face painting





「あ、ストップ」
「お」



予告もなく(口にはしたが言葉と行動が同時であった)止まった悟空に、那托は慣性の法則に一度従ってから脚を止める。



当人達は残念なことに、そして子供達以外には幸運なことに、此処に来るまで被害者が増えることはなかった。
時折大人の姿を見ることはあっても、やはり早々簡単に悪戯をさせてくれる人物はいなかった。

目ぼしい所は全部回ったか、とこの遊びもそろそろ終わりだろうかと共に思い始めていたところだった。


場所は外の庭に面した長い廊下の丁度真ん中辺り、自分達以外に人影はない。
庭では桜の花が咲き誇り、吹く風に撫でられて小さな花弁が舞い踊っていた。

その桜の下で大人たちが宴会をしている所は何度か見たことがある。
那托も父に連れられて参加した事はあったし、悟空も保護者達と夜桜を見に行った事があった。
だから割と天界の桜並木の下には人の存在が多く、特に建物の付近はその傾向が強い。

けれども、今回悟空が見つけたのは、それとは少し様相の異なるものだった。



「あれ、ケン兄ちゃんだ」



咲き誇る桜の木の一本を指差し、悟空は言った。

半端なく広い庭の桜は、二人のいる外廊下からかなり距離がある。
けれど悟空の視力でそれは特に問題を成さず、那托も目を凝らせば悟空の指差すものを確認する事が出来た。


咲き誇り舞い散る桜の花弁の隙間、同じように咲き佇む桜の花びらに隠れるように。
風に揺れて飛んでいくその隙間に見え隠れする黒を、二人は見逃さなかった。



「………本当だ、あれ捲簾だ」
「何してんのかな?」



淡やかな桜色の中、やはり正反対の色見だからだろう。
悟空も見慣れた西方軍の軍服を着る子供のような軍大将は、一度見つけてしまうと目立って見えた。



「寝てるっぽいぞ」
「こんなとこで?」
「お前が言える台詞かよ」



外なのだから当たり前だが、ベッドもなければシーツもない。
そんな場所で寝る捲簾を悟空は不思議そうに呟いたが、そういう悟空もよくやるのだ。
日当たりがいいだとか、風通しが気持ちいいだとかで、猫のようにその場で眠ってしまうことは。

そういやそうだったか、と思い出した悟空に、だろ、と那托は肩を竦めた。


ととっと軽い足音を立てて、二人は外廊下からそのまま外界へ跳び出て行った。


普段は“軍大将と言うよりガキ大将”なんて旧知の友人から言われる男だが、
それでも第一小隊をまとめ上げ、実力は勿論あるし、頭もそれなりに切れる人物だ。
気配などまるで隠そうともしない子供達の接近なんて直ぐに気付いて目覚めそうなものだった。

けれども悟空と那托が近づいてくることに、捲簾は全く反応を示さない。
起きているなら片手を上げて挨拶ぐらいしそうなのに、それもない。


「……………」
「…………………」


あと数歩、というところまできて、二人はなんとなしに揃って足を止めてしまった。
近くまで来てはっきり見る事になった光景に、なんとなく目を奪われて。


似合うと思うべきか。
そうでもないと言うほどでもないし。

この男らしいと言えば、らしいような気もする。








敷き詰められた、桜の絨毯。



その中に、大の男がぽっかり口を開けて眠っているのである。








此処にいるのが例えば悟空の保護者であれば、もう少し違った印象だっただろう。
神聖とは言わないが、厳かな、一つのささやかな聖域のような。

天蓬がいるなら、自室で本に埋もれている姿を彷彿とさせて子供達は笑い出しただろう。


もしくは、お互いのどちらかであるのなら、一緒に昼寝しよう、なんて。



でも、此処にいるのはそのどれでもない。
花を愛でるのが好きだとは知っていたけれど、それとこの光景とはやはり少し違う気がする。



軍服を来た大柄な男が、間抜けな顔をして口をぽっかり開けて眠っている。
周りは桜の絨毯に敷き詰められ、それは捲簾の体の上にもはらはら落ちる。
このまま数時間放っておいたら、桜に埋もれて行方不明になったりするんじゃないか、と那托はぼんやり思った。

子供二人が揃って頭上へ目を向ければ、風に揺れてさらさら鳴る桜の枝。
一つ大きな風が吹くと花弁が舞い、止めば跳んだ花弁が舞い落ちて、また軍服の男の上に降りた。



「……間抜けな顔してんな」
「うん」
「寝ると皆こうなんのか、やっぱり」



特に意味のない会話だ、と二人は思った。
きゃいきゃいとはしゃいだ声で喋る訳でもなく、けれど小声でひそひそ喋るでもなく。
ただなんとなく、浮かんできた言葉がぽつりと口をついて出ただけだった。

