flare











─────あげない


───………誰にも、あげない











だってあの光がないと、息が出来ない










































今日も今日とて、団体様のご到着だ。

此処まで人気のあるツアーもないんじゃないか、と悟浄が面倒臭さを誤魔化すように呟く。
そんな台詞が口を突いて出てくるのも最早無理はないだろう、何せこれで五日連続と言う記録を打ち立てたのだ。


一行の体力を少しずつ削いで行く作戦で出たのか、それにしてはあまりにも歩合が悪いのではないだろうか。
確かに朝から晩まで引っ切り無しにやって来られては碌に休めもしないので、その点はよく考えたと言うべきかも知れない。
しかしそれにしたって割が合わない気がするのは、一回一回が本当に団体で、それも大した強さを持っていないからだ。

ツアー客のメンバーにどれほどの実力と自身があるのかなど知ったことではない。
だがどう考えても、一日のうちに一行が削られる体力と、減っていく妖怪の数がとてもじゃないが比例していると思えない。
一行の誰か一人が50人を相手にした所で、与えられるダメージなど高が知れているのだ。
それでも懲りずにやってくる妖怪達は、ひょっとして半ば勢いと引っ込みがつかなくなったのでは、とも思える。



広い荒野の先の先まで埋め尽くす、妖怪たちの影。
夕暮れ時という事もあってか、長く伸びる影が妖怪達の姿形を少しだけ大きくして見せている。
気の弱い者なら影が齎すちょっとした錯覚と思い込みで、恐怖感を覚えて逃げ出すかも知れない。

が、生憎ながら今現在此処にいる者達の中に、そんな人並みの神経の細さを持つ人物は一人としていないのだ。
一人は常の笑顔、一人は煙草を吹かし、一人は欠伸、一人は不機嫌そうに眉根を寄せている。


しかし、なんだかんだ言っても毎日毎日、日に二度三度と襲撃されれば確かに疲労も出てくる。
寝不足もある上、ジープが体調を崩してしまって徒歩を余儀なくされている今、出来るだけ無駄な仕事は増やしたくはない。

食事ものんびり取る暇がない所為で、悟空はずっと腹が空いた状態が続き、
三蔵と悟浄は煙草の本数が増えた上にストックがなく、不機嫌度は最高潮。
常に笑顔の八戒もジープをゆっくり休ませたいのに赦されず、その笑みの裏は確実に煮えくり返っている事だろう。

けれども、残念なことに眼前に広がる妖怪達は、そんな彼らの胸中など一切知る由もないのである。



「今日こそ死んで貰うぜ、三蔵一行ォ!!」



これも聞き飽きたよなぁ、と悟浄が呟く。
人気の売り文句なんじゃないですか、と八戒が笑顔で返した。

腹減ったー、と悟空が漏らす。
荷物の中に食料はまだ十分残っていると言うのに、妖怪達の襲撃の所為でそれに手をつけることが出来ない。
悟空にとってこれ以上に不幸な瞬間などないだろうに。


三蔵が最後に残った一本の煙草に火をつけた。
くしゃりと潰した箱を見向きもせずに放り投げれば、吹く風にそれはかさかさと音を立てて飛んでいく。
それに少し遅くして悟浄が同様に最後のハイライトに火をつけ、潰した箱を捨てた。



「なー、こいつらぶっ飛ばしたら飯にしよーぜ」
「今だけは猿に賛成。朝も碌に喰ってなかったんだからな」



悟浄の同意の言葉に、悟空が僅かに顔を明るくして八戒へ視線を向ける。



「うーん…別にそれは僕も構わないんですけど、もうすぐ街に着けますよ」
「もうすぐったって、見えねえじゃん。まぁ。ジープだったら確かにすぐなんだろうけどよ」
「……向こう側なんぞ見えたもんじゃねえな」



すっかり団体に埋め尽くされて見えなくなっている、小高い丘の向こう側。
其処を越えればすぐだと言う八戒だが、まともに見えない向こう側までの距離がどれ程かなど判ったものではない。



