あなたの腕に守られて








常ならば聞かない音に、ふと悟空の意識が浮上した。

まだ眠っていたい気もしたが、音が気になって眠れない。
仕方がなく目を擦りながら起き上がると、すぐ其処に金糸。



「……れ……?」
「じゃねぇっつってんだろ」



スパン!


置き抜けの頭に落ちた衝撃に、否応なしに意識が覚醒に持ち上げられる。
じんじんとする頭を抑えながら、悟空はもう一度頭を上げた。

其処には、間近で見下ろす一対の紫闇。



「なんで三蔵、此処にいんの?」
「……テメェの所為だろうが」
「???」



言われても、悟空にはなんの事だかさっぱり判らない。


また三蔵の方に転がってしまったのだろうかと、部屋を見渡す。
が、そういう訳でもないようで、自分は寝入った壁際と同じ場所にいる。
執務机は何事もなかったように、当たり前だが眠る前と同じ場所に佇んでいた。

そうなると、三蔵が自分の所に来たとしか考えられない。
けれど机の上の書類は寝る前よりも増えている訳で。



「お前が毛布蹴飛ばしてるからだろうが」
「そなの??」



わざわざそれをかけてくれたと言うのか。
その為だけに移動して、さらに此処に座って。

それはどう考えても、三蔵らしからぬ行動ではないだろうか。



「………??」



如何考えても可笑しいと思う。
が、三蔵が傍にいてくれる事は、悟空にとっては嬉しいことだ。

不思議に思う事は確かだけれど、何も言わずにそれに甘えることにした。



「調子に乗るな」
「いてっ」



三蔵の手が悟空の頭を小突いた。
が、それは結局それだけで終わり、離される事はなかった。


開け放たれたままの窓から、冷たい風が吹き込んでくる。
風に煽られて机上の書類が飛びそうだったが、三蔵はどうでも良いらしい。

それよりも、と、まだ眠気の残る目を擦りながら、悟空は窓を見遣った。
と言うよりも、どちらかと言えば聞き慣れない音を聞く為であったかも知れない。
目覚めを促した音は未だに聞こえていて、悟空はそれの正体が判らなかった。



「……なぁ、三蔵」
「あ?」
「…あの音、何?」



聞けば、三蔵も悟空と同じように音のする方へと目をやる。


窓の向こうは、暗雲が立ち込めていた。
悟空が眠る前は、風邪は冷たくても、空は晴れていたというのに。

そしてその暗雲の合間を縫って、時折光が疾る。
疾る光は一瞬で、綺麗な金の光ではなく、青白い光。
それが疾る直前に、あの音がする。



「……春雷か」
「…しゅん…?」



三蔵の口を突いて出たのは、初めて聞いた言葉だった。



「時期にしちゃ早いな……」



空に目を向けたままで、三蔵は呟いた。
寒い筈だ、と続けながら。



「ちゃんと毛布被ってろ。風邪ひいても知らんぞ」
「う……」
「面倒になるのは俺なんだよ」



直に12になる小さな身体。
それを毛布で包みながら、三蔵はぶつぶつと文句を言っている。

その様子を大人しく受け入れながら、悟空はじっと見つめていた。



「……なぁ、なんの音?」
「ただの雷だ」
「…かみなりの音?」



悟空が反芻すると、まるでそれに返事をするように音が鳴った。




「わひゃっ!!」
「……近いな」



引っ繰り返った声を上げて、悟空は三蔵にしがみついた。



「あ、あんなに音おっきかった!?」
「さぁな。気にしてないから、覚えてねぇ」



素っ気無い返事に、悟空は眉根を寄せた。
が、文句を言ってもどうにもならないので、閉口する。



「雷って、こんな音するの?」
「あ? お前、聞いたことなかったのか」
「あんまり覚えてな……わっ!」
「……てめぇ、さっきまで平気で聞いてたじゃねえか」



それは今まで、然程音が大きくなかったからだ。
寝惚けていたからかも知れないが、今ほど大きな音を聞いた事はない。

三蔵に縋り付いて、毛布を手繰り寄せる。
そうすれば肌寒さからは逃れることが出来るのだが、耳に届く音はどうにもならない。



「ガーって言って、バンって言うの?」
「……そういう表現は初めて聞いたな……」



普通はゴロゴロとかじゃないのか、と呟きつつ、全く子供の発想は自由だと思う三蔵である。
悟空はそんな言葉は聞こえていなかったようで、聞こえる音から逃げるように三蔵に縋る。



