形にない贈り物











“おめでとう”




“ありがとう”










───僕は、どっちを言ったらいいのかな













































「………あ」



ガタガタと荒道を進むジープの上、漏らした悟空の声は意外と大きなものだった。
隣の悟浄は僅かに瞠目して悟空を見遣り、三蔵と八戒はバックミラーで子供の様子を伺った。

けれども、どうやら悟空は自分が声を漏らしたことに対して気付いていない。
無意識のまま一文字だけを口にした悟空は、変わらぬ姿勢で流れ行く景色を眺めている。
眺めてはいるけれど、どうも景色については頭に入っていないようで、別の事で脳内が一杯になっているらしい。


よく晴れ渡る空の下で、心なしか悟空の瞳がらんらんと輝いていた。
今日は襲撃も何もなく穏やかだった所為か、つい先ほどまでは暇だ退屈だと渋っていた筈。
しかし今の悟空にそれは一切見受けられず、まるで「面白いもの見っけ!」と言うよう。

実際は「見つけた」と言うよりも、「思い出した」という風に見えたのだが。
見ている側には大した差はないので、其処は取りあえず無視する事にする。



「……うん、そーだ」



何かを確認するように呟く悟空の声。


いつもなら悟浄が突いてみるのだが、何故だか今日に限ってそれがなかった。
声をかけるのを躊躇うほど、悟空が自分の世界に浸り込んでいるようで。

八戒もそんな悟浄と同じように、常のようにどうしましたか、と聞くタイミングを逃していた。
けれども意識はすっかり悟空の方へと向けられて、ハンドルを握る手は酷く事務的に動くだけ。
言うほどジープの速度も出ていないし、襲撃の様子もないから、そんな事になっている。


悟空はそんな彼らに気付く事無く、指折り何かを数えている。
それは両手の指を一度折り広げし、もう一度折って後一本で二度目の折り返しという所で止まった。



「やっぱそうだ」



すっかり何がだ、と問いかけるタイミングを逸してしまった。
三蔵は最初から問いかける気がないようで、その指の動きを見た後、また前方へと目を向けた。

一体何を数えていたと言うのか。
悟浄が同じように指折りしてみたが、それで判るようなものでもない。
元より子供の発想なんて突飛なもので、大人にそれが掴み切れる訳もなかった。


さてこの後どうする気だろうか、と悟浄と八戒は子供の様子を伺ってみた。

すると、それまで移り行く景色へ向けられていた顔が、唐突に八戒の方へと振り向いた。



「八戒、今日って街に着ける?」
「え?」



振り返られたこともさながら、急な質問に八戒は一瞬瞠目した。
が、直ぐにいつもの表情に戻る。



「ええ、そうですね……このまま順調に行けば、お昼頃には着けますよ」
「なんだよ猿、そんなにベッドが恋しいか?」



野宿に飽きたのか、と悟浄が揶揄いに割り込んだ。



「ちげーよ!」
「じゃなんだよ」
「教えてやんね!」



即否定した悟空に理由を問えば、そんな台詞。
おまけにあかんべえまで付け足されて、悟浄は少し顔を引き攣らせた。



「いい度胸じゃねえか、この猿!」
「いててて! 離せよ、バ河童ぁ!!」



ヘッドロックで首を絞められ、悟空が暴れ出す。
まだ幼さを残す手が悟浄の髪を引っ張り、もう片方の手は仕返しとばかりに頬を抓る。

一分前の退屈を持て余した静けさなど何処へやら、日頃の騒がしさがまたやって来る。
苦しさからじたばたと暴れる悟空のお陰で、ジープの車体が少しぐらぐらしていた。
きゅう、と抗議のようにジープが声を上げたが、残念ながら騒ぐ本人達はそれは届かないのであった。


代わりの怒号は、やはり天下の最高僧。






「煩ぇ、黙れバカ共!!!」





─────一先ず、今日も平和な西行きの旅路。










































辿り着いた街は、地図で見るより聊か大きなものだった。
人々の生活も街の中心を流れる大きな川を境に、北部と南部に区分されている。
生活の色や特色も見て判るほどに違っていた。


街の北部は商業を中心とし、道々には大小様々な店が立ち並んでいる。
市もあちらこちらで見受けられ、売っている物は食べ物類から護身用の武具にまで行き届いている。
高値の付きそうな金属類の小物もあれば、売り物になるのかと思うようなガラクタまであった。

反対に南部はと言えば、大半が大きな歓楽街を占めている。
昼間はやはり形を潜めているが、歩く人々の殆どからは、確かにそういう類の匂いがしていた。



南部には上等な宿が幾つか見られたが、治安について話し合った結果、北部の安宿を選ぶことにした。
それについて不満を告げたのは悟浄であったが、案の定、八戒の笑顔に敢え無く敗退した。
夜になってこっそり抜け出して───等とも考えた悟浄であったが、見事にそれも見抜かれていた。

一人残念がる悟浄のことは放置して、八戒はさっさと宿泊手続きを済ませた。
しばらく野宿続きであり疲労も溜まったので、その解消も兼ね、珍しく長めに留まることになった。


部屋は無事に、一人一部屋ずつ。
ただし夜間の個人行動はなるべく控える事、という事になり。

その中でも。



「悟空は、昼間でも一人で南部に行っちゃダメですよ」



と、八戒は先ほどから何度も悟空に言って聞かせていた。
普段ならば一度言えば済むものなのだが、今日に限って八戒はしつこく言い聞かせる。


………無理もない。
何せ、悟空の方から南部の歓楽街へ興味を示したのだ。
と行っても其処に何があるかは判っていなくて、ただ遠目に雅な風景が気になっただけだったのだが。

