For me, only you









君だけに気づいてほしいな


新しい僕の匂いを








in my mind




自分に約束しよう































受かった、という言葉と笑顔と共に、合格通知を見せられてから早二ヶ月と少し。

無事に数週間前に無事に入学式を終えた時に見た背中は、無限に広がる未来への夢と希望に満ち溢れていた。
嘗ての自分もこうであったのかと思い出してみたが、脳裏を過ぎったのは、入学式をサボった事実だけだ。



まだまだ幼い背中は、つい最近、ようやく悟浄の身長の三分の二に到達したばかり。
それでも平均身長から数えれば随分小さなその体は、不満そうに幼馴染の悟浄を見上げていた。

悟浄の身長も、平均よりはずっと高い。
兄の方がまだ大きかったりするのだけれど、180p代になれば十分じゃないかと幼馴染は言っていた。
そんなに目線が高かったら世界も違うんだろうな、と何時だったか言っていたような覚えがある。
確かにそれはそうだろう、悟浄だってもう150p代の世界なんてとっくに忘れてしまったから。


でも出来る事なら、幼馴染は今の小さいままでいて欲しいと思ったりもする。
だってその方が抱き心地もいいし、何より見上げてくる金色の瞳が好きだから。
少し見下ろした先にあるその顔が、悟浄は好きなのだから。

幼馴染も幼馴染で、その頭二つ分ほど上にある顔を見上げるのは嫌いではないのだ。
ただ単に小さいだけに、長身の人物への憧憬が未だに消えていないだけで。



ちなみに、その幼馴染とは二歳違いだ。
周りの認識は、幼馴染と言うよりも、歳の近い兄弟と言う感じだろう。


でも実際の関係は、もっともっと違うところにある。
兄には何故か悟浄がその感情を自覚するよりも随分前にバレていて、幼馴染の父にもバレていた。
悟浄が自覚してからは父親の方はいつも渋面を持って悟浄を出迎えてくれるようにもなった。

他に自分達の関係を正確に把握していると言ったら、悟浄がこの三年間でつるむようになった二人の友人ぐらい。
幼馴染の友人関係についてはよく知らないので、今は其方に関しては除外して考える。



誰にでも好かれる性格をしている幼馴染と、そういう関係になったのは悟浄が高校生になってから。


悟浄卒業を間近に控えた日。
一年間、一緒に歩いた登下校の道を歩いていたら、幼馴染は突然泣き出した。
もう一緒に歩けない、と言って。

家はすぐ近くなんだし、区内の高校に通うのだから逢えない時間が減る訳ではないだろうに。
そう思ったけれど、声を上げて寂しいと泣く幼馴染の子供が無性に愛しく見えて。


其処から先の遣り取りは、あまり記憶に残っていない。
ただ思い出そうとするとやたらと恥ずかしさだけが募るので、何時からかあまり考えないようにしていた。

覚えているのは、自分が何か言った後、幼馴染が「ホント?」と言ってきた事。
それに頷いたら、まだ涙の残る瞳で見上げてきて、ふわりと笑った事。






あれから二年。



今少しだけ、あの時自分が自信満々に何か言った事が不思議でならない。























ただいま、という声が隣家から聞こえてきたのが、今から一時間ほど前。
いつの間にかそれを合図に悟浄の意識は夢から現実へ浮上するようになってしまった。


幼馴染の朝のロードワークは、いつも欠かされない。
一度寝ると中々起きない幼馴染であるが、しかし寝起きの良さは誰よりも良いのだ。
夏でも冬でも毎日毎日、彼はいつも決まったルートを通って少しの汗を流し、朝を迎えるようになっている。

彼が小学生の頃は「迷子になりそうだから」という理由で、悟浄もそれに付き合っていた。
毎朝6時に起きるのは悟浄には少々辛かったのだが、彼の隣で走るのは決して嫌な気分にはならなかった。

悟浄がそれに付き合うのを止めたのは、彼が中学生になった時だ。
彼も流石に其処までの年齢になれば、いつまでもお目付け役がいるのを恥ずかしいと思うようになったらしい。
少しの間それに柄でもなく寂しさを覚えたりしたけれど、悟浄は大人しくロードワークを辞退した。
そもそも、朝早くから目覚めて即運動、というスタイルが自分には中々不似合いであったのだ。


