すべて僕のものだから

















全てあなたでなければ嫌で



全て私でなければ嫌で



















いっそ全て、塗り替えてしまえたら

























前夜の情事の名残を残したままで、八戒は目を覚ました。

起き上がれば身体が少々重かったが、それは別に不快感は誘わない。
傍らで眠っている存在がいるから、そんな風に感じるのかも知れない。


昨日は珍しく悟空の方から行為を促すものだから、ついついハメを外してしまった。

何処ぞの河童ではないから、自制心にはそれなりに自信がある。
悟空が嫌がる事はしたくないし、そうして嫌われるのも、悟空が泣いてしまうのも嫌だ。
けれども、やっぱり相手から誘われると、そういう訳にも行かないようだ。



「むー……」



傍らの存在がもぞもぞと身動ぎした。
どうやら、すぐ傍で感じていた筈の温もりを探しているらしい。



「う……」



まだ意識は夢の中に置き去りにして、悟空は手でシーツをぽんぽんと叩く。
つい先程まで八戒が寝転んでいたから、其処には温もりが残っている。
けれども、そんな頼りないものでは物足りないと思っているのだろう。

まるで赤ん坊が愚図るような声を漏らしながら、悟空は寝返りを打った。
落ち着かない様子で自分の周辺を探り、やがて八戒に辿り着く。



「んー……」
「…はいはい」



上半身だけを起こしている八戒の、すぐ傍。
多分、距離はゼロ。

悟空は其処に落ち着いて、猫のように身体を丸めて縮こまらせた。
生まれたままの姿で感じる肌の温もりに、ようやく安堵したようである。


可愛い幼い恋人の頬を撫でると、くすぐったそうにふわりと笑う。
眠っていても起きていても、悟空はいつも素直だと思う。

まるで小動物のようだな、と思う事だってよくある事だ。



「もうちょっとしたら、ご飯の準備にしましょうかね」





もうちょっと。
悟空が起きるまで、もうちょっと。

言いつつ、あと一時間ぐらいはこのままで良いかな、と思う八戒だった。



























「それ、オレの!!」
「取ったもん勝ちだっつーの、チビ猿」
「チビって言うな、猿って言うな! 返せー!」



今日も今日とて、騒がしい朝食。


欠食児童がいる為に、食事はいつも尋常でない多さになる。
けれどもそれが残ってしまう事は基本的にないので、問題はない。

問題はそれだけ量に余分があるのに、決まって喧嘩が起きてしまうという事だ。
日常茶飯事なので然程気に止める必要はないのだが、何せ今日は安宿。
あまり騒ぐと他の客から苦情が来るし、下手を打てば宿を追い出されてしまう。
せっかく屋根の下で泊まれたと言うのに、それはないだろうという話だ。


だからあまりにヒートアップして殴りあいになる前に。
それでも頃合を上手く見計らわなければ変なしこりが残るので、気を付けつつ割り入るタイミングを探す八戒だ。



「他のがあんだから、それ食えばいいじゃねーか」
「それが良かったんだよ! 一番でかいの!」
「って言ったってもう食っちまったもんねー」
「最悪っ! このエロゴキ河童!」



後頭部で括られて一纏めにされている紅い髪を、悟空は無造作に掴んで引っ張った。
それまで適当に流していた悟浄であるが、実力行使になれば黙っていない。



「なんだぁ、このバカ猿! やんのか!?」
「やったろうじゃん、今日こそ決着つけてやる!」
「おー、望むところだ! どうせお前の負けだけどな!」



其処まで来て、八戒はちらりと隣に座っている三蔵を見た。
露骨に不機嫌なオーラが撒き散らされているのだが、どうしてあの二人は気付かないのだろう。
自分達が騒げば騒ぐほど、この生臭坊主の機嫌を損ねていると、いい加減学習しないのか。


銃が飛び出てしまえば片付くのは早い。
しかし、後で他の客や宿の主人からどんな目で見られるか。

三蔵や悟浄は既に目立っているのでどうでもいい。
悟空もやはりこの面子の中、一人幼いので目立つのは目立つが、他二名を考えれば良い方だ。
自分なんて地味だし(そういうのも返って目立つとは思わない八戒である)。

そう、三蔵と悟浄が目立つのは今更だ。
しかし自分と、増して悟空までもが変な視線にさらされるのは御免だった。



だから今自分が止めなければ。




ついに取っ組み合いになるかと、悟浄が先に手を出した瞬間。



「はい、その辺にしましょうね。悟空もお代わりありますから」



キレイな笑顔で言われては、二人とも止まるしかない。

此処で逆らうのは得策ではないと、悟浄は心得ている。
そうやって悟浄が退場するので、悟空も引き下がらざるを得ないのだ。


しかし、悟空はやっぱり不満そうに唇を尖らせている。



「ね、悟空も機嫌を直して下さい」
「だってあれが良かったんだもん」



机の下で足をぶらつかせているのだろう。
時折机の脚に当たるようで、小さな音が聞こえてくる。



「もっと大きいのありますから」
「……ホント?」



悟空が大きなものを狙うのを判っていて、八戒は今までそれを出さなかった。
確実に悟浄と取り合いになるのは見えていたからだ。

今から出すものは、悟空のもの。
先に決定付けて手を出さなくしてしまえば、悟浄はホールドアップするだけだ。



「今から持ってきますから。いい子にしてましょうね」



10歳そこらの子供を相手にするように言い聞かせると、悟空は大きく頷いた。
数秒前の拗ねた顔は何処へやら、今度はにこにこと上機嫌だ。
悟浄が小さな声でガキ、と言ったけれど、どうやらそれも聞こえていないらしい。

