刻が過ぎても






始まりは終わり



終わりは始まり






だから、ほら










笑ってよ。




























嗅ぎ慣れないこれは、下界の年越しの時に食べるものらしい。



一体何処から仕入れてきたのか、天蓬と捲簾はひょっこり顔を出すと、部屋にそれを持ち込んできた。
おそらく天蓬の部屋の何処かに転がっていたのであろう、七輪と一緒に。

最初は不思議がって騒いでいた子猿は、今はすっかり大人しくなっている。
立ち込める香りに心奪われているようで、鼻をひくひくさせて目の前の白餅をじっと見ている。
其処まで見てもどうせ胃に収まるのだろうに。
大方、始めて見るものが珍しくて堪らないのだろうけど。


煙が立ち込める事を気にして、外は寒いというのに窓は開け放たれている。
確かに、部屋中が煙で覆われてしまうよりは幾らかマシだ。
マシだが、金蝉としては寒いのも御免蒙るところだ。

それなのに旧知の食えない友人と、子供のような男を追い出せないのは、子供がいるから以外に他ならない。



「やっぱ磯部かなー」
「砂糖醤油もいいですよ」
「……それ作るのは俺なんだろ、どうせ」



七輪の火を団扇で扇いでいる捲簾と、それを横で見ている天蓬。
悟空は二人の会話など聞こえていないかのように、只管餅に見入っている。


彼等に何を言った所で、聞くわけがないのは承知済みだ。
天蓬は心の限りにマイペースだし、捲簾も我が道を行く。
他人の迷惑を顧みて、それを考慮して動くような芸当は持ち合わせていない。

それを言うなら、今瞳を大きく開いて輝かしている子供も同じ事。
こちらは子供特有の奔放さで、周りを振り回して止まない。



「金蝉は何食いたい?」
「……別に、どうでも」
「相変わらず詰まんない人ですねぇ」



折角の正月なのに、と天蓬は呟く。

正月と言っても、天界にそういった風習はあまり目立たない。
下界の季節に合わせた行事は幾つかあった気がするが──……興味が無かったので、覚えていない。



「悟空は楽しみですよね」
「うん! すっげー美味そう!!」



……会話が擦れ違っているのは今更だ。


天蓬も承知して声をかけたのだろう。
返事があった事だけでも満足らしく、いい子ですね、と大地色の髪を撫でている。

天蓬の手が離れると、もうちょっと待ってろよ、と捲簾が言う。
それにもまた笑顔で頷くと、気を良くした捲簾が悟空の頭を乱雑に掻き乱す。
痛い、と言った悟空だったが、その表情は楽しそうだった。


やや時間が経ってから、餅がふっくらと膨らみ始めた。
その様に、悟空の瞳がまた輝きを増す。



「ね、ね、なんかおっきくなったよ!?」
「餅はこういうものなんですよ。捲簾、ひっくり返しましょうか?」
「んー……もうちょい」
「おい、灰落とすんじゃねぇぞ」



騒いでいる悟空が七輪を倒したりしないか。
金蝉にとっては、とにかくそれが心配だった。

先刻から悟空の興奮は高まるばかりで、子供はそれと一緒にぴょんぴょん跳ねる。
他人からしてみれば微笑ましい光景だろうが、此処は金蝉の私室だ。
灰の片付けだとか、床に火の焦げ跡がつくなんて事は止めて貰いたい。




そもそも、こういう事は外でやるべきだ。
それを室内でやる事をうっかり許してしまったのは、金蝉だった。



夜半に顔を出すなり、彼等は餅を焼こうなんて言い出した。
主の意向を聞く前にさっさと準備を始める二人に拳骨を落としたのは、まだそれほど前のことではない。

が、外は風が強くて、特に子供には応えるだろう、と天蓬に言われた。
明日になってからすればいい、と金蝉は言ったが、それに負ける彼等ではない。
もう準備は済ませてしまったし、と捲簾は言ってのけた。


それだけならば、追い出す事も出来た。
出来なかったのは、見上げて来る子供の存在があったからだ。


服を引っ張る悟空を見下ろしてみれば、これでもかと言わんばかりに輝いた瞳で見上げて。
これと同じような事が前にもあったように思うのは、きっと気の所為ではない。
確かしばらく前の天帝の生誕祭でも、同じようなやりとりをしたと記憶している。


子供の悟空が、ああいった場で大人しくしていられるとは思えない。
だから最初、金蝉は悟空一人を留守番させるつもりだった。

それなのに同行を許してしまったのは、この瞳の所為だ。
何を何処まで期待しているか、それは金蝉には判らない。
判らないが、あまりにも真っ直ぐに見つめてくるものだから、つい───……


