終わらない紡ぎ唄














ただひとつ 願いが かなうのなら

昨日の自分に 「さようなら」









変わらない想いがあるのならば










いつか、桜の下で













































一度目に会った時、お前は名前を持ってなかった。


















「おい」




人気がないから隠れていた部屋に佇んでいたら、急に扉が開いたから、実はこっそり驚いていた。
自分を探す者達はいつも煩く名前を呼んで、慌しい足音を立てていたのに、扉が開いた時は一切の気配を感じなかったから。
それは相手もこそこそして、気配を押し殺し、何かから逃げ回っていたのだと知ったのは、一言二言交わした後のこと。



「誰だ、お前」



振り返ってみれば、自分と同じくらいの小さな子供。
この天界で自分以外の子供を見たのは、多分これが初めてだったと思う。
いつだって自分の周りにいるのは、嫌いな大人ばかりだったから。

だからこの時、自分にしては珍しく、自分から声をかけた。
ぎくっと肩を跳ねさせてようやく振り返った子供は、見付かった、とでも言いたげだった。











それからしばし、那托は息をしていなかった。




こちらを見つけた瞳は、暗い室内にいるというのに、光り輝いていた。
綺麗な大地色の髪はあまり手入れはしていないようだったけれど、決して荒んではいない。

大地と太陽が一緒にいる────……そんな気がした。















いつまでも黙ってはいられない。
相手はじっと那托の方を見たままで、呆けたように口が半開きになっている。



「……あのなぁ……誰なんだって聞いてんの」
「え…あ、えっと……」



那托に詰め寄られて、子供は戸惑ったように俯いた。


何故こんな事を聞いているのだろう、と思った。
物珍しさに惹かれているのもあるかも知れない、同じ年頃の子供なんて見た事がなかったから。

誰かの名前を知りたがったことなんてなかった。
父親の顔や名前は当たり前のように覚えて、天帝も出陣で何度も顔を合わせたから知らないうちに覚えた。
だけれど那托を筆頭とする軍にいる、自分の部下の顔や名前なんて、殆ど覚えちゃいない。
唯一の例外が一人いるけれど、彼の事でも時折朧になる瞬間がある───酷いと、自覚はしているのだけど。


だからきっとこうやって名前を聞いているのは、きっと物珍しさに惹かれた所為。



「えっと………」



名前を聞いただけなのに、何故か目の前の子供は当惑したように視線を彷徨わせている。

何か不都合でもあるのかと思っていると、この数時間で耳慣れた声と台詞が聞こえてきた。
それが何であるのかを確り認識した時、那托はすぐさま隠れられそうな場所を探す。
見つけたのは釈迦如来を模して作られた像の陰。


有無を言わさず、未だ迷っている子供の手を掴んで引っ張った。



「えっ? あ、え??」
「シッ! 良いから、黙ってこっち来い」



人差し指を口元に当てて注意しながら、その子供諸共、像の影に身を潜めた。



「な、なに……むぐっ」



黙っていろと言うのに、訳が判らないと口を開くのを、手で覆って強引に沈黙させた。
空いている手で無理やり動きを封じて、那托はこっそり入り口を伺った。

直後、扉が開けられる。




「此処ですか、那托様!」




那托が像の影に顔を引っ込めて身を小さくしていると、子供もそれを感じたのだろうか。
息苦しそうに顔を歪めているものの、暴れる事はしなくなった。

入ってきた男はしばらく部屋を見回したが、中に入って来る事はなかった。
入り口の真正面に位置している釈迦如来の像の裏に隠れる子供達の姿は、彼からは全く見られない。
それでも極力小さく縮こまる子供達に気付くことはなく、扉は再び閉められた。


