絆の種は僕ら自身が持っている




商店街を歩いていると、其処にある店の人々には殆ど声をかけられる。
幼年期から此処で育っているから、当たり前と言えば当たり前だ。
行く先行く先に知り合いがいるのだから。

特に駄菓子屋や果物屋、パン屋────とにかく、食べ物を扱っている店には世話になった。
幼馴染三人で商店街の近くの公園で遊びまくって、腹を空かして通りを歩いて帰る。
育ち盛りの仲良し三人組に、お店には出せないと言う品物を貰った事は一度や二度の話ではない。


今日もそれは相変わらずで、一人で店の前を通るだけで呼び止められる。
少し焦げた焼き菓子、運ぶ途中で傷のついた林檎、焼く途中でヒビの入った菓子パン────他にも色々。

貰ってすぐに食べたから、手に持っているのは八戒の店のケーキとクッキーだけだ。
しかし、そうでなかったら確実に、両手に抱えきれない程の量を貰っている事だろう。


今も、馴染みの古着屋の老店主から貰った飴を、口の中で転がしている。
悟空は老店主の名前は知らないのだが、いつも飴をくれるので、「飴じいちゃん」と呼んでいた。

飴じいちゃんがくれる飴は、毎回違う。
今日はミルクキャンディだった。
子供の頃は今日は何が貰えるのか楽しみで、三人で予想したりもしていた。



そんな風に子供の頃から接していた人達だから、余計に気になったんだろう。
悟空が、一人でいると言う事に。



行く先声をかけられて、その度、「今日は一人?」と訊ねられた。
最初は都合が合わなかったとか、那托は塾があるからとか、答えていたのだけれど、
あまりにも繰り返し繰り返し聞かれてしまうものだから、疲れてしまった。
同時に「ケンカでもしたの?」とこれもまた何度も聞かれるものだから、尚更に。

確かに遊ぶ時は大抵一緒にいたけれど、何も毎日二十四時間、一緒にいる訳ではない。
単純に都合が合わないだけで、ケンカをした訳でもなんでもない。



(……皆して言わなくたっていいのにさ)



無論、毎回言われていると知っているのは悟空自身だけであるから、八つ当たるわけにも行かず。
さっきも言ったんだよなぁと胸中で愚痴るのが精一杯である。


聞かれる度に、説明する面倒臭さよりも、寂しさが浮かぶ。

一緒にいるのが当たり前だと思われるぐらい、一緒にいるのが自然だった。
一緒にいないと何があったのかと心配されるぐらい、一緒にいるのが普通だった。
…そう思う度、どうして今自分が一人なのかと言う思いが過ぎる。


思い出すのは、二人で楽しそうに話をしている光景。
何の話と訊ねても、それとなくはぐらかされてしまう事。



「……今度逢ったら、絶対聞き出してやる」



決意するように呟いた。
そして、多分呟いただけだと自分で判っている。

大体、どうだっていいのだ、二人が話をしている内容なんて。
ただ加わっていたいだけ。
ずっと昔から変わらない関係を、ずっと続けて行きたいだけ。



こんな事で変わるような関係だとも思っていないけど、それでもやっぱり寂しいから。









一つ息を吐いて、悟空は顔をあげた。
立ち止まったのは、古書を扱う老舗の古本屋の前。

本棚と本、墨の匂いで一杯の一階を通り過ぎて、二階に上がる。
其処も一階と同じく、古い本と墨の匂いで一杯だった。


悟空が読むのは漫画ばかりで、教科書さえもろくに開かないから、古書なんて以ての外だ。
けれども、悟空は昔から、此処によく来ていた。
金蝉が色々と調べ物をする時に、この古書を利用していて、幼い悟空は一緒にくっついて来ていたのだ。

どういう本が置いてあるかは未だに一切判らないが、それでも悟空にとって此処は馴染みの空間だ。
此処だけは那托と李厘の二人と来る事はなくて、一人、若しくは父と一緒に来るのが専らだった。



階段を昇り切り、二階の奥へと向かう。
沢山の本棚の道を通り抜けた向こうには、小さいながら読書スペースがある。
丸テーブルと椅子が三脚だけ、簡素なものだ。

本棚の陰からそっと様子を窺って、金糸の青年を見つけた。
彼の事がお気に入りで、悟空は此処に通っているようなものだ。


青年は悟空に背中を向けたまま椅子に腰掛けており、恐らく本を開いているのだろう。
その背中を見て、悟空の子供らしい悪戯心がムクムクと刺激される。


この青年は、極端に人嫌いで知られている。
相手が子供であろうが若者であろうが、老人であろうが関係ない。
敬意を示すものにはその態度で対応し、それ以外には何処までも冷たく、取り付くシマもない。
機嫌を損ねるのも得策ではない、しかしこれまた極端に沸点が低いので、実に切れ易い性格をしている。

