- maya -















羽根が舞う



白い羽根が





空から落ちて儚く舞う























キミの哀しみを風にして





















悟空は時々、“在らぬ者”まで拾ってくる事がある。
それは感受性豊かな子供らしさを考えれば、無理もないのかも知れない。
事実悟空はそういう事を判っていないようで、区別がついていない感がある。

無邪気に見上げて、其処にいるんだと指差す先。
確かに、指し示すものは其処にあるのだが、三蔵はそれにどう反応して良いかいつも悩む。


見えない訳ではない。
それが自分が坊主であるからなのか、偶然なのかは判らない。
坊主だなんだと言っても、見えない者には見えないから、恐らく後者なのだろう。

けれども悟空は必然的に見ているのではないだろうか。
“在らぬ者”であるとしても、それがこの世界に存在した欠片である事は確かなのだ。
大地が生んだ存在である子供が、その欠片を見てもなんら不思議はないのかも知れない。

全てが仮設になるのは、やはり不可思議な事だからだ。
はっきり判る事であったら、それはそれで、酷く納得行かない事のような気もするが。



幼い子供にはそういう時期があるのだと、今は亡き師から聞いたのを覚えている。
つい最近まで忘れていたのだが、悟空の拾ってくる回数があまりに頻繁になるから、思い出したのだ。


区別がつかないのも、幼い子供ならでは。
年を経て行けばそれを見る瞳は徐々に失われていく。
それでも見えるものは何時までも見えるのだが───……果たして、悟空はどうだろう。


区別がつかないだけなら、まだともかく。
悟空はどうやら見える上に、話が出来るらしい。
小さな猫が其処にいるのだと声をかけた後、「あ、返事した」と嬉しそうに笑っていた。
其処に何もないのに撫でる仕草をしたり、頬を摺り寄せて笑ったりした。

三蔵も見える事は見えるのだが、触れる事なんて出来る訳がない。
それは、其処に“在らぬ者”だという認識が邪魔をしているからなのかも知れないが。

悟空は当たり前にそれを受け入れる。
あまりにも、当然の事として。



その“在らぬ者”が人手に渡ることはない。
いつの間にかふらりと姿を消してしまうのだ。
自分のいるべき場所に行ったのかも知れない。

悟空は、まだそれが判らない。
しばらく探し回った後、淋しそうな顔で三蔵にくっついて、やり過ごすばかりだ。


言って良いのか否か、三蔵にはよく判らなかった。

真実を告げる事は簡単だ。
あるがままをそのまま喋ってしまえばいい。
それを躊躇うのは、無邪気に笑っている子供の顔があまりに鮮明だからだ。


好きにさせてやろう。
そう思うようになるまで、時間はかからなかった。






あんな事になるまでは。























「三蔵、三蔵!」



朝から晴天であった事を喜んでいた子供は、いつものように遊びに出ていた。
けれど、突然の雨ともなってしまえばそんな休日も終わりだ。

ばたばたと慌しい足音がして、扉を開く音。
仕事を終えて煙草で一服していた所に、外の大雨に負けず劣らず台風が転がり込んできた。


駆け込んできた子供を見遣って、三蔵はあからさまに眉根を寄せた。



「てめぇ……すぐ風呂入って来い!」



悟空は頭の天辺から爪先まで、見事に濡れ鼠になっていた。
気に入っていた緋色のチャイナ服も水を吸って重くなり、吸い切れなかった水は雫になって床に落ちる。
外でも裸足で遊んでいたのか、足元は泥で汚れて、ズボンも茶色でくすんでいる。