那托の名を呼ぶ声と足音は、少しずつ遠退いていく。

もがもがと、巻き添えにした子供が酸素を求めてもがいていた。
足音が聞こえなくなってようやく手の力を抜くと、自然と口を塞いでいた手も外れた。



「へへっ、バーカ」



当人がいないのを良い事に悪態を突いて見る。



「ぷはっ! ………あービックリした…」
「ワリィワリィ」



ひらひらと手を振っておざなりな謝罪。

すると、じっと金瞳が那托を見つめていた。
あ、俺がいる、なんてその金色の中に映りこんだ自分の顔を見て思った。



「あんたも、なんか悪いことして逃げてんの?」



どうやら、この子供は何か悪さをして逃げ回っていた途中らしい。
だからあんなにコソコソして、那托が声をかけた時に見付かった、なんて顔をしていたのだ。

同じ年頃だからなのかは判らないが、那托は生まれて初めて、親近感と言う感情を持ったような気がした。



「大した事じゃねえよ」



そう、自分がしたのは大した事じゃない。
この子供が何を仕出かしたか、内容は知らない。
けれど、自分がしたのはちっぽけなこと。

ちっぽけな、反抗。
何も実を結ばない程度の。



「いつもエバり散らしてる天帝が、間抜け面して昼寝してたからさ。鼻毛描いただけ」



袂に入れたままだった油性マジックペンを取り出しながら言う。
すると子供は、しばし那托の手の中にあるペンを見つめた後、噴き出した。



「あっはは! それ、面白ぇ〜!」
「だろだろ!?」
「それ、スッゲ見てみてぇ!」
「あー、写真撮っときゃ良かったぜ」



腹を抱えて笑い出した子供に、那托も己の気付かぬ間に頬が緩んでいた。

こんな風に自分の悪戯の話を聞いて笑ってくれる相手は、初めてだった。
増して見てみたいとか、面白いとか、言ってくれるなんて。



大人達は皆、詰まらない。
なんだか機械的なばっかりで、何を話したって面白くない。
冷たい瞳しか見た事がないし、生温い感じのする空気が嫌いだ。

それを些細な悪戯で壊してやるのが、那托のささやかな反抗。
後に何の身を結ぶこともない、その時限りの反抗。


それを、こんな風に笑って聞いてくれるなんて、初めてで。
思わず那托が嬉しいという感情を抱くのも、きっとごく当たり前の事だったのだ。



「お前、面白い奴だな。俺は那托。お前は?」



さっきは問うだけだった名前。
今度は自分から名乗って、改めて問うた。

すると子供は、また先程と同じように当惑した表情で視線を足元に落とす。



「……あのさ。俺、まだ名前ないんだ。つけてくれる人とか、いなかったしさ」



その声は、淋しそうな、けれども表情はそれを裏切っていた。
まるで気付いたばかりの事にハッとしているような。

ああ、と納得した。
先程、那托の問いに子供が中々答えなかった───否、答えられなかったのは、その所為だったのだ。
ただ名前を聞いただけなのに何故か俯いて視線を彷徨わせていたのは、まだ名乗れる名前がなかったから。



「オレってヘンなんだって」



俯く子供の視線をなぞってみる。
その先には、黒い枷に戒められた両の手足があった。





「岩から生まれたから、“イタンジ”なんだって」





イタン。
いたん。
異端。

その言葉を聞いた時、那托は目を瞠目させた。
……その単語は、何度も何度も聞いてきたものだった。



「金色の瞳は不吉だから、此処でホゴしなきゃいけないんだって、ゆってた」



金の瞳は、吉凶の証。
嫌と言うほど費やされる勉強の時間の中で、何度も聞いた話。



本物の金瞳は、初めて見た。


それが宜しくないものとして見られているのは知っていた。
だけれど別に那托はそういうものに関心があった訳でもないし、ただ身勝手な話だなと他人事のように思っていた程度。
だってたまたま金色を持って生まれてきただけで厭われるなんて、幾らなんでも酷いんじゃないかと。

望んで持って生まれてきた訳でもないのに、ただ瞳の色一つで嫌われるなんて。
何もしていないのに嫌われて、遠ざけられて……何も判らないのに、そんなのはあんまりだ。


けど、それでもやはり那托は他人事だった。
可哀想だな、とか思っても、だから自分がどうしたいとは思っていなかった。





だけど初めて見つけた金瞳は、どうしようもなく、逸らす事が出来ない。





「ふーん……」



よく、判らない。
なんでこの綺麗な瞳が、不吉なんだろう。

よく判んないけど。



「なんかよく判んねぇけど、スゲーな」
「え?」



きょとん、として見上げてきた金瞳。


だって、そうだ。
岩から生まれたとか、そんなの初めて聞いたし。
こんなに綺麗なきらきらした瞳も、初めて見たし。

きっと、こんなにきらきらしたイキモノ、他の何処を探したっていないんだ。



「お前は世界で一人っきゃいないんだろ?」



不思議そうに見つめてくる金色の瞳は、真っ直ぐでとても綺麗だった。
なんだか零れ落ちてきそうで、そしたら掬い上げて元に戻してやれるだろうか。





「お前の代わりはいないって事じゃん。それってスゲくない?」





じっと見つめる瞳を、同じように受け止めて見つめ返して言った。
そうすると、金色の瞳がゆらゆら揺れたような気がした。
まるで水面に映りこんだ月光が、風の小波に撫でられるように。

綺麗だった。
ずっとずっと、見ていたいくらい。


でも、タイムリミットだ。



「見つけましたよ、那托様!」
「うわっ!?」



像の影にぬっと顔を出した男は、先程部屋を覗き、二人に気付かず去っていった者。
恐らく向こうにも見付からず、来た道を戻って再び探そうとして、二人の話し声に気付いたのだろう。

一度目は見付からずに撒けたけれど、もう駄目だ。
悪戯が過ぎる、本館に戻れ、と今日のうちに何度も聞かされた台詞のリフレイン。
そんな声や台詞は聞きたくなかったから、那托は溜息を吐いて立ち上がった。


そしてそのまま、部屋を出て行こうとしたら。



「那托!」



名前を呼ばれたのは、これが初めてだった。


誰かに名を呼ばれるなんて今まで幾らでもあったのに、どうして胸の鼓動が高鳴った。

成熟した大人の低い声音じゃなく、洗練された女の細い声音じゃなく。
子供特有の、那托よりもきっと少し高い、ボーイソプラノの声。
生まれて何年間もの間に何度も呼ばれていたけれど、そんなのは今まで感じた事がなかった。


振り返ると、那托を真っ直ぐ見つめる綺麗な瞳。




「なぁ」




綺麗な瞳。
綺麗な声。

もっとずっと見ていたい。
もっとずっと聞いていたい。
もっとずっと。






「また遊べる?」






また。
また。

うん。








「おー、またな!」












また、遊ぼう。



初めて、誰かと約束した気がした。