことないの?」
「うーん……」
「下界にいたんだろ?」



あんまり覚えていない、と言う悟空の声が聞こえる。


下界の話。
悟空は生まれたのは下界だが、其処であった事はあまり覚えていないらしい。
ぼんやりと記憶に残ってはいるようだが、細かい部分は曖昧だった。

だから下界で見聞きしたものの殆どは、今は記憶の海に埋もれている事も多い。



「あーあ、勿体無いな、オレ」



悟空がそう思うのも無理はないだろう。
天蓬や捲簾が、下界で見たものを話てやる度、悟空は言う。
そんなに凄いのなら、ちゃんと覚えていたかった、と。

いつか見せてやる、と何度も約束したのを覚えている。
ちゃんと果たす事が出来たなら、そしてあの笑顔が見れたなら、こんなにも嬉しい事はないのだけれど。



「なぁ、見れないかなぁ」
「どうかな……」



季節にもよるし、と那托が言う。

未だに捲簾は、二人が何の話をしているのか判らない。
判らないけれど、二人が何かを羨望している事は判った。


季節は、どうにもならない。
今下界は、確か春だった。

下界の桜が咲いたら、悟空に見せてやりたい。
この天界の桜とは違う生き様を、あの幼子に見せて、感じさせてやりたかった。
けれどそれさえ、叶えられるかどうか────……




……気持ちだけは、いつだってあるのに。





「……ちぇー……」



心底残念そうな、悟空の声。
見れば、那托の表情にも翳りが生まれていた。

先程まであんなに興奮していたのに、今はその欠片も伺えない。


あんな顔は、正直、見たくない。



「見たかったなぁ、雪」
「俺ももう一回見たいな」



二人は悟空の手にある本を見下ろしながら、呟いた。

ああ、と捲簾はようやく知る。
多分あの本は、下界の風景写真か何かのアルバムだろう。
天蓬の部屋の片付けの時、そんなものを見た気がする。


雪は捲簾も嫌いではない。
部下を相手に雪玉をぶつけ合った事だってあるし、雪だるまなんてものも作った事がある。
何処までも冷静な旧知の友人は、呆れた顔でそれを見ていただけだったけれど。


遠征の折に那托は見た事が有るのだろうけど、きっと“見た”だけだったのだ。
一緒に遊べる人もいなかったし、きっと“見て”“感じる”のが精一杯。

悟空は見た事がないらしい。
子供が知らないものを知りたがるのは当たり前の事だ。
そして綺麗なものが好きな悟空が、見たいと言い出すのも。



(雪、か………)



季節が過ぎたんだから、と諦めるように呟く那托と。
来年だったら、と諦めきれない悟空の声。


神だと言われている自分たちだけど、天候まではどうにも出来ない。
天界は年中春で、下界も雪の季節は通り過ぎてしまった。

来年になったら、雪が降ったら。
それでも彼等が一緒にそれを見れるかどうか、確かな保証は何処にもない。



だけど、せめて。










「降ったら、二人で見に行こうな」











その願いだけでも、叶えたくて。





































……拙い、願いさえも







「天蓬、ちょっといいか」
「はい?」







彼等は赦されなくて







「ちょっと手伝って欲しいんだけどよ」
「……また何を仕出かす気ですか、あなたは…」
「悪いようにはしねぇって」






ただ望むままに声を上げることも







「金蝉、邪魔するぜー」
「……猿ならいねぇぞ」
「知ってる、中庭の方で見たし」







容易ではなくて







「ちょっと人手がいるんだわ」
「……部下使えばいいじゃねぇか」
「それが、そうもいかないんですよ」








…………でも子供のわがままは










「俺らじゃないと、叶えてやれないんだよ」













聞いてやるのが、大人の義務だ