予想していたのか、それとも、気にもかけていないのか。
悟空は鬱陶しそうに張り付く前髪をかき上げながら、三蔵に駆け寄った。



「風呂はすぐ入るよ! 入るけど、それよりこいつ!」
「あ?」
「こいつも一緒に入れていい?」



真っ直ぐ見上げて来る瞳は、きっと却下の台詞なんて聞こえないのだろう。

悟空が犬猫を何処かで拾ってくる事は、そう珍しい事ではない。
特に大雨の日は、親とはぐれた動物を放って置けないからと連れて帰って来る。


けれども三蔵は、悟空の中を見て目を開く。

其処には確かに、弱って身を縮め、震わせている幼い仔犬がいる。
まだ生まれて間もない位の大きさのそれは、放って置けば弱ってその生命を止めてしまうだろう。
……本来ならば。



「猿…貴様、また面倒を……」
「な、お願い! こいつ死んじゃうよ!」



ぎゅ、と強く抱き締める幼い腕。
何があろうと、其処にあるものを手放すつもりはないらしい。

だから三蔵は、許可を出すしかないのだ。






たとえそれが、“命のないもの”だとしても。






風呂場へと駆けていった子供が閉じた扉。
それをしばし眺めてから、三蔵は溜息を吐いて煙草を咥えた。

慣れ親しんだ煙草の味。
それを一瞬でも不味いと思う時は、必ず面倒事が舞い込んだ時だ。
仕事が増えた時であったり、悟空が何かしら壊したとか、そう言う時に感じる味。


これで何度目だろうか、と降りしきる雨を見遣りながら思い出してみる。
前の大雨の時で六度目だったと思うから、これで七回目か。

水気の多い日は、そういうものが集まり易いと知っている。
だから川原の近くにも、そういう気配はよく彷徨っている。
恐らく今日は、その川原の近くで遊んでいたのだろう。



「……バカ猿が……」



吐き出した煙草が苦い。
そのまま吸い続ける気にならなくて、まだ半分もあるそれを灰皿に押し付けた。


取り合えず、格好だけでも付き合ってやらなければならない。
悟空には判らないのだから、それが“存在している”ように見せなければ。

“いる事”は三蔵にも判る。
悟空と決定的に違うのは、それが“存在しないもの”だと判ることだ。
これで“いる事”も判らなかったら、こうまでまだるっこしい事をしないで済んだのかも知れない。

だけど、自分には見えるのだ。
其処に“いる”のが。


またしばらく川原で遊ぶのは禁止にした方が良さそうだ。
こういう事があった後は、どういう訳か呼び込みやすいようだから。



「……なんで拾ってくるんだよ」



呟いてから、自分が言えた台詞ではないと自嘲が漏れた。

なんで面倒を拾ってくるのか。
けれど一番最初に面倒を拾ったのは、自分だ。



「…ペットは飼い主に似るとか言うが………冗談じゃねえ」



あれが自分に似る、なんて。
想像する事すら出来やしない。

だって自分とあの子供では、何も同じところはない。
意外と頑固な所は拾った頃からそうであったから、己の影響とかは関係ない筈。
あれは色々と天然な所があるから、きっとこういう所も天然なのだ。
同じ動物だから、きっと放って置けないだけだ。


屁理屈で自分を納得させてから、三蔵はタオルを取り出しに向かった。






風呂から戻ってきた悟空は、今度はお湯で床を濡らす。
腕の中には相変わらず仔犬がいて、三蔵は頭痛を感じる頭を抑えた。

いつもなら此処で「ちゃんと拭いて来い!」と怒鳴る所だ。
しかし今日はそんな気力がなくて、三蔵は悟空に向かって無言で手招きした。
悟空は少しの間首を傾げていたが、その手にタオルがあるのを見て破顔する。



「へへっ」
「…いい加減にちゃんと拭けるようになれ」
「いいじゃん、三蔵がしてくれるもん」



悟空の甘え癖は、こういう所で拍車がかかってしまうらしい。
甘えるなと言って髪を引っ張ってやったが、構って貰えれば内容はなんでもいいのだ。
三蔵が悟空に一瞬でも構う限り、悟空の甘え癖は直らないだろう。


