Calystegia soldanella






あなたが此処にいることが



他の何より幸せだから







ずるいと思っても欲しかった












あなたの傍にいられる場所と、約束と










































糸は、表裏だ。


糸そのものに、裏だの表だのはない。
それがタコ糸であれ、ピアノ線やワイヤーであれ、同じことだ。

けれども糸はピンと張れば張るほどに硬度を増し、少しの刺激ではブレなくなる。
だが張り詰めていられるのは両端がきっちりと固められているからであって、
片方だけでもその緊張から解き放たれると途端に糸は強さも弱さもない柔らかなものに戻ってしまう。


弦楽器の弦もそうだ。
ピンと張れば高い音がよく響き、緩ければ逆、若しくは少々歪な音色になるだろう。



─────しかし、張っていればいいというものではない。



かなりの重量に長時間耐えることが出来るワイヤー等の糸も、疲労すればいつか使い物にならなくなる。
使い込んでいれば遠からずその日は来るだろうから、せめてそれを遅らせる為にメンテナンスや交換が必要となる。
そうでなくては、何も事が進まなくなるからだ。

それは糸だけではなく何に対しても同じことが言えるだろう。
取り合えず糸で例を挙げてみたが、もっと判り易くするなら風船だろうか。
あれも張り詰めれば張り詰めるほど、表面の皮は薄くなって脆くなるから、割れやすくなる。
使わなければ、膨らまさなければ、それは永久に其処にあるだろうから。


無機物であっても、それにも寿命と言うものはある。
酸化したり、擦り切れたり、罅が入ったり────……メンテナンスも交換もせずに酷使すれば尚の事だ。

糸鋸だっていつまでも木を切り続けていたら切れ味が落ちる。
そして交換するもの代用品がないなら、せめて休ませるぐらいはしなければならない。
使い続けて弛緩した糸がもう一度、最初ほどとは行かずとも、それと同じぐらいに張り詰められるようになるまでは。



張り詰めれば強くなり、少し緩めばそれはたちまち脆くなる。
強くなった半面で磨耗し、脆く弱くなっていく。

だから、裏表。




人間だって同じことだ。
いつまでも張り詰めていたら神経が磨り減って、とてもじゃないが身が持たない。
世の中には過労死というものもあるのだから、小休止と言うのはやはり必要なのだ。
それを選んだ後にまた疲れる事になると判っていても。

張り詰めた糸がプツリと切れて使い物にならなくなる前に、メンテナンスしなければならない。
一端緩めてやらなければ、糸はただのゴミとなり、再び緊張を張る事はない。



だが、悲しいかな。






─────……不機嫌絶頂、堪忍袋の緒が限界に達している最高僧に気付く者は誰一人としていなかった。
























「三蔵様、こちらの書類にお目通しを……」



そう言って新しい紙束を運んできた修行僧を、この上なく不機嫌な目で睨んでやった。
三蔵が現在不機嫌の真っ只中にいることは判っているだろう。
明らかな侮蔑と苛立ちを滲ませて射抜く紫闇に、修行僧はヒッと声にならない悲鳴を上げていた。

哀れな事に、この若い修行僧も貧乏籤を引かされたと重々判っていただろう。
不機嫌な最高僧に近付くなんて、死ぬより辛い修行の日々より命を縮める事なのだから。


三蔵はしばらく修行僧を睨んでいたが、そうしても意味がない事は判っていた。
取り合えず、そうでもしなければやっていられなかったのだ。



「置いとけ」
「は、い」



目を逸らした三蔵は、既に修行僧から興味を失っていた。
最初から然程の興味も意味も持って見ていた訳ではないから、ごく自然な事だったが。

どうにか呪縛から解き放たれた修行僧は、執務机に書類を置いて早々に退散する。



「それでは、失礼致しました」



それだけの言葉さえ早口で、上ずった声だった。

今はそれさえも三蔵の苛立ちになる。
かと言って沈黙が良いのかと問われたら、それで収まる腹の虫でもなかった。


修行僧が置いていった書類の束のお陰で、ようやく半分程に減った塔がまた再建された。
この一週間はずっとこの調子で、時期が時期だからと言われればそうなのだが、
それだけで納得してずっと缶詰でいて大人しくしてやれるほど、三蔵と言う人物の許容量は広くない。
寧ろ常人よりずっと狭量であろうことを三蔵は誰よりも認識していた。

書類の中身も然程注意を持って見るようなものではない。
全てがそうだとは言わないが、本当に必要なものなんて一握り程度のもの。
誰が見たって同じだ、というのが三蔵の見解だ。


