絆の種は僕ら自身が持っている











僕らと出会ってくれてありがとう



僕らと笑ってくれてありがとう





僕らと、友達になってくれて、ありがとう

































此処数日、悟空は機嫌が悪かった。


いつも明朗快活、単純明快な悟空は、滅多に不機嫌になる事がない。
勿論些細な事で拗ねた顔をする事はあるが、この数日間は相当なものであった。
その上、普段は然程怒りが持続する方でもないから、悟空の今回の不機嫌さは周りから見ても明らかだったのだ。

話しかけられれば笑顔になるが、一人になるとムスッとしている。
周囲はそんな悟空を気にしていたが、「どうしたの?」と聞くのも躊躇われ、見守るばかりだ。



悟空のそんな状態が数日続いた頃になって、見守る人々は気付いた。
彼の隣を当たり前に立ち位置にしていた筈の存在が、殆ど見掛けなくなった事に。



悟空。
李厘。
那托。

この三人は、保育園の頃から続く幼馴染同士。
高校生になった今でも、三人の友情は壊れることなく、固く結ばれている。


だから、クラスメイト達も教師達も、三人が一緒にいるのはごく当たり前の風景となっていた。
誰か一人がいなくても、暫くすれば合流して、小さなことで盛り上がり、楽しく喋っている。
昨日のテレビ番組、授業の愚痴、昼食はなんだろう─────とにかく、なんでも話しては盛り上がっていた。

それが、悟空が不機嫌になり始めた頃から、二人の姿が見えない。
同じクラスにいるのだから、話はするけれど、いつもに比べるとその時間は格段に減った。
その癖、李厘と那托は二人で話し込んだりしているようで、悟空は仲間外れ気分になっているのだ。
常に一緒にいたのに、急に外されてしまっては、不機嫌にもなろうと言うものである。


明るくて誰にでも好かれる悟空だから、二人以外にも友人は多い。
クラスメイトで悟空を嫌いだと言う人間なんて、一人もいない。
他校生にだって悟空は人気者だ。

けれども、単純に仲の良い人や、友人であると言う人と、幼馴染とでは少し線引きが違う。



普通に二人が話をしていて盛り上がっているだけなら、悟空は此処まで不機嫌にならない。
少しつまらないなとは思うが、輪の中に自分はいるのだから、二人の話を聞いているだけでも十分だった。
時々視線が合って、そうだよなぁ、なんて同意を求められて、返事をするだけでも楽しいのだから。

しかし、此処数日の二人は違う。
悟空の聞こえない所で話をしているし、「なんの話?」と聞くとはぐらかされてしまう。


二人が悟空を避けているのは、明らかだった。


怒って問い詰めたくなる気持ちもあったが、結局実行には移していない。
喧嘩になるのも嫌だし、二人は何処か自分を避けてはいたが、決して悟空に対して厭う感情がある訳ではない。

二人きりで話をしている時以外、那托も李厘も、普通通りだった。
ゲームの話、授業の愚痴、今日の昼飯はなんだろう────交わす会話もテンポも変わらない。
だから余計に問い詰めるタイミングを外してしまって、目下、悟空は自分の感情を持て余すしかなかった。


そのまま、時期は春を迎え、高校二年生の三学期が終わり。
春休みになって、桜が咲いて、電話でそろそろ花見の時期だなぁと話をして。






それでも、やっぱり悟空は不機嫌だった。



























夕飯になっても中々下りてこない息子に、一体どうしたのかと心配になって、二階の部屋に上がってみる。
ノックをすれば返事があって、寝てはいなかったのに何故下りてこなかったのか、疑問に思いつつ戸を開けた。

高校生にしては物の少ない部屋の中、ベッドの上でクッションを抱えて剥れる息子を見つけて、金蝉は息を吐いた。



「悟空、飯だぞ」
「うん」



普通に返事はある。
が、悟空が不機嫌である事は、金蝉も気付いていた。

男手一つで育て上げてきたのだから、大切な一人息子。
その息子の些細な機微を見逃す事はない。
春休みに入る以前から、悟空の機嫌が急激な下降線を描いている事ぐらい、判る。


ベッドに蹲ったまま動かない悟空に歩み寄って、くしゃくしゃと大地色の髪を撫でる。
それで大体は笑顔になるのだが、今回のご機嫌斜めは相当なものだ。
ちらりと金瞳が父を見遣ったものの、表情は剥れたままだった。