けれど、それでも随分長い間それに付き合っていたからだろうか。
隣家から聞こえる「ただいま」を聞くと、ああ今日もちゃんと帰ってきたか、と確認するように目覚めるようになった。



それから悟浄の一日はスタートする。



少し寝癖のついた髪を手櫛で直しながら、二階の自室から一階のリビングへ降りる。
するとリビングのテーブルには既に朝食の用意がされていて、腹違いの兄がキッチンで洗い物をしていた。


悟浄はこの腹違いの兄と長年二人暮らしだ。
二人だけで住む一戸建ては随分広いが、それでも兄弟は此処でずっと住み暮らしている。
離れようと考えた事はなく、それは悟浄に懐いた幼馴染の事も理由の一つになる。

悟浄は自分の両親については、全くと言っていいほど記憶にない。
兄の母───義理の母については覚えているが、彼女も10年近く前に逝ってしまった。

だから悟浄は、殆ど兄一人に育てられたと言ってもいい。


その兄───独角の視線が、ようやく階下に下りてきた弟へと向けられた。



「おう。ようやく起きたか、寝坊助」
「……バカ猿と比べてんじゃねーよ」



時刻はまだ午前7時。
一般的に高校生が普通に起床する時間であると思われる。

それで寝坊助と独角が言うのは、隣家の幼馴染の起床時間と比べられているからだ。
幼馴染は毎朝6時に起きて走りに行くので、確かにそれに比べると一時間も遅い。
しかし出掛ける理由もないのにそれと比べられては堪らない。



「昔はお前も一緒に走ってただろうが。その調子でもうちょい早く起きてくれりゃあ、朝飯の手伝いさせるのによ」
「……ぜってーヤだね」
「…っとに可愛くねーな、お前は……あの子は手伝ってるのに」
「テメーの手伝いなんか死んでもするか!」



一々幼馴染を引き合いに出す兄に、悟浄は顰め面をして見せる。

そうしながらも、言葉の通り、全く手伝わない事はないのだ。
本当に時の気紛れではあるが、食器の片付けを悟浄がする事もある。


兄弟のこの遣り取りは、日常的にある風景だ。
これが二人のコミュニケーションなのである。



「はいはい。それは良いから、さっさと飯食っちまえよ」



早くしないと呼びに来るぞ、と。
誰がとは言わずに告げる兄に、返事もせずに悟浄は朝食に手をつけた。

それと同時に皿洗いを終えた独角が、手を拭きながらリビングに出てくる。



「で、俺はもう行くけど、学校サボんじゃねーぞ」
「毎日毎日同じこと言うな:」
「言わなきゃお前がサボるからだろが」



悟浄がサボりの常習犯である事は、学校にもよく知られている。
それでも悪びれもせず、悟浄は面倒だとか、授業に飽きたとか、取り合えずサボる。
単位の計算はしているし、成績も悪くはないので今まで無事に進級してきたのだ。

独角も、言った所で結局は良かれ悪しかれ悟浄の問題だと判っているのだろう。
半ば諦めにも似た溜息を吐くと、独角はじゃあな、と言って家を出て行った。




一人家の中に残された悟浄だが、暇つぶしにテレビをつける事はしなかった。
けれど、沈黙の蚊帳がこの家に落ちてくる事は滅多にない。

少し開けた窓の向こう側から、騒がしい声が漏れて届いてくる。
隣家から聞こえるそれが幼馴染とその父親のものであるとは、考えなくても判る。
大抵それをBGMにして、悟浄は朝食を終えるのだ。


食べ終わったら、食器を水に晒す。
今日は気分が乗らなかったので洗わずに、水の中に洗剤を溶かして浸して置くだけにした。
兄の帰りが遅いことは知っているから、これは学校から帰って自分で洗う。