そんな彼に悪戯なんてしかけようものなら、明日の日の目が拝めるかすらも判ったものではない。
仕出かす人間は、よっぽどの命知らずか、彼が余程信頼している相手か。

……悟空はこの場合、両方に当て嵌まるといっていい────青年本人は後者に置いて否定するだろうが。


足音を立てないようにそっと近付く。
スニーカーは、カーペットの上ではとても静かに足を運んでくれるので助かる。

息を殺して、出来るだけ気配を消して──────


腕を伸ばせば背中が押せる距離まで来て、悟空はせえの、と心中で勢いをつけて、





「舐めてんのか、バカ猿」




くるりと振り向いた青年────三蔵に、悟空の方が驚かされてしまった。



「さ、さんぞっ!!」
「煩い。静かにしろ」



バシッと本の平で叩かれる。


売り物なんじゃないのかと一瞬思ったが、恐らく三蔵個人の私物なのだろう。
此処に在る品物はどれも彼の敬愛する父が集めたものだから、流石に無碍な扱いはしない筈だ。

……どちらにしても、痛いものは痛いのだけど。



「用事もないのに来るんじゃねえよ。暇じゃねえんだ」
「思いっきり暇してたみたいに見えたけど」



此処にいるという事は店番をしているのだろうが、レジカウンターは一階にあって、二階に客の姿はない。
おまけに私物である本を開いて呼んでいた訳だから、忙しそうとはお世辞にも居得ない。



「論点は其処じゃねえ。用事がないなら来るなってんだ」
「用事ないと、来ちゃ駄目?」
「営業の邪魔だ」
「……お客さん今いないからいいじゃん」



それに、きっと客が来ても誰も気にしない。
この古本屋を利用する人達は、三蔵と悟空がこうして会話する光景を当たり前のものとしてみている。
何せ利用客の殆どが商店街周辺の住人で、常連ばかりなのだから。

三蔵もそれを判っているようで、しばらく悟空を睨むように見た後、溜息一つ。
そんな三蔵に構わず、悟空は空いている椅子に座った。



「其処に落ち着きたいんだったら、本持って来い」
「此処にある本、難しいのばっかだからヤだ」



きっぱりと言い切って、悟空はテーブルに顎を乗せる。
窄めた紫闇が此方を睨んだが、悟空はまるで気にしなかった。


読書の習慣は、幾つになっても身に付きそうにない。
幼い頃から此処に来ているのに、悟空は此処の本を一度も読んだことがなかった。
学校で読書週間なんてものはあるけれど、特に何をした記憶もない。

それでも此処にくるのは、この場所が悟空にとってとても居心地が良いからだ。
書面に興味はないけれど、古い本の懐古の匂いや、本の日焼けを防ぐ為にほんの少し薄暗い所も、悟空は好きだった。
そして、懐かしさに覆われた空間の中、静かに存在するこの金糸の青年も、大好きで大好きで。



「────おや、悟空君」



呼ばれて顔をあげると、柔和な笑みを浮かべた初老の男性。
三蔵の父親であり、この古本屋の主の光明だった。



「お邪魔しまーす」
「本当に邪魔だ」
「どうぞ。あ、お茶淹れましょうね」
「……俺がやります」



本を閉じて、三蔵が立ち上がる。
良いんですよと光明は言ったが、三蔵はそのまま行ってしまった。

光明は苦笑してそれを見送り、三蔵が座っていた椅子へと腰を下ろす。



「一人なんて珍しいですね」



光明のその言葉を理解した瞬間、悟空の頬がぷーっと膨れる。

また此処でも言われた。
そんなに、一人でいるのが可笑しいだろうか。



「悟空君?」



どうしましたかと問われて。
なんでもないと言い掛けて、悟空は止めた。

何故か判らないが、この人にはそういう手段がちっとも通じないのだ。
元々悟空は嘘が苦手だが、光明は更にそれを見破って、見逃してくれない。
言いたいことは言った方がいいですよ、と、言葉でなく瞳で諭される。



