Sunset school







あなたと僕の間にある


見えない線はどうしたら消えてくれますか




あなたと僕を隔ててる


高い段差はどうしたらなくなってくれますか










僕は、あなたの隣にいたいだけなのに










































高校生最後の年、恋人が出来た。
その人は高校生最初の年から、初めて見た瞬間からずっと憧れていた人だった。



きらきらと光る金の糸は自分の父親によく似ていて、自分の様子に気付いた友人は「ファザコン」だの「面食い」だのと揶揄った。
最初の頃は自分もそういう理由で彼が気になるのだろうと思ったけれど、少しずつ違いが見えてきて判った。
彼に惹かれたのは父親によく似ているからとか、女の子達が言うような容姿が良いからではなくて(確かに半端なく整ってはいるのだけれど)、
運命と言う陳腐な言葉で括るつもりはないけれど、それと似た類のものだったのだと思う。

少しずつ話をするようになって、一つ一つ知るようになって、その都度どんどん惹かれていった。
初めて彼から声をかけられた時は、それが補習を告げる地獄への宣告であると判っていても嬉しいと思ってしまった。


とにかく、自分は彼にぞっこんだったという訳だ。
友人にしてみれば、どうしてそんなに彼に夢中になれるんだ、と言われるほど。



恋愛事情というものは、自分には無関係なものだとばかり思っていた。
同級生があのクラスのあの子が可愛い、と言ってもこれと言って返す反応は無かった。
それを友人達は“子供だもんな”と同い年であるにも関わらず、その一言で納得していたようだ。

実際、何を話せばいいのか判らない女の子と話すより、気の合う男友達と話をしている方が楽しかった。
他人が言う美女を見ても“綺麗だな”と短い感想だけで、後は記憶に残らない。


友達と話している方が楽しくて、部活で汗を流している方が楽しくて。
色恋云々を抜いて考えれば、本当に健全な少年だった。


それを打ち壊したのが、彼だった。






きれいなきれいな、空の太陽よりも眩しい金糸。



































キーンコーン、と耳慣れた午前授業終了のチャイムがなると、悟空は真っ先に立ち上がった。

まだ挨拶してないぞ、と慌てて制止しようとする教師の声は耳に入らない。
そんな悟空を見たクラスメイト達は、もう恒例となった光景だから笑って見送るだけだ。
教師も最近は言っても無駄と諦めてきたのか、前のように追い駆けて捕まえに来る事はなかった。


廊下を走るな、と壁にかけられている紙が見えたけれど、無視する。
階段は一段一段降りるのが面倒臭くて、半ばまで降りるとジャンプして一気に階下に着地した。
そのまま速度を殺す事無く、立ち上がると一番下の階までノンストップ。

ちなみに、本当はもっと早く下まで下りることが出来たりするのだが、一度恋人に見つかってから二度とするなと怒られた。
その手法が悟空の教室の在る4階の窓から、グラウンド側の外界へ一気に飛び降りるというものだったから無理もないが。



でも、それぐらい早く逢いたいのだから仕方がない。



悟空の手には重箱かと思うほどの(実際重箱だ)弁当箱と、もう片手には普通サイズの弁当。
シンプルな布に包まれたそれの中身は、最近ようやく上達してきた悟空の手作りの昼食だ。

不器用極まりないと父親からも匙を投げられた自分が、一所懸命頑張って作ったもの。
最初の頃は指どころか手の平や腕にまで怪我を作って、どうしたらそこに傷が付くんだと呆れられた。
今もまだ見た目はあまり上手くないが、初めに比べ味には少しずつ自信がついてきた。


ちなみに、重箱の方の中身は大半が昨日の夕飯の残りだ。
小柄な見た目と違って大食漢である悟空の腹を満足させる為には、朝の僅かな時間で作った量では足りないのである。



もどかしい気持ちを抑えながら一階に辿り着くと、突き当たりの職員室まで一直線。

これも最早見慣れた光景になっているから、生徒達はクスクスと見守るように笑う。
それが悟空があまりにも嬉しそうな顔をしているから、応援したくなるのだとは本人のみぞ知らなかったりする。


普通は大体の生徒が避けたがる職員室。
出来れば呼び出しを喰らってもあまり入りたくは無いだろう其処に、悟空は毎日のように通う。
今年の春の下旬頃から、日課のようになって今日まで続いているのだ。