腕の中の仔犬は、もう震えていない。
どうやら悟空の事をいたく気に行ったようで、小さな尻尾が左右に揺れている。
それを見た悟空の機嫌が益々良くなって、悟空はその仔犬に頬ずりした。

仔犬が口を動かすのが見えた。
三蔵には聞こえなかったが、きっと鳴いたのだろう。



「三蔵、こいつ、しばらくオレが面倒見てもいい?」
「……駄目だっつっても聞かねえんだろ……」



勝手にしろ、と呟いた言葉は、悟空に向けられたもの。
それと一緒に、幼い腕の中に納まっている仔犬に向けられたものだ。

何が理由で此処に“いる”のか知らないが、一頻りじゃれて納得すれば、あるべき場所へ消えるだろう。
其処にいた痕跡さえも残さずに。
いつもそうだから、三蔵は特に気に止めないで、許可を出してやった。



「良かったな、もう一人ぼっちじゃないぞ」



飼い主も見つけてやるからな、と言う悟空。
出来ればそれが見付かるまでに、さっさと消えて欲しい。
色々と面倒が増えるから。

三蔵のその身の内など知る由もない悟空は、鳴いている仔犬を嬉しそうに見つめている。
それから強く抱き締めて、ようやく乾いた頭の上にぽんと乗せた。



「お前、軽いなぁ」



くすくす笑う子供。
その頭の上で、尻尾を振っている仔犬。

事情を判らぬものが見れば、きっと普通に和やかな気持ちになれただろう。


けれども、三蔵は降りしきる雨を睨むだけ。
厄介ごとを持ち込んでくれた、この雨を。




「そいつを外に出すなよ」
「判ってるよ」



外に出せばきっと駆け回るだろう、仔犬。
仔犬を追い駆けて悟空が何かしら問題を起こすのは、既に前科がある。
その時に喉が枯れるまで叱り付けてやった効果は、此処で功を奏していた。


寺院内の僧侶にも、あの仔犬が見えるものはいるだろう。
そして“存在しないもの”だと感付く者もいる筈だ。

“存在しないもの”を、自分たちが厭う妖怪の子供が連れている。
誰かにそれを見られようものなら、ありもしない噂が飛び交うに決まっている。
ただでさえこの寺院内で良く思われていない悟空が何をされるかなんて、判ったものじゃなかった。

