For me, only you


それで、と言って更に続けられる筈だった言葉は、其処から先を紡ぐ事はなかった。

隣を歩いていた悟浄を置いて、悟空が走り出す。
その綺麗な金瞳が捉えているのは、前方を歩いている金糸の男。
またその隣に濃い茶色の髪をした男もいるのだが、果たしてそちらも見えているのだろうか。


金糸の男は、玄奘三蔵。
隣にいるのは、猪八戒。
どちらも悟浄が高校に入ってから付き合いの出来た悪友達である。

そして、金糸を持つ男の方は、悟空の大のお気に入りだった。



「さんぞー、おはよー!!」



タックル宜しく、悟空は三蔵の背中に飛びついた。
あれがどういう力加減をしているのか、かなり痛かったりする。

衝撃に仰け反った三蔵だったが、そのまま無様に地面に落ちるような事は決してないのだ。
踏ん張って振り返った顔は、容姿端麗秀麗眉目と名高いそれを般若のように歪めている。



「突進して来るなと何度言ったら判る、このバカ猿!!」
「だってー!」
「だってじゃねえ、脳ミソ入ってんのかテメェは!」



三蔵の台詞はあまりと言えばあまりな内容だが、自分達の中ではまだまだ甘い方である。
あれが自分や八戒だったら(想像するだけで寒いけど)、間違いなく即座にあの世行きだろう。
悟空だから、あれだけの言葉と拳骨だけで済まされるのだ。

今日も通例に漏れない遣り取りを眺めながら、悟浄は歩いてそれに追いついた。



「猿っつーか犬だよな、そうしてると」
「んだとー!」



悟浄の台詞に、悟空は憤慨して見せる。
けれど、可愛い顔立ちの所為でそれはちっとも怖くなかった。


悟浄のいう事はあながち外れていないだろう。
毎朝のように登校時に三蔵の姿を見つけては、飼い主を見つけた犬のように駆け寄って飛びつく。
いつだったか見た犬の散歩の途中の光景と、それは見事に合致するのである。

実際に耳と尻尾が見える気がする時だってよくある。
なんの気紛れか、三蔵が悟空の頭を撫でてやったりしている時、特に。


しかし三蔵はあくまでにべもない。



「てめぇの犬だろ、管理しやがれ」



くっついて離れない悟空を無理に引き剥がそうとしながら、悟浄を睨む。
悟浄はヘイヘイ、とおざなりな返事をしながら、ついとその光景から目を逸らした。
傍目には、幼さが抜けない幼馴染の行為に呆れただけに見えるだろう。

見慣れた光景になってしまっただけに、悟浄からすれば見たくもない光景だった。





幼馴染で恋人の悟空が、他の男に懐いている光景なんて、いつまで経っても慣れない。



悟空は元来から人懐こい性格で、スキンシップも好きだ。
クラスメイトの那托や李厘とくっついたり離れたりして遊びまわっているのもよく見た。
その時は二人も悟空を友人、親友と見ていると知っているから、それほど気にならないのだけど。

八戒や三蔵、他にも悟空は上級生にも臆面なく同じように接している。
部活の先輩にも、中学校にいた時には後輩にも無邪気に笑いかけていたものだ。


そんな無邪気で素直で、見た目も可愛い悟空に心を奪われる人物は少なくない。
男子校ではないのに悟空の人気は男女共に高く、ベタに校舎裏に呼ばれて告白、なんてこともよくあった。

悟浄が悟空と付き合うようになる以前は、「こんなチビの何がいいんだか」と思ったものだ。
が、しかし、好きになってしまえば痘痕も笑窪というものか、確かにこんな良い子はいないと言いたくもなる。
年齢不相応な程の屈託のなさは、年齢層を問わずに人を魅了した。
彼の父親の親バカ振りの理由が垣間見えたような気もする。

幸いと言うべきか、悟空は超がつくほど天然なので、その手のことには一切関わってこなかったのだが。



だから付き合うようになってから、悟浄は気が気じゃなくなった。
悟空がその気で人と接している気がないとしても、相手から見てどうなのかは判らない。
あの無邪気で太陽のような笑顔を自分だけのものにしたいと思う人物は少なくない。