なんと言ったらいいか判らない、というのが二人の正直な心境だ。
あまり予想していない光景だったから、だから。



「……起きないね」
「…そだな」
「………いつから寝てんだろ」
「……さぁ?」



疑問を口にした所で、答えを希望していた訳でもなくて。
ただなんとなく、意味のない会話が続く。


そろそろと二人で、桜の絨毯を踏み締めながら更に近付いてみる。

やっぱり、起きなかった。


「……………」
「…………………」


じっと見つめる子供達の視線など────存在など、まるで気付いていない。
“軍大将”というそれなりの肩書きを持つ図体のでかい男は、本当に暢気に昼寝していた。


捲簾の鼻の頭に、桜の花びらが乗った。
それを退けようと二人が思う前に、捲簾は小さくくしゃみをする。
以外に小さな可愛いくしゃみに、二人は咄嗟に漏れそうになった笑いを堪える。

今まで“ガキ大将”“頼れる兄貴肌”だとばかり思っていた。
けれどこういう場面を見ると、少々そのイメージは変わってしまうものらしい。



「こどもみたい」
「いつもだよ」
「うん、でも」
「うん、こどもみたいだ」



かーかーと暢気に眠る捲簾を見下ろして、二人は呟く。

そういう自分達が何よりも子供なのだが、今それは置いておこう。
だってこんなにも子供のような大人を、二人は初めて見たのだから。


常日頃に見るよりもなんだか幼い気がする寝顔。
それをじっと眺めているのも悪くはないかも知れない。
間違いなく、その途中で自分達も眠る気がするけれど。

そしてこの男が目覚めた時、傍で眠る子供二人の姿に目を剥くのだろう。
眠ってしまったらそれが見れない、それは少し残念だ。



其処まで考えた所で、二人の視線はお互いの手に収まっているマジックに落とされて。






「「やっちゃおっか」」





示し合わせた訳でもないのに揃った言葉。
また揃って笑い出しそうになって、それでも我慢して噴出すまでに耐えることが出来た。

今の今まで目覚めていないと言っても、やはり子供達の声は高くてよく通る。
まして捲簾大将だ、一度意識が浮上の方向へ向かえばそのまま直ぐ目覚めてしまうだろう。


それまでに。



「お前、なんでデコに肉?」
「天ちゃんが顔に落書きはこれが基本だって前に言ってた」
「……案外ろくなこと教えてもらってないんだな…」



真っ先に捲簾の額に書かれた、“肉”の文字。
神としてのチャクラが同じ位置にあるので、それより少し上に。

次に那托が、眠る捲簾の瞼に目玉を書く。



「それ起きない?」
「まだ起きてないみたいだから大丈夫」
「ほっぺぐるぐるにしよ」
「あ、じゃあ悟空右な。俺が左」
「うん」



金蝉や天蓬とは違うだろうが、端整と言われるだろう捲簾の顔。
粗暴さもありながら、故に他二人に比べれば取っ付き易いと言えるそれが、どんどん変化していく。


額には“肉”。
寝ているはずなのに目玉があって(調子に乗って睫まで書いて、はっきりいって不気味だ)。
両の頬にはぐるぐる渦巻き。
折角赤のマジックもあるのだからとデカデカとキスマーク。

鼻の頭に絆創膏の落書きをして。
左右の米神に“ガキたいしょう”“あばれんぼうしょうぐん(かはんしんふくむ)”。
文字は極太のペン先では判らなくなるので、斜めにして細いペン先の角で書いた。


此処までやっても、まだ起きない。



「……やべ……」
「………っ……」



どんなものかとちょっと眺めている二人の口元は、もうろくに噤んでいられない。
必死に手で押さえて耐えてみるものの、そのままでは呼吸が出来ない。

酸欠になるか、笑い死ぬか。
そんな二択が脳裏に過ぎった。




















……くすぐったい。



そんな気がして、意識が浮上へと向かい始めた。
けれどもう少し寝ていたい、というのも本音だ。


今日の午前中はハードだったから、午後は昼寝でもして過ごそうと決めていた。


早朝から部下である第一小隊の稽古をつけてやり、それが済んだら天蓬の部屋の掃除。
またしても見事に本の倉庫と貸していた部屋は、全て片付くまでかなりの重労働だった。
ついでにデスクワークは好きではないが提出しなければならなかった書類をやっつけ仕事で済ませた。

昼前になってそろそろ昼食を、と思っていたらソリの合わない上司と遭遇。
また挨拶をしなかったと咎められて、適当に返しはしたが、やはり機嫌は下がるものらしい。
そしてその後、食堂の手前まで来てヒヒジジイ(上官達の事だ)に会っていらぬ小言を貰う羽目になった。
小言の内容は下らない物ばかりで右から左に聞き流したが、折角の昼飯が不味くなったのは言うまでもない。


そういう訳で、もう午後は絶対に何もしないと心に決めた。
例え天蓬に面白い話を持ち込まれても、可愛い部下達から直々に稽古をつけてくれと言われても。
自分が世話好きなのは自覚していたが、それでも今日はもう何もしたくなかったのだ。

その傍らでふっと自分がよく構い倒している子供の姿を思い浮かべた、けれど。
思い浮かべた時点で構ってやれるような気分でないと自分で判ったから、行かなかった。
らしくないとは思ったけれど、八つ当たりしてしまいそうで、それだけはしたくなかったから。


昼寝場所に決めたのは、広い庭の端沿いに咲き誇る桜の下だった。

其処は以前、子供とその保護者と旧知の男と、四人で夜桜を見た場所で、
以来なんとなく捲簾はその場所を気に入っていたのだ。



此処なら少しはいい夢が見れそうだと思って、寝転がったのはどれほど前の話だっただろう。

桜の花弁の匂いが一杯に香るから、もう随分前の事になるのだろうか。
自分が寝転んだときは、此処まではっきりとは匂わなかった筈だ。


(…そんで、なんでくすぐってぇんだ…?)