「いつになったら止まるの?」
「雲が晴れたら」
「いつ?」
「俺が知るか」



早く収まって欲しい。
鼓膜に届く音に肩を震わせながら、悟空は思った。

青白い光が遠くで光るのを見るのは、嫌いではない。
思い出してみると、その時にもこんな音を聞いていた気がするけれど、此処まで大きな音ではなかった。
やっぱりこんなに大きな音を聞いたのは、これが初めてだ。



「うー……なんかヤだ」



言いながら、悟空は毛布を頭に被ってしまった。




「聞きたくねぇなら寝ろ」
「だってさっきまで寝てたばっかだもん。眠くない」
「ガキだから直ぐ寝れるだろ」



悟空の寝付きは良い。
退屈な上にじっとしていたら、まるで他にする事がないように眠ってしまう。

それでも、やはり寝起きであれば睡魔はやって来ないのだろう。
眠くない、寝れない、愚図る子供のように悟空は三蔵に向かって言う。
けれども、それに構ってやるような気分も、三蔵はないのである。



「じっとしてろ」
「だって……」
「寝ちまえば、雷なんて気にならねぇよ」
「気になって寝れないんだってば」



同じような会話を延々続ける。

寝ろ、寝れない。
そればかりだ。


疾る光と、音。
それに一々反応しながら、悟空は眠れないのだと言う。

確かに、そんな調子では簡単に眠れる訳もない。



「寝室で窓閉めて布団に包まってろ。此処にいるより楽だ」
「………や」
「ああ?」



これで我慢しろと提案したものは、一言で拒否された。
その声は酷く小さなものだったけれど、三蔵には十分聞こえてきた。
幸い、雷も鳴っていなかったし。

悟空は頭から被った毛布の端を手元で握り締めて、膨れ面をして三蔵を見上げる。
この目をする時言いたい事は、大体決まっている。


一人で寝るのは、いや。


未だに一人寝に慣れない悟空である。
雷の音がする日に、一人で眠れる訳もなかった。

しかし、机の上にはまだ書類がある。
サボる気になってはいるのだが、まだそうすると決めた訳ではないのだ。
後々溜まった仕事を纏めて片付けるのは、やはり骨が折れる。


子供を寝かしつけるか、仕事をするか。
多分、両方を同時進行には出来ないだろう。






……決めた。
もう今日はサボる。



元々、仕事好きと言う訳でもないし、自分が極度の面倒臭がりだと自覚している。
今の二択でどちらが面倒かと言えば、どちらも同じ位に面倒だ。
それならば、疲れるだけの仕事よりも、ついでに自分も休める方を取った方が楽だ。

…後々に降りかかる僧侶からの文句は、気かない事にする。
まぁ、それもいつもの事なのだけど。



「部屋に戻るぞ、悟空」
「…ふぇ?」



突然立ち上がった三蔵に驚いて、悟空はしがみ付いていた手を離す。
見上げて来る金瞳が仔犬のようで、だからどうしても放り出せないのだと今は関係ない事を考えた。



「でも、三蔵だって仕事…」
「テメェが煩いから出来やしねぇ」
「煩くしてないよ」
「自覚ねぇのか、バカ猿」



抗議する悟空であるが、やはり三蔵はまともに取り合わない。
まぁ、これはいつもの事だ。


毛布を被ったままで、悟空はようやく立ち上がった。
長い時間床に転がっていたからだろうか、節々が少し痛むらしい。
けれどもとてとてと軽い足音を立てて、三蔵のもとまで寄ってきた。

いつも悟空は、三蔵の腰に抱きついて来る。
そうされると歩き難いから、無言で左手を差し出した。
躊躇うこともなく、悟空は其の手を掴む。


その時、また稲光。



「ふぇっ!」
「……てめぇの事だから、面白がると思ってたんだがな……」
「ひ、光だけだったらオレも好きだけど…わぁっ!!!」



一際大きな音。
どうやら、随分近い所まで来ているらしい。



「さんぞぉ〜……」



結局、抱き着かれてしまうのであった。