「下りるぞ。飯が冷める」
「ん」



肩を引くと、ようやくクッションを放り投げてベッドを降りた。


部屋を出て、階段を下りる時、悟空はいつも軽い足音を立てて下りる。
飯の時ならそれが楽しみで、学校に行く時は友人達に逢うのが楽しみで。
トットッとテンポよく、小柄な悟空に見合った音を立てる。

それが今はなく、鳴るのは少し沈んだテンポと、階段が小さく軋む音。



リビングの椅子に腰を下ろして、手を合わせて、頂きます。
気になるテレビがあると言うから電源を入れると、悟空は食事しながらテレビに見入った。


見入っているのに、どうも番組内容が頭にはいっていない事は、感じられた。
テレビから聞こえる笑い声が、やけに虚しく思えてくる。

金蝉はバラエティ番組に興味はないが、それを見ている悟空はとても楽しそうだったから、嫌いではない。
楽しそうに悟空が見るから、面白いんだろうな、俺には判らないがと思うのが常だ。
それが、今はちっとも、悟空もテレビも楽しいものには見受けられない。


いつも勢い良く掻き込む勢いで食べる夕食も、今日はやけに大人しい。

……───正確には“今日も”だ。
悟空の食事スペースは目に見えて落ちていた、食べる量は変わらないから然程心配はしていないつもりだが。


番組中はテレビに夢中になって食事が(ごくたまに)そっちの気になる、という事はある。
が、コマーシャルに切り替われば、一分強の間は食事に集中する筈だ。

しかし今日は、コマーシャルに切り替わっても悟空は心此処に在らずの状態だった。



「………何かあったか」



コマーシャル中なのにテレビに釘付けになっている悟空に、金蝉は問う。
急な質問だったので、悟空は一瞬、それが自分に向けられた言葉だと思わなかったらしい。
此処にいるのは、父子二人だけなのだが。

悟空は暫くテレビを見ていて、少し間を置いてから振り返り、



「……オレ?」
「他に誰がいる」
「そっか」



だよな、と呟いて、悟空はようやくテレビの呪縛から現実に戻された。
その様子に、相当重症になってるな、と金蝉は一人ごちる。


旧知の友人二人からは、何かと過保護過保護と揶揄われる金蝉である。
確かに、父子二人で色々甘く見ている面もあるだろうが、かと言って、過干渉にしている訳ではない。

悟空が幼馴染や友人と喧嘩をしても、落ち込んでいても、金蝉は必要以上に関わろうとはしなかった。
要所要所で手を貸すことが出来れば良いと思っているからだ。
確かに一人息子の事は心配だし、大切だけれど、真綿に包んでしまえば良い訳ではない事は知っている。
悩む時はとにかく悩んで考えて、一人でどうしようもないと思った時に頼って貰えればいい。

金蝉はいつでも手を伸ばしているつもりだけれど、悟空がそれに応えない限り、無理に踏み込もうとは思っていなかった。


だから、今回の事も、悟空が言い出さない限りは問わないつもりだったが。
だったのだが、こうまで重症(尚且つ自覚はなさそうである)なのを見ると、見守る方も居た堪れなくなって来る。

そういう所が過保護なのだと、友人二人から言われる由縁であった。



「別に、何があったって訳でもないんだけど……多分」
「自分の事だろうが」
「うん、そうなんだけど」



多感な時期である。
一つの小さな出来事が、自分が考えている以上に頭のシェアを占めることは少なくない。



「なんかさ。避けられてるような気がする」
「誰に」
「那托と李厘」



挙がった名前に、金蝉は眉根を寄せた。

その二人こそ有り得ない、と。



保育園からずっと一緒に育っている二人の事は、金蝉も良く知っている。
波長が合うのか、遊ぶのもイタズラをするのも、いつも三人一緒だった。
金蝉もよく被害に遭ったものである。

幼い頃は、一人が欠けるとバランスが崩れたようで、見ている側もなんだか落ち着かなかった。
三人揃って遊んでいるのを見て、ああいつも通りの光景だなと安心した時もある程だ。


小学校、中学校、そして現在の高校と、三人はクラスが別れる事はあっても、いつも一緒に遊んでいた。
其処に男女の壁はなく、全ての垣根を越えた、理想の友情の形が其処にあった。