「────結局は、こいつらを片付けねぇと話にならねぇって事だ」



先へ進むにしろ、食事をするにしろ。
眼前を埋め尽くす邪魔者を全て排除しない限りは。





「殺れぇええええ!!!!」






咆哮のような言葉とともに、妖怪の軍勢は一気に襲い掛かってきた。































戦闘開始から、時間にして30分。

気付けば周囲は地獄絵図にも似た情景となり、地に足をついて立っているのはたった4人。
幾つかまだ身動ぎしている者もいたが、再び飛び掛ることはおろか、起き上がることも出来ない。
いっそ意識を飛ばしてしまった方が幾らかマシだったのではないだろうか、とも思う。



「あーあ、腹減ったー!」
「だぁな」



悟空が如意棒を手のひらから消して言えば、同じように獲物の形を消した悟浄が呟いた。
運動後の休憩一つとばかりに煙草を取り出す悟浄だったが、生憎中身は空。
くしゃっと握り締めて潰した箱を放り投げると、かろうじて意識を残していた妖怪の脳天に当たった。

悟空はんー……と声を漏らしながら伸びをすると、足元に転がっている妖怪を跨いで通る。
向かう先には三蔵と八戒がいて、足早にその下へと向かう悟空を、悟浄ものんびりと追い駆けた。



「三蔵、八戒、オレ腹減ったぁ〜!」



お決まりの台詞を言いながら駆け寄ってくる、一行のマスコット。
それを見た八戒は苦笑し、三蔵は仏頂面で近付いてくるのを待った。



「もうすぐ街に着けますから、それまでもう少し我慢してくださいね」
「うぇ〜……でも悟浄も腹減ったって」



戦闘前の会話まで引っ張り出して強請る悟空に、八戒はすみませんね、と囁いた。
悟空は剥れた顔になると、つい数十分前に“戦闘後に飯”という話題に賛成した悟浄へと視線を移す。

その視線に気付いた悟浄が少し目線を落とすと、見上げる金瞳と紅が交わる。
じっと見つめるそれが何やら期待に満ちているように見えるのは、決して見る側の気の所為ではない。


悟浄とて腹が減っているのは同じだ。
連日連夜、頻繁に襲来してくる妖怪達のお陰で昨日の晩は寝不足で、無用な運動は空きっ腹に応える。
おまけに煙草もなくなってしまった悟浄だから、せめて胃袋ぐらいは早く満たしてしまいたい。

が、周囲のなんと燦燦たる光景であることか。
屍と呻き声を上げる連中の山の中でのんびり食事なんてしたくはない。



「……此処で喰う気はしねぇぞ、俺は」



だから悟空の見上げる瞳が何を望んでいるか判っていても、出てくるのはそんな台詞。

当てが外れた悟空は、大袈裟と思うほどの溜息を吐く。
胃袋が満たされているか否かという事が死活問題に等しい悟空にとっては、ごく当たり前の溜息であったが。


カチッと音がして三人が振り返れば、三蔵が煙草に火をつけていた。
どうやらそれが最後の一本だったようで、いつも袂にある筈の煙草の箱は地面に潰れた形で放られていた。



「で、確かこの山越えれば街があるんだったな」
「地図で見てもそれなりに大きな街でしたよ」
「んじゃ、美味いもんも一杯あるよな!」
「キレーなおねーちゃんがいりゃあいいけど」



煩悩全開の悟空と悟浄の言葉に、三蔵が呆れたように嘆息した。



「どっちにしても、さっさと歩かねぇとありつけんぞ」
「歩く歩く! ってかさ、もう走ろうぜ! 近いんだろ?」
「ざけんな、面倒臭ぇ」



急かす悟空は三蔵の手を引っ張り出すが、三蔵は頑としてそれに応じない。
戦闘によるものであっても無為な運動は避けたがるのだ、この最高僧の肩書きを持つ男は。

悟空は拗ねた顔をしながら、「早く行こう」と言って三蔵の手をぐいぐい引っ張ろうとする。
これをするのが養い子以外であったら、間違いなく即銃弾が跳んで来るだろう。
半ば悟空専用となりつつあるハリセンが出て来ないのは、なんだかんだ言っても三蔵も早く街に着きたいのだろう。
足は動かさなくても、気持ちは一応進行方向へ向いているらしい。