そんな恋人を持って、平時冷静でいる程に悟浄は悟空との関係を自信を持つ事は出来ずにいた。
幼い頃からずっと見守って、悟空の気質をよくよく熟知しているから、尚更。


何せ「誰が一番好き?」と聞かれて、選べないからと親から幼馴染、友人の名前を全部連ねるほどだ。
“特別”という意識、認識についてはまだまだ幼稚園児レベル。

いつ何処で、誰に掻っ攫われるか判ったものじゃない。
……しかも、悟空にまともな自覚が芽生えるよりも早く。
…何せ、本当に無邪気で素直で単純だから。






─────…そんな訳で。

悟浄は、これから一年もこの光景を見なければならないのかと思うと、かなり気が滅入るのだ。
自分の可愛い恋人が、そんな意識はないと言っても他の男に極上の笑顔を向けているなんて。



「でね、あんねー」
「煩い……少しは黙って歩けねぇのか」
「だって三蔵と話したいもん」
「………少しボリューム落とせ」
「頑張る」



おまけに、三蔵も三蔵でそれを振り払わない。
如何して其処で他と同じように扱わないのか。


普段誰も相手にしない、触れさせる事さえ赦さない三蔵が、悟空だけはそれを赦す。
また先程から子供の様子を楽しそうに眺めている八戒も、人付き合いは満面なくても、本気で他人に心を赦す事はない。

そんな彼らが、悟空にだけは違う。
触れる事も赦し、自らも手を伸ばし、仮面ではない笑顔を見せる。
三年間の付き合いで、それがどういう意味を持っているのか、悟浄にもよく判った。



「あ、そだ! 八戒、今日、調理の授業あるってホント?」
「悟浄情報ですか? ええ、ありますよ」
「オレ八戒の作ったモン食べてみたい! なんかね、女子がすげー美味いんだって噂してたんだ」



三蔵の腕に自分の腕を絡ませて(それは恋人同士がやるんじゃないかと何度も思った)、
首を巡らせて肩越しに八戒を見て(その上身長差の所為で上目遣い。自分だけにしろと言いたい)、
ウキウキと気体に満ちた瞳で見つめる悟空に、八戒はまた優しく笑う。



「そうなんですか? なら、授業が終わったら悟空に食べさせてあげますね」
「マジ!? やったー!」
「はしゃぐな、喧しい!」



すぐ隣で高い声で喜びの声を上げられて、三蔵は眉根を寄せて怒鳴る。
が、既に気分が高揚している悟空には全く効果がない。



はしゃいで見せる悟空の顔は、専ら三蔵に向けられているばかりだ。
それを悟浄は少し後ろからついて歩いて、何を言うでもなく眺めている。

恋人の前でこうして他の男に懐く悟空を、悟浄は一度も咎めた事はない。
あれぐらいのスキンシップは、悟空にとってはごく当たり前なのだ。
自分の父親にも、悟浄の兄にだってよくしている事。
今更悟浄があれこれ口を出すような事ではないのだ。


だから、此処で自分が癇癪を起こすのは、悟空にとってお門違い以外にないだろう。
悟空にとってはごく普通の事だし、悟浄はそれをよく理解している筈なのだから。



「それとね、オレまたタイム上がったんだよ」
「チビの癖に走るのだけは速ぇな」
「チビじゃねぇもん!」
「何処がだ。160もねぇ癖に」
「言うな!」



三蔵は賞賛も労いも、殆ど口にする事はない。
それでも悟空は何かと三蔵に報告して、なんでもいいから反応して貰うのが嬉しいらしい。

チビだとかコンプレックスの事を言っても、三蔵相手なら子供が拗ねたような顔をしてみせるだけ。
あれが悟浄だったら間違いなく蹴りをお見舞いされるだろうに。
悟空が甘えるのは専ら八戒で、褒めて欲しいと子供のようなおねだりをするのは三蔵だ。

