雷と子供と















傍にあなたがいてくれたら





きっと怖いものはなくなるんだって思うんだ



















あなたが手を握ってくれてたら



























三蔵が仕事で遠方に行くというので、一週間ほど悟空を預かる事になった。
最初は駄々を捏ねていた悟空だったが、やはり食べ物の誘惑と言うのは彼にとって絶大らしい。
悟空が来たと言う事で張り切った八戒が振舞った料理で、二日後にはすっかり機嫌を直していた。

勿論、悟浄が気を紛らわしてやったのもある。
カードをしたり、新しい遊びを教えてやったり。
預かる時は面倒だなんだと言っていたが、悟浄も悟空の事を気に入っているのだ。
素直になれば良いのにと思ったことを、八戒はまだはっきり覚えている。



夜になると、三蔵が如何に悟空を甘やかしているかが露見する。


普段は素っ気無い態度しか取らない最高僧は、二人きりになると甘いのだ。
一人寝に未だに慣れていないらしい悟空は、何かと三蔵の布団に潜り込む。
蹴り落としてもまた潜って来てしまうから、疲れる事は止めたのだと彼は言う。

けれども、悟空はあまりにも自然に、悟浄や八戒のベッドに潜り込んできた。
まるでそれが当たり前の事でもあるかのように。

呆れた顔をしながら許したのは悟浄で、進んで甘えさせてやったのは八戒だ。
悟空は許してもらえると破顔して、ぴったりとくっついたままで寝てしまう。
……まぁ、「一人じゃやだ」と泣きそうな顔で言われては、拒否のしようもなかったのだけど。


寝る間際に、中々睡魔が訪れない時は、悟空は三蔵の話ばかりをする。
この子供にとって、それしか悟浄や八戒と共通に出来る話がないから、そうなるのだが。

悟空の話は、正直、二人にとっては少々信じ難いものばかりだった。
勿論悟空が嘘が吐けるような性格でないのも判っている。
あの生臭坊主がねぇ、と思いつつ、二人は時々相槌を打ちながら聞いているばかりだった。


話し付かれて、悟空はようやく夢路へ旅立つ。
その時の表情は、年齢以上にやはり幼いものだった。



「ありゃあ三蔵様の教育の賜物なのかね」



ぽつりと呟いたのは、悟浄だった。

悟空があそこまで素直なのは、三蔵の純粋培養の所為。
無論、それを当人の前で言えば、もれなく弾丸がプレゼントされるだろうが。


聞いた直後は苦笑した八戒だったが、後で考えるとやはり同意してしまう。
だって悟空は、二言目には“三蔵”なのだ。

依存とまでは行かないだろうが、悟空のあれは仔犬が親を追い駆けるのと同じもの。
あそこまで素直に育ったのは、三蔵が余計な知識を与えないからなのかも知れない。
閉鎖的な場所で育った事もあるだろうが、それよりもやはり保護者が原因だと思うのだ。





……少しだけ羨ましいと思うのは、誰にも言わない。









悟空を預かってから四日目。
外は雲の灰色で覆われ、なんとも意気が沈む天気だ。

悟空はそれでも外で遊びたがったが、雨が降る可能性があるので外出禁止。
つまらなそうにリビングのテーブルに顔を乗せ、頬を膨らましている。
その隣では、悟浄が丸くなった頬を突いたり引っ張ったりしていた。


カードは昨日で飽きてしまった(負けが込んだ)ので、今日は無し。
外で遊ぶ事も出来なくて、悟空は退屈を持て余すばかりだ。

判り易く拗ねている悟空に、八戒は苦笑が漏れる。



「晴れたら外に出ても良いですよ」
「……今じゃダメ?」



今は降ってないんだし、と小さな声で続ける悟空。

確かに、今は雲が張ってはいるけれど、雨は降っていない。
雨が降ったら中に入るから、と言う悟空だが、正直、どうだろうなと思ってしまう。


雨が降っていようといまいと、悟空は外で遊びたがる。
降っていて傘を持っているならともかく、持っていなくても外に出たがる。
ぴょんぴょん跳ね回るから、傘はあってもあまり役目を果たさない。

預かっているのに風邪を引かせてしまったら、後で三蔵に何を言われるか。
…単純に、八戒も過保護であるとは、悟浄は言わなかった。



「外出たいー! 遊びたいー!」
「大人しくしとけ、バカ猿。カードするか?」
「…カードはもういい」



どうせ負けるんだからと瞳が語っていた。
悟浄と八戒を相手にカードをするのでは、悟空に勝ち目なんてものはないのだ。
此処に三蔵が加わったとて、結果は変わらないのだが。