……今回もそれと同じだ。

おまけに。




「……こんぜん」







………甘えるような声で名前を呼ぶから。






この事が観世音菩薩に知られたら、何を言われるか。
人をおちょくるのが好きだから。

後で悟空に口止めさせておいた方がいい。
彼女(?)に妙に気に入られているらしい悟空は、時々彼女のもとへ行っている。
その折、見聞きした事、日頃の出来事を話して聞かせているのだ。
いつであったか、悟空に手を引かれているのを見られた時も、後で散々揶揄われた。


ちら、と金蝉は七輪を覗き込んでいる悟空を見遣る。
その表情は子供らしく、生き生きとしていた。



「なぁ、いつ食えるの? オレ、もうお腹空いた」
「おめーはいつだって腹空かせてるだろ」



こん、と捲簾の拳が軽く悟空の額を小突いた。
悟空は待ちきれない様子で、今度は天蓬の方を見上げる。



「その前に、悟空はどうやって食べたいですか?」
「? なんかあんの?」
「ええ。例えば……」



薀蓄ではないだろうが、こういう説明を好んでするのは天蓬だ。

色々な話を聞くたび、悟空はもっともっとと知りたがる。
好奇心から来るものもあるだろう。
絵本以外の書物を読むのは、まだ抵抗があるようだが。


また悟空がそうやって驚いたりするから、天蓬も話甲斐があるのだろう。
何処までも素直な反応を示す悟空が、どうにも可愛くて堪らないらしい。

まぁ、金蝉では大した反応は期待できないだろうし。
捲簾も下界であれこれ聞いて知っている事は多いだろう。
となると、どうしても話をする対象は悟空に限定される。

だがそれを差し引いても、天蓬は悟空を溺愛しているようにも見える。



「なんかどれもうまそー……全部食いたい!」
「この人数でそれはちょっと難しいですねぇ…」
「そうなの?」
「餅の数がこれだけしかないからなぁ」



残念そうな悟空を、捲簾と天蓬は頭を撫でてあやしている。
けれど、悟空の表情はどうにも諦めがたいものになっている。

はぁ、と溜息を吐きながら、金蝉は歩み寄って、子供の頭を撫でてやった。



「他のは今度でいいだろう」



だからワガママを言うな、と。
すると悟空は眉を寄せたが、素直に頷いた。

二人の様を見た捲簾と天蓬が、顔を見合わせて笑う。



「……なんだ」
「いや」
「なんでも」



金蝉が睨めば、二人はついと視線を外す。
しかし震える肩がまだ笑っている事を示していた。


面白がられているようで腹は立ったが、金蝉は特に何も言わなかった。
子供はちゃっかり、金蝉の腕の中に納まっている。
だから金蝉も、何も出来ずにいるのかも知れない。

しかし、金蝉にそういった自覚は無い。
だから余計に、捲簾と天蓬には面白いのだ。
偏屈で無愛想だと評判の男が、こうまで変わってしまうのだから。



「腹減ったぁ」
「我慢しろって言ってんだろ……」



お決まりの悟空の台詞。
ソレに対して、金蝉は素っ気無い台詞しか言わない。

悟空も悟空で、返って来る言葉が決まっているのは判っている。
判っていて声をかけるのは、返事があるだけでも嬉しいからだ。
あれは甘えているのだ。



「なぁ、まだ?」
「もういいんじゃないですか?」
「そうだな……天蓬、皿」



金蝉の腰にくっついたままで、悟空は催促する。
そんな可愛い子供に笑いかけながら、捲簾は更に餅を取った。


一度保護者にくっつくと、悟空は中々離れようとしない。
機嫌が悪いとそれさえ振り払われる事を知っている。
仕事中も、邪魔になるからと許されないのも。

だから悟空は、甘えられる時に目一杯甘える。
まるで、その温もりを捕まえるようにして。



「ほら、このデカイのがお前の分な」
「うわっスゲェ!」
「慌てて食べちゃ駄目ですよ。死んじゃいますから」
「え!?」
「まぁ間違っちゃいないけどよ…」



笑顔で怖い事をさらりと言う天蓬に、悟空がひっくり返った声を上げた。


天蓬の一言をそのまま受け取ってしまったらしい。
悟空はおそるおそる、箸で餅を突いている。

その様がまた可愛くて面白い。
だから天蓬は、余計な一言まで付け足して事を教えるのだろう。


食べたいけれど、言われた一言が気になって食べれない。

悟空は似合わないのに、眉根を寄せている。
そんな子供を見兼ねてか、捲簾が笑って。



「喉詰まらせたら死ぬってだけだよ。ちゃんと噛んで飲み込めば問題ねぇさ」
「……ホント? ホントに? 死なない?」
「…死なねえよ。なんでもかんでも、そのまま受け取るな」