悟空が一日に一度も職員室に来ない時と言ったら、試験問題の作成中の時程度。
出来ればずっと職員室にいたい、と思うぐらいに悟空はこの空間が好きだった。


―――――……正確には、此処にいる人物と一緒にいられる空間が。





「玄奘先生、一緒に食おー!!」





ガララララ、と盛大な音を立てて開け放たれた職員室の扉。
そしてそれに負けじと盛大に響いた明るい声に、一般的に生徒から見て息苦しいだろう室内の空気が柔らかくなる。

だが、その極一部だけは不機嫌なオーラが醸し出されているのだけれど。


その不機嫌なオーラの元を見つけて、悟空の顔が益々明るいものになる。
ぱたぱたとそれに向かって駆け寄っていく姿は、さながら飼い主を見つけた仔犬だ。



「せんせー、昼飯ー」



言いながら近付いたのは、この三年間ですっかり見慣れた眩い金糸。
端整な顔立ちは今は背けられていて見えないが、悟空はそれでも構わなかった。
半日ぶりに彼に逢えた喜びの方がよっぽど大きかったから。

だが、相手方の方はそうも行かない。
幾らこの光景が毎日のように繰り返された、もう日常茶飯事的なものだと言われても。


「るっせぇんだよ、このバカ猿!!!」


秀麗な見た目に対して、最高に悪い口の利き方で振り下ろされた拳骨。

これがまた、かなり痛い。
拳骨というものは父親からも何度か喰らったことがあるが、こちらの方が痛い気がする。
それも不思議だが、一番不思議なのは細身に見えて他者が思う以上に力が強いことだ。



「いってー!!」
「騒ぐな」



両手に弁当を持っている為、激痛の走る頭部をいつものように抑えられない。
持っていた弁当を落としてまで抑えようとも思わなかった。
悟空にとって優先順位は、そんな風になっているのである。

これもまた見慣れた光景となっているから、回りの教員達は笑うばかりだ。
女性教員などは“健気よねぇ”と毎日此処に通う悟空を見て呟いたりする。


そして悟空に拳骨を落とした張本人は、不機嫌極まりない顔で悟空に目を向ける。



「毎度毎度、静かに入って来れねえのか」
「だって嬉しかったから……いてっ」



もう一発振り下ろされて、涙目になる。


この容赦の無い金糸の教員が、玄奘三蔵。
悟空が高校入学時に一目惚れして、今年の春にめでたく両思いとなった人物だ。

だが恋人になったからと言って、この三蔵と言う男は特別優しく扱うことは無かった。
恋仲になる前からの素っ気無い態度が緩和される事もなく、甘い台詞を囁くこともない。
それは何も学校内にいるからという訳ではなくて、何処でもそうなのだ。

特別な仲だからと贔屓にされることはなく、悟空はそれはそれで満足だった。
もしも途端に掌返されたような態度を取られたら、逆にこちらが幻滅していただろうから。


そんな人物の何処に惚れたのかと聞かれると、悟空も直ぐには答えられない。
だから理屈じゃないんだと、それしか悟空に言えることはなかった。



「……で、また飯持ってきたのか、お前」



近視の気があるらしく、かけていた眼鏡を外しながら三蔵が言う。
その一連の何気ない動作さえも絵になるようで、女性教師がほんのりと頬を染めていた。

が、悟空はもう見慣れたもので、



「うん。でね、今日は屋上寒いから、他ンとこで食べよ」



平然とした表情で受け答えし、持っていた普通サイズの弁当を差し出す。
それをしばし見下ろした後で、三蔵は無言のまま弁当を受け取った。


最初の頃は受け取ってくれるだろうかと、まるで乙女のように考えたりもしたものだった。

だが彼の分まで弁当を持ってくるようになったのは、乙女のような理由ではないのだ。
三蔵は放っておくと朝昼の食事を普通に抜く無精な生活をしているから、食事に対して執着の強い悟空は大丈夫なのかと心配になり、
以来自分の弁当を分けたり、それだと自分が足りなくなるので頑張って彼の分も作るようになったのである。

それを知った友人に“献身的な幼な妻”なんて揶揄われたのは、一月前の話だったりする。


最初の頃は余計なお世話だと受け取らなかった三蔵だったが、毎日通われるものだから結局折れた。
そしてずっとこの風景は続いている。



「他ンとこって、他に煩くねぇところがあるのか」
「煩くないとこって……なぁ、たまにはグラウンドでもいいじゃん。今日暖かいよ」
「飯時ぐらい静かに食わせろ」



今日の昼食をグラウンドの隅で、と提案する悟空に、三蔵はあっさりと却下。

今はまだ静かなグラウンドだが、後々には食べ終わった生徒が遊びに出て来る。
極端に人嫌いで騒がしさを嫌う三蔵は、それすら厭うのだ。


悟空はむーっと頬を膨らませ、じゃあ何処がいいんだよ、と言い返す。



「別に。何処でも」
「じゃあグラウンドで」
「却下」



矛盾する三蔵の言葉に、悟空は不満げに眉を顰めた。



「言ってることメチャクチャだよ」
「静かな所なら何処でもいいって言ってんだ」



平然と言ってくれるが、この学校はこの辺では名の知れたマンモス高校だ。
人気の無い静かな場所なんて限られているし、あったとしても先客がいる、という事は珍しくない。

屋上はと言えば、校舎の大きさに比例してかなりの面積がある。
人がいたとしても大した人数ではないし、離れていれば然程気にならない。
そういう訳で、いつもは屋上で二人一緒に昼食を食べていた。