「オレは外で遊びたいの!」
「雨が降るかも知れませんから」
「今降ってないじゃん!」



椅子に座って宙ぶらりんになっている足を、悟空はじたばたと暴れさせる。
がたがたと煩い椅子に、悟浄が眉根を寄せて大人しくしろと背もたれを掴んだ。

元気印が服を着て歩いているような子供に、じっとしていろと言うのが無理な話か。


抗議の方法を塞がれた悟空は、今度は標的を悟浄に返る。
外がいい、外で遊びたい、繰り返しながら悟浄の紅い髪を引っ張った。

悟浄の方は引っ張る手を恨めしそうに見ているが、振り払ったりはしなかった。
此処で振り払おうものなら、制止を振り切って外に飛び出してしまうだろう。
子供の扱いを弁えている悟浄を見ながら笑いつつ、八戒はキッチンに戻った。


キッチンに戻っても、リビングの声はまだ聞こえてくる。



「けち! 悟浄のけち!」
「文句言うならテメェの保護者に言えよ!」
「なんで其処で三蔵が出て来るんだよ!」
「あいつの過保護の所為だっつーの!」
「三蔵、別に過保護じゃねえもん!」



それは貴方にとって、それが当たり前だからですよ、と。
思わず口をついて出そうになった言葉を、八戒はどうにか飲み込む事が出来た。

悟空は此処で怒ったことを、逐一三蔵に報告しているらしい。
其処で悟浄が妙な事を吹き込んだとバレた日は、間違いなく銃弾が飛んできた。
彼の機嫌を損ねるような一言は、出来るだけ避けた方が偉い。



「ああもう、良いから大人しくしとけ、猿!」
「猿言うな、ゴキブリ河童!」



話は相変わらず脱線の方向に向かっているらしい。
子供っぽいのは悟浄も同レベルのようで、二人はよく言い合いになる。
其処に発展する経緯は至って幼稚な理由しかない。

チビ猿、エロ河童、とお決まりの罵倒の台詞。
手が出なければいいのだけどと思いつつ、八戒はコーヒーを淹れた。


幼い悟空と同レベルで争う事に、彼は羞恥心はないのだろうか。
争っている間はお互い本気なので、そんな事を考える余裕もないのだろうけれど。
三蔵に煩いと怒突かれようと、後で悟空が更に臍を曲げようと、彼はお構いナシだ。

これで悟空が益々拗ねてしまったら、宥めるのは自分なのだろうなと八戒は思う。
何かと騒ぎ出す彼等を仲裁するのは、すっかり自分の役目になっている。



「悟空」
「何?! 八戒!」



ひょいっとリビングに顔を出せば、小さな子供と大きな子供が力で競り合っている真っ最中。
目を逸らした方が負け、とばかりに二人は間近で睨み合っていた。

身長20cm差を感じさせないほどに、悟空は力がある。
自分より随分と大柄な悟浄を押し返すぐらいの膂力はあるのだ。
それでも、頭上から体重をかけられては不利なのだろうが。


それを特に構わず、八戒は用件を済ませる事にする。



「悟空はオレンジジュースと葡萄ジュース、どっちがいいですか?」
「オレンジ!」



ぐぎぎ、と歯を食いしばったままで悟空は言った。
了解です、と言って八戒が背を向けた後、派手な音が家中に響き渡った。




「いってぇー!」
「バカ猿、もっと踏ん張れよ!」
「なんでオレが文句言われなきゃなんないんだよ!」



どうやら、椅子も巻き込んで背中から倒れてしまったらしい。
痣でも出来ていないと良いなと思いつつ、八戒は悟空のジュースをコップに注いだ。

それらを盆に置いて、またリビングへと戻った。



「おやおや……」
「八戒〜っ!」
「おっと」



床に座り込んでいた悟空が、八戒に抱きついてきた。
ジュースを零さないように庇って、それを受け止める。

ぐりぐりと八戒に頭を押し付ける悟空は、すっかり剥れているようだ。
ちらりと悟浄を見ると、ムキになっているのか、目を逸らす。



「怪我してませんか? 悟空」
「……ん」
「それは良かった。ほら、ジュース飲みましょうね」



テーブルにジュースとコーヒーを置いて、解放された手で大地色の髪を撫でる。
倒れていた椅子を起こしてやれば、悟空は素直に其処に収まった。

差し出したジュースのコップには、ちょこんとストローも差してある。
これを前に三蔵が見た時、甘やかすなと言われたのを八戒は覚えている。
が、なんだか世話を焼きたくなってしまうのだから仕方がない。
悟空からも、ストローについて何か言われた事はないから、そのまま続けている。