手の中にある火の点いた煙草を見ては、燃やしてやろうか、とも何度も思った。
季節柄、焼き芋も悪くないか、等と、そろそろ本格的に限界が来ているらしい自分を自覚する。


(食い物で現実逃避なんざ、猿じゃあるまいし)


そう胸中で呟けば、此処数日間見ていない養い子を思い出した。


今頃は寺院の敷地内の何処ぞの山の中で駆け回っているだろう。
以前は常に三蔵の傍にいたいと言って執務室から見える範囲で遊んでいたが、最近はそれもなくなった。
特に三蔵が忙しいと察した時は、邪魔をしたくないからと言って少し離れた場所まで足を延ばすようになっていた。

離れるのを嫌がっていた子供がそんな行動に出た理由は、『顔を見たら構って欲しくなるから』らしい。
ずっと一緒にいたいと言って、くっついて離れなかった癖に、妙なところで気を遣うようだ。


だが、お陰で子供に関する苦情がないのは楽だ。
反面、これを期に子供を追い遣ろうとする陰が見え隠れするのは、また苛立ちの要因になったりするのだが。


(しかし、毎回何処に行ってやがるんだ?)


一度過ぎった子供の顔が、今度は離れなくなった。
筆を持った手の動きは完全に止まり、三蔵は溜息を吐いてそれを置いた。

椅子から立って窓を開けると、新鮮な空気が部屋の中に滑り込んでくる。
どうやら、思いの外煙草の煙が立ち込めていたらしい。
抗議のように風が鳴いた。


そんな風に空気の味を知ったのはいつだったか。
それを最初に感じたのは、どんな時だったか。


(……また拾い食いしてんじゃねえだろうな)


裏山に食べられる実があるだとか、春になると様々な山菜が芽吹くだとか。
そういう事を、三蔵は興味がなかったから知らなかった。

何処に何があるか、それは三蔵よりも養い子の方がよく知っている。
大地が生んだ稀有な存在であるからか、それとも単純に野生の勘か。
ともかく、悟空はそういうものを見つけるのが得意で、見つけると逐一三蔵に知らせていた。


お陰で先日毒茸を口にしたとかで、数日寝込まれた時は手を焼かされた。
毒性の弱いものだったから腹痛だけで済んだが、その時はこっぴどく叱ったものだ。
悟空もその時は後悔やら情けないやら、怒られるやらで散々凹んで反省した。

しかし、動物は所詮動物だ、と三蔵は思っている。
腹が減った時に同じものを目にしたら、きっと「腹痛にはなったけれど食べれた」という理由でまた口にするに違いない。



吐き出した煙草の煙が、外界の気流に乗って流れていく。
紫煙がゆらゆらと揺れて消え行くのを見て、それと一緒に子供の顔も頭から消えればいいと思った。

しかし意思に反して、子供の顔はより鮮明になって残ってしまう。


「ちっ……」


そうやって頭に残るのは、目を離すを何をするか判らないからだ。
目の届くところにいても、何を仕出かすか判らない事もあるが。

その言葉が言い訳染みて、自分に言い聞かせているようなものだとは頭の隅で自覚していた。


傍にいると煩いと言って振り払うのに、隣にいないと気になる。
自分らしくもない思考に、三蔵は煙に誤魔化して溜息を吐いた。



「……片付けるか……」



ちらりと執務机の書類の山を見遣って呟いた。
が、それは言の葉になって出てきただけで、三蔵の足は窓辺から動かない。

理由は単純だ。



面倒臭い。


これに尽きる。



やりたくもない仕事を散々押し付けられて、今まで付き合ってやった自分の忍耐が奇跡だと思う。


手元の煙草も既に残り少ない。
子供が此処にいるなら買いに走らせるのだが、現状ではそうも行かない。
道中を見つかると後々面倒なので、自分で買いに行く事も出来ない。

そんな現実が更にフラストレーションを構築させていく。
いつもは多少なりとも煙草で落ち着くことが出来るのだが、最早それも追い付かないらしい。



「………やっぱり燃やすか」



前言を撤回しての物騒な一言に、修行僧がいたら目を剥いて止めただろう。
子供がいたなら一度きょとんとした後、「そしたら遊んでくれる?」と暢気に聞いてくる。

どちらがマシか。
修行僧の煩い喚き声に付き合うのも、底なしの体力の子供に散々引き摺り回されるのと。
二つに一つ選べと言われたら、今なら楽に答えが出る。


本格的に実行しようかと考えつつ、三蔵はようやく窓辺から退いた。



するとそれを計っていたかのように、ひょこりと大地と太陽が顔を出す。






「あ、三蔵、仕事終わった?」





判り易い期待に満ちた瞳が、こちらを見ていた。