あまり甘やかすな、と三蔵が言った。
が、そういう彼が肝心なところで一番甘いので、八戒は軽く聞き流す。



「ったく、悟空にだけは準備が良いよな」
「そうだっけ?」
「……いいよな、お子様は……」



呟いて、悟浄は食後のお茶を一気に飲み干した。

いつもならその一言に版のするのだろうに。
子供は既に、自分の為に用意された料理に釘付けになっていた。


















水を流す音と、食器が当たる軽い音。
皿の上はやはり綺麗に平らげられていた。

本当に此処まで食べてくれると、清々しいものだ。
しかも本当に美味しそうに食べてくれるから、見ている分にも気持ちがいいし。
何より、喜んでくれるから、作り甲斐もあるというもの。



「はっかーい」



その喜んでくれる人物からの呼び声に、八戒は返事をしながら振り向いた。

今日の宿はキッチンと寝室とで別の作りになっている。
扉のない出入り口で其処は行き来できて、悟空は今其処に半身を隠してこちらを覗いている。



「なんですか?」



悟空がキッチンに顔を出す時は、大抵お腹が空いた時だ。
けれど幾ら欠食児童と言われる悟空でも、先程食べたばかりだから、其処まで消化が早い訳ではない筈だ。
実際食べ終わってから満足そうに笑っていたし、あれは悟空の満腹の合図みたいなものだ。

お菓子などを強請る以外で、悟空がキッチンにやって来る事は珍しい。
どうしたのかと思っていれば、そっと音を立てないように、中へ入ってきた。



「手伝い、してもいい?」
「……はい?」



思ってもいなかった言葉に、八戒は思わず問い返してしまう。

悟空も自分が滅多に言わない台詞を言ったからだろうか。
何処となく恥ずかしそうに、頬を掻いている。



「あの…ほら、ね。いつも八戒一人でやってるから……」
「それで、お手伝いですか?」
「料理はオレ出来ないし……だから、片付けだったら出来るかなって」



もじもじと顔を赤らめて言う悟空に、誰かに何か吹き込まれたかと考えてしまう八戒だ。

いや、悟空の気遣いは純粋に嬉しい。
嬉しいけれど、言い出すことがあまりに突然過ぎる気がしたのだ。


そして浮かんでくるのは、一言多い紅い河童。



ちょっと悟浄を問い詰めたい気もしたが、今はそれより、目の前の恋人だ。



「気持ちは嬉しいですが、大丈夫ですよ?」
「そう? そっか……んじゃぁ……」



どうしても、何か手伝いがしたいらしい。
悩んでいるのは見ていて可愛いのだが、八戒まで悩んでしまう。


悟空の気持ちは汲んであげたい。
が、実際食器洗いも自分はそんなに苦ではないし、もう直に終わってしまう。
部屋は綺麗に片付いているから、掃除をする必要もない。

遊んでいてくれても良いと思うのだが、それを言うのは悟空の気持ちを無視するような気がする。
しかしやる事が見付からないのも確か。



「じゃあ……そうですね、テーブル拭いてくれますか?」



悩んだ末に頼んだのは、一番簡単な手伝いだ。
小さな幼子でも出来るような。
大抵一番最後に回している仕事だった。

それでも、悟空はぱっと破顔する。


絞った濡れ布巾を渡すと、悟空は嬉しそうにテーブルに向かう。


すぐに終わってしまう仕事だが、拭き終わる頃には八戒の仕事も終わる。

そうしたら次は買出しに行かなければ、と八戒は考えた。
今日の様子だと、悟空はきっとついて来たがるだろう。



「八戒、これの後になんかやる事ない?」
「仕事らしい仕事はないですね。後は買出しだけですから」
「じゃ、それついてっていい? 荷物持ちするからさ」



やっぱり。

予想通りの言葉に、八戒は微笑む。
それから小さく頷けば、また悟空も嬉しそうに笑うのだ。





















三蔵達に買出しに行くと言うと、いつものように煙草の足しも追加された。

買出しの時、ゴールドカードは基本的に八戒の手に渡される。
しかし悟空が一緒に買出しに行くと、寺院にいた頃の癖なのか、三蔵は悟空の手にカードを渡す。
悟空も当たり前のように受け取ってから、八戒の元へと駆け寄っていった。


