Calystegia soldanella




こういう場所があったとは、と思わず三蔵も感歎を漏らした。
次いで、やはりこの子供はこういう場所を見つけるのが動物並みに得意なのだと知る。
子育てに適した場所を探し周り、誰にも頼らず見つける野生動物のように。

外出にさしたる魅力を感じない三蔵だけでなく、余程山歩きに慣れた者でも見つけられたかは怪しい。
道ならぬ道を歩いた、とまでは言わないが、動物しか気付かないような道を通ったのは間違いない。



悟空が三蔵を連れて辿り着いたのは、大きな湖畔の岸辺だった。



湖畔の周囲をぐるりと砂浜が囲み、ぽつぽつと草が生え、少しの高台にある為に吹く風を遮るものはない。
来た道を振り返れば、確かに連なる山と森があるのだが、此処だけがこざっぱりと視界が開けていた。

不自然なほどの環境の違いは、自然界ではままある事だ。
何処までも続く緑の向こう側に、広大な砂漠が広がっているように。


拾った種を埋めるのに良さそうな場所を探して、辿り着いた場所だった。

悟空は以前からこの場所を知っていたのかと思ったら、そうではなかったらしい。
迷いなく進んでいくからそうだとばかり思っていた三蔵としては、珍しいと言われても、流石に驚かずにはいられない。
ただ足の向くままに進んでいたら此処に出た、と言われた時は、取り合えずハリセンで殴っておいた。


悟空は叩かれた頭を擦りながら、砂浜の中に立ち尽くす。



「んー…と……此処でいいかな?」



そう呟くと、悟空はその場にしゃがんで穴を掘り始める。

普通はもう少ししっかりした地面だとか、少し湿り気のある場所を探すだろう。
だが悟空が躊躇いもなければ迷いもしないから、三蔵は好きにさせることにした。



(……やはり動物だな)



自分が摂取する餌が、どうすれば完全に消滅しないのか。
根に養分を吸収するものならば根を残し、再び再生できるように。

花の種類も判らないのに、子供は今自分がしている事が間違いではないのかと疑うことをしない。
三蔵が口を出せば途端に思い出したように迷うのだろうが。



「な、三蔵」
「あ?」
「これって、どれくらい穴掘ったらいいのかな」
「…知らねえよ。お前の好きにすりゃいいだろ」
「えー……でも、芽でなかったらヤだもん」



それはないだろう、と三蔵は思ったが口にしない。
自分としても根拠なく考えたことだったからだ。



「心配すんな。世の中にゃ、岩割って生える木もあるんだよ」
「マジで!?」



岩から生まれた存在が驚くことか。

思ったが、悟空はいまいち自分がそういう稀有な存在だと判っていないらしい。
一々説明するのも面倒だったから、それは言わないことにした。



「植物の生命力ってのは、俺達が思うよりずっと強いんだ」
「……こいつも?」
「…さぁな。芽が出たら、それが答えだろ」



育つ兆しは、生きようとする証。
それがなければ、きっと土に埋もれたままだ。

下に育てなければ上へ、上へ育てなければ下へ、縦に育てなければ横へ。
植物は時として人が思う以上の力強さで生き、固い岩盤を割り、土着して生きていく。
下手に人が手を加えた植物よりも、野生の植物が強く見えるのはその所為か。





「此処で生きろとお前が言うなら、そいつは此処で生きていく」






吹く風が、三蔵の言葉を浚うことはなかった。
砂浜の上にしゃがみ込んだまま、悟空は三蔵の言葉にきょとんとして首を傾げている。



例えば、花が育たなかったとして。
その時悟空を恨むものは、きっと何もいないだろう。

咲けなかった種も、選ばれたこの地も、誰一人として悟空を責める者はいない。
悟空が此処を選ばなくても同じような道はあっただろうから、それは誰の所為でもないのだ。
悟空は一人淋しそうに声を上げずに泣くかも知れないけれど。


ただ、芽が出たら。
それが育ち、根を、葉を広げたら。

──────……咲いたら、きっと悟空は笑う筈だ。



だから、花は生きていこうとするだろう。






「……そ、かな」



呟くと、悟空は大事そうに手の中に包んでいた種を砂の上に落とす。
もとに戻すように穴を埋めると、固くならない程度に小さな砂山を叩いた。



「お前が心配するような事はねえよ」
「…だったらいいな」
「寝惚けんな。手前もそうだろうが」



しゃがんでいる悟空の横に腰を下ろしてそう言うと、悟空は僅かに瞠目した。



三蔵の言葉は、そのまま悟空に当て嵌まる。


寺院と言う場所は、お世辞にも悟空にとって良い環境とは言えないだろう。
拾って数年が経つというのに、子供への風当たりは強くなる一方だ。
成長期で多感な子供が育つことを考えると、劣悪な環境だと言われれば否定できない。

