しあわせをさがして

























「─────────」






……声がする。
誰の声だろう。







「────……──────…!」






少し甲高い。
なんだか拗ねてる。






「……───────!」






甲高いのは、頭に響くんだっけ。
違うよな、だってちっとも嫌じゃない。
このまま、ずっと聞いていたい。








「………………」








あ、止まった。
怒ったかな。










「────────!!!」










ちょっと、揺さぶるなよ。

判った、判った。
起きるってば。




……しょーがないなぁ……






























「起きろー! 寝ぼすけ那托ー!!」



瞳を開けた瞬間、真っ直ぐ見下ろしてくる金瞳とぶつかった。
少し怒ったように眉根を寄せているけれど、其処に覇気はない。
ただ単に、ちょっと拗ねているだけなのだ。

回らない脳みそをどうにか活動させようと試みながら、那托はのろのろと起き上がった。
悟空はその隣にちょこんと座って、むぅと頬を膨らませている。



「寝るなよ、那托。つまんないじゃん」
「…お前が先に寝たんじゃんか」
「オレ寝てないよ! 目閉じてただけ!」
「よく言うよ」



まだ拭いきれない睡魔の所為でぼやける視界。
それをごしごしと手の甲で擦りながら、那托は欠伸混じりに言い返す。


実際、先に眠ってしまったのは悟空の方だった。

一緒に駆け回って遊んで、蝶を追い駆けたり、始めて見る花々に目を奪われたり。
けれどいつまでもそうしていられる程、底なしの体力を誇る訳ではないのだ。
気持ちとは裏腹に疲れは溜まり、休憩と称して二人で花畑の真ん中に寝転がった。

しばらくは他愛も無い話をしていたのだが、いつしか悟空からの返事がなくなった。
空はよく晴れていて気温も暖かく、退屈になった那托が寝てしまうのに然程の時間はかからなかった。



「お前が寝たから、俺が暇になって寝ちまったんだよ。悟空の所為だ」
「なんでだよ! それなら起こしてくれれば良いじゃん!」
「起こしたけど起きなかったの。だから俺も寝ちまったの」



口数で悟空に負けるとは、那托も思っていない。
恐らく悟空の方も勝てると思ってはいないだろう。

悔しそうに見つめてくる悟空に、那托はへらっと笑う。
まぁ、どっちでもいいじゃないか、と。
先に寝たのがどちらであるにせよ、二人とも眠ってしまった事は確かなのだ。



「…笑うなよ」
「いいじゃん、俺がいつ笑ったって」
「笑うなってば!」
「俺の勝手」



何をしても、言葉数では那托の方が一枚上手だ。
ストレートな物言いになると、きっと悟空の勝ちなのだろうけど。




「寝てたくせに」
「そりゃお互い様だろ」




悟空の呟いた言葉に一言返す。
今度こそ、悟空は口を噤んでしまった。

もう喋らないかな、と思いつつ、那托はじっと悟空を眺めた。





……悟空の声を聞くのが好きだ。

多分同じ歳の自分よりも、悟空の声は高い。
興奮したりすると自ずと声音は更に高くなるから、キンキン声、とはああ言ったものを言うのではなかろうか。
それを耳元で聞くと流石に辛いものがあるのだけれど、決して嫌いにはならないから不思議だ。


あまり沈黙が好きではないからか、悟空はよく喋る方だと思う。
対して那托はそれほど喋る訳でもないし…話題もないものだから、聞き手に回るしかない。

けれど、那托はそれで満足だった。
ずっと悟空の声を聞いていられるから。





「………悟空」



呼んだら、悟空は返事をする。
けれど、今は拗ねてしまってそれはなかった。

ちらりと目を向けて反応はしてくれたけれど、ぷぃっと明後日の方向を向く。
その弾みで、長い大地色の髪がふわふわと揺れた。



「なぁ、悟空」



悟空の黒い服を突きながら呼んでみる。
肩を揺らすけれど、やはり返事の言葉はない。



「聞けってば」
「あたっ」



緩やかな風に揺れる髪を捕まえて、軽く引っ張った。
力点に従って首を仰け反らせる悟空。

手を離すと、思い切り抗議の篭った瞳で睨まれた。
けれど那托はそれを本気と捉えていなくて、くすくす笑っているだけ。





「ほら、もっと遊ぼうぜ」





立ち上がりながら言えば、悟空はじっと見上げてくるだけ。
此処で悟空が立つまで待っていても良いけど、ちょっと焦れてくる。

那托は悟空を肩越しに見遣りながら歩き出す。
そして、ほんの数歩離れたところで、立ち止まって振り返り。








「行こう」








そう言って、手を伸ばすのだ。
































……手を差し伸べる相手がいると感じるのは、生まれて初めてだったと思う。







今まで自分に手を伸ばしてくれる人なんて、何処にもいなかった。
それは寂しい事なのかも知れないけれど、やっぱり判らなければそう言う事は感じないものだ。
仲良さそうな人々を見ても、那托は何か感慨を覚えた事はない。