桜の花弁の所為だろうか。
それにしては、違う。

目を開けて確認すれば早いのだが、睡魔も中々離れてくれない。
くすぐったさも不快ではなかったから、また眠ってしまうことも出来るだろう。
そうしようか、という意識もあったし、でもなぁ、という考えもある。


そうして特に意味もなく考えている内に、何かが鼓膜に届いてきた。
最初は桜の木々のさざめきかと思ったけれど、それにしては少し可笑しい。
さわさわという擦れ合う音ではなくて、もう少し明確なもの。

よくよく耳を澄ましてみると、それらは少し違う色で二重奏になっていた。
時々衣擦れの音がしたけれど、そちらはあまり気にならない。


(………?)


こうなると、やっぱり好奇心が膨らんでくる。
安眠妨害にしては優しいこれはなんだろう、と。


思って目を開けて最初に飛び込んできたのは、眠る前と変わらぬ桜の木と花弁。
風に吹かれて揺れるそれは舞い散って、思ったとおり捲簾の回りに絨毯を作り上げていた。

視覚が目覚めたからだろうか、聴覚も本来の働きを始め出す。
くすくす、と小さな笑う声が聞こえてきた。
それは楽しそうで、けれどこそこそと隠れているような感じもある。


(………お………)


ふ、と鼻腔をくすぐった匂い。

桜の花弁の匂いではない。
更に言えばその匂いは、嗅覚から齎されたものではなかった。






太陽の、匂い。





答えに行き着くと同時に、浮かんだのは金の瞳の小さな子供。



其処からは思うよりも先に体が動いた。
反動なしに上半身を起き上がらせると、うわぁ、と引っ繰り返った声が二つ。
ついでに、実際引っ繰り返っている子供が二人。

脳裏に描いた通り、子供の一人は金の瞳。
もう一人は予想にはなかったけれど、それでもああ、お前だったか、と捲簾は思った。



「……何やってんだ、お前ら」



はらはらと落ちる花の花弁を視界の端に映しながら、捲簾は子供達に問う。



「お…おはよ……」
「おう、おはよ」
「…久しぶり?」
「だな」



悟空と那托の言葉に、それぞれ返事をする。
欠伸を噛み殺しながら。

その最中、子供達の視線が自分の顔に釘付けになっている事に気付く。



「なんだよ、なんか変なモンでもついてんのか?」



桜につきものの毛虫でも乗っているのか、と思った。
しかし子供達はその程度のものに一々意識を奪われたりしないだろう、多分だが。

そして質問した直後に二人は勢いよく捲簾から顔を背けた。
二人寄り添って肩を震わせ、それが笑っているのだと少ししてから理解する。


おい、ともう一度問いかけようした直前、二人はばっと立ち上がる。





「もーだめ、オレ限界────ッ!!」
「逃げろ─────ッ!!」





捲簾にしてみれば意味不明な事を叫んで、二人は捲簾を置いて駆け出した。
盛大に笑い声をあげながら。


一体、なんだと言うのか。
取り残された捲簾は訳も判らず、ぽかんとした顔でそれを見送っていた。

さわさわと風に揺れて聞こえた桜の木々の音。
それまでもが自分を笑っているような気がして、捲簾は眉根を寄せた。
寝ている間に涎でも出していたか、と親指で口の下を擦ってみる。


と、其処に知らぬ感触を覚えた。



「……あ?」



不審に思って拭った指を見ると、黒い滲み。

いつもつけたままにしている(一応軍服の一部なので)グローブを取って、試しに顔を擦ってみる。
放して目線を落としてみれば、指先よりも範囲の広い滲みがそこにあった。


この覚えは、嘗ての自分にもあった気がする。
自分はされた側ではなかったと思うけれど。


手近に庭に設けられていた池に駆け寄った。
あまり見たくないものが見えるような気はしていたが、躊躇わずに覗き込む。


そして、其処にあったのは。





〜〜〜〜〜〜あんのガキ共───────ッ!!!!





声にならないその言葉。


さっき子供達が駆けて行った方向を瞬時に思い出し、振り返る。
こういうものはリアクションを見てこそだと、自分もよく判っている。

だから思ったとおり、子供達は桜の木の一本に身を隠してこちらを伺っていた。



「やべぇ!」
「もー見つかった!」

「逃がすかっ! 待てこのガキ────ッ!!!」