それは自身も拾われ子として育てられた三蔵がよく判っている。
けれども、幼少期の自分と違って悟空は素直だから、普通ならばもう少し受け入れられても良い筈なのだ。
だというのに“妖怪”であるというだけで、排除しようという僧侶達の歪な目は冷めることはない。

判っていたから、三蔵も最初は悟空を里子に出すつもりでいたのだ。


けれど、悟空は三蔵と生きて行くことを選んだ。
閉鎖的な環境で、三蔵がいなければ他に味方などいないと言っても過言ではないのに、悟空は寺院を出て行かない。
何を言われても、時に痛みだけでは言い表せない傷を負わされても、悟空は三蔵の隣にいる。

それは其処で生きて行くことを、何よりも悟空自身が望んでいるからだ。
誰に強要された訳でもなく、自らの意思で。



「……そっか」



悟空は照れ臭そうに頬を赤らめて笑うと、すとんとその場に腰を落とした。
埋めた種を潰さないように足元に気をつけながら、悟空は三蔵に擦り寄った。

体温の高いそれを、今は振り払わない。



「それとも、お前はあそこにいる事で誰かを恨んだか?」



三蔵の言葉に、悟空は迷わず首を横に振る。


「オレは、嬉しいよ」


三蔵と一緒にいる事が出来て、傍にいることを赦されて。
それだけで嬉しいのだという悟空に、単純だと言えば拗ねたように頬を膨らませた。

拗ねた顔をするのに、悟空は三蔵から離れようとしない。



「単純でも何でも、オレはそれが嬉しいんだもん」
「判った判った」
「ホントだよ。ホントに一番嬉しいんだよ」



素っ気無い反応しかしない三蔵を真っ直ぐに見上げて、悟空は同じ単語を繰り返した。



「ホントに一緒が嬉しいんだよ。だから」
「……あぁ?」



ぎゅ、と法衣の裾を小さな手が捕まえる。

その手も自分が同年の頃にはもう少し育っていたと思うから、これは発育不良になるのだろうか、と思う。
だがそれを言った所で、悟空が告げる言葉は変わりはしないのだ。









「一緒にいるのが嬉しいから、ずっとずっと一緒にいてよ」








断わられるなど思っていない、そんな口調にも聞こえた。
見上げる瞳とぶつかった紫闇も、きっと逸らされる事はないとも思っている。

他人は三蔵の紫闇を射抜く矢のような強さを持つというが、三蔵はそれよりもこの金瞳の方が性質が悪いと思う。
子供特有の大きな瞳は太陽の光をそのまま反射させるから、矢なんかよりもずっと強力だ。
その上、射抜いた者にその光を灼き付かせるから、尚更に。


だからこの鮮やかな金瞳を真っ直ぐに見れない時は、それを受け入れる事が出来ない時だ。
強すぎる光は時として苦しくもなるから。



真っ直ぐ見上げる金の瞳は、言いたいことが言えたということを喜んでいた。

思えば三蔵が仕事に缶詰される羽目となって一週間、挨拶もまともに交わしてはいなかったのだ。
悟空が起きる前から三蔵は仕事に出て、悟空は三蔵が出て行ってから遊びに出かける。
三蔵が寝る事を赦された時には悟空はとっくに夢の中で、擦れ違いの生活となっていた。

だから今になってようやく言いたいことを言って、悟空は三蔵を見上げながら笑う。
視界に三蔵がいるというだけでも、今の悟空にとってはきっと至福なのだろう。


……癪なことに、それを同じように嬉しく思う自分がいて。
それが何故か認めるのが余計に癪だったから、煙草を咥えて空いている手で悟空の頬を引っ張った。



「あんだよー!」
「るせぇ。ンな事いちいち俺に言うんじゃねえよ」
「だって言いたかったんだもん!」
「言ったところで俺の知ったことか」



引っ張られて紅くなった頬を抑えつつ、悟空は三蔵に抗議する。
傍ら、足元の種を埋めた場所だけは踏み潰さないように気を遣っていた。
その器用さをもっと別に使えばいいものを、と内心呟く。

だが一週間ぶりに聞くキィキィという高い文句は、思っていた以上に鼓膜に来るものがある。
顔を顰めれば仕返しとばかりに更に高い声で騒ぐから、三蔵の最初から対して強くない堪忍袋の緒が切れる。