其処が幼少から付き合いのある幼馴染ならではの関係かも知れない。



「走るのに身長なんか関係ないんだよ、オレ一年で一番速いもん」
「あるだろ、関係。足短いだろうが」
「短くない!」



自慢げに言う悟空を横目で見ながら、三蔵は呆れたように呟いた。
それにまた悟空は子供のように高い声を上げて否定する。


全身を見て言えば、悟空も足が短いという事はないだろう。
しかし、如何せん身長が低過ぎる。
それは走るという陸上競技に置いて、大きなハンデではないか。

最も、本人は全くそんな様子を伺わせないが。
悟空の足の速さは幼少の頃からで、今では悟浄も本気で走らなければ追い付けないだろう。



「三蔵なんかは運動しませんからね。悟空の方がきっと速いんじゃないですか?」
「マジ!? へへー、オレ三蔵に勝った!」
「猿と競争なんかしたって意味ねぇだろ。動物の方が速いのは当たり前だ」
「動物言うな! 三蔵が遅いだけだよ!」
「遅かねぇ」



意外と低い三蔵の沸点に、悟空はあっさり触れてしまったらしい。
がしがしと頭を掴まれて悟空は悲鳴を上げるが、それも何処か楽しそうだ。

三蔵も三蔵で、悟空相手に飛び出てくるのは精々ハリセンぐらいのもの。
相手が悟浄であれば何が出てくるか判ったものじゃない、いつだったかエアガンを向けられた気がする。
その時八戒が何をしていたかと言えば、止めるでもなく笑って見ていただけだった。


“踏み込まない”と暗黙の了解のようにいつの間にか強いた、悪友達とのルール。
誰も自分の領域に踏み込ませない代わりに、誰も相手の領域に踏み込むことはしない。
話あった訳でもなく、ただごく自然と、悟浄と三蔵、八戒の間にはそんな関係が出来上がっていた。

けれど、悟空は違う。
あっさりとその領域に踏み込んで、そのまま其処にいついてしまう。

悟空の不思議な所は、そういう部分だと悟浄は思う。
誰にも嫌悪させる事がないのは、悟空自身が開けっぴろげな部分があるからだろうか。
あまりにも無防備に慕ってくれるものだから、無碍にする気はいつの間にか失せるのだ。


しばらく眺めていれば、三蔵も怒鳴るだけ無駄だと思ったらしい。
ハリセンを引っ込めて(毎回何処に隠しているのか謎だ)、くっついてくる悟空を好きにさせている。

あまりそれを見ていたくなくて、悟浄は明後日の方向に目を向けた。



「三蔵、三蔵」
「あ?」
「三蔵、なんかいい匂いする」
「……テメェは犬か」



悟空の突然な発言に、三蔵は眉根を寄せた。



「なぁ、なんの匂い?」
「煙草じゃないですか? さっきまで吸ってましたし」



恐らく三蔵が答えないだろうと見越して、八戒が先に答える。
それを聞いた悟空は、きょとんとした表情で後ろを歩く八戒と悟浄を振り返った。



「煙草だったら悟浄も吸うよ」
「知ってますよ。二人とも高校生の分際でねぇ」
「…なんか棘あるな」



八戒を横目に身ながら悟浄が呟くと、いえいえそんな、といつもの完璧な笑顔。


言いたいことは判っている。
高校生の喫煙は勿論法律で禁止されているのだから、それぐらい守ったらどうだ、と。
生活指導のブラックリストに乗っている今言われても、何を今更、という気分だが。

八戒も言った所で悟浄も三蔵も煙草を止めるとは思っていないだろう。
だからこんな風に、地味に棘を刺してくる。



「……んー……」
「匂いをかぐな、馬鹿犬」



捕まえている三蔵の腕に顔を近づける悟空。
飼い主が自分以外の犬の匂いをつけていないか確かめる、まるでマーキングのように丹念に。



「………悟浄と匂い違うよ?」
「煙草も色々ありますからね。種類が違うんですよ」
「ふーん……」



煙草などまるで興味のない悟空にしてみれば、初めて知っただったらしい。

思えば彼の父親は煙草は吸わない(寧ろ潔癖のきらいがあって煙草は大嫌いである)。
悟空も別段それに興味を持つ事はなかったから、授業で教えられた以外の煙草に関する知識は殆どゼロだ。


悟空はまた三蔵の腕に顔を寄せている。
三蔵はもう勝手にしろとばかりに放置していて、そのまま学校へと歩いている。
歩き難いから離れろと言っていたのは、いつまでだっただろうか。






「さんぞーの匂い、すきー」






無邪気に言うその顔を見たくなかったから、悟浄は終始、明後日の方向を向いていた。