必要ない感情だと、自分には必要のない行為だと思っていたからかも知れない。
だから自分に手が伸ばされない事を、悲しいとか考えた事は一度もなかった。


触れて来る手がないと、自分から触れることもしなくなるらしい。
幼い頃はどうであるかよく覚えていないが、気づいた時には手の中に捕まえるものは何処にもなかった。



まだ、そんなに前の事ではないと思う。
下界の遠征から帰ってきた時、伸ばされた手を振り払った。

あの時に何を考えていたのか、那托自身もよく覚えていない。
ただ嫌だったのだと言う、漠然とした感情だけは判る。


なのに。
あの後、駆け寄ってきた存在を見た瞬間に。

………何故だか、とても安心した。



薄れる意識の中で、手を伸ばしたのを覚えている。
結局それが届いたかどうかは判らなかったのだけれど、受け止められたのは感じた。
すぐ傍に暖かい存在がいると知ったら、後はそのまま眠ってしまった。

多分、あれが生まれて初めてだ。
誰かに手を伸ばしたのは。





……そして、多分、これも生まれて初めてだ。
手を伸ばすこと自体が初めてだから、当たり前なのだろうけど。

















伸ばした手が、



誰かと繋がるという事。

























「何するの?」
「おにごっことか」
「もう飽きたよ」
「うーん……」



二人で何をするでもなく、手を繋いだままでふらふらと歩く。
足元で花が揺れて、驚いた虫たちがひらひらと飛んでいく。



「悟空はなんかやりたい事ねぇの?」
「んー……」



広い花畑の中で立ち尽くし、悟空は考え込む。
悟空が立ち止まるから、那托もそれに倣って足を止めた。


おにごっこはいつも。
地面は草花があるからお絵かきなんて出来ないし。

那托は、別になんだって良かった。
悟空は飽きたと言うけれど、おにごっこだって始めてしまえば楽しいのだ。
文句が出てしまうのはどうせ最初のうちだけだ。


けれど、悟空は別の遊びがしたいんだと言う。




「…じゃあ、クローバー探ししてみるか?」
「クローバー探し?」




那托の提案に、悟空はきょとんとした顔で反芻する。



「もうちょっと先に行ったら、クローバーがいっぱいある場所に出るんだよ」



花畑の向こうの緑の大地。
其処を指差しながら、那托は言う。



「クローバーの葉って、何枚だと思う?」
「…3枚だろ? いつも見るよ。中庭とかで」
「うん、殆ど3枚なんだけど、たまに4枚のクローバーがあるんだよ」
「そうなの?」
「滅多に見つけられないんだけどな」



物知りで変り者だと有名な元帥と仲が良いのに、こういう事は聞いていないのか。
自分もそうであるが、偏った知識だなぁと思う。




「四葉のクローバーって、皆知ってる話だぞ」
「……オレ、聞いたことない」



自分だけが知らない、という事が悔しかったのだろう。
悟空はむぅ、と頬を膨らませながら呟いた。

そんな悟空にまた笑いながら、那托は手を引いて再び歩き出す。



「四葉のクローバーにはな、幸せが詰まってるんだって」
「……そうなの?」
「中々見られないから、見つけた奴は幸せになれるんだ」
「それ、ほんと!?」



勿論、ただの言い伝えだ。
けれど、那托だって嘘とは思っていない。





「大人はなんて言うか知らないけど、俺はほんとだと思ってるよ」





信じたら、きっといつか本当になる筈だ。
それがいつかなんて知らなくたって、きっと。

そんな那托の曖昧な言葉でも、悟空にとっては十分だったらしい。




「じゃ、早く行って探そうよ!」




それまで手を引いていた那托を、今度は悟空が引っ張って走り出す。
そんなに慌てなくたって逃げたりしないのに。
思いながら、那托は悟空と同じ速さで走り出す。

もたもたしていたら探す時間がなくなってしまう。
悟空と一緒にいられる時間なら、どんな時間だって、那托は好きなのだけど。






「一杯見つけような!」






言って笑う悟空に、那托も笑う。
中々見付からないって、人の話聞いてたのかなぁ、と。