絆の種は僕ら自身が持っている





部屋の虫になっているという行為が、先ず自分らしくないのだとは判っていた。
自分が自覚していたのだから、父はもっとそう感じていた事だろう。

……だからって家を追い出すことはないじゃないか、と悟空は思う。



昨日の夜は一時過ぎまでゲームをしていて、いい加減に寝ろと言われたからベッドに入った。
起きたのは朝七時、食事を済ませたら部屋に戻って漫画を読んでいた。

外界の空は晴れ渡り、見事な春の陽気であったが、外で遊ぶ気にはならなかった。
常に誰かと一緒にいるのが普通の状態だったから、今更であるが、一人遊びの仕方が判らない。
家でゲームをしたり、漫画を読んだりする以外には。

それを金蝉もよく知っているだろうに、あの父親は、今日ぐらいは外に出て来いと息子を外に蹴り出したのである。


問答無用で放り出された事には憤慨したい気分だが、それも自分を思ってのこと。
ぶっきら棒な口調の裏側に、他の何にも替え難い優しさがある事は、悟空が一番よく知っている。



取り敢えず、遊びでも話でもいいから、相手を探した。
一番最初に幼馴染二人の顔が浮かんだが、今日は遊べないと言う会話を二日前に交わしたばかりだ。
それからは何人かのクラスメイトの顔が浮かび、連絡してみたが、どれも都合つかず。

一緒に連れ添う者もなく、かと言って家に帰ってしまう訳にもいかず。
暇なのは自分だけと言う侘しさを感じつつ、悟空の足は慣れた道を辿って歩いた。


程無く辿り着いたのは、幼少の頃から慣れ親しんだ商店街の通り。
アーケードに入って一番最初に店を構える洋菓子店『白竜』を覗き込んだ。



「おや、悟空。いらっしゃい」



微笑を浮かべて迎えてくれたのは、八戒と言う青年。
彼はこの店のパティシエであり、オーナーで、悟空は子供の頃から良くおまけと称してクッキーを貰ったものである。

その隣で、八戒とそっくりの顔をした女性がぱっと明るい顔になった。



「悟空ちゃん、久しぶり! 大きくなったのね!」
「わっ」



抱き締められて、悟空は何が起こったのか一瞬判らなかった。
それから、この人誰だろう─────としばし考えて、



「花喃ねーちゃん?」
「うん、そう。覚えててくれたのね、ありがとう!」



もう一度、しっかりと抱き締められる。


花喃と八戒は双子の姉弟だ。
しかし、二人がこうして並んでいる姿を悟空が見るのは、実に八年ぶりの事であった。

八年前に大病を患った花喃は、此処から遠く離れた大きな病院に入院し、以来、悟空が彼女に逢う事はなかった。
逢えない事は少し寂しかったけれど、悟空は彼女の容態を心配したことはない。
誰より彼女のことを気にかけている八戒が、彼女は大丈夫だと笑うから、悟空もそれを信じていた。


そして、八年ぶりに見た彼女は、やっぱり悟空が覚えている通り、綺麗でとても温かかった。



「もう病院いいの?」
「うん、退院したの。月に一度は検診に行くけど、それだけ」
「やった!」



抱き付いた悟空を、花喃はしっかりと受け止めた。


悟空の周りには、極端に女っ気がない。
母は悟空を産んで直ぐに逝ってしまい、父の周りにいるのも男ばかり(女性がいたら、それはそれで驚くが)。
身近な人物で女性と言ったら、李厘と、その家庭教師である八百鼡、それから花喃ぐらいのもの。

特に花喃は、叱る時は叱り、褒める時はこれでもかと言うほどに褒めてくれて、まるで母親のようだった。
子供の頃に一度そう言ったら、そんなにおばさんじゃないわよ、と言って怒られたものだけど。

そんな花喃が戻って来てくれたのだから、嬉しくない訳がない。


ぎゅうぎゅう抱き合って再会を喜ぶ二人に、八戒は笑うしかない。
けれどもその笑顔が、数日前に見たものよりも、ずっと幸せそうな事に悟空は気付いていた。

唯一無二の家族が帰ってきてくれた。
これも、嬉しくない訳がないのだ。



「そうだ、ねえ、悟空ちゃん」
「何?」
「今日は悟空ちゃん一人なの?」
「…そういえば、珍しいですね」



花喃の疑問の言葉に、八戒が同調した。



「那托ちゃんと李厘ちゃんは?」
「…花喃、今の那托君にその呼び方をしたら、多分怒るよ」
「いいじゃない。ね、二人はどうしたの? 部活とか?」



八戒の言葉を流して、花喃は悟空を覗き込んで問う。



「…なんか用事があるんだってさ」
「そうなの……二人の顔も見たかったのに」
「今度皆で来るよ」



残念そうに眉を下げる花喃に、悟空は慌てるように言った。
今日は自分だけだけど、皆揃ったら皆で来るよ、と。

悟空の言葉に、花喃は笑みを浮かべて、嬉しそうに頷いた。


この店の二階は八戒と花喃の住む家になっているから、何も心配する事はない。
学校が始まったら、帰りに立ち寄ることも出来る。
花喃は退院したのだから、これからは逢おうと思えば直ぐに逢えるのだ。