「煩ぇ、黙れこのバカ猿!!」
「ってぇ!!」



ハリセンを取り出す間も惜しいと直接殴ってやれば、悟空が頭を抑えて蹲った。



「……ってぇ〜! 殴らなくてもいいじゃん!」
「静かにしろってのが判んねえのか!」



もう一回殴ろうと拳を握れば、ギクッと身を固める悟空。
やはり鉄拳制裁が一番学習し易いらしい、殴るとこちらも痛いので普段は敬遠しているのだが。

警戒する小動物のような仕草をする悟空に、三蔵はようやく一息吐いた。



「疲れてんだって言っただろうが」



一週間の缶詰で煮詰まったのは、構ってもらえず淋しかった悟空だけではないのだ。
煮詰まる理由こそ違えど、減らない下らない書類に辟易していたのは確かだ。
寝る時間も削られるし、煙草を吸える時間もあまりなく、ドアを開ける修行僧の存在すら腹立たしかった。

忍耐強くないと自負する自分が奇跡と思える程に耐えた結果、ボイコットという今の行動に出たのである。


悟空は殴られた頭を擦りつつ、けれど片手はやはり三蔵の法衣を掴んでいる。



「ん…ごめん」
「全くだ」
「……うん」



謝りながら肩口に擦り寄る子供。
それを感じてようやく、苛立って張り詰めていた神経が緩んでいくのを感じた。

そうすると今まで張り詰めていただけに感じていなかった疲れに一気に襲われる。
睡眠時間も足りていなかったからだろう、普段なら滅多にないだろうに眠気もついでのように誘ってきた。
常ならそんな暇あるかと跳ね除ける所だが、ようやく緩んだ神経は、今はもう張り詰める気はないらしい。


だからこれは気紛れであって、自分がゆっくり休む為なのだと。
何に対しての言い訳なのか判らないようなことを考えて、三蔵は悟空の体を引き寄せた。


「わっ??」


突然の事に少し裏返った声を上げて、悟空が三蔵の腕の中にすっぽりと収まった。


視界の隅で目を白黒させているのが見えた。
三蔵が接触嫌悪であることを悟空はよく知っていて、だからこそ自分が触れられる事への大きさを判っていた。
それと同時に悟空が三蔵に触れることは多くても、逆の立場になることは滅多にないという事も。

だから、今自分がどういう状況にあるのか悟空はしばらく判らなかった。
─────抱き締められているのだと、それだけを理解するのに数秒間。



「さ、んぞ……?」



滅多にない事に、悟空は当惑気味に三蔵の名を呼ぶ。



「煩い」
「いや、それ酷くね?」
「るせえっつってんだ、黙れ」



先刻も同じ言葉も言われたから、今度は大人しく口を噤む。

抱き締められたままの格好で、悟空の小柄な手が三蔵の法衣を掴んだ。
お互いの温もりが其処から伝わって循環していくようで、悟空は不思議な気分になる。



「三蔵、いつまで此処いるの?」
「帰る気になったら帰る」
「いつ?」
「さぁな」



遮るものがないから、吹き抜ける風が二人の傍らを滑って流れていく。
湖の水面が風に撫でられて、緩やかな波を作っていた。
砂浜に寄せる音が僅かに聞こえて、それは海で聞くものよりも幾らか静かだった。


今ならこのままで眠れるだろう。

そう思ったから、三蔵は目を閉じた。
気配でそれを感じたのか、悟空は少し驚いたようだったが構わなかった。



それよりも、悟空がくいっと三蔵の法衣を軽く引く。


「………今度はなんだ」


寝かせろ、と言外に告げている声で問うと、悟空は片手を伸ばして三蔵の金糸に触れる。
それは単純に体に触れられるよりも難易度の高いことだと、悟空も知っているし、三蔵も自覚していた。

悟空はその金糸に触れたまま、抱き締められる腕の中から紫闇を見上げる。



「さっきの答え、聞いてない」
「さっきの?」



そろそろ意識が落ちてきているらしい。
思考回路が鈍りつつあるのを、三蔵は感じていた。









「一緒にいるのが嬉しいから、ずっとずっと一緒にいてよ」








ああ、それか、とようやく判った。

“いて”と言うのは求める言葉だ。
その傍らで、三蔵の答えがどうあっても離れる気はないんだろう、と思う。



未来の事など判りはしないし、今口にした言葉が何処に繋がるかなど知らない。
此処でその言葉に悟空の望み通りの言葉を音にしたとして、それが現実になるかも判らない。

そもそも悟空と三蔵とでは、生命力や寿命の差がありすぎる。
最高僧とは言われても三蔵とてただの人間だから、長くてもあと80年程度だろう。
大地から生まれた悟空の寿命は普通の妖怪よりも更に長いだろうから。


今という刻に交わした約束が、永劫続くことはない。



それでも。



手放せないのは、きっとどちらも同じこと。






それをそのまま伝えるのは、やはり癪だったから。












「花が、百回咲いたらな」

















───────……その湖畔にいつかハマヒルガオの花が咲くと、知っているのは大地だけだ。





























お前が此処にいることが



他の何より安らぐから







ずるい大人の交わし方をした












休息の振りをしながら、お前を手放すまいと閉じ込めて















FIN.



後書き