「……オレ、一人ってそんな変?」
「はい?」
「通りでもすげー言われた」



那托と李厘はどうしたんだと、何度も聞かれた。
通りは三人でよく歩いたから、言われるのも仕方ないと思っていた。

でも、二人と一緒に来た事がない此処でまで、言われるとは。
光明が示しているのは、幼馴染二人ではなくて、恐らく父親の事なのだろうけど。


拗ねた顔で問う悟空に、光明はそうですねえ、と一拍置いて、



「変、なんて事はありませんよ。私は、金蝉さんと一緒の所をよく見ていたから、珍しいとは思いますが」



光明は不思議だ。
同じ言葉を他者が言っても、何故だか違って聞こえる。

優しい言葉も厳しい言葉も、裏にはいつも温もりがあって、心の中にストンと落ちて来る。
どんなに気持ちがささくれ立っていても、この人の笑顔を見たら安心できる。


くしゃりと頭を撫でられて、悟空は目を細めた。



「ねえ、三蔵。別に可笑しくはありませんよね」



丸盆に急須と湯呑み、茶菓子を持った三蔵が戻って来ていた。

三蔵が眉根を寄せると、光明は改めて問う。
悟空が一人で歩いていても、何も可笑しい事はないですよね、と。



「……寧ろ、その歳になってまで他人が一緒でなければ変だと言う方が妙だと思いますよ」



遠回しに、変ではないと言っている。


また安心する。

する、けれど。



「……でもやっぱ、オレ、誰かと……那托や李厘と一緒がいいかも」



変じゃないと言われて、安心した。
けれど、やはり一人でいるより誰かと一緒にいる方が良い。



「それはそれで、良い事ですよ」
「……そう?」
「ええ。悟空君が人と接するのが好きと言う事ですから」
「……そっかな」
「自分の性に合っているのが一番良いんですよ」



微笑む光明に、悟空は小さく頷いた。


差し出されたお茶に口をつける。
苦味のある日本茶に顔を顰めたが、茶菓子の饅頭と食べると丁度良い。

父にくっついて、何をする訳でもなく此処に来て、こうやって茶菓子を差し出されて。
食べている間は大人しく父を待っていられるから、金蝉が調べ物をしている最中、悟空はいつも此処で茶菓子を食べていた。
今現在になってもそれは続いていて、時々一人でやって来ても、定着したかのように差し出される。


甘い饅頭を食べながら、悟空は足元に置いたケーキに目を遣った。
そうすると、光明もその視線の先を追い駆けて、床に置いてある紙袋を見つける。



「八戒さんのお店のケーキですか?」
「うん」



八戒の店の評判は、商店街でも有名だ。
洋菓子をメインで置いてあるが、抹茶を扱ったケーキ等も置いてある。
光明だけでなく、三蔵も、あの店の抹茶ケーキはお気に入りなのだと悟空は知っていた。



「花喃、帰ってたよ」
「おや、それはそれは。今度退院のお祝いをしなきゃいけませんね」
「うん。あとオレ、クッキーのお礼もしなきゃ」
「クッキーですか?」



頷いて、悟空は紙袋からクッキーの詰め合わせの袋を取り出した。

壊さないように、ケーキも引っくり返さないようにと気をつけていたので、罅も入っていない。
つい粗雑に扱ってしまう事の多い自分にしては、頑張ってたものだ。


様々な種類のクッキーの入った袋は、綺麗にラッピングされている。
おまけで貰ったと言うにしては、随分と力が入っているように見えた。



「なんかね、花喃がくれた。八戒もいいって言ってて」
「良かったですね」
「うん。そんで、ケーキもなんか知らないけど、悟浄が奢ってくれた」



前振りもなく、突然奢ってやると言い出した悟浄。
彼の収入はお世辞にも良いとは言えないのに、一体何の気紛れか。
大体、今月は厳しいとか言っていなかったか。

機嫌が良かったと言う事で悟空は勝手に完結させたが、本当の所はどうなのか。
首を傾げる悟空だったが、やっぱり真相は判らない。


なんでだろうなと呟いて、光明もしばらく考える。

三蔵は既に興味がないようで、並んでいる書庫の本棚を眺めている。
順番が狂っていたのを見つけると、几帳面に並べ替えを始めた。



「奢ってくれたんですか」
「うん。珍しいよな、悟浄ケチなのに」



言い切る悟空に、光明は苦笑する。


ふと、光明の視線はテーブルに置かれた卓上カレンダーへと向けられた。



「──────光明?」



笑ったような気配を感じて、悟空は光明の顔を見る。
其処にあるのはいつもと同じようで、けれど少しだけ違うような、柔らかい笑み。

何か判ったのか、と聞くよりも先に、光明は息子へと声をかけた。



「三蔵、確か『天竺』と『崑崙』のお饅頭ありましたよね」



光明の言葉に、三蔵の動きがぴたりと止まった。



「……はい」
「奥にありますか?」
「はい」



端的に答えて、三蔵はまた本の整理を再開させる。

光明は立ち上がると、いそいそと奥───給湯室らしい───に入っていく。
程無くして戻って来た時には、小さな紙袋を手に持っていた。


「どうぞ、悟空君」
「ふえ?」



差し出されたので思わず受け取ってしまったが、なんだろう、と悟空は中身を覗き込む。

見てみると、其処には『天竺』『崑崙』のロゴの入った饅頭。
しかも、一つの種類ではなく、様々な。


貰って良いのと光明を見ると、にこにこといつもの笑顔がある。
三蔵はやはり本の整頓をしていて、此方を見る事はなかった。



「好きでしょう?」
「うん、好き」



こくりと頷いて、じゃあ貰って下さいと言うから、素直に甘えることにした。






足元には、ケーキとクッキー。
手の中には、饅頭。



本当に今日はどうしたんだろう。


考えても、やっぱりよく判らなくて、聞けばやっぱり光明は教えてくれなかった。