言いながら金蝉は、悟空の皿の上の餅を細かく切り分けている。
一口サイズにしてしまえば、目立った問題は解決される。

その上で、金蝉はゆっくり食えよ、と注意している。



「伸びるー」
「餅だからな」



みよーん、とそんな擬音でもありそうな餅に、悟空は面白そうに笑う。



「伸びるから、喉に詰まると取り出せないんですよ。だから、気をつけてくださいね」
「一気に食ってるのも見てて気持ちがいいんだけど、こればっかりは、な」
「ん、判った」



素直に頷いて、悟空は餅を飲み込む。
いつもよりもゆっくり食べているその様子は、見ていて少し新鮮だ。
だっていつも、誰かと競争しているような勢いで掻き込むから。

これを機に少しは大人しくしてくれないだろうかと、金蝉は思う。
行儀がなっていないのは子供だから許すとしても、世話が焼けるのだ。



「切れない……」
「引っ張れ引っ張れ。伸びきっちまえばその内切れる」



初めての餅に四苦八苦している子供。
それを見ながら、やはり手間がかかるか、と金蝉は心中呟いた。

どうせどうなっても、悟空は手間がかかるのだ。
そして面倒臭いと思いつつ、それを嫌がっていない自分がいる。
だから悟空が子供である限り、今の状況は変わらないだろう。


事実、腕の中に未だに納まっている子供を、煩わしいと思わない自分がいる。


悟空はすっかり、餅が気に入ったらしい。
食べる事に夢中で、大人達の話など聞こえていないようだ。



「あー…酒持ってくりゃ良かったなぁ」
「珍しいですね、持って来なかったんですか?」
「……ガキがいるんだ」
「…こーいう事」



金蝉の一言に、捲簾は肩を竦める。


悟空のいる中で酒を飲んだ事はある。
それだけなら、金蝉も特に問題視しなかっただろう。

しかし以前、桜の下で宴会をした時、悟空が飲んでしまったのだ。
免疫などない悟空は、当然ほんのちょっと飲んだだけで酔い潰れた。
終いには翌日、二日酔いなんて事になり、捲簾はこってり絞られたのだ。

それ以来、悟空がいる時に酒は飲んでいない。


物足りなさそうな顔をしている捲簾だが、悟空の事となると彼も逆らわない。



「でっかくなったらお前も飲めるようになるかもな」
「う?」



いつの事か判らない事を言う捲簾に、悟空はきょとんとした瞳を向ける。
話が聞こえていないので、捲簾が言う事の半分が判らなかったらしい。



「お酒解禁は20歳ですから……あと何年でしょうかねぇ」
「10年はいるだろうな」
「……何が?」
「未来の話だよ」



捲簾の言葉に、悟空はふぅん、と言っただけ。
それからまた直ぐに、意識は餅の方へと持って行かれてしまった。


そんな悟空の大地色の髪を、金蝉がくしゃくしゃと撫でる。
悟空は素直にそれを甘受している。

あまりにも自然すぎる、その光景。



「10年か……背、どれだけ伸びてると思う?」
「そりゃ10年もあれば、結構変わってるんじゃないですか?」



二人の話を聞きながら、金蝉は腕の中の存在を見下ろす。
それに気付いてか、それとも偶然か。
金色の瞳が、ひょこっと上を見上げる。

そうすると、自然と金と紫闇とが交じり合う。






「………ねぇな」





ぽつりと呟かれた金蝉の言葉。
悟空はそれに首を傾げ、捲簾と天蓬は声の主に目を向けた。


─────確信があった。
その根拠は何処にもないけれど、それでもこれは確信だ。

ない、という確信。
10年経っても、悟空がどれだけ背伸びしても。
真っ直ぐ見上げる瞳がなくなる事はない、と。



「……このまんまだろ」



悟空の背が伸びても。
この長い髪がまた伸びても。
もっと顔の位置が近くなっても。

これは確信だ。
変わらないと。



「どうせお前等だって、そう簡単にゃ変われねぇんだろ」
「……まぁ、そうだな」
「…これ以上は、変わりようがないと言うか」



長く生きてる訳ですし、と。
それは金蝉とて同様だ。
これ以上の変化は、もうないだろう。

だから。
例えば子供が、大人になっても。









「このままだ」









見上げて来る瞳も。

腕の中の温もりも。



きっと、このまま。