しかし気になっただけ、とは言っても、子供の好奇心と言ったら。
素直な悟空が言い付けを破るとは思っていないが、心配性な保父は一度言うだけでは気が済まなかった。



「いいですね?」
「うん」
「本当に判りました?」
「うん」



繰り返す八戒の言葉に、悟空はこっくりと頷いてみせる。
そろそろしつこいんじゃないかと傍観している悟浄は思い始めていたが、今彼に八戒に意見する気力は残っていなかった。
何せ、先ほど根こそぎ剥ぎ取られたのだから無理もない話だ。

普通はこっちが言うんじゃないかと思うような保護者はと言えば、興味なさげに新聞を読んでいるだけだ。
彼が同じ事を言えば、一言だけで事足りるのではないかと思う悟浄であるが、やはりそれも胸のうちに留めておいた。



「夜になってきらきら光っててもダメですよ」
「……うん」



小さな子供と同じで、どうも悟空は光るものに弱い。
それは遠目のネオンだったり、草葉で光る蛍であったりしても同じこと。
その先に何があるかは考えていなくて、ただ好奇心に背を押されるだけ。

この街の南部は、きっと夜になればさぞや華々しく誘蛾灯を放つ事だろう。
時にそれが、招かざる者までも引き寄せてしまうとしても、だ。


八戒が懸念しているのは、その一端。



「知らない人に美味しいものあげるって言われても、絶対ダメですからね」
「それはしないよ……」



八戒の言葉に流石の悟空も大袈裟だと思ったらしい。
そんなに自分は子供か、という風に唇を尖らせて、悟空が呟いた。

しかし、それに割り込んだのは黙していた筈の保護者で。



「ほざけ。二年前にそれで誘拐されそうになったのは何処のバカだ」





二年前、と言ったらまだ旅に出る前の話。
今よりもずっと、輪をかけて悟空が世間知らずだった頃の事だ。

とはいえ、その時悟空は既に17歳であったから、相応の危機管理は出来た筈だった。
三蔵も何度となく煙草を買いに街に走らせた事もあったし、一人で寺院と悟浄宅を往復するぐらいは出来た。


……にも関わらず、だ。


寺院の参拝に、たった一度だけやって来た男に、悟空は拉致されかけたのである。





「あ、あん時は顔知ってたから、だからつい」
「一度しか顔見てねぇ奴の腹のうちなんか知れたもんじゃねえだろうが」
「……だって、お菓子くれた奴だったし……」
「…………駄目だな、こりゃ」



言い訳に告げられる悟空の台詞に、悟浄が呆れたと呟く。



「悟空はその手の人に狙われ易いんですから。もっと警戒心を持って下さい」



その手の人って何? と悟空の顔は告げていたが、誰もそれについては答えなかった。
答えないから余計に悟空の警戒心が育たないのでは、と思われないこともなかったが、
純真無垢な子供には出来れば知らないままでいて欲しい世界の話である。

───そんな純真無垢な子供が、既に保護者によって順番無視で段階を超した所で大人になっていたりするのだが。



「とにかく、お前が宿で大人しくしてりゃ済む話なんだ」



長々と続き、また更に続きそうな八戒の話を強制的に打ち切るように、三蔵が告げた。
すると悟空は少しつまらなそうに窓の外を見ていたが、うん、と小さく頷いた。

ほら、やっぱ保護者さんが言やぁ早いんだ。
大袈裟にも少し萎れてしまっているようにも見える悟空を横目に、悟浄はそんな事を思った。
八戒が長々言い聞かせてもまだ渋っている様子だったのに、まるで鶴の一声だと。





久しぶりに着いた街は、悟空の気を引くには十分なものが溢れかえっていて。
北部の市場には沢山の品があり、中には街特産とされるものもあって、宿に着くまでに悟空はあちこち目を奪われていた。

食べ物、民芸品、見世物小屋の動物達───……子供の好奇心を刺激するには十分すぎた。
しかも一週間ほどではないにしろ、少し長く滞在する予定。
その間に気になるものは全部見て廻ってやろう、と悟空が思うのも無理はない。


しかし、残念ながらその思いは出鼻から挫かれてしまった。


珍しい食べ物も、見たことのない民芸品も、色んな芸をする動物達も。
きっと大人たちが見たもの以上に、悟空は沢山のものを見ていただろう。
街中でらんらんと輝いていた金晴眼は、まだ三人の記憶にも新しい。

きっと楽しみにしていたのだろうに。



だが、残念だが仕方がないと言う他ない。
大きな街と言うものはそれに応じて統制が取られているが、反面、後ろ暗い所も数多い。
大通りから一歩すれ違った道に入るだけで、其処で何が行われているか判ったものじゃない。

北部は確かに商業を主としているが、見目に良い商売ばかりでない事は確か。
宿を探す間に通った路地の向こうで、あまり耳に入れたくない声を聞いたのは悟浄だった。
五感の鋭い悟空がそれに気付かなかったのは、果たして運が良かったと思うべきだろうか。


やはりどうにも暗部というものに対して、悟空は鈍いらしい。
其処は長所であるとも言えるが、同時に隙が多いという事だ。


────よって、大人たちの意見は合致した。

可哀想だとは、やはり少しも思わなかった訳ではないけれど。







窓辺でしょぼくれた仔犬のように黄昏る悟空に、三人は息を吐く他なかった。