弁当の中身は、基本的に前日の残り物。
忙しくて兄弟二人とも揃って疲れている時は、本当に捻りも何もない日の丸弁当になったりもする。

それを学校指定の鞄に突っ込む。
鞄の中身は軽く、教科書などは課題がない限り学校に置きっ放しだ。
入っているものは筆記用具と弁当と、財布……あとは、学校生活にはあまり必要のないもの。
持ち物検査などは殆ど行われる事はないから、悟浄のような生徒は珍しくない。





食べ終えて登校の用意をしていれば、丁度いい時間になる。
戸締りをして、鞄を持って外に出れば、今まさにチャイムを押そうとした幼馴染が其処にいた。



「おはよ、悟浄」



屈託のない笑みを浮かべてそう言ったのは、幼馴染の孫悟空。
隣家に住んでいて、何かと悟浄が構いつけていた子供。


今年で15歳になったとは思えない。
長い髪の所為で女と間違われる事が多々あるが、れっきとした男だ。
まぁ、髪が短くても、中世的で幼い顔立ちの所為で間違われる事は変わらない気がするが。

身長も低く、高校男子になった今でもまだ150p代をキープしている。
成長期だからまだ伸びるだろうが、悟浄はその下にある顔を気に入っていた。



「おう」
「おうじゃない」
「へいへい、おはよーさん」



挨拶はきちんとするべし。
悟空は父親からの躾を、未だにしっかり守っている。

悟浄にとっては割とどうでも良い事なのだが、悟空が言うから付き合ってやる。



「独角にーちゃん、もう行ったの?」
「ここんとこ早出なんだよ」



しばらく顔を合わせていない事に残念そうな顔をする悟空に、兄の都合を手短に伝える。
やっぱり残念そうな色は消えなかったが、仕方ないか、と悟空は呟いた。


くるりと踵を返して歩き始めた悟空の隣。
ごく普通に自然に、当たり前に悟浄は其処に位置していた。

昔は歩幅の違いの所為でどうしても悟浄が追い抜いていたけれど、いつしか歩調を揃えるようになった。
隣に並ぶと身長の違いが目立つと嫌がっていたこともあったが、置いていかれる方が嫌らしい。
口ではよく「置いてくぞ」と言った悟浄だけれど、その実、一度も本当に置いて言った事はなかったが。



「でねー、そしたら那托がねー」
「おー…って、前見ろ、前」



悟浄の方ばかり見上げて話をしていた悟空は、完全なる前方不注意。
前からやってきた通りすがりの自転車と接触しそうになって、悟浄はその前に制服の襟を掴んで引き寄せた。



「さんきゅ」
「おう」



襟を放せば、やはり見上げて礼を言う。
それをちゃんと受け止めて返事をすると、悟空は何故だか嬉しそうに笑う。
こんな他愛もない遣り取りが、悟空は好きなのだ。

昨日かかってきたクラスメイトの話をする時も、いつも楽しそうだ。
それは聞き手がちゃんといて、それが聞いてくれていて、尚且つそれが悟浄だから。



(……あ、やべ)



思わず緩みそうになった口元を隠す為に、気紛れに反対方向へ目を向けた。
別段其処に気になるものがある訳でもなかったけれど、悟空は特に気に留めては来なかった。

視線を向けた先には、同じ学校の女子生徒の姿。
女好きを自負するだけに、以前は通りがかるたびにそれを見ていたような気がするのはきっと間違っていない。
いつの間にか───悟空と“幼馴染”から“恋人”という関係になってから、それは形を潜めた。
美人を見ると口説くのは、最早癖のようなものになっていたけれど。


悟空の話は相変わらず続いていて、悟浄は顔がようやく元に戻ってから視線を戻した。
しばらく目を逸らしていた悟浄が振り向いた事に気付くと、また悟空は笑う。

本当に、この幼馴染は昔から変わっていない。
こうして話をしている間にもスキンシップが好きで、まだ幼さを残す手は悟浄の制服の裾を掴んでいる。
そういう所にいつの間にか惚れて、それはあまりに自然な事だったようにも思う。



だから、この存在はいつまでも手放したくない。
何があっても、誰にも渡したくない。






「─────あ、三蔵!!」






…………だからそう言って駆け出す後姿に、ぐるぐる渦巻く感情を覚えるのも無理はなかった。