ジュースに口をつけた悟空の隣に、八戒は腰を落ち着かせた。
悟浄は、悟空の正面を避けて、八戒と向かい合わせになる位置に座った。



「晴れたら外に出ても良いですからね」
「……今じゃダメなの?」
「雨が降ったら風邪ひいちゃうでしょ?」
「オレ平気だよ」
「念の為ですよ。だから、いい子にしてましょうね」



幼子を宥めすかすように、八戒は頭を撫でながら優しい声音で言う。
悟空は腑に落ちないようだったが、結局何も言わない。

いつも子供のように些細なワガママばかり言う悟空だが、それでも無理と判れば素直に従う。
三蔵の“飴と鞭”的な教育は、此処でも効果を発揮しているようだ。
だからこの後、思い切り悟空を甘やかしてやる事を忘れてはいけない。



「後で美味しいケーキ作ってあげますからね」



それだけで、悟空の機嫌は少しだけ右肩上がりになるのだ。

















八戒手製のケーキを食べて、悟空はすっかり機嫌を直していた。
甘いものが得意ではない悟浄は、ワンホール食べる勢いの子供に胸焼けを起こしている。
先刻からコーヒーの消費の早さが普段の倍以上になっている。

生クリームを口の周りにつけながら、悟空は嬉しそうにケーキを頬張る。
八戒はその隣で、保父さん宜しく、悟空の世話を焼いていた。



「ほら、またついてますよ」
「う?」
「動かないで下さいね」
「うゅ」



ハンカチで悟空の口の周りを拭っていると、盛大な溜息が正面から聞こえた。
勿論、悟浄である。



「お前……甘やかしすぎだろ、それは……」
「だって気になっちゃうんですよ」
「自分でやらせろよ、そんなもん」



口の周りを拭き終えると、悟空はまたケーキをつつく。

確かに、悟浄の言う事は最もだろう。
自分たちが甘やかしている限り、悟空の甘え癖は直らない。
けれど、八戒は悟空を甘やかすのが好きなのだから仕方がない。



「……?」



一人話を理解していないらしい悟空が、きょとんとして首を傾げている。
其処でなんでもないと言ってしまったのは、悟浄の方だ。
やっぱりこの男も、悟空を甘やかしてしまうのである。


言いたい事があれば言えば良いものを、子供の事となると急に口を噤んでしまう。
悟空は不思議そうに二人を見ているものの、八戒がケーキを薦めると直ぐに意識をそちらへ向けてしまった。

幸せそうにケーキを頬張る悟空。
それを見ているだけで、他のことは“まぁいいか”と思うのだ。



「食べ終わったら歯磨きしましょうね」
「うん」



此処は三蔵がしっかり躾けているのだろう、悟空は素直に頷いた。
いい子ですね、と八戒の手がまた悟空の頭を撫でた。
くすぐったそうに目を細める悟空は、まるで日向の仔猫のようだ。

ついでに便乗とばかりに、悟浄も悟空の頭を撫でる。
いつもなら子供扱いするなと言うのに、今だけは少々絆されているようだった。



















雨が降り出したのは、時刻にして夕方頃だった。






悟空がどうにもならないだろうに悟浄に文句を言い出して、数十分。
悟空は拗ねてしまったように膝を抱いて座り、大人しくなった。

然程に外で遊びたかったのだろうか。
八戒が何度宥めすかしてやっても、今日ばかりは効果が見られない。


もともと悟空は陽に当たるのが好きだ。
雨になってしまえば、もう今日中に雲が晴れることはないだろう。

そしてきっと、何より保護者の事が心配なのだろうと八戒は予想した。
雨の日に彼の様子が可笑しいことは此処しばらくの付き合いで、悟空から何度となく聞いた覚えがある。
恐らくあの強い人も己と同じなのだろうと、一抹の親近感を覚えたことはまだ記憶に新しい。



八戒の予想は的中したといって良いのだろうか。
勿論、悟空本人からそうであると聞いた訳ではないが、他に彼らしい理由が見当たらないのだ。


悟空は雨が降り出して一時間ほどして、窓辺に張り付いて動かなくなった。
外はすっかり暗くなり、雨の所為で寒くなっている。
流石に此処までなれば外に出る気はないのだろうが、酷く心許ない瞳の光をしていた。

雲に覆われた寒空を見上げて、そのままじっとしている子供。
揺れる瞳の光に、八戒は少しだけ淋しさを感じた気がした。



悟浄は悟空の隣で、時折声をかけているらしい。
彼等には似合わない──と声に出せば失礼だと怒るだろう──小声で話をしているのが伺える。

こちらに背を向けている姿勢になる二人の顔は、八戒には伺えない。






ジープの鳴き声だけがようやく、八戒の鼓膜に届いていた。

それ以外は、静かなままで。