そうだ、と悟空は思いつく。
今日は家に帰ったら、那托と李厘に、花喃に逢ったと電話で言おう。
二人も彼女のことは大好きだから、きっと羨ましがる。

一人先に再会して、なんだか得をしたような気分だ。
ふわふわ香る優しい匂いが、益々悟空を幸せにしていった。



店の出入り口の自動ドアが開いて、八戒がいらっしゃい、と声をかける。
それから、



「あなたですか」
「……あからさまにガッカリしたよーな面すんじゃねーよ」



聞こえた声に悟空と花喃が振り向けば、紅が鮮やかな青年。
八戒と花喃の長年の友人で、悟空にとっては遊び相手、沙悟浄であった。



「おう、花喃じゃねーか。もう体はいいのかよ」
「ええ。ごめんなさいね、心配かけちゃって」



別に、と言う悟浄だったが、花喃は気を悪くした様子はない。


ぱちり、と悟空と悟浄の視線がぶつかった。
見上げ、見下ろす互いの姿勢に、悟浄の口元がにやりと歪み、



「なんだよ、いたのかチビ猿。チビ過ぎて見えなかったぜ」
「チビ言うな! 猿でもない!」
「他のチビ共はどうしたよ?」



周りを見渡して問う悟浄に、答えたのは八戒だった。



「用事があるとかで、今日は一緒に遊べなかったみたいですよ」
「ふーん。珍しい事もあるもんだな」
「……別に珍しくはないけど」
「そう?」



普通の事だと呟いた悟空に、花喃が首を傾げた。


確かに一緒に居る事は多いし、よくよく考えると、この商店街に来る時は殆ど二人(若しくはどちらか)と一緒だったけれど。
試験だったり部活だったり、家の事情だったりで、揃わない日は勿論多いのだ。
長期の休みに入れば、一緒にいない時間の方が増える事もある。

しかし、周囲の認識は、揃って“三人一緒”と言うもので統一されているらしい。






………だから、なんだか仲間外れにされているような気分になったりなんかするのだ。





「────悟空ちゃん?」



花喃が覗き込んで来る。
八戒とよく似た、少し薄い翡翠の中に、拗ねた自分の顔が映り込んでいる。
ぱたりと静かになった悟空を不審に思ってか、悟浄と八戒の視線も此方に向いている。

此処でなんでもないよと、そんな振りさえ出来ないから、周りに心配させてしまうのだ。
等と思っていても、やってしまった表情は、中々引っ込んでくれない。



「なんだ、ケンカでもしたかよ」
「……してない」



いっそ、している方がはっきりしていて良いんじゃないかと思う。
…ケンカをしたいと思っている訳ではないけれど。



「なんでもないっ」



こうしていつまでも考え込んでいても仕方がないのだ。
だから悟空は、自分の思考を振り切るように、努めて明るい声を上げた。

余計に浮いている事は、今は考えない事にする。


三人は一度顔を見合わせたが、何も訊ねては来なかった。

訊ねて来られても困る。
ケンカなんて本当にしていないし、たまたま都合が合わない事を自分が変に意識しているだけなのだから。



「んじゃ、オレ行くね」
「ちょい待て。冷やかしか、お前」



話すだけ話して、店を出て行こうとする悟空を、悟浄が止める。



「別にそんなじゃねーよ。つか、なんで悟浄が言うんだよ」
「いいからこっち戻って来い」



自分の隣を指差して言う悟浄に、悟空は眉根を寄せる。
悟浄の意図は判らなかったが、素直に悟空は悟浄の隣へと戻った。

其処は、色とりどりのケーキが並ぶショーウィンドウの前でもあって。



「奢ってやっから、好きなモン選べよ」
「……………なんで?」
「三つまでな。俺だって生活キビシーんだからよ」
「だから、なんで??」



悟空の問いを無視して、悟浄はウィンドウに寄りかかって待ちの姿勢。
どうも、自分の質問には答えてくれない事を、悟空は悟った。

理由は判らないが、奢ってくれるというなら甘えることにしよう。
この店のケーキは全て八戒の手作りで、悟空はどの品も大好きだ。



「じゃあ、苺のタルトとクラシック・ショコラと、ベイクドチーズケーキ」
「判りました」
「八戒、私が詰めるわ」
「じゃあお願いするよ」



花喃も、病院に行く以前は八戒と一緒に店を切り盛りしていた。
ケーキを箱に入れる手付きは、慣れたものだ。

その様子をしばし見ていた悟空だが、代金を支払い終わった悟浄へと顔を向け、



「なあ、なんで?」



改めて問うてみる。
が、やっぱり返事はなかった。
そっぽを向かれた位である。

取り敢えず、機嫌が良かったんだという事にして置こう。


出来たよ、と声がして、ショーウィンドウの向こうから、花喃がケーキボックスを差し出す。



「それから、これも」
「え?」



一緒に差し出されたのは、クッキーの詰め合わせだった。



「おい花喃、俺はそれ払う気ねえぞ」
「いいの。ね、八戒」
「ああ───うん、そうだね。悟空、持って帰ってください」
「………いいの?」



問えば二人揃って頷かれて、その笑顔に、やっぱり双子って似てるんだなと関係ない事を考える。

クッキーの袋とケーキボックスの為に、こっちの方がいいねと花喃から紙袋を渡される。
二つともそれに入れて、引っくり返さないように気をつけようと心に決める。


そう言えば、花喃には退院祝いとかした方が良いんだろうか。
でも、その前に自分の方が貰っている。
元より今は持ち合わせがないから、家に帰ってから考えることにした。

悟浄の機嫌が良い理由も、気にはなるが、どうせどうあっても教える気はないのだろう。
でもお礼は言わないと。



「ありがと、またね!」



今度は皆で来てね、と言う言葉に、悟空は元気良く返事をして、店を後にした。