相変わらず、子供にだけは甘い最高僧様だ。
声に出さずに、悟浄と八戒は顔を見合わせて思う。

何かと「付け上がるから甘やかすな」と三蔵は言うけれど、悟浄や八戒からすれば三蔵の方が大甘だ。
本人にその自覚があるのかは、二人の知る由ではないし、確認するような事もしないけど。



「街に着いたら先ず飯屋なっ!」
「宿探せ、宿」
「オレ中華喰いたいなー」
「会話をしろ、猿」



手を引っ張るのを止めても、悟空は三蔵の隣から退こうとしない。
此処が自分のポジションだと言うかのように、ごく当たり前のように其処にいる。

そして、三蔵も悟空だけが其処にいる事を赦している。


二人の会話を聞いていた悟浄は、その光景を遠巻きに眺めながら、今日の夕飯はきっと中華で決定だと思った。



「なー、いいよな、三蔵」



三蔵が返事をしなくなっても、悟空は繰り返す。


死屍累々の地獄絵図の中、悟空のその声は酷く不似合いだ。
辛うじて意識のある妖怪がそれを聞き取ったのか、忌々しげに悟空を睨んでいる。
指一本も碌に動かせないのだろうに、気力だけはしぶとい奴もいるものだ。

悟浄は通り様に悟空を睨みつける妖怪の頭を踏みつける。
ついでに背中を蹴ってやれば、しばし痙攣したあとにがっくりと地面に伏した。



「で、あとどれ位歩けば着くんだよ?」
「もう其処を越えれば直ぐですよ。麓まで降りる必要はありませんから」
「山間の中腹にある街ねぇ。階段だらけで面倒くせぇんだよな」



ぶつぶつと大して意味もない事を呟く悟浄。
そんな合間にもやはり子供の声は響いている。



「あいつだけは何処行っても元気だよなぁ」
「だからこそ悟空、でしょう?」



八戒のその返答に、まぁな、と悟浄は返す。








過去に何度か見た落ち込んだ悟空の顔。
やはり見るならば、そんな沈んだ表情よりも子供のように笑っている顔の方が良い。

その為には、三蔵と言う存在が何よりも不可欠だ。


太陽だと呼ぶ金糸の傍らで、向けられる笑顔はそれこそ太陽という言葉が相応しい。
真っ直ぐに言葉をぶつけられて、暗雲の中で彷徨っていた者にすぐ傍に光がある事を教えられたのは決して少なくない。

三蔵が己の心眼と信念、それらを言葉を以てして本人の意図はされど他者を救うと言うのならば、
悟空は自分自身の抱く理念と生来の素直さ、そして何よりも其処にある笑顔が何よりの救いの光であると言えよう。
打ち砕くほど強くはない、けれど全てを包み込むような温もりが其処にはあった。



紅は血の色。
紅は炎の色。

罪に穢れた瞳。
綺麗な瞳。


あまりにも幼いその言葉と表情に、それまで抱いていたものを打ち壊されたいつかの日。
真っ直ぐ見上げてきた金色の瞳に射抜かれて、燻っていた暗闇は根こそぎ持って行かれてしまった。

見上げる金瞳が太陽のようだなんて、きっと本人はいつまで経っても知らないままだ。



けれど、そんな子供が誰よりも昏い闇を抱いていた。


雪が、それが運んでくる静寂が怖いと言った時。
何も持たないまま、永遠に等しい悠久を過ごした子供の怯えを見たような気がした。

預かったいつであったか、一人でいるのが怖いと言って泣いた日。
目の前が真っ暗だと言って、自分だけの太陽を繰り返して呼んでいた。



……太陽は自ら光を放つ恒星だ。
その太陽を照らし返すものがあるとは、俄かに信じ難い話かもしれない。

けれど、悟浄と八戒の視線の先にあるものは正にそれであると言えるだろう。
見下ろして目の前にある金色の瞳は、同じで違う色を持つ金糸を見上げている。
その金色があるから、あの子は。






眩しい笑顔を、見せてくれる。