悟空は、三蔵の庇護下にいる。
それでも、守れる限界はあるのだ。


仔犬が走り回って、悟空が何か問題を起こさないように。
お陰で小動物を拾ってきてからしばらくは、悟空は大人しく室内に篭るようになった。

何かと構ってくれとまとわりついてくるのは仕事の妨げになるのだが、問題を起こされるよりは良い。



「大人しくするから、三蔵、ちゃんと飼ってくれそうな人探してよ」
「……適当にな」
「適当じゃやだ! ちゃんとした人がいい!」



頬を膨らませる悟空だったが、三蔵は意に介さなかった。


これが普通の犬猫なら、それなりに良さそうな人物を探してやる。
参拝客の中から見繕って話をして、貰われていった犬猫も少なくなかった。

けれど今回の拾い物は、生憎ながら普通ではない。



「お前もちゃんとした人がいいよな。一緒に遊んでくれて、美味い飯食わしてくれる人がいいよな」



仔犬を抱き上げて高い高いしながら、悟空は言った。

きょとんとした顔で悟空を見ていた子犬。
じっと見つめる瞳に何を感じたのか、口が一度、動いた。



「なー、やっぱそうだよなー」



言いたい事が伝わっているのか否かは判らない。
けれど、悟空には鳴き声はしっかり聞こえているらしい。

反応があった事に嬉しそうに笑う子供。
仔犬も悟空が嬉しそうなのが伝染ったのか、また尻尾を振っていた。


























──────夜半。

仔犬を腕に抱きかかえ、悟空は三蔵のベッドに潜り込んで眠っていた。
三蔵も最初は熱の塊に眠りを妨げられたのだが、最早諦めている。


外はまだ雨が降り続けている。



もぞ、と仔犬が動いた。
自分を抱きこんでいる腕の中で身動ぎして、どうにかその細い腕から解放される。
けれども、そのまま何処かに行くつもりはないようだった。


闇の中でも判る金糸にちらりと目をやる。
しかし、直ぐに興味を失ったように悟空へと向き直った。

日中は爛々と光っていたその金瞳は、今は瞼の裏側に隠されている。
その瞼を小さな舌で舐めてみると、ぴくりと揺れたのが見えた。
けれども、開かれる事はなかった。



「……んー……」



腕の中の温もりがなくなったのが落ち着かないのだろう。
悟空は手元を探った後、ころりと仔犬に背を向けてしまった。

仔犬に背中を向けた悟空は、背中合わせに横になっていた三蔵に擦り寄る。
自分よりも広い背中にくっついて、悟空はようやく安心できたらしい。
そのまま規則正しい寝息を立てて、再び深い眠りの世界へと誘われていく。


仔犬はそれがなんだか気に入らなかった。
悟空の大地色の髪を抗議として引っ張ると、悟空がくぐもった声を上げる。

ぐいぐいとそのまま引っ張っていると、悟空が鬱陶しそうに頭に手をやる。



「うぅ、ん……?」



意外と痛かったらしく、悟空の瞳がぼんやりと光を帯びた。
そのまま首を巡らせれば、見つめる仔犬の瞳とそれが交わる。



「……目、覚めちゃったのか……?」



言いながら悟空は、仔犬の小さな背中を撫でる。
仔犬はそれに気持ち良さそうに目を細めて、悟空の頬に擦り寄った。



「まだ夜だよ…寝なきゃ……」



仔犬をその手で包み込んで、悟空は、な、と呼びかけた。
そういう悟空こそ眠たそうで、睡魔は悟空をすっかり絡め取っているらしい。
.7
けれども仔犬は眠るつもりはなかった。

またうとうとと眠りに落ちる悟空の鼻先を、舌でペロッと舐める。
予想していなかった事に驚いてから、悟空が小さく上擦った声を上げた。



「ダメだってば…」



ヒソヒソと小さな声で話すのは、すぐ傍で三蔵が寝ているからだ。
その保護者を気遣うのが、仔犬にとってはまた面白くない。

仔犬にとっては一山あるだろう悟空の身体を、よいしょっと跨いで通る。
悟空は突然の事にきょとんとした顔をして、仔犬のする事を見ている。
自分と三蔵の間に納まった仔犬を見て、まだ小さな声で、寝るよ、と促す。
が、仔犬は聞いちゃいないのだ。


眠っている三蔵の金糸に、前足を引っ掛ける。
其処で悟空はようやく、三蔵に何かしら仕出かそうとしているのだと気付いた。



「ダメ、三蔵疲れてるんだから。起こしちゃダメ」



慌てて仔犬を抱き寄せて、三蔵から引き離すように、そのまま三蔵から背を向けた。

人差し指を立てて静かにね、と言いながら、悟空は仔犬の背中を軽く叩く。
一定のリズムで刻まれるそれは、仔犬に睡魔を促している。


仔犬はじっとしているのも好きではなかった。
けれど、自分を包み込む悟空の手は好きだ。
だから悟空の言う通り、もう大人しくしていようと決めた。



「寝よう。ね、もう寝ちゃお…?」



このまま抱き締めていてくれるなら、きっと眠れる。
仔犬はキャン、と小さく鳴いた。
慌てて悟空がしー、と言ったが、三蔵は目覚める様子はない。

当然と言えば、当然だ。
仔犬が幾ら三蔵にちょっかいを出しても、声を上げて鳴いても、それらは三蔵には届かないのだから。
けれども、悟空がそれを知る事はない。










ずっとずっと、この腕の中にいれたらいいのに。

再び瞳を閉じた子供を見つめながら、思った。