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それは、



桜が見ていた物語




































風に舞い踊る桜の木の下で、蹲る子供と、それに寄り添う金糸の男と。

子供は木の根元で膝を抱えて小さくなり、時折鼻を啜る音が男の耳に聞こえて来る。
子供は何も言わずに沈黙していたが、その子供の心情がどんなに激しく波打っているかは、男にも判った。
……ずっと一緒にいたのだから、判らない訳がない。



ただ我武者羅に走り続けた、一日。
恐らくきっと最後になるだろうと思った、一日。


男は子供の手を引いて、子供は男に手を引かれて、走った。
走って走って走り続けて、後ろを振り向けば直ぐに追いつかれてしまうから、
置いて来てしまった人達の事を必死で頭の中から追い出して、ただ只管に前に向かって走り続けた。

だって追い付かれてしまったら、置いて行った人達にどんな顔をしていいのか判らなくなる。
子供は最初はそれが判らず、迎えに行かなきゃ待たなくちゃと言ったけれど、男はそれを宥めて走った。
此処で俺達が捕まったら、あいつらの想いそのものを全て無駄にする事になる────そう言って、
それを聞いて尚更泣き出しそうになる子供の背を押した。


一分一秒だって立ち止まる事は出来なかった。
途中から足は限界だと訴え始めて、休ませてよと体が悲鳴を上げたけど、それでも二人は止まらなかった。

いや、止まれなかった。

止まりたいと思う瞬間は欠片として存在せず、まるでそれについて行くように体も動き続けた。
動かし続けた足が、振り続けた腕が、無理をし続けた心臓の鼓動が破裂しそうなくらい高鳴っても、
止まってはいけない、止まってはいられない、止まれないと思い続ける心に、体は全支配権を委ねていた。


後から動けなくなったって良い。
今動けるなら、それで望んだ場所に行けるなら、後で体が壊れたって構わない。

目指した場所に一緒に辿り着く事が出来るなら、他はもう何も要らなかった。


だけど。

……だけど。


道を切り開く為に、前に走り続けることが出来るように。
立ち止まり、道に背を向けた人達の事が、やっぱり酷く気がかりで。




(一緒に来たかった)




此処は、約束の場所。
皆が目指した、天から堕ちた者の“楽園”。




(一緒が良かった)




膝を抱えた子供が思うのは、それ一つ。


ずっとずっと一緒にいたかった人は、今も変わらず、傍にいる。
何も言わずに抱き締めてくれるし、頭を撫でてくれる。
此処にいると、触れ合う温もり全てが包み込んでくれる。

それでも、素直な心は淋しさを誤魔化せない。


だって、ずっと一緒にいたかったのは、彼らだって同じだった。
本を読む楽しさを教えてくれた人も、イタズラや悪ふざけをする面白さを教えてくれた人も。
皆大好きだったから、誰一人だって欠けて欲しくなかった。

約束だってした筈だ。
何処にも行かない、一緒にいる────そう言って、約束の証を交わしてくれたのに。



判っている。
判っている。

彼らが何を思って、目指す未来に背を向けたのか、子供にだって判っている。
判っているけど納得なんて出来ないし、やっぱり一緒にいたかった。


だけど、待つ事は許されなくて。


走り続けている間、何度後ろを振り返ろうかと思っただろう。
追いついて来ていたらこんなに嬉しい事はなかったから、何度それを願って振り返ろうとしただろう。

けれどもそれは、ずっと傍にいてくれる大好きな人が許してくれなかった。

大好きな人は、強く強く繋いだ手を握って、振り返るなと小さく言った。
彼らは前へ進ませるために前を見続ける為に残ったのだから、その想いを無にしてはいけない。
それこそ彼らの想いを壊す事になるから。



だから、子供は大好きな人の大好きな金糸だけを見て、前に前に走り続けた。




(でも)




俯いた子供の頭を、大きな手が包むように撫でて、胸に押し付ける。
耳元に触れた鼓動の音に、悟空は嬉しくなって、同時に大声を上げて泣きたくなった。




(やっぱり、一緒が良かったよ)




舞い散る桜の花びらは、ほんの数時間前まで毎日のように見ていたものと、よく似ている。
だけどあれよりは少し力強くて、少しだけ眩しい。
あそこにあった桜の木々は、どちらかと言えばゆったりと優しいものだったような気がした。

子供は、どちらも好きだと思った。


だから、好きなものは大好きな人達と皆で一緒に見たかった。




(ケン兄ちゃん)

(天ちゃん)



(金蝉も)



(なたく、も)





誰一人いなくなって欲しくなかった。
此処に来るまで、最後の一日が始まった瞬間から、ずっとそう思っていた。

誰もいなくならないで、誰も離れて行かないで、もう誰も消えないで。
たった一人の友達はいなくなってしまったから、せめてもう誰も傷付かないで。
もうこれ以上、失う事には耐えられないと思ったから。


だから誰もいなくならないで。
ずっとずっと一緒にいて。

指切りしたんだから。


だけど、此処にいるのは二人だけ。






(皆一緒が良かったよ)







抱き締めてくれる腕に、縋り付く。

この光が、子供にとって最後の希望の一欠けら。