宿を後にし、先に宿主人に聞いていた市場へと向かう。



「なぁ、何買うの?」
「此処に留まっている間の食事分です」



自分では落とすからと、悟空は八戒にゴールドカードを渡した。



「じゃあ、肉!」
「それもいいですけど、野菜も食べなきゃダメですよ」
「えー……肉が良いよ」
「栄養が偏るのは良くないですよ。それより、悟空」



くしゃくしゃと頭を撫でて言うと、悟空はむぅ、と頬を膨らませる。
それでも名を呼べば、何? と顔を上げた。


本当に、悟空は名前を呼ばれるのが好きだ。
三蔵に拾われた時、呼ぶ名も持っていなかった悟空が、たった一つ持っていたもの。
だからなのか、否か、八戒にそれは判らない。
判らないが、名前は悟空にとって強い意味を持っている。

呼んだら、悟空は必ず返事をする。
しない時は、何かに悩んでいる時か、食事に一心になっている時だ。

今は返事をしたから、拗ねた顔をしていても、心はちゃんと八戒に向いている。



「ちょっと良いですか?」



言うと、悟空はきょとんとした顔をする。

八戒が半歩先で立ち止まり振り返ると、悟空は行く先を遮られる。
どうかしたのかと見上げて来る金色の瞳には、いつものように自分の顔が映っている。



「三蔵の煙草、幾つ買うのか聞いてきました?」
「んーん。聞いてないよ。でも、判ってるから良いんだ」



真っ直ぐに八戒を見上げながら、悟空は答える。


いつも通りの笑顔で、八戒はそれを受け止める。
いつも通りに。








商いが盛んな街であると聞いていた。
訪れた市は街の中心部に位置し、何処よりも活気がある。
小さな子供が手芸品に夢中になり、大人は商人と値段の算段をしている。

そんな中で、悟空はあちこちを気にしつつも、大人しく八戒について来ていた。
八戒は何処の店が一番安くて効率が良いか考えつつ、市を歩く。



「なぁ八戒、まだ買わないの?」
「そうですね……一通り見回ってから決めようかと」
「……なんかオレには、どれも一緒に見えるんだけどな…」



一つ一つ違うんですよ、よく見るとね。
…ふーん。

そんな会話をしつつ、八戒は退屈そうな悟空の顔に苦笑した。
途中で肉まんでも買ってやった方がいいな、と思った。
それから、今もどうやって退屈を紛らわせてやろうか、と。


悟空は八戒の半歩後ろをついて来る。
あちらこちらに目を奪われながら、それでも悟空はきちんと八戒を追い駆けてくる。
足を止める事はなく、少し距離が開いてしまうと小走りになって追いついた。

少しワガママを言ってくれれば聞いてやれるのだけど、何故かこういう時に悟空は何も言わない。
今も子供が持っている綿菓子に目を奪われているのに、だ。



「何か欲しいものがあったら言って下さい。余裕がありそうなら、買えますから」
「ん? うーん………うん。でも、今はいいや」



綿菓子が気になっているのに。
やっぱり言わない悟空に、八戒は微笑んだ。



「……それよりさ、煙草先に買って良い?」



一つだけ、固定されている購入物。
これは何処で買っても値段は同じ事だ。

あれこれ買った後では、忘れてしまうかも知れない。
そうすると間違いなく三蔵の不興を買う訳で、下手をすればハリセンが落ちる。

けれども主な文句は悟空ではなく、きっと八戒だけに来るだろう。



「そうですね。先に済ませておきましょうか」
「うん」
「忘れると面倒ですもんねぇ」



八戒の言葉に、悟空は笑った。

そう、忘れると面倒だから。
三蔵の怒りを買うのは面倒だから。


……それだけだと、八戒は自分に繰り返し呟いた。




煙草屋の前で、悟空は迷う事無く数を言った。
最近彼は吸う量が増えたから、少し多めにしたんだと言う。

八年間傍にいるから、やはり判るようになったのだろう。


なんだかそれを腹立たしく思うのは、表に出してはいけない。




ついで市を一通り回り終え、今度は買う為に来た道を戻る。



「何処に何があったかって、オレ覚えてないよ」



呟く悟空に、それも無理はないと八戒は思った。
何せ悟空は工芸品やら、お菓子やらに目を奪われているばかりだった。
一つを見ては、また直ぐに別のものに興味を示すから、意識はあちらこちらへ飛んでしまう。
覚えておくまでの余裕はない。

自分が覚えているから問題ないと言えば、悟空は素直に頷いた。
元より自分が出来るのは荷物持ちぐらいだと判っているのだろう。



「僕が覚えてますから、大丈夫ですよ」
「ん」



八戒の言葉に素直に頷く悟空。

と、其処で。
どん、と音がして、悟空が僅かにバランスを崩す。



「……と…わりィ」



謝りながら悟空が振り返り、八戒もそれに倣う。


振り返った先には、どう見ても堅気とは言い難い男がいた。
けれども、悟空も八戒も、その程度のものに怖気づく事はない。

八戒も一緒に一言侘びを入れてから、二人はその男に背を向ける。



「行こ、八戒」



幼子がするように八戒の服裾を引っ張りながら、悟空は笑った。