しかし、今日は生憎風が強い。
だから悟空は他の場所――特にグラウンドは風除けも多いから――でと提案したのだが、三蔵は応じる気配はない。



「先生、ワガママ。屋上は寒いって言ってるじゃん」
「思い当たる場所がねえなら、探して来い」
「んな事してたら飯食う暇ねえじゃん!」



きゃんきゃんと仔犬が吼えるように反抗する悟空に、三蔵は響く声の高さに眉を顰める。



「なら教室戻って一人で食え」
「やだ! 先生と一緒がいい!」



素っ気無い三蔵の台詞に帰ってきたのは、子供のワガママのようなストレートな言葉。
大声で平然と言う子供に、三蔵は溜息を吐いた。

悟空がこうやってストレートで判り易いから、教員間ではあっという間に二人の関係は公然のものとなった。
何故か当事者である悟空だけは一部の友人以外には未だにひた隠しにているつもりらしいが、職員室に通っている時点で矛盾している。
おまけに弁当を作ってきたり、一緒に食べようと誘ってきたり……自分から発信しているも同然だ。


そうやって、春の終わりに広がり始めた噂は、既に完全な真実として此処にある。

となると、伴ってやってくるのは周囲からの揶揄というもので。




「それなら、今日は此処で食べたらどうですか?」




三蔵の向かいの教員席から聞こえた声に、悟空が顔を上げ、三蔵は眉を顰めた。

悟空が振り返った先にいたのは、三蔵の同僚である猪八戒だ。
温和な光を湛える翡翠を持つ彼は、人柄も良く授業も判り易いと人気の教員である。
しかし、その実結構イイ性格だと知っているのはごく一部の教員だけだ。


その人物がこちらに声をかけてくると、ついでとばかりに隣にいる紅髪の男も口を開く。



「そーそー。結局は此処から出て戻るって手間が面倒臭ぇだけなんだろ」



こちらは沙悟浄、軟派な見かけを裏切らない。
生徒にしてみればそれが取っ付き易いらしく、色々相談を持ちかけられることも多い。

悟浄と八戒は、三蔵と同時期にこの学校の教職についた。
三蔵にしてみれば以後の付き合いは単なる腐れ縁と呼ぶものであるが、それでも付き合いが長いことには変わりない。



「悟空、お隣の先生、今日はお休みですから。お借りしちゃっていいですよ」



この二人は、悟空の事を非常に気に入っている。
だからこうして、助け舟を出すように会話に割り込んでくるのだ。

人好きの顔をしている八戒だが、その実こうして可愛がる者は少なかったりする。
悟浄はどの生徒ともよく会話をするが、悟空へのスキンシップは他に比べて多い。
それに気付いていないのは、やはり悟空本人ばかりだったりするのだが。


八戒に促された悟空だが、戸惑ったように隣の席と三蔵とを交互に見る。



「でも、先生の席だし……」



通常、其処に生徒が座ることは滅多に許されない。
だが八戒はにっこりと、最近は“悟空専用”と言われるようになった笑顔を浮かべ、



「構いませんよ。ご本人はいらっしゃいませんし、僕が大丈夫って言うんですから」
「幾らお前でも、立ったまんまで重箱弁当は食い難いだろ」



尚も勧める八戒と悟浄だったが、悟空は戸惑うばかりだ。
何より、此処で食べてもいいと三蔵からの返事が無い。


三蔵と一緒に昼食が食べられるのなら、悟空にとって場所などは何処でもいいのだ。
隣に三蔵がいてくれればそれで満足で、場所は単に三蔵がゆっくり出来る場所を選んでいただけ。
職員室で過ごすことに気が進まないのは、食べ終わった後直ぐに三蔵が教職に戻るから、ゆっくり話が出来ないからだ。

何より、此処で生徒が教師と一緒に昼食を食べるところなんて今まで見たことがない。
悟空のように毎日此処に通う生徒自体が、まずいないのだから当然と言えば当然だ。



「……先生、いい?」



椅子に座って動かない三蔵に、そろそろと問いかけてみる。

三蔵は眉根を潜めて、しばらく自分の前の席に位置している悟浄と八戒を睨んでいた。
その横顔はいつもの仏頂面だったが、眉間の皺が常の三割り増しになっている気がする悟空だ。


だから、今日はダメかな、と思った時。






「………静かにしてろよ」






それが了承だと気付くまで、たっぷり10秒かかってしまった。