そんな二人が、悟空を避ける。
金蝉には考えられなかった。

考えられなかったが、悟空が言うのだから、強ち外れている訳でもないのだろう。
実際にそうなっていない限り、悟空が二人に対してそんな事を思う筈がない。
例えそれが曖昧な形であっても。



「避けてるってか、そんなでもないんだけど。でも、そんな感じ」



悟空は説明が上手くない。
ボキャブラリーが豊かとはお世辞にも言えないし、話す順番も支離滅裂である事が多い。

変に焦ってはいけない、こういう時は聞く側の姿勢が大切なのだ。



「昨日も電話してたじゃねえか。普通に話したんじゃねえのか?」
「話、は…したけど。なんか、変」
「話をしたのは、那托と李厘、どっちだ?」
「両方。先に那托と電話して、遊ぶ約束しようと思って。そしたら、その日に用事があるって言うから、李厘に電話して」
「出来たのか? 約束」



ふるふると悟空は首を横に振る。

那托は進学塾に通っていて、李厘は週に一回、病気の母に会いに病院に行っている。
悟空も県大会等が近付けば、部活に精を出すから、都合が合わない日があるのは不思議ではない。



「別にさあ……二人ともその日がダメってのは、気にする事でもなんでもないんだけど…」
「そうだな」



三人が揃う日もあれば、二人の時もある。
一人だけが退屈な日もあれば、揃って忙しい時期もある。

不自然なことは何もないし、今までだって何度も同じような会話を繰り返した。



─────なのに。




「なんだろ……なんか、オレだけ仲間外れな感じする」




春休み前からの二人の態度が、悟空の中で尾を引いていた。
変に疑っているのは、その所為だ。

悟空に判らない話で盛り上がることは今までもあったけれど、悟空が加わった途端に止めてしまう事なんてなかった。
判らなければ説明してくれたし、それで悟空が結局判らなくても、二人は会話に交えてくれていた─────のに。
二人で楽しそうに話をしているのに、自分が行くと止めてしまうなんて。


隠し事をされているような気がして、なんだか面白くなかった。



「直接聞けばいいんじゃないか」
「聞いたけど、教えてくれない」



正確に言うと、誤魔化される。
悟空のソレは言葉にはならなかったが、金蝉は察した。

二人の会話の隙間を塗って、さりげなく問うと言うテクニックを、悟空は持っていない。
きっと真正面から聞いて、はぐらかされてしまったのだろうと金蝉は思った。
事実、それは外れていなくて、だから余計に悟空はそれ以上問う事が出来なくなったのだ。


空になった茶碗を置いて、悟空は溜息を吐いた。
いつにない沈んだ表情。

どうしたものかと、金蝉は視線を彷徨わせ──────、



「………悟空」



ふと、ある可能性を思い出す。



「何?」
「いつ遊ぼうと思ってたんだ?」



昨日の電話で遊ぶ約束をしようとして、二人とも都合がつかなかった。
別段、それは珍しいことでもなんでもなく。

何より、金蝉の記憶には、ある可能性を示唆させるものがあった。




「明後日だよ」



言われてカレンダーに目をやる。
今日の日付と、悟空の示した二日後の数字。



────ああ、成程。
合点が行った。



しかし、悟空の方はそれがどうかしたかと言うように、きょとんとして首を傾げている。
それに気付かぬ振りをして、金蝉は箸を置いて椅子を立つと、空になった皿を流し台へと運ぶ。

慌てて悟空が立ち上がり、自分の食器も流しへと運んだ。
父子二人の生活で、家事は二人で分担している。
食器洗いは悟空の担当だった。


最近ようやく危なっかしさから解放された、食器洗いの手付き。
それをしばし眺めた後、金蝉は悟空の頭をくしゃくしゃと撫でた。

急になんだろう、と言う瞳が向けられる。



「お前が思っているような事は、ねえだろ」
「……そっかな」
「お前が一番よく知っている」



だからこそ、今は寂しくて辛くて、そう思う自分が嫌なのだろうけれども。
他に自分が言えることはないだろうから、金蝉はそれだけ言って手を離した。







子供は不思議そうな顔をして、やっぱり